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3.路地裏にて

「本当によろしいのですか? すっかり道は暗くなってしまいましたが……」

「構わない。今日はご苦労だった」

 城を辞去したクラウスは、待っていた馭者に報酬として少し多めの金を渡すと、馬車はもう必要無いからと帰るように伝えた。

「ですが……」


 王都は比較的治安が良いと言っても、夜道を一人で歩いて安全な場所というわけではない。酒屋が密集して人通りが多い繁華街や、警備が厳しい貴族街でも、不法な手段で金を得ようとする輩はいるのだ。

 それでも、クラウスは馬車を帰した。

「少し考えたいことがある。酔いを醒ますのに夜風にあたってゆっくり帰りたいんだ」


 いつもの通勤路でもあるから大丈夫、と貴族であるクラウスに言われては馭者も強く反論はできず、気を付けてくださいと言い残して馬車にかけたままだったホーゼンハウファー家のバナーを外し、ガラガラと音を立てて夜の道を去っていった。

 家までは歩いて十五分ほど。

 貴族相手の商店が並ぶ城下町を抜けて、貴族街へと向かう道をゆっくりと歩いていく。


「陛下のご命令……イシュガメイの王子が到着するまで、まだ十日ほどは余裕がある。まずはその人物について調べてみるか」

 それからは周辺の評価や敵味方について可能な限り知っておかねばなるまい。王からは王族に関する禁書庫以外は自由に閲覧して良いとの許可を得た。

 社交界に疎いクラウスは、他国の情報にもあまり明るくは無いのだ。ほぼ一からの調査となる。


 その点でも自分にはやはり荷が勝ち過ぎる気がしないでも無い。

「特権か。それを使う機会が無いならそれで良いのだが」

 先代であるクラウスの父は、ホーゼンハウファー家の特権をついに利用する事無く死んだ。流行り病で亡くなるまで二十年に及んだ奉職期間のうち、処刑した人数は二千名を超える。


