表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/12

6.遺されたもの

 町の娼婦と一言で言っても、その在り様は様々だ。

 路地で殺害されたカーラは、繁華街の裏手で客を引くタイプの娼婦としては目立たない方で、実入りも大したことが無かったらしい。

 古ぼけたアパートメントの狭い一部屋がカーラの家だということまでは、夜のうちに兵士たちが突き止めていた。


 むしろ夜だったことが幸いしたらしい。

 夜の住人達が繁華街やその周囲に立っており、王都とはいえある程度エリアが決まっている中での聞き込みはそう難しいものでは無かった。

「酔っ払いに殴られた間抜けが二人いたようですが……まあ、声をかけるべき相手を見誤ったというところですね」


 外出のための服装に着替えたクラウスは、冗談を言いながら情報を伝える騎士エクムントと共に、まずは殺害現場を確認し、そこから徒歩でカーラのアパートへと向かうと予定を立てた。

 クラウスが到着した時、事件現場はすでに洗い流されていたが、それでも血の染みはそう簡単には消えない。


 現場保存のために警備をしていた兵士には、周囲の屋敷に住む貴族たちや使用人たちに次から次へと質問を浴びせられている。

「失礼。申し訳ないが、通らせてもらうよ」

丁寧に声をかけたのが貴族であるとわかると、人だかりは波が引くように道を譲った。

 そしてその人々がクラウスの顔を見て、口々に「死刑執行人の……」と噂する。


「伯爵さま! また悪い奴を倒しちゃって!」

「そうだ、伯爵が動くなら犯人はすぐ捕まって死刑台行きだ!」

 歓声には答えず、クラウスはただ黙々と進んで野次馬を押しとどめる兵士に労いの言葉をかけ、カーラが横たわっていた場所に立つ。

 どうにか群衆の間を抜けてきたエクムントが遅れて合流し、額の汗を拭った。


「無責任なものですね。第一、閣下は処刑がお役目であって本来捜査は我々の役目なのに」

「気にすることはない。ただ、私のやっていることが君たちよりも少し目立つだけのことだ。死刑にするかどうかは法によって決まり、最終的な確定は王が行う。私はただ、実行するだけのこと。あまり理解されることはないがね」

