9.娼館
王と二度目の会談を果たしてから数日後、新たな情報も見当たらず、イシュガメイへ派遣された調査員もまだ戻っていないところで、騎士エクムントは一日の調査を終えた報告のため、クラウスの屋敷を訪ねた。
だが、今日はエーメリー侯爵家のパーティーに出席するため、クラウスはすでに家を出た後だった。
「パーティーには陛下もお越しになられるとのこと。もしかすると、今日はお戻りになられないかも知れません」
侯爵家の屋敷は近いが、話が長引いて夜中になれば泊まっていくように言われるであろうし、相手が王であれば断ることも難しいだろうことはエクムントにも分かる。
かと言って、侯爵家まで行ってわざわざクラウスを呼び出して報告するのも憚られた。
「わかりました。また明日、城の執務室を訪ねてみることにします」
「折角御足労いただきましたのに、申し訳ありません。主が戻りましたら、お伝えいたします」
スチュアートから丁寧な詫びを受けて、エクムントは頭を掻いた。
伯爵家の家令ともなれば、平民とはいえ社会的な地位で言えば平の騎士よりもランクが上とされている。先日もインク塗れの格好で訪ねて世話になったばかりだというのに、ここまで低く出られると逆に居心地が悪かった。
「やあ、スチュアート。玄関先で何をやっているんだい?」
「これはヨーゼフ様。折角ですが、クラウス様は外出されております」
すっぱりと断りの言葉を出されて、ヨーゼフは「参った」と歓迎されていないことを素直に悟る。
「居場所は教えてもらえるかな?」
「ある侯爵家のパーティーに出席しております」
目を見開いたヨーゼフは、直後に呵々大笑してエクムントの肩を叩いた。
「クラウスがパーティーだって? はっはは! これは凄い話を聞いた。今夜は酷い雨でも降るんじゃないか? ……ところで、君は誰かな?」
「は、はあ。僕は王国騎士のエクムント・アードラーと申します」
エクムントはいきなりのことで驚いたが、ヨーゼフがクラウスの友人であり男爵家の当主であるとスチュアートから説明を受けると、放って離れるわけにもいかなくなった。
そしてヨーゼフの方もエクムントに興味が出たらしい。
「なるほどなぁ。最近妙に留守がちで、噂には国王陛下から何かしらの勅命を受けたらしいとは聞いていたが」
よし、とヨーゼフはエクムントの肩に手を置いて、建物から門の方へとくるりと方向を変えさせた。
「今日は振られた者どうし、飲みにでも行こうじゃ無いか!」
「いや、ですけれど……」
「そう心配するな。もちろん俺のおごりだ。まあ、悪いけれど高い店には行かないから」
そういう問題だろうかと迷うエクムントを尻目に、スチュアートに向けて「次のパーティーには俺も呼んでくれ」とだけ伝言を残し、ヨーゼフはエクムントを押し出すようにして門の外へと出て行った。
そして近くで待機していた辻馬車に乗り込むと、歓楽街へと馬を進めた。
「俺はクラウスとは長い付き合いなんだ。彼の手伝いをしているというなら、労いは当然のことさ」
「はあ、ありがとうございます……」
いくらなんでもクラウスとは雰囲気が違い過ぎて、本当に友人なのだろうかとエクムントは疑問に思っていたが、王国で暮らす貴族の社会で、上の人間に逆らうのは難しい。
それに、向かう歓楽街は殺されたカーラが仕事をする本拠地でもある。
しばらく迷ったエクムントだが、娼婦が殺されたことくらいは話題にしても問題無いだろうと判断した。
簡単にではあるが話を聞いたヨーゼフは、片眉を引き上げて「面倒なことをしている」と呟いた。
「そんなら、どうしてさっさと歓楽街の店に話を聞きに行かないんだ?」
「色々事情がありまして……」
俗に悪所のように呼ばれている歓楽街の、特に娼館や風俗紛いの店が集まる場所にはそれぞれエリアを牛耳る顔役が居る。
「騎士や兵士が業務で近づくのは危険な場所で、そこで何か問題が起きても、中々対応がし辛いということで……」
かと言って、客を装って調査に入ろうにも、その為の予算など下りない。おまけに潜入捜査が発覚すれば、捕まって命を失う可能性だってあった。
「なるほどなぁ」
騎士爵が得られる年金や、王国騎士として入る役目手当の金額はヨーゼフも知っているが、決して多いとは言えない。
貴族家として他家との付き合いもあれば、王国の自宅維持費、使用人を雇う費用などの負担もある。商家の平民の方がよほど裕福に見える程だ。
いくら平民男性たちの憩いの場とはいえ、あちこちの店を回る金など無い。
