10.カレン
ご無沙汰して申し訳ありません。
お蔭様でモーニングスター大賞一次通過いたしました。
ありがとうございます。
「ええと、その……こういう所は初めてなんだ」
ロビーから奥へと入った場所は、いくつもの扉が並ぶ一種異様な空間だった。
時折漏れ聞こえる声は、嬌声以外の何物でも無い。咽るような濃い練り香の香りも相まって、淫蕩な雰囲気が漂う通路をエクムントは右腕を女に絡め取られて、おっかなびっくり歩いていく。
一目では区別がつかない扉の中から、一つの扉を開いて女はエクムントを促す
「じゃあ、わたしが初めての相手ってこと?」
「はっきりと聞いてくるなぁ……」
「王国の兵士と聞いたけれど、真面目なのね。素敵だわ」
髪を揺らして笑う女性は、扉を入るとすぐにエクムントのシャツに手をかけた。
「あ、ああ。ちょっと待ってくれないか!」
「あら、じれったいのがお好き?」
そういう訳じゃない、と締まりのない顔で否定して、エクムントはシンプルなベッドの脇にあるテーブルから水差しを取って、木製のカップに注いだ。
そして、一気に飲み干す。
「……はあ、今はこんなことをしている場合じゃないんだけれどなぁ」
それに、とエクムントはもう一杯水を注いで、今度は一口だけ飲み込んだ。
「僕は王国兵士じゃなくて、王国騎士だよ。これでもね」
「そうだったのね、勘違いだったみたい。ごめんね」
化粧こそしっかりしているが、どこかあどけない笑みを見せて女性は笑う。
これがもし、客をリラックスさせるための演技だとしたら、と考えて、エクムントは自分が際限なく人を疑うようになっている気がしてうんざりしていた。
「とにかく、僕は王様の……・いや、伯爵様の協力で色々と調べないといけないんだ。その、そういうサービスはいいから、話を聞かせてもらえないかな?」
「お話? いいわよ」
彼女は名前をカレンと名乗った。本名では無いだろうと思いながらも、エクムントにしてもあまりこういう場所で突っ込んだ話を聞くのも野暮だというのは解っている。
「パウラって名前の女性を知っているかな。君と同じ……というと少し語弊があるかもしれないか。町で客を取っているタイプの娼婦なのだけれど」
「ふふ、面と向かって娼婦だって言われると、傷つくわ」
「あ、これは申し訳ない……」
いいのよ、とカレンはエクムントの手を引いてベッドへ腰を下ろした。
女性とシャツの布ごしに肩が触れる感触。エクムントはそこまでは経験があったが、尻まで柔らかさを感じ取れるほど密着するのは初めてだった。
普通に女性と恋愛するのとは違う高揚感がある。
「騎士様からしたらこういう業界は一緒に見えるでしょうけれど、入れ替わりは激しいし、縄張りとか経営者で全然違うのよ」
時に娼婦同士の交流がある場合もあるが、基本的に彼女たちは厳しく“管理”されているそうで、あまり自由は無いらしい。
「だから、町の中で客を引いている子とは全然交流が無いのよ」
「そうか……」
カレンがいる娼館は貴族や豪商が多く利用する高級店であることもあって、客筋が良い分秘密も多く、彼女たちは建物の中で共同生活をしているらしい。
「そういうのは秘密にしておかないといけないんじゃない?」
「良いのよ。別に隠している訳じゃないから」
「それじゃあ、パウラのことは知りようが無いか」
「でも、知っていそうな男を知ってるわ」
頭を掻くエクムントの手を取って、自分の両手に包み込んだカレンが微笑む。
「私のお客さんで、ベンノという男がいるの。彼は町の娼婦たちをまとめる女衒の頭……と、自分で言っていたわ」
女を売ったかねで女を買いに来るんだから可笑しな話よね、とカレンはコロコロと笑った。
金額を比較すると、町で女を買うよりも数倍はかかる。女を十人売って一人の女を抱くのだから、カレンの言葉をエクムントも理解できた。
「他のお客さんの話をするの、本当は駄目なんだけれど……なんとなく、あなたが気に入っちゃったから」
「えっ、あ、ありがとう。教えてもらったことは誰にも言わないから」
顔を真っ赤にして礼を言うエクムントに、カレンはベッドサイドテーブルに置かれたナイフの飾りを手に取った。
「ベンノは色々と贈り物をしてくれるけれど、他の女の子が頑張って稼いだお金だと思うとあんまりいい気分はしないのよ」