 血の跡にカーラの姿を思い浮かべ、クラウスは淡々と語る。


「カーラの遺体は?」

「検死に回しています。見られますか?」

「そうだな……先にカーラの家に向かうとしよう」

 路地は王都の古い町には良く見られる、国が成長するごとに建て増しが繰り返されてきた無秩序な並びのせいでできた袋小路だった。


 そこには古ぼけた石造りの壁の他は何も存在せず、ただ人が殺されたという雰囲気だけが澱のように重苦しく漂っている。

 クラウスの目にも、もう魂の残滓と呼ぶべき霧は映っていない。カーラの魂は、もうここには残っていないのだ。どこへ行ったのかは、彼にもわからないが、どこかへ。

「現場からは何も見つかっていません。遺体も一応調べましたが、刺殺であること以外は何もわかっていません」


 持ち物は少なく、わずかな金銭が入った小さな袋と、王都で流行している組紐状のブレスレットだけだった。全て、検死を受けた遺体と共に保管されているという。

 元々それだけしか持っていなかったのか、持っていた何かを奪われてしまったのか、それを知る手掛かりは無い。

 あまりにもヒントが少なすぎるので、捜査に関わった騎士達も頭を抱えているだろう。


「そうか……ならば、やはり彼女の家に向かうとしよう」

 現場を立ち去る前、クラウスは両手を合わせてカーラの冥福を祈った。王国に伝わっている追悼の方法とは違う、ホーゼンハウファー家にのみ伝わるものだ。

「どうかされましたか?」

「いや、待たせてすまなかったね。それで、カーラの家には近いのかね?」


 指先でそっと口髭を整えたクラウスは、再び集団の中にできた通路を無表情のままで通り抜けていく。

 人々は口々に応援の言葉を向けて来るが、そのどれもが彼のことを、その仕事と在り方を理解しているとは言い難いものだ。

「そうですね。平民街の中心あたりにある繁華街にありますので、そこそこ距離はあります」


 エクムントの勧めで近くの兵士詰所から馬車に乗り、カーラの家がある平民街の中心部へと向かう。

 中心部と言っても町の中央あたりというだけで、長い王都の歴史の中で取り残されているような雰囲気を受ける、古ぼけた場所だ。

 夕暮れ時になれば酒食を求めて人が集まる繁華街として賑わうが、昼間はその古さを太陽の下で無惨なまでに露わにされてしまう。


 そこからさらに奥の場所、馬車も入れない狭い通りを入った先に、目的地はあった。

 幾人もの目がクラウスたちを警戒するように見ているが、声をかけてくるものはいない。王都に住む彼らにとって貴族や騎士達は珍しいものではないが、歓迎するわけでもない。

 ただ、自分たちの生活に踏みこんでこないか、それだけを警戒しているのだろう。

「ここですね。……変だな」


 かなり前に火事が起きたのだろう。一部の壁が焼けてくすんでいる集合住宅の前に着くと、エクムントは周囲を見回した。

「どうかしたかね?」

「現場保存と不審人物対応の為に兵士を二人ほど配置していると聞いていたのですが……いませんね」


 サボってどこかに行ってしまったのか、とエクムントはぶつぶつ言っているが、クラウスは嫌な雰囲気を感じ取っていた。

 視線を上げて、建物全体を見る。

 息をそっと吐いて視線を集中すると、建物の中、窓が開いている二階の部屋周辺に三人分の魂の存在を感じる。そのうち一つは先日のカーラ同様、希薄になりつつあった。


 即座にクラウスは建物へと駆け込み、蹴破るような勢いで扉を開いた。

「閣下?!」

 驚いたエクムントの声が聞こえたが、相手をしている暇はない。素早くサーベルを抜き払ったまま、階段の場所を探す。

 悲鳴のような酷い音を立てる木製の粗雑な階段を踏みつけて駆けあがると、廊下に一人の王国兵士が倒れていた。


 わずかに呻いてはいるが、夥しい量の血を胸から流して、全く動く気配はない。

「……おのれ!」

 階段の後ろからエクムントが付いてくる気配を感じながら、クラウスは扉が開いたままの部屋へと駆け寄る。

 慎重に中を窺おうかとした矢先に、ごろりと一人の身体が飛び出してきた。傷を受けたもう一人の兵士だ。


「う、わわっ!?」

 慌てふためいた様子で剣を振り回した彼は、クラウスの顔を見て敵だと思ったのか、血を流している足を懸命に動かして距離を取ろうとする。

「慌てるな。中に敵がいるのだな?」

 息を飲みながら兵士が首を縦に振ると、同時にクラウスは室内へと躍り込んだ。


 そこはシングルベッドと小さな机だけで一杯になっているような、小さな部屋だった。

 中に居たのは、血の付いたナイフを片手に、窓側に置かれた机の前に立つ一人の男。

「ちっ! 新手か!」

 ナイフを突き出して構え、吐き捨てるように話した相手をクラウスは見覚えがある。カーラを殺したと思われる、火傷男だ。

「……そのナイフ、昨夜も見たな。殺した相手の部屋を探りに来るとは、彼女に何か重要な秘密でもあるのかね?」


 サーベルを突き出し、半身の姿勢で左手を腰に当てたクラウスは、覆面の隙間から見える相手の視線を油断なく観察している。

 その時、廊下からエクムントの足音が近づいてくるのが聞こえ、クラウスは一瞬だけ視線を背後に向けた。

 直後、火傷男が机の上のインク壺を掴み、クラウスへと投げつける。


「おっと」

「うわっ!?」

 クラウスは辛うじて避けたが、真後ろに来たエクムントには直撃して黒々としたインクまみれになってしまう。

 その隙に、開いていた窓から火傷男は飛び下りてしまった。


 急ぎ駆け寄り、不意打ちを警戒しながら外を確認したクラウスは、二度目の逃亡を許したことに忸怩たる思いを感じながらゆっくりとサーベルを納めた。

 その視線が、ふと机の一部に向かう。

「む、これは……」

 火傷男が踏み台にした際に歪んでしまったのだろう。机の天板が歪んでしまい、その一部が不自然にずれていた。


 そっと触れてみると、天板の一部だけ、持ち上げることで簡単に外れるようになっている。簡単な仕組みだが、天板の切れ目は巧妙に隠されている。歪みが出なければ早々わかるものでは無い。

「彼の探し物は、これか」

 隠されていた小さな物入れスペース。そこに隠されていたのは数枚の金貨と、丁寧に蝋で封じられた二通の手紙だった。


 どちらにも宛先は書かれており、一通はイシュガメイ王国の商店に宛てたもの。

 そしてもう一つ。

「ふぅ……これは、一度陛下にご相談が必要になりそうだ」

 そこに記された宛先は、エイグス王国貴族であるハトルストーン侯爵家当主に宛てたものであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