1.処刑人家系
ホーゼンハウファー伯爵家は、エイグス王国の中でもかなり古い家系であり、王国の成立以前からエイグス王家と関係があると言われている。
王国の成立以後、代々死刑執行を引き受けている家系であり、今代当主であるクラウスもまた、世襲以降ずっとその役を行ってきた。
「お疲れ様。今日も滞りなく済ませたようで、何よりだ」
「……来ていたのか、ヨーゼフ」
王都にあるホーゼンハウファー邸に戻ったクラウスを迎えたのは、彼の数少ない友人であるシュナース男爵家の当主ヨーゼフだった。
勝手知ったるという様子で談話室のソファに身体を預け、蒸留酒を入れたグラスを傾けている。
高い酒であり、透明なガラスで作られたグラスもそれ一つで王都の平民が半年は暮らせる程度の金額がする逸品だが、クラウスは気にした様子もない。
マントを外し、老執事に手渡す。
ホーゼンハウファー伯爵家の使用人は彼だけだ。死刑執行の家系ということで、自分の娘や息子を預けようという者は少ない。
「何度も言っているが、そろそろ使用人を増やせよ。彼の負担が大きいだろう」
「我が家にいるのは私一人だ。彼一人いれば充分だよ」
クラウスが言っている通り、領地を持たないタイプの伯爵としては広い敷地と巨大な邸宅でありながら、住み込みの使用人はクラウスが生まれる前からこの家に仕えている老執事であるスチュアート一人だけだった。
「そういえば料理人もいないよな。食事はどうしているんだ?」
「夜に家で食べる分は契約している店が運んでくるから、それをスチュアートが温めてくれる。昼間は出仕していて外で食べるから必要ない」
「それはそれは……」
家族もいないからそれで良いということらしいが、ヨーゼフからすれば寂しいのではないかと心配になってくる。
「もう良い歳だから結婚もしなくちゃいけないだろう。せめて女中を何人か雇って身の回りを任せちゃどうだ。世継ぎがいなくちゃ、ホーゼンハウファー家も断絶だろう」
「その時はその時だ。どこからか養子でも入れるさ」
新しいグラスを棚から取り出したクラウスは、ヨーゼフの前にあるローテーブルから酒瓶を取り、氷も入れずにたっぷりと注いだ。
琥珀色の酒を一度に半分ほど飲み、クラウスはスチュアートが運んできた食事をローテーブルに置くように指示した。
「もう休んでいい。あとはやるから」
「然様ですか。では、失礼いたします」
恭しく一礼したスチュアートが談話室を出ていくと、クラウスは残りの酒を呷って酒瓶に手を伸ばした。
「おっと。俺に注がせてくれ。友人への労いとして」
素早く酒瓶を掴んだヨーゼフは、にやりと笑ってクラウスのグラスに向けて瓶を揺らした。
「珍しいことをする。何を考えている?」
そうは言いながらも、クラウスは素直にグラスを差し出し、友人が注ぐ酒を受けた。
「勘ぐる必要なんかないさ。それより」
ヨーゼフは自分のグラスにも酒を注ぎ、瓶を置いた。
「結婚については真剣に考えるべきじゃ無いか? 家のこともそうだが、俺は友人がいつまでも独り身でいること自体が心配だ。それに、スチュアートのことも」
「彼がどうかしたか?」
「彼ももう五十半ばだろう? そろそろ引退させてやれ。それとも、誰にも手入れされていないヨレた服で執行人として広場に立つつもりか?」
「洗濯くらいは自分で出来る」
「伯爵家当主がやることじゃあ無いな。もっと現実的に考えろ。多忙ではないかも知れないが、重要なお役目を担うホーゼンハウファー家の当主だろう」
これがそこいらにいる貴族連中が“苦言”と称して言っているならばクラウスも無視してしまうところだが、ヨーゼフが相手ではとりあえず耳を傾けざるを得ない。
「それにお前の家に伝わる秘術のことだ。何だったかな、穴を空ける……」
「魂の通り道、だ」
「それだ。あれは王ですら知らない秘術だそうじゃ無いか。養子などと簡単に言うが、そう簡単に伝授できるものなのか?」
ヨーゼフが言っているのは、昼の死刑執行の際にクラウスがツルハシを使って死刑囚の肩に穴を空けた技術のことだ。
「俺も何度か見たが、あれは見事な技だ。血も流さずに人間の身体に穴を空けるなんて人間技じゃない」