 死刑囚の家族や恋人に襲われることもあったが、その場で処すことはせず、必ず逮捕して事情を確認してから、その多くを赦した。

 尊敬すべき父であった。

 その父に倣い、クラウスも幾度か同じような目に遭った時、その相手の話を聞くようにしていた。


「だが、暗殺者が相手となると、話は違ってくる」

 情けをかけるような相手では無いが、すぐに処断して良いものかどうかは迷う。

 いざその時になって、殺すことに迷うことになりはしないか。

「ふ、王国の死刑執行人が、情けないことだな」

 常々人を殺しているくせに、王国が裁いた者でなければ、戸惑ってしまうのか。そう思うと、クラウスは自分が情けなくなってきた。


「……誰か、手伝いが欲しいな」

 部下は一応いるのだが、全員が騎士として出仕している騎士爵家の当主か高位貴族の子弟であり、クラウスが顎で使って良いという訳でも無い。

 本来なら家臣なり侍従なりがいるのだが、クラウスは執事のスチュアート以外に雇っている人間はいないのだ。


 ただ淡々と処刑人の役目を果たすだけならば困ることはないが、いざ他の仕事を任されると途端に人手が足りなくなる。

「こういうとき、父はどうしていただろうか」

 帰ったらスチュアートに相談してみようと思った矢先、クラウスは道路の先に何かが動いているのを見た。


「誰かいるのか?」

 声をかけたが、反応は無い。

「人影に見えたが……」

 レンガ造りの建物が並ぶ街並み、一つの路地に入った影を追うように駆け寄ったクラウスは、建物に背を預けるようにして慎重に路地を覗き込んだ。


「……いる、な」

 月の明かりも届かない暗い路地。

 どこまで続いているのかも判別できない暗闇の中だが、そこに一人の人物が潜んでいるのがクラウスにはわかっていた。

 彼の家系だけにわかる、“魂の存在”。


 表現は難しいが、夜の闇とはまた違う黒さを持った靄が感じられるのだ。

 腰に提げていたツルハシに触れて、少し迷ったが護身用に持っていたサーベルの方を抜く。

 金属が擦れる音が小さく響くと、魂の靄がわずかに壁際に寄った。隠れているつもりなのだろうか。


「私からは一人でそこに潜んでいるのは見えている。影の中から大人しく出てきて正体を明かすならば、何もしない」

 右手にサーベルを握ったまま、ゆっくりと語りかける。

 その間にクラウスはそっと刃の向きを変え、一筋の薄い月明かりを暗闇の方へと向けた。

「ちっ!」


 全身が見えるような灯りでは無いが、それでも光を向けられた相手は舌打ちをして、何かを懐から取り出した。

 反射した光でクラウスにもそれが何かわかった。大ぶりなナイフだ。

「私はホーゼンハウファー伯爵家のクラウスだ。刃物を収めて、ゆっくり出てきなさい」

 呼びかけには答えず、相手はずるりと滑る様に闇から抜け出してきた。


「正気か!?」

 王国の法では、平民が貴族に怪我を負わせたら極刑は免れない。

 クラウスは相手が貴族の子弟か、あるいは王が懸念していた他国からの妨害の一つではないかと瞬時に考えた。

「ええい、考えても仕方があるまい!」


 闇を抜けた相手は、そのまま体重を乗せるようにしてナイフの突きを繰り出した。

 ギラリと凶悪な輝きを放つ刃はわずかに波打っており、軽く撫でた程度でも傷は大きくなるだろう。

 クラウスのサーベルはそのナイフの上から添えるように当てられ、身体の外へと攻撃を逸らした。


 同時に、押し込むような前蹴りで相手の身体を押し返した。

「くっ」

 二歩だけ下がった相手はバランスを崩したように見えたが、それはフェイクだった。

 倒れ込むような勢いで姿勢を落とし、強烈な足払いが来る。

「ぬおっ!」


 これが王国貴族の嗜みとされる剣術だけをやっていたなら、クラウスはたまらず転がされていただろう。そして、ナイフを心臓に突き立てられていたかも知れない。

 だが、長く犯罪者たちを相手にしてきたホーゼンハウファー家に伝わる格闘術は甘くない。

「うあっ!?」

 悲鳴を上げたのは、ナイフを持った敵の方だ。


「ふぅ、ふぅ……」

 荒い息を吐いているクラウスは、サーベルの刃を石畳の地面に突き立て、相手の足払いに対する盾にしていた。

 刃は脛の骨にまで食い込み、どろりと血が流れている。

「クソが!」


 無理やり刃から足を引き抜いた相手は顔全体を長い布で覆っていたが、声や体格から若い男性であるとわかる。

 まずは顔を確かめるべきだろうとクラウスが手を伸ばすと、男は素早く顔を引いて避けた。

「足を怪我しているのに、大した奴だ。それに、その顔は……」


「……ちっ!」

 目元までは見えなかったが、クラウスの指先は布の一部を引きはがし、鼻と口辺りを月明かりの元、露わにしていた。

 その左頬には大きな火傷の跡が広がっており、鼻の一部も痛々しいほど変色している。

 悔し気に釣り上がった口元も、唇の色が妙に紫がかって見えた。


「改めて聞こう。私がクラウス・ホーゼンハウファーと知ってのことか?」

「……憶えていろ」

 答える気は全くないらしく、捨て台詞を吐いた男は足を引きずるようにして、しかし素早く闇の中に姿を消した。

「逃げるか! ……うん?」


 後を追って捕まえなければ、と考えたクラウスだったが、先ほど敵が潜んでいた暗い路地の奥に、かすかに揺れているもう一つの魂の靄を見つけて足を止めた。

「まだいたのか? いや……」

 靄は動いていない。そして、生者としては異様なほどに薄い。

「これは、まさか」


 懐から火縄式のライターを取り出し、小さな火を点けたクラウス。

 揺れる灯りで仄かに照らされた路地には、一人の女が横たわっていた。胸元を大きく開いた簡素なドレスを纏い、派手な化粧をしている女だ。

「なんということだ……」

 胸、腹、そして喉にいくつもの刺し傷を負い、助けを求めるように虚空へと手を伸ばしている女は、すでにこと切れている。


 クラウスが見たのは、彼女の魂の残滓だったらしい。

「あいつは、この女を殺したことを露見したと考えて、口封じに私を攻撃してきたのか」

 そう思えば納得できるような気がしたが、貴族だと知っても尚、鋭すぎる攻撃であったことが引っかかっていた。

 火縄を乱暴に握って暗闇に戻したクラウスは、しばらくの間、血の臭いが充満する路地で眉間を押さえていた。

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