4.騎士エクムント
「殺し、ですか」
当直であったらしい若い騎士は、眠そうな目を擦りながらペンを走らせながら、確認するように呟いた。
女性の遺体を確認したクラウスがすぐさま城へ取って返し、当番の兵士を呼んで事件の発生を伝えたとき、たまたま見回りで通りかかったらしい。
平民である兵士たちを指揮する立場にある騎士がいれば話は早い。クラウスは改めて身分を説明し、兵士たちと共に女性の死体がある場所へと案内した。
そして今は、大量の松明が用意されており、先ほどまで暗闇に包まれていた路地は昼間のように明るくなっていた。
両脇の建物に住んでいる住人は叩き起こされて兵士から説明を聞き、悲鳴を上げている。
「可哀想に……」
「全く災難だとは思いますが、彼らの潔白を証明してやるのも必要な事です。どうやら住民は皆、完全に眠っていたようですし、今は兵士たちが建物内部を捜索していますから、彼らも逆に安心できるはずです」
若い騎士はそう言って、あくびをかみ殺した。
彼はエクムント・アードラーと名乗り、騎士爵家の当主であった。まだ二十歳になるかならないかの若さで貴族家の当主であるというのは珍しくは無いが、王都詰めということは優秀な人物なのだろう。
高位貴族の子弟が家督を継ぐまでの勉強や一時的な職場として騎士になった場合だと、安全のために王都など都市を中心に勤務することは珍しくない。
しかし、次男以下が独立して騎士になる場合や、もともと騎士爵であるなら話は別で、特に若いうちはあちこちの地方を転々とすることになるのが通例だった。
「伯爵閣下。目撃、いや交戦されたという男についてお話を聞かせてください。ああいや、決めつけは良くないか。……男でした?」
話し方を聞く限りはそう有能にも見えないが、とクラウスはこの若いエクムントに火傷男について詳細に語った。
余すことなく記録を取ったエクムントは、紙の端にさらさらと似顔絵を描くと、汚い字を避けるように描かれたそれをクラウスに見せた。
「こんな感じです?」
「驚いたな。結構似ている。もう少し顎ががっしりとしていたが」
「なるほど、なるほど」
多少の修正を加えた似顔絵を書き上げたエクムントは、一人の兵士を呼びつけて紙を手渡すと、何枚かに書き写して巡回の兵士に配るように命じた。
「すぐに動いてくれ。王都を出られたら正直見つかるとは思えない。特に外周の警備班には優先して渡すように」
「はっ、承知しました」
走り去る兵士を見送り、エクムントはクラウスに敬礼をして見せると、白い歯を見せて笑った。
「王都の兵士は優秀ですね。すぐに僕の話を理解してくれる。失礼、被害者の確認をしたいのですが……」
「良い。時間は問題無いから、付き合うよ」
「恐縮です」
騎士爵であるエクムントは伯爵であるクラウスに命令などできないので、何につけ依頼するという形を取らざるを得ないのだ。
非協力的な貴族だったら「勝手にしろ」と言ってさっさと帰ってしまっただろう。まして事件の被害者でもある状況だ。早く捕まえろと怒鳴りつけることも少なくない。
「伯爵は良い方ですね。こんな風に街なかの事件にお付き合いいただけるとは」
と、エクムントが喜ぶのは仕方が無いことでもあった。
遺体にかけられたぼろ布をはぎ取ったエクムントは、状況を確認しながら冷静に記録を取り、傷の深さを調べ、被害者の顔も描きとった。
「……身なりからして、多分娼婦でしょう。それも貴族を相手にするような女じゃない。平民たちを相手に自宅や木賃宿で客を取るようなタイプの女だ」
「だとすると、場違いな被害者ということになるな」
クラウスが被害者に見覚えが無いことを告げると、エクムントは「でしょうね」と頷く。
「王国の死刑執行人たる伯爵閣下が相手になさるような女じゃありませんよ」
エクムントはクラウスのことを知っているようだが、クラウスは彼のことを知らない。
「彼女は。あまり貶める気はありませんが、場所さえ違えばこういう殺しは珍しくありません」
客とのトラブルや男関係の痴話喧嘩を原因として娼婦が殺されるという事件は数多い。それがたとえ王都であっても、男女のことで死ぬ者は必ずいるのだ。
