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7.伯爵の秘密

 火傷男に襲われた兵士のうち、部屋から転げ出て来た方は助かった。

「人の出入りを監視するように言われていたのですが、窓が開いていることに気づいて、確認しに行ったのです。それで、階段を上がったところであいつが倒れているのと、部屋の扉が開いているのが見えて……」

「部屋に入ったら、あの男が居て戦闘になった、というわけだな」


 言葉を引き取ったエクムントに、戸惑いながら話していた騎士は頷いた。

「そして、閣下は敵と交戦。僕がインク塗れにされて、その間に逃げられた、と」

「そういうことだ。私たちは失態を犯した。だが、あの男も失敗した。探していたものを見つけられなかったわけだからな」

 怪我をした兵士は同僚たちに支えられて現場を去り、クラウスたちは部屋の中を探し回ったが、他に有力な手掛かりは見つけられなかった。


「次にあの男が狙うのは何か、ということだが」

 クラウスの持つ二通の手紙に、エクムントの視線が注がれる。

「手紙を奪いに来る可能性は高いですね」

「あるいは処分しに来るかも知れないな。手紙の内容が知りたいのか、手紙の存在が邪魔なのか。どちらかがその対象か、あるいは両方か」


 エクムントは肩をすくめて、その謎のヒントは誰も持っていないと答えた。

「とりあえず、私たちは一度国王陛下にお会いする必要がある。他国の商店向けの分はさておき、侯爵への手紙を勝手に開封するわけにはいかないからな。そして、そのためには二つの準備が必要となる。一つは陛下とお会いするための請願。それと」

 クラウスは眉をひそめ、エクムントの頭から足元までをじっくりと見て言った。


「君の全身を彩るインクを洗い落とし、陛下の御前に跪くに相応しい服に着替えることだな」

「お気遣い、痛み入ります」

「我が家に来ると良い。騎士爵の礼服は誰かに届けさせよう。王都の騎士隊は優秀だ。陛下への請願も、君の服もすぐに届くだろう」

 手紙を懐へと大切に仕舞うと、クラウスはエクムントの肩を叩こうとして、黒々としたインクが肩にもたっぷり染みこんでいるのを見て、やめた。


 その後、ホーゼンハウファー伯爵邸に戻ったクラウスは、スチュアートの手伝いでエクムントが身体を洗い流している間、談話室で火が入っていない暖炉を前にして、ロッキングチェアに座ってぼんやりとしていた。

「カーラは、イシュガメイの軍部から指示を受けていた。では、これはなんだ?」

 エイグス王家の優秀な騎士と兵士たちは、カーラの部屋にあったイシュガメイ軍部からの指示書を見つけ、彼女がイシュガメイからのスパイだと判断した。


 だが、カーラはイシュガメイの商店とは別に、エイグス王国の侯爵への手紙を持っていた。差出人には「カーラ」とだけ書かれている。

「……彼女が生きていれば、直接聞いて終わりなのだが」

 素直に話してくれるかどうかは別として、敵なら敵。味方なら味方だと判断できただろうに、とクラウスは懐からイシュガメイ宛ての手紙を取り出した。


「こちらは、おそらくイシュガメイ王国の誰かに充てた報告だろう。怪しまれないように商店充てにしているのだろう」

 呟きながら、クラウスは封蝋を剥がし、封筒を開いた。

「……なんだ、これは」

 入っていたのは一枚の手紙。それはごくごくシンプルな内容で、エイグス王国に来る時には特産の真珠を使ったイヤリングを買いたいというものだ。


「何かの符丁か?」

 あるいはあぶり出しや縦読みか、と窓の方へと向けて日の光を透かして見てみたが、それらしい跡も見当たらない。

「ふむ……いずれにせよ、この宛先に誰かを調査に向かわせるしかあるまいよ」

 それはクラウス本人では無く、王国の調査員の仕事だ。これも国王から指示を出してもらうことになる。


「陛下にお願いすることが、増えた、か……」

 ゆらゆらと小さく揺れる椅子の上で、クラウスは瞼が重くなるのを感じて、手紙を手近なテーブルへ放った。

 まだ夕方に差し掛かった程度の時刻だが、慣れない捜査に戦闘が続いて、疲れているのかも知れない。


「まだ、制服は届かないか……」

 王の秘書室から謁見の請願について返答が来るはずだが、それもまだだ。

 色々と考えて、これからの行動を決めねばならないが、眠気が思考を鈍らせる。

「少しだけ、疲れたな」

 鼻から息を吸って、口ひげを整えながらゆっくりと息を吐くと、うっすらと浮いた汗もそのままに、クラウスはうとうとと短い眠りに落ちていった。


「あら」

 ホーゼンハウファー家を訪れたフィリス・エーメリーは、湯を用意し、エクムントのための一時的な着替えや身体を拭うための布を用意するために走り回っているスチュアートに挨拶をして、聞かされた通りに談話室へとやって来た。

