第八十四話 天界の劫火
A.G.2881 ギネス二七〇年 アルメル一年
雪の月(十一の月) 火の週の四日(十七日)
ヘッセン公国 公都エルリッヒブルク近郊
ユーリウスはノイエ・ブランザ軍総旗艦ナグルファー号に乗って、ヘッセン公国の公都エルリッヒブルク近郊のヘッセン・ラネック両軍が集結していた駐屯地の上空にいた。
作戦室の板型受像機には大騒ぎしているヘッセン・ラネック両軍の兵士達が映し出されている。
「……では始めようか」
『戦闘開始。爆撃を開始せよ』
『戦闘開始。爆撃開始します』
『爆弾倉開け! 爆撃開始!』
ユーリウスの言葉が艦橋に響き、艦長となったカタリーナが命令を下す。
板型受像機で爆撃準備の整っている事を確認した戦術士官のフローラが復唱して攻撃開始のブザーが鳴らされると、既に照準を終えていた爆撃手が安全装置を解除した一〇〇キログラムはある大型気化爆弾の固定装置の解除ボタンを押し込んだ。
高度は二〇〇〇メートル程だろうか。
投下と同時に退避とカウントダウンが行われ、残り五秒で爆弾からパラシュートが開き、残り三秒で無数の小さな炎が凄まじい勢いで連続して周囲に飛び散り始め、ゼロの言葉と同時に小さな閃光が迸ると強烈な閃光と火球と衝撃波が生まれる。
それは瞬く間に拡大して地上を地獄に変えると巨大なきのこ雲を産んだ。
きのこ雲の真下に集結していた五〇〇〇を超えるヘッセン・ラネック両軍の兵士達は、その半数以上が地獄の劫火に焼かれて燃え尽きたのであった。
偶然であったが、ヘッセン公国の公子と公女達が両軍の慰問に訪れていた事も被害を拡大させた理由だろう。
密集していた軍勢のほぼ中心にいた近衛の精鋭や四人の公子と公女も巻き込まれて命を落とし、ヘッセン公国の貴族たちの幾人かも巻き込まれた。
軍の後をついて回る戦場商人達や売春婦、細々とした任務を請け負う流れの傭兵達にも多くの被害が発生した。
しかも白昼堂々の攻撃であったから、立ち上った禍々しいきのこ雲を多くの者が目撃し、鼓膜が破れたり、爆風で飛び散った小石や武器や木片その他の破片で負傷したり、飛び散った消えない炎による酷い火傷を負ったりした幽鬼の様な二千人を超える生存者達の群れを、余りにも多くの者達が目撃してしまった。
瞬く間にエルリッヒブルク全域で流言飛語の類が蔓延し、次は公都エルリッヒブルクが攻撃される番だろうと、多くの者達が逃げ出そうとして公都の北門へと殺到し、ヘッセン軍と揉み合いになった挙句に暴徒化してしまう。
たった一発の爆弾で、まだ一戦もしていない内からヘッセン公国は民衆レベルで崩壊しつつあったのだ。
一方、ヘッセン大公アンゼルムもまた、謁見の最中に閃光と、間を置いて響いてきた地響きの様な爆発音を聞き、城壁の向こうに立ち昇るきのこ雲を目の当たりにした。
暫くして駐屯地が攻撃を受けたとの報告を聞いたアンゼルムは、直ぐ様公子と公女の救出を叫んで兵を集めたが、何が起きたのかが徐々に知れ渡るにつれて力を無くし、その場に崩れ落ちた。
第一公子と第一公女を含む四人の子供達を同時に失った事に、否が応でも気付かされたのである。
残されたのはラネック王国に留学している第三公子と未だ幼い幼児だけであった。
そんな中、ヘッセン軍もただ手をこまねいていた訳ではない。が、なんとか状況を把握する為にと、爆心地方面へ送られた斥候の兵士達は、喉を掻きむしって苦悶の表情を浮かべた窒息して死んだ者達の表情を見て恐怖し、未だ燻り続ける爆心地に辿り着く前に逃亡し、全く情報が集まらなかった。
それでもその日の午後、暴徒を無視する形でアンゼルム自らが手勢を率いて現地に向かったのは、大公としての矜持か、それとも父親としての親心だったのか。
大公アンゼルムは三〇〇程の兵と共に駐屯地、いや、駐屯地跡に辿り着いたが既に限界だったのだろう。
凄まじい匂いとその惨状を目の当たりにした後、愛馬から転がり落ちて叫び声を上げ、駆け出して転んで意識を失った。
ヘッセン大公アンゼルムは日没前に目を覚ましたが、その心は死んでいた。
発狂していたのである。
また、その時には既にヘッセン・ザクセンの国境にあるボール大橋がノイエ・ブランザ軍の奇襲攻撃によって占領されていた。
この日の早朝、最初に現れたのは二〇隻近いゴーレム船とそれに引かれた無数の箱舟からなる船団である。
船団はノイエ・ブランザ王国の軍旗を掲げてレーベン川を遡っており、目的地はボール大橋であると思われた。
急を告げる言付けの