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11.エーメリー侯爵

 騎士エクムントが娼婦とのぎこちない会話で心臓に負担を覚えていた頃、クラウスは久しぶりに袖を通した夜会のための服を窮屈に思いながら、夕暮れの道を用意された馬車に揺られていた。

「やれやれ……」

 目的地はフィリスの家。つまりエーメリー侯爵家の王都内にある邸宅だ。


 パーティーに顔を出すつもりなど無かったクラウスだが、ヨーゼフから参加の返答をしておいたと言われてしまっては、今更断るのは難しい。

「ましてや、陛下が御来場なされるのであれば、尚更だ」

 必要な挨拶だけを済ませて、早々に帰宅するつもりだったクラウスは、窓の外を流れる風景を眺めながら、思考を王から依頼された調査に関することへと逸らした。


「カーラの死因はやはり刺殺だった。あの男の仕業と見て間違いないとは思うが……」

 クラウスはあの夜の出来事と、カーラの部屋での遭遇を思い出し、何か胸に引っかかる物を感じていた。

 それは違和感であったが、火傷顔を確認したのは間違いの無いことであるはずだった。

「二度にわたって逃げられたのは……ん?」


 思い浮かぶのは一度目の邂逅。

 その時、クラウスは間違いなく火傷男の脛に刃を当てた。弾かれたような感触は無く、確実に皮を断ち骨に食い込んでいたはずだ。

 だが、二度目にカーラの部屋で遭遇した相手は、身軽に動き回っていた。戦闘をこなし、二階から飛び降りて見せたのだ。


「別人なのか?」

 骨までの傷がこれほどまでに早く癒えるとは考えにくい。下手をすれば壊死して足の切断。最悪の場合は感染症にかかって死ぬ可能性すらあるのだ。

 少なくとも数ヶ月は動けない筈だと判断したクラウスは、仮に“顔に火傷跡がある男が複数存在する”と仮定する。


 やくざ者が互いの結束の為に同じ刺青を施したりすることは珍しくないが、顔を焼くという行為は理解しがたい。

「いや、逆に考えよう。何らかの理由で……火事や戦災で火傷を負った者たちの集団がいるとしたら?」

 クラウスは背筋に寒いものが奔るのを感じた。


 それが戦災を受けた者たちの集まりであり、何がしかの理由で我が王国に恨みを持っているとしたら?