「やらなくても良いことだ。別に失伝したところで処刑ができなくなるわけじゃない」
クラウスが言うことに、ヨーゼフは「そうかも知れないが」と呟いて黙ってしまった。
魂の通り道と彼らが呼んでいる穴は、昔から王国に伝わる呪いの一種である。無念を残したりこの世に未練を抱えたまま死んだ者は、上手く身体を抜け出せず、死しても尚、動き続ける化物になってしまうのだ、と。
だから死刑執行人は殺される死刑囚に穴を空ける。その際に血を流さずにそれをやってのける技術を持つ者は少なくホーゼンハウファー家にしかいなかった。
今は、クラウスただ一人が可能なことだ。
血が出ない肉体の穴は、魂の通り道として最上であるとされ、死病に侵された貴族の中には、密かにクラウスへ依頼する者までいる。
「クラウス。俺は誰かに刺されたりするような人間じゃない。死ぬときは多分病気か、出来れば老衰が望ましい。今際の際にはお前に穴を空けて貰いたいが、俺が先とは限らんしな。だから、誰かにその技術を伝えて貰わなくちゃ困る」
「ふっ……」
鉄面皮もかくやと思われるほど表情に乏しいクラウスが、思わず笑った。
「はっはは。お前、私よりも長生きするつもりか?」
「笑うなよ。息子に家督を譲ってからの悠々自適な生活を楽しみにしているんだよ。頑張って働いた分、自由な時間もたっぷり欲しいと思うのは当然だろうが」
「充分に自由を満喫しているんじゃないか? ちゃんと金を払っているとはいえ、あまり女遊びが過ぎると、家督を譲る前に奥方に殺されるぞ?」
「うるさいな。妻が怖くて男爵家の当主が勤まるか」
彼らは寄宿舎学校からの友人ではあるが、社交界での付き合いはほとんど無い。
クラウスの方は縁起が悪いと言われてあまりそういう場に呼ばれないし、呼ばれても遠慮するからだが、ヨーゼフの方は貴族との語らいよりも酒場の女性との会話を好む。
社交界からははみ出し者扱いの二人で、二人とも当主となってそれぞれの仕事をするようになってからも、時折ヨーゼフがクラウスを訪ねてきては、明け方まで酒を酌み交わして語らうのが決まりごとのようになっていた。
逆にクラウスがヨーゼフの屋敷を訪ねることは無い。奥方がクラウスの家柄を良く思っていない……というより怖がっているからだ。
「たまにはうちに招待したいところだが……」
「気にしなくて良い。私の家はそういう家系で、貴族からも怖がられていて丁度良いくらいさ」
「すまんな」
家柄も収入もクラウスの方が数倍良いので、ヨーゼフは時折酒の肴を持って来るが、酒はクラウスの家にあるものを飲む。これもいつしか決まったことだが、クラウスは少しも気にしていなかった。
『クラウス様は何を飲まれても酔いもせず、お酒の味もわからない御方ですから、ヨーゼフ様のお好みに合わせて揃えておきます』といつしかスチュアートがはっきり言ってしまった程だ。
クラウスは怒ることはなく、当然だと言った。「酒の味の違いはわからない。私にわかるのはどの人間のどこに穴を空けるべきか、その違いだけだ」と。
クラウスの酒が三杯目になったところで、ヨーゼフは思い出したようにグラスを置いて座りなおし、懐から一通の書簡を取り出した。
「危ない、危ない。酔って忘れてしまう前に、今日の用事を伝えておかないとな」
「用事?」
普段は「たまには女抜きで飲みたい」との理由だけで来ているヨーゼフだが、今日は重要な話があるという。
「まさか見合い話を持って来たなどと言うまいね」
「ある意味、もっと重要なことだ。ほれ、これだ」
書簡を渡されたクラウスは、封蝋に押された印が意味するものを知っている。
「国王陛下からの親書とは……」
「いいから読んでみろ。内容は俺も一応聞かされている。直接お前に渡して、必ず伝えるようにと念を押されたんだよ」
城内で仕事をしている最中に突然王から呼び出され、毛先まで震える程緊張した、とヨーゼフは思い出して少し酔いが醒めてしまったらしい。貴族と言っても男爵だと早々王と直接顔を合わせることは無い。
「陛下から、晩餐の招待か」
「光栄なことだろう。俺だったら緊張して何を食べているかわからないだろうが、お前なら平気だろう?」
「だが、なぜ私に?」
書簡に書かれている内容から見て、パーティーなどではないらしい。ただ王族の晩餐にクラウスも加わるようにと命じられているようなものだ。
「陛下のお考えまではわからないが、何かお話があるらしい」
クラウスにも王からの用事に心当たりはない。通常なら書簡で命じれば良いはずで、わざわざ晩餐にまで呼ぶのは異例だ。
「まあ、晩餐は明日だ。今夜はゆっくり休めと陛下も言われていたし、何を言われるかなんて今考えても仕方がない。そうそう、来る途中でハーブが入った腸詰めを買ってきたんだ。飲もう、飲もう」
すっかり冷めてしまってはいたが、ボイルされた腸詰めは濃い肉の味に数種のハーブが練り込まれて、酒に合う。
書簡については気になるものの、クラウスはヨーゼフの言うことも尤もだと思い、包みを開いて置いただけという、およそ貴族とは思えない供され方の腸詰を齧り、酒を飲んだ。
その日、クラウスはいつも通り夜中までヨーゼフと語り合いながら酒を飲み、翌日の昼まで眠ってようやく歩ける程度にまで酒が抜けた友人を見送った。
「スチュアート。今夜は夕食は必要ない」
「然様ですか。珍しいことで……おお、国王陛下との晩餐とは、なんとまぁ……!」
生まれつき着ているのではないかと思えるほどぴったりとサイズがあった執事服に身を包んだスチュアートは、クラウスから渡された書簡を見て、細い目を見開いた。
「これは忙しくなりそうですな」
「いや、夕方に馬車の手配だけしておいてくれればいいんだが……」
「何をおっしゃいます!」
いつになく張り切っているスチュアートに、クラウスはたじろいだ。
「陛下との晩餐に臨むのですから、伯爵家当主として恥ずかしくない恰好をせねばなりません。それに手土産も用意せねばなりますまい。それに坊ちゃま、馬車と一口に行っても、その“格”にも色々とあるのですぞ!」
「坊ちゃまはもうやめてくれないか……。とにかく、全部任せるよ。お前に頼めば間違いはないだろうから」
昔の呼び方が飛び出すほどに意気込んでいるらしいスチュアートを嗜めるのに失敗したクラウスは、大人しく水を浴びてくることにしたが、それも止められてしまった。
「手伝いを呼びますから、しっかりと“湯”に浸かって、身体を洗って酒の臭いを抜きませんと。いや、この際ですから蒸し風呂にいたしましょう。すぐに馬車を呼びます」
年齢に似合わぬ速度で人を呼びに行ってしまったクラウスは、その後スチュアートに言われるままに蒸し風呂に入り、手伝いの者たちに身体を洗われ、いつの間にか用意された服を着せられていた。
「め、目まぐるしい……」
「さあ、迎えの馬車が参りましたぞ」
すでに疲れてしまったクラウスがスチュアートに呼ばれて屋敷から出ると、やって来たのは、一人で乗るには大きすぎる四頭立ての馬車だった。
ホーゼンハウファー家の家紋が入った幕もあしらわれている。
「本当に、これに乗るのか……」
「家格というものがございます。伯爵家の当主が王城に“招待されて”行くのですから、これくらい堂々としていて丁度良いのです」
「はあ、わかったよ」
仕方ない、とステップを踏んで箱馬車の中に入ると、ベルベットで丁寧に装飾されたベンチと飲み物が用意されていた。
「参ったな、どうも」
華美で貴族的なことに興味が無いクラウスにとって、王城までの短い行程が一番疲れるものになってしまった。
彼が使っている執務室も王城の敷地内にある。いつもなら歩いて通勤している道を、やたらと目立つ馬車で走らねばならぬ理由も良くわからない。
辟易している時間は短かった。
あっという間にたどり着いたクラウスは、目の前にそびえる王城を見上げた。
エイグス王国の首都シティ・エイグス。その中心にある王城はクラウスら貴族たちの多くが出仕する職場でもある。
だが、今から入るのはそう言った公的な場所とは違う、王族たちが暮らす奥の殿にあたるところだ。
「さて、何をいわれるやら……」
ため息を隠して、クラウスは足を踏み出した。