5.侯爵令嬢の来訪
「ああ、伯爵閣下。ご就寝中に申し訳ありません」
「いや、気にしなくて良い。だらしなく昼まで寝ていたこちらが悪いのだからね」
客人を待たせていた応接室へ、着替えを済ませたクラウスが姿を見せると、騎士エクムントは慌てて顔を向けて非礼を詫びた。
「君も随分と夜が遅かったようだが、大丈夫かね?」
「はい。僕はあの後すぐに引き継ぎをして休めましたので、ただ、ちょっと問題が……」
「待ってくれ。その前に」
エクムントが話を続けようとするのを止め、クラウスは彼の後ろでソファにちょこんと腰かけている女性へと視線を向けた。
「そちらのお嬢さんは、どちらの御令嬢だろうか。君の恋人かね?」
「まさか!」
心底驚いたという顔をしたエクムントは、道を開けるように横にずれた。
クラウスを見上げている女性は、年のころ十代半ばから後半といったところで、着ているものは落ち着いた紺のドレスながら、仕立てや装飾を見る限り、貴族であるのは間違いなさそうだった。
「お初にお目にかかります、ホーゼンハウファー伯クラウス様」
軽やかな動きで立ち上がり、スカートの端を摘まんだ挨拶をすると、花が咲いたような笑顔を見せた。
可愛らしい顔立ちで、貴族令嬢としては化粧気は薄い。
「フィリス・エーメリーと申します、閣下。突然の訪問、お詫びいたします」
「エーメリー……? まさか、君は」
「嬉しいですわ。わたくしの家をご存知でしたか」
「社交界に疎いと言っても、流石に侯爵家の家名くらいは憶えているものですよ」
エクムントが妙に緊張した様子で、しかも彼女の隣に座らず、立ったままでいた理由を察した。
侯爵家と言えば王家、公爵家に次ぐ大貴族。当主と言えど無数にある騎士爵家とは比較にならない家格だ。
もしフィリスが少しへそを曲げて家族に「苦情」を言おうものなら、職を失うか、最悪家ごと無くなってもおかしくは無い。
「妙な、いや失礼。不思議な組み合わせだが、理由を聞かせていただけるでしょうか」
「ご高名な伯爵閣下。どうかそのような言葉遣いはおやめください。王家と比肩する歴史ある伯爵家の当主ですもの。私のような若輩者にそんな態度は良くありません」
「ふ、ふふ……」
ぴしゃりと言われ、クラウスは思わず笑みを漏らした。
「では、そうさせてもらう。エクムント君、君も座りなさい。御令嬢の隣は緊張するというなら、そこの椅子を寄せて使うと良い」
少し離れた場所に一人掛けの椅子が置かれているのを指差したクラウスは、エクムントが指示通りにしているのを待つ間、スチュアートが用意した紅茶に口を付けた。
「では、エクムント君。話を聞こう」
「はい。御通報いただきました殺人の件について引継ぎが終わってから、僕は宿舎に戻って眠っていたのですが、朝になって城から呼び出しを受けまして……」
騎士の詰め所に呼ばれたと思っていたエクムント・アードラーは、促されるままに城の中に入り、気付けば王の前に跪いていたという。
「何が起きたのか飲み込めませんでした。とにかく陛下のお話を聞くだけで精一杯でして、どうやって詰め所まで戻ったかも記憶が定かじゃありませんでした」
短い謁見ではあったが、これでエクムントは騎士として同期からは頭一つ目立ったことになる。それだけ平の騎士は数が多く、戦でも無ければ目立つことはない。
「陛下からのお話ですが、伯爵閣下、あなたを補佐せよというお話でして」
「私を? 確かに昨夜は食事をご一緒させていただいたが、どうして君が?」
「それなのですが……」
エクムントは説明を戸惑い、座っているフィリス嬢をちらりと見やった。彼女がいる前で話すべきかどうか迷っているのだろう。
「構いませんわ。エクムントさん、お話を進めてくださいな」
「あの、先ほども城でご説明しましたが、陛下からのご命令のお話ですから、そういうわけには……」
強くは言えない立場ながら、どうにか説得しようとするエクムント。
しかし、フィリス嬢は退かない。退くつもりならここまでついて来ていないだろうが。
エクムントを放って、フィリス嬢はクラウスの方へと視線を向けた。
「伯爵閣下。わたくし、常より伯爵のお仕事に興味がありまして、いつかお話を伺いたいと思っていましたの。でも、聞くところ閣下はあまり……というよりほとんど社交界に興味が無いとか」
「私の仕事はあまり人に褒められるようなことではありませんし、社交界の華やかさに影を落とすことを敢えてやろうとは思いませんよ」
実際、招待状も随分前の代からほとんど来ることが無い。精々が時折思い出したように届けられる、親戚関係の定型文そのままな内容のものだけだった。