「あとは被害者が何者かを調べ、閣下が交戦されたという火傷の男を探すことになります」
女の方はすぐに調べが付くだろうが、男の方はわからない、とエクムントは正直に言う。
「仕事仲間がいるはずで、女衒なり同じ商売女なりに聞いて回ればまず間違いなく名前はわかります。本名では無いかも知れませんが」
少し探して、家族に行き当たれば遺体を渡し、見つからなければ共同墓地に葬られる。
「こういう女たちは本名を捨てていることも多い。墓に記録する名前が商売上の偽名になるわけですが、仕方ありません」
男が被害者の情夫であれば居場所を見つけられるかも知れないが、もしいきずりの客ならばかなり絶望的だ。
「万が一の可能性ですが」
真剣な目をしてエクムントはクラウスに注意を促す。
「被害者が何者かは関係無く、犯人は通り魔であるとするならば、かなり厄介です。閣下、どうか今後、夜に移動される場合は、護衛を雇うか馬車を利用なさいますよう、ご注意ください」
「嫌な予測だが、素直に聞き入れておくことにするよ。ところで、そろそろ帰っても大丈夫かね?」
「ええ、もちろん。ご協力ありがとうございます」
「どうやら君は優秀な騎士のようだ。王都勤務というのも頷ける。頑張ってくれたまえ」
やや色を付けて評価したつもりで応援したクラウスだが、エクムントはきょとんとした顔でやや背の高いクラウスを見上げていた。
「王都勤務? ……ああ、なるほど」
クラウスの勘違いだったようで、エクムントは王都勤務のエリートではなく、地方から地方へと転勤する途中だったらしい。
「転勤先で住む予定だった家が火事になってしまったようで、別の家が用意できるまで一時的に王都で使われているだけですよ。第一、そんなエリート様なら夜勤なんて押し付けられませんから」
「そうだったか、世情に疎いとはいえ、悪いことをした」
「とんでもない。高名なる閣下に褒めていただいて嬉しい限りですよ。我がアードラー家の記念日になります」
「ふ、大げさだよ。では、後は頼んだ」
「はい。お任せを」
あと二時間ほどで夜明けという深夜に帰宅したクラウスは、執事のスチュアートを起こさないように静かに寝室へと入り、ソファに上着を放り捨てた。
「……疲れた。気付かれもしたし、余計な面倒に巻き込まれて、挙句に……」
腰に提げていたサーベルを引き抜くと、明らかな刃こぼれがある。
「足払いを止めた時、骨に当たった部分だな」
スチュアートに見られたら、心配した彼に根掘り葉掘り聞かれるだろう。使用人ではあるが、クラウスが幼少の頃からホーゼンハウファー家に仕える執事たる彼は、クラウスのことを自分の孫かのように、あるいはそれ以上に心配している。
戦闘をしたとなると、それはそれは大騒ぎになるだろう。
「ヨーゼフあたりに頼んで、替えを用意してもらうか」
そしてこっそりと修理に出そう。
そう決めたところで、クラウスは睡魔に導かれるままにベッドへと身体を横たえた。
「忘れないように……起きたら……イシュガメイの……王子の……」
王から命じられた内容を思い出しながら、クラウスは夢も見ないほど深い眠りへと落ちていった。
そして、昼前に起こされる。
「クラウス様。お客様がお見えですよ」
「……客?」
ヨーゼフと出入りの食べ物屋以外が訪ねてくることなど滅多にない。まだ頭の大部分を睡魔に蝕まれたままで誰が来たのかと問うと、スチュアートは肩をすくめた。
「存じ上げない方ですが、騎士エクムント・アードラーと名乗られました」
「アードラー? アードラー……ああ、あのエクムント君か」
昨夜出会った騎士だと思い出したクラウスは、礼でも言いに来たのだろうと思い、酒が原因の気だるさを覚えながら身体を起こした。
ぼさぼさになった髪を適当に後ろに掻き上げ、頬の髭をなぞる。
「それと、若い女性もお連れでしたよ。なんでも、昨夜のことでお話があるとかで」
「女?」
一体何をしたのだ、と疑いの目を向けてくるスチュワートに辟易しながら、何が起きているのかさっぱりわからず、クラウスはのっそりとベッドから立ち上がった。