「ならば、丁度良いじゃ無いか。馭者くん、町の中央にある『カーリー』という店までやってくれ」
「かしこまりました」
馭者への指示を終え、座りなおしたヨゼフはにやりと笑う。
「丁度良い店がある。俺も友人に協力したいと思うし、君の役に立てるならそれなりの費用援助も惜しまないつもりだ」
そうしてたどり着いた店の前に降り立つ。
「ここは、娼館ですか」
「その通り。やあ、ジョニー。久しぶりだな」
「お久しぶりです、ヨーゼフ様」
三階建ての石造りの建物は大きく、一階を商店にしていたのを改装したらしい雰囲気があった。
建物の前に立っている男は腰に剣を下げ、他にもいくつものナイフを身体に固定して、まるでハリネズミのような様相だった。
ジョニーと呼ばれた彼は、むすっといした表情から一変して、愛想良く挨拶を返す。
「今日は友人を連れて来たんだ。なんと王国で期待されている若い騎士だよ。さあ、彼にふさわしい、良い娘は居るかな?」
「もちろんおりますよ。ヨーゼフ様にも、騎士様にもきっと気に入っていただけます。ささ、どうぞ。ああ、騎士様の剣だけはお預けください」
「け、剣を預けろというのか」
「規則でございますれば」
一瞬だけ剣呑な視線を向けたジョニーだったが、ヨーゼフが間に入ると表情を笑顔に戻した。
「こういう場所に武器はご法度なのだよ」
「あっ」
剣帯のバックルをヨーゼフに手早く外されて剣を帯ごと取られたエクムントは、呆然として自分の剣がジョニーへ手渡されるのを見ていた。
「無粋な物を平気で持ち込むから、兵士や騎士が敬遠されるんだよ。わからないかなぁ」
まず通されたロビーで向かい合い、供された酒を傾けながらヨーゼフは語る。
「こういう場所に居る客はお互いに“何者でも無い”んだよ。今持っている金の分まで遊べる。職人だろうが、腕っぷしに自信があろうが、関係無い。店の方針に従って、好みの女と遊ばせてもらうのさ」
話しを聞きながらエクムントは周囲を見回す。
店外のように派手な飾りがあるかと思ったが、ロビーは落ち着いてやや暗い照明で仄かに照らされていて、外はまだ明るいはずだが、どこか夜の様な雰囲気がある。
中にはどこかで見たような顔もいたが、客同士は互いに見えていないかのようにふるまっており、女性を横に座らせてゆっくり酒を飲む者もいれば、ソワソワと店の奥へと何度も視線を向ける者もいる。慣れの問題だろうか。
「ここで待っていれば、担当者が女性を連れてくる。その子とここで話して、気に入ったら奥へと連れていけば良いのさ」
見ると、先ほど店の奥を見ていた青年の隣にも女性が座っていた。
「ここの子たちは、何かと町の情報を耳にしている。……尤も、聞き出せるかどうかは君の甲斐性次第だが」
そう言いながら、ヨーゼフは懐から幾枚かの金貨を取り出し、遠慮するエクムントのポケットへと放り込んだ。
「金は力で、甲斐性の証でもある。とりあえずはこれだけあれば、女の子の舌はある程度滑らかになるはずさ。そこから先は、自分で頑張ってくれたまえ」
「よろしいのですか」
「よろしいとも」
ヨーゼフは最初に来た女性と親しく話し、エクムントは緊張気味に会話をしていたが、勧められて一杯だけ酒を飲み、少しばかり高揚した気持ちで語り合う。
エクムントの隣に腰を触れるほどの距離で座ったのは、サラサラとした長い金髪が美しいスレンダーな女性だった。
近くにいると、わずかに花の様な香りが届く。
「騎士様ですってね。貴族様ならもっと高いお店の綺麗な女の子がお好みなんじゃないかしら?」
「いや、君も充分、だと思うよ」
「まあ、嬉しい」
話は長くは続かない。
エクムントが緊張しているのを見たヨーゼフは、苦笑いしながら立ち上がった。
「少し落ち着きが無いが、二人の時間を長く楽しむのも良いだろうね」
「ええ、またゆっくりお相手してください」
ヨーゼフが連れたショートカットの女性は、とろけるような視線を彼に向けて、その頬に真っ赤な唇を押し付けた。
「こらこら、そう急かすものじゃない。それではエクムントくん、また後で」
「あ、はい」
女性の腰に手を回し、奥へと消えていくヨーゼフ。
そして、エクムントも傍らの女性に促されて立ち上がった。
「さあ、行きましょう。あなたのように若くてきれいな顔立ちの男性、わたしの方がお金を払って良いくらい。ふふ、楽しみね」
「あ、よ、よろしく……」
緊張しなくて大丈夫、と優しくエクムントの心を解きほぐしながら、女性は彼の手を取って、奥の部屋へと誘った。