「まあ。あんなに立派なお仕事をなさっておいでなのに、そんなご謙遜を。きっと、パーティーでも多くの方がお話を聞きたがりますわ」
同意するようにエクムントも頷いているが、クラウスは渋い顔をしてフィリス嬢の言葉に頭を振った。
「フィリスさん。私のやっていることは『穢れたこと』であり、そういう扱いであることが大切なのです。私は罪人とはいえ、人を殺します。それらの多くには家族が居て、友人が居る。そのことを考えれば、私や祖先が背負った業は、軽々しく披歴するようなことでもありません」
それはホーゼンハウファー家がずっと語り継いできた信念でもある。誰かの人生を終わらせた責任を、魂を、一族はずっと記憶していなければならない。
「私は、私の仕事に誇りを持っております。決して卑下したいわけではなく、また謙遜をしているわけでもありません。死刑執行は必要なことであり、社会を守ることです。ですが、人が人を殺すことを自然と考えるのは、本当に危険なことなのです」
「……えっと、その、少し混乱しています。あの、本当に申し訳ないことを申しました。なんと詫びるべきか、わたくしが如何に軽率なのか身に染みました」
真正面から説教じみたことを言われたフィリスは狼狽し、目に涙を浮かべている。
その様子に、頭が良い子だ、とクラウスは少し意外に思った。
エクムントに無理を言ってついてきたあたり、侯爵令嬢として我儘放題に育ったのだろうと考えていたが、クラウスが言いたいことを理解し、素直に反省している。
懐から綺麗に畳んだハンカチを取り出したクラウスは、腰を浮かせていたフィリスの肩にそっと手を置いて座らせ、その手にハンカチを握らせた。
「謝る必要はありません。さあ、涙を拭いてください。私の仕事に興味を持たれたこと、そして立派だとお褒めくださったことは、嬉しく思います。ですがこういった家に生まれた身として、あなたの耳には相応しくないお話も多いのです。どうか、今日のところはエクムント君が持ってきた仕事の話を進めさせてくれませんか」
「クラウス様……」
ハンカチを握りしめて、ぼんやりとした表情でクラウスを見上げていたフィリス嬢は、二度、三度と深呼吸を繰り返してから頬の涙を拭い、そっと立ち上がった。
「今日は失礼いたします。あの、ハンカチも必ずお返ししますから」
「どうぞ。いつもお使いの物とは質が違うかと思いますが、気にせず処分してください」
「そんな……あの、クラウス様のお話はよくわかりました。いえ、わかったつもりです。でも、またお話を伺う機会をいただけますか? 今度はちゃんと、お勉強をしておきますから」
さて困った、とクラウスは答えに迷う。
これから面倒が待っているという状況で軽々に約束はできない。だが、相手は侯爵の娘。粗略に扱うなど以ての外。
「わかりました。ただ、今度はきちんと約束を交わしてからにいたしましょう」
「ええ、もちろん。今日は本当に失礼いたしました。では、ごきげんよう」
スチュアートに促されて退室したフィリスを見送り、クラウスはどっかりとソファに腰を下ろした。
「お、お見事なお手前で……」
褒めてごまかそうとするエクムントを睨みつけ、クラウスは乾いた喉を紅茶で濡らす。
「君の方が歳は近いのだから……まあ、良い。それよりも話の続きを」
「ああ、そうでした」
説教を回避できたエクムントは、昨夜も使っていた筆記具を取り出して、一枚の紙をクラウスの紅茶の横へと差し出した。
「昨夜の被害者はカーラという名で、やはり娼婦でした。兵士たちが聞き込みを行った結果、いつもは平民街の方で客をとっているそうです」
「なるほど。君の見立ては合っていたわけだ。それで、その哀れなカーラが王の呼び出しとどう関係があるのかね?」
「……カーラの部屋から、イシュガメイ軍部からの指示書が見つかりました。どうやら、彼女はイシュガメイ王国から指示を受けて活動していた間者だったようです」
クラウスは理解した。この事件の犯人がイシュガメイからの刺客、あるいはイシュガメイへの刺客である可能性があると王は判断したのだ。
「そこまで含めて私の責任でやれということか」
イシュガメイの王子がやってくる前に掃除せよ、と王は言いたいのだろう。そのための助手として、顔合わせが済んでおり、事件に最初からかかわっているエクムントが選ばれたのだ。
「いやあ、お陰で僻地に行く話が無くなって、しばらくは王都勤務ですよ。閣下、どうぞよろしくお願いします」
「やれやれ」
王の勅命付きでの王都勤務となって、栄転気分なのだろう。無邪気に喜んでいるエクムントを前に、クラウスは肩の重みが数倍になったような気がした。