「金払いが良いお客が減ってしまうけれど、いいの?」
「確かにお金は持っているけれど、だから良いお客さんってわけでもないのよ」
豪奢な飾りがついたナイフにはどこかの貴族の紋章が入っていて、見た目だけでも高価なものだとすぐわかる。
「刃物の持ち込みは厳禁だってわかっているはずなのに、無理やりここまで持ってこようとして騒ぎを起こしたりしたのよ。刃を潰して、迷惑料を払ったりして、大変だったわ」
エクムントが手渡されたナイフを確認すると、確かに刃挽きされており、先端も雑に叩き潰されている。無惨だな、とエクムントは眉を顰めた。
「ナイフも無事なら、結構な値段で売れたはずなんだけれどね」
どうしてもこの部屋に飾らせたかったのと、手渡ししなければ納得できないと我が儘を射た結果らしい。
「好かれるのは悪い気しないけれど、彼の愛情は私のことを見ていない、自分が何をやったかしか興味が無い感じだから」
寂しそうな笑みを見せたカレンは、この娼館ではあまり人気が無いらしい。
「貧相な身体つきでしょう」
「う、そんなことは……」
するりと薄絹のドレスを脱いだカレンの身体は、すらりとした細身で胸も小さい。ここへ来る男たちの多くは、もっと豊満な女性を求めているのだという。
「今日は私しかフリーがいなかったから……私で良かった?」
言葉と目のやり場に困ったエクムントは、とにかく彼女の身体を隠そうとシーツを引き寄せて肩にかけた。
「見たくないといえば、嘘になる。でも、僕はこんなふうにお金で女性を買うのはあまり好きじゃないんだ。君は魅力的だと思うよ。本当に」
言葉を選びながら話すエクムントをじっと見ていたカレンは、思わずぷっと噴き出した。
「ごめんなさい。そんなに困らせるつもりじゃなかったのよ」
「僕の方こそ、もっと場馴れしていれば良かったのだけれど」
それからカレンはベンノが女たちを立たせている縄張りや、彼が事務所として使っているらしい場所について、知っている限りの話をしてくれた。
合間にはカレンの話もあり、彼女が両親の負担にならないよう田舎から出てきて、最初は食堂の給仕を始めて、そこでこの娼館のオーナーから声をかけられたことをエクムントは知る。
「お金持ちになれるって言われたけれど、そうでもないんだよね。この服とか、生活費とかで結構取られちゃうし、あんまりお客さんが多くついてない私だと、仕送りするのも大変なくらい。あなたは貴族様だから、こういう苦労話は良くわからないかも知れないね」
「いやいや、とんでもない。騎士爵なんて大した年金がもらえるわけじゃないから、生活するだけでほとんどなくなっちゃう。こんな高い店には本当に縁が無いよ」
貴族階級によって王国からの年金が支給されるが、騎士爵で都市部での生活となると一人暮らしがやっとであり、エクムントのように役職に就いて手当をもらい、尚且つ警邏役として寮に入っていることで食費や家賃を浮かせることで貯金をするのが普通だった。
エクムントのように有力な貴族とのつながりが薄く、地方回りが多い騎士になると持ち出しも多くなり、商売人よりも苦しい生活をしている者も多い。
「だから、ヨーゼフ・シュナース男爵に声をかけてもらったときは、少し困ったけれどチャンスだと思ったよ。正直な話」
だが、もっと上位であり王からの信頼も強いホーゼンハウファー伯爵との調査の方が重要であり、ここで成果を出せば栄転もありうる。上の役職に就いて手当が増えれば、それだけ楽になるし、結婚もしやすくなるのだ。
「貴族様でも、騎士様は大変なのね。折角だから、今日はゆっくり休んでいくといいわ。ほら、マッサージなんかどう? お客さん増やすために憶えたの。結構上手って褒められるのよ」
言われるままにベッドへうつ伏せになったエクムントの太腿に、カレンの心地良い重みが触れる。
「確かに、うまい……」
「でしょう?」
腰から背中、肩へとゆっくりもみほぐされながら、エクムントは捜査で歩き回った疲れが解けていくのを感じていた。
「男爵様からは朝までのお金を貰っているから、眠ってしまっても大丈夫よ」
耳元に唇が触れそうな距離で囁かれ、エクムントは飲み込まれるように眠りへと落ちていった。