 そして、眠っているクラウスを見つけた。


「クラウス様、お疲れなのかしら」

 フィリスは談話室の隅に綺麗に折りたたまれたひざ掛けを見つけ、そっとクラウスに掛けた。

「こうして見ていると、クラウス様は不思議なお顔立ちをしておいでなのですね。お話をしている時はお父様より少しお若いくらいのお歳かと思ったけれど、わたくしと変わらないくらいにも見える」


 気づけば、フィリスは眠っているクラウスの顔をじっと見つめていた。

「国王陛下からのお仕事、きっと大変なのね」

 彼女が来たのは、クラウスを侯爵家に招くためだった。貴族たちが夜ごと開くパーティーでは無く、彼女と彼女の家族が、クラウスの話を聞くための。

 王国の死刑執行人がどんな人物か知り、自分が暮らす国を支えている人々について知ろうとした。


 特にクラウスを選んだ理由は、一度話をしたからだけではなかった。

 今までどのパーティーでもクラウス・ホーゼンハウファー伯爵のような人物は見たことが無かった。誰もが美食と芸術に関する知識を競いあうばかりで、王国の秩序について語ろうとする人はいなかった。

 王国に必要な人物で、必要な家柄だと感じたフィリスは、父親に頼んで彼に相応しい女性を探すのも良いと思っている。


「クラウス様。今日は招待状を置いて失礼しますわ。きっと来てくださいましね」

 ではごきげんよう、と静かに告げたフィリスは、招待状を置いた隣に開いたままの手紙を見つけたが、何の変哲もない内容に首を傾げた。

 そして、何を調べているのだろうかとクラウスの顔を見直した時、少し気になる部分を見つけた。


「おひげが……」

 口ひげの端がわずかに浮いているのを見つけたフィリスの指が、そっと、慎重に、息を止めたままつまみ上げた。

「まあっ……!」

 思わず声を上げそうになったフィリスは、慌てて左手で自分の口を塞いだ。右手にはぽろりと取れた口髭がぶら下がっている。


「付け髭でしたのね。……ふふっ」

 髭が無いだけでこれほど印象が変わるものか、とフィリスはにっこりと笑みを浮かべた。

 いつもよりもずっと若く見える。いかつい印象はさっぱり見当たらない。疲れて眠っている姿だけ見れば、どこか可愛らしくさえ見える。

 数分の間、自分だけが知っているであろう伯爵の“秘密”をたっぷりと観察したフィリスは、付け髭を再びクラウスの口元へ戻すと、改めて一礼して部屋を出た。


「おや。フィリス様。お帰りですか?」

「ええ。クラウス様はお疲れのようでしたから。招待状はテーブルに置いておきましたから、クラウス様がお目覚めの時には説明をお願いしても?」

「承知いたしました。お気をつけて」

「ええ。馬車が待っているから、大丈夫ですわ」


 去っていくフィリスと入れ替わるように談話室へ入ったスチュアートは、少々乱暴にクラウスの肩を揺すって主人を起こす。

「む……寝ていたか」

「ええ、来客にも気づかないほどぐっすりと……おや」

 身体を起こしたクラウスの口元から髭が落ちたのを拾いあげたスチュアートは、糊が弱くなっていることに気づいて、懐からのりを取り出して塗りなおす。


「来客? おっと、髭が取れてしまったか」

「ええ、取れてしまいましたな」

 取られたのかも知れないとスチュアートは思ったが、余計なことかと思って黙っていた。

 それよりも重要な用事があるからだ。

「エクムント様は別室でお召し替え中です。今のうちに顔を洗って御出でになられた方がよろしいかと」


 のりを塗りなおした付け髭を差し出し、スチュアートは懐から一通の書簡を取り出した。

「国王陛下からの謁見が許されました。すぐにでも来るように、とのことです」

「ああ、わかった。ありがたいことだが、急だな……うん? この手紙はなんだ?」

「クラウス様。お髭の秘密を私以外に教えたりされましたか?」

 フィリスからの招待状に気づいたクラウスだったが、スチュアートの質問に気を逸らされた。


「お前だけだよ、スチュアート。家族以外に教える気は無い」

「奥様になる方なら教えても良いので?」

「私の家に来たいなどと考える奇特なご婦人がいるなら。まあ、それはそのうち考えるとするよ。手紙は……時間が惜しいな。招待状のようだが、君が中身を確認して、処理しておいてくれ」


 洗面室へと向かったクラウスを見送り、スチュアートは慣れた手つきで招待状を開くと、じっくりと内容の確認を済ませた。

 そしてしばらく思案したあと、喜んで参加する旨の返事を用意するため、自らの事務作業場へと歩き始めた。

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