「イシュガメイ王国との国交に関する問題だけでは無い。もっと根の深い“国内の問題”が絡んでくる可能性もある」

 仮にそんな集団がいたとすれば、その目的が問題になる。国内でテロ行為による攪乱や他国との摩擦を起こすというのであれば、早々に、そして完全に根絶せしめる必要がある。


 心の重さに押しつぶされそうな思いを抱えたクラウスを乗せた馬車は、侯爵邸別館のホール前へと到着する。

 多くの招待客が訪れており数台の馬車が列を作っていた。だが、敷地前に待機していた侯爵家の私兵たちは手際よく確認をして通していく。

 ほどなく、クラウスの番が回ってきた。


「失礼します。車内におわす御方のお名前をお伺いしてもよろしいですか?」

 丁寧な物言いで馭者に尋ねる兵士は、油断なく馬車の方へと注意が向いている。

エーメリー侯爵家は決して敵が多いというわけでは無いが、ゲストも多い中で妙な人物が入り込まないよう慎重に精査しているのだろう。

 まして、見慣れないバナーを翻した馬車となれば尚更だ。


「ホーゼンハウファー伯クラウス様……? あっ!」

 馭者から名を聞いて何かに気付いたらしい兵士が、目を丸くして「少々お待ちを」と言い残して館の中へと駆けこんで行った。

「何かあったか?」

「さあ、私にも何がなんだか……」


 小窓を開けて馭者に尋ねるが、彼も困惑しているようだ。

「面倒事にならなければ良いのだが……もう無理だな」

 呟いている間に、開いたままの小窓から馭者の肩越しに見える見事な前庭を、息を切らせて走ってくるフィリス・エーメリーの姿が見えた。

 満面の笑みで馬車を目指してどんどん近づく彼女を見て、クラウスは帽子を掴んで馬車を下りた。侯爵令嬢直々の出迎えとなれば「車上から失礼」というわけにもいかない。


「クラウス様! 来て下さったのですね!」

「お招きいただきまして、恐縮です。私のような者がお伺いしてもよろしいものかどうか迷いましたが、折角の機会ですので。ですが、このような特別扱いは……」

 困る、とクラウスは伝えたかったが、その前にフィリスから丁寧に過ぎる一礼を見せられ、黙らざるを得なかった。


「さあ、父が中で待っています。こちらへどうぞ」

「ですが、まだ……」

 クラウスは兵士達へと目を向けたが、視線は合わなかった。フィリスが「入れ」と言うならば検問など不要ということらしい。

 庭に居た使用人や順番待ちの招待客たちが驚いた顔をしている中をなるべく表情を変えないようにと進むクラウスは、自分が見世物にでもなったかのような気分だった。


 多くの好奇と少々の嫉妬を感じながら視線を正面の建物へと向ける。

「む……」

 壁を通して、多くの人々が行きかっているのが、魂の動きで彼にはわかる。ぼんやりとした靄がうごめいているように見えるのだが、同じ建物、同じホール内へと人が集まっているせいか、正体の怪しい良くない澱のようにすら見える。


 魂の存在を見る能力。

 それはホーゼンハウファー家の血筋にのみ現れる特殊なものだった。貴族家の始祖から連綿と受け継がれた力だとされているが、詳細はよくわかっていない。

 見え方は様々で、クラウスの亡き父は「光の点が見える」と言っていた。

 子供のころは靄が化け物に見えて、それはそれは恐ろしく感じていたのを憶えている。


「私も同じように見える能力であってほしかった」

「どうかされましたか?」

「いえ、なんでもありません。ホールはあちらですか」

「はい。ご存じだったのですね。クラウス様は当家にいらしたことがおありなのですか? こちらはパーティーの時くらいしか使っていない屋敷なのですが、以前にもご参加いただいたのですね」


 あちらに生きた人間が集まっているのがわかるから、とは言えず、クラウスは一度だけお邪魔したことがありますと嘘を吐いた。

「だからお父様はクラウス様のご招待に賛成くださったのですね」

 やはりフィリスが言い出した招待らしいと知ったクラウスは、なぜ侯爵が乗り気になったのかには想像が及ばなかった。


「侯爵閣下は、私の仕事をご理解くださっているのでしょう」

 嫌われ者。というよりは敵対視されることすらあるホーゼンハウファー伯爵家を真に理解しているとはクラウスも考えていなかった。

 長い王国の歴史の中で、ホーゼンハウファー当主の手で処刑された縁戚がいない貴族のほうが少ないほどなのだから。


「そうでした。ホールにご案内する前に、お父様のところへお連れしますわ。今回のご招待について相談したとき、ぜひお会いしてゆっくりお話がしたいということでしたから」

「えっ? こ、侯爵閣下が、ですか?」

 何か良くないことが起きている予感を感じながら、フィリスの案内に従ってホールからやや離れた場所にあるサロンへと向かう。


「失礼します。お父様、クラウス・ホーゼンハウファー伯爵をお連れしました」

 返事を待たず、フィリスは番として立っていた私兵たちに重厚な扉を開いてもらうと、クラウスの腕をとって室内へと入る。

 室内には華美な装飾などはほとんど置かれておらず、シンプルな棚に様々な種類のタグがかけられた酒瓶が並んでいる以外は、グラスなどがわずかに揃えられた程度だ。


 高位貴族としては地味な部屋だが、精緻なガラス細工のグラスや酒瓶は、一般の民衆がまず目にすることは無い高価なものだ。

 町の酒場に行けば、器は木彫り細工のものが一般的で、時折ざっくりとした分厚い陶器が使われている程度で、一般の家の窓は基本的に木戸が使われているのだ。

 落ち着いた雰囲気の部屋ではあるが、価値を知る者が見ればとてもゆっくりとくつろげるような場所ではない。


 そんな部屋にて、主であるエーメリー侯爵はがっしりとした大柄な身体をソファに預け、彫りの深い顔に渋面を浮かべてクラウスを睨み付けていた。

「よく来た、ホーゼンハウファー伯爵。パーティーの前に色々と話をしよう……と言いたいところだが」

 侯爵は銜えていた葉巻を置き、溜息にも似た呼吸で煙を吐き出す。

「つい今し方、王の騎士が使者としてやってきた。君に用があるらしい」


「私に?」

「そうだ。彼からすぐに話を聞くと良い」

 侯爵が声をかけると、彼の背後に控えていた騎士が一歩前に進み出た。クラウスは彼を侯爵の護衛か侍従だとばかり思っていたが、王国の正騎士らしい。

 一礼した彼を見て、クラウスは絞り出すような声を出した。


「非常事態、なのですね」

「そのようだ。わざわざパーティーを控えたワシのところまで騎士を寄越すくらいだからな。国王陛下のお気に入りという噂は本当だったようだ」

「失礼。早急の要件でございますれば、小官からお話をさせていただきたいのですが」

 話を遮ってきた騎士に、侯爵は手ぶりで許可を出した。


 騎士の行為は無礼にも見えるが、国王からの使者となれば侯爵家当主よりも優先される。

「クラウス・ホーゼンハウファー伯爵。こちらが王からの指示書でございます。念のため口頭でもお伝えするようにと言われておりますが……」

 騎士はちらりと侯爵やフィリスへと目を向けた。

「構わない。エーメリー侯爵は王から篤く信頼を受ける忠臣であり、フィリスさ……様は、私の仕事を知っている」


 半分は定型句だが、侯爵の家で侯爵を追い出すのははばかられた。呼び出しではなく使者を寄越し、口頭で伝えるように命じられたことからも、秘匿情報に関することでもないのだろうと判断したという理由もある。

 侯爵は当然のように頷き、フィリスは不安そうにクラウスを見上げている。

「では、お伝えします」


「拝聴します」

使者から告げられた言葉はクラウスに充分すぎる衝撃を与えた。

「騎士エクムント・テニッセンを娼婦殺害の容疑で捕縛いたしました。エクムントは伯爵閣下との面会を求めており、国王が特別に許可を出されました」

「なにっ!?」


 クラウスが驚きと共に開いた指示書には、「すぐに対応するように」とだけ書かれていた。

 エクムントに会え、ではなく、ただ“対応せよ”と記したあたりに、国王がクラウスの動きを制限しないように配慮していることが窺える。

「……使者どの。事件の現場はわかるかね?」

「把握しております」


「馬を貸そう」

 すぐに部屋を辞するつもりで侯爵に向き直ったクラウスは、突然の提案に面食らって言葉を返せずにいた。

「急いでいるのだろう? 馬車でのんびりと向かうような状況ではあるまい。幸い、ここには駿馬が何頭もいる。伝令の騎士どのが操る馬にも置いて行かれぬようなのが、な」


 まだ火が残っていた葉巻を口にして、煙をくゆらせる。

「なに。ワシも陛下の御為に力を貸したと実績を作っておきたいだけのこと。そして、終わったら馬を返しに来い。その時にゆっくり話を聞かせてもらおう」

「……感謝いたします。では、侯爵閣下。フィリス様。失礼いたします」

「クラウス様……」


 フィリスの声が聞こえたが、使者の後を追うクラウスは、振り向くことなく部屋を出て行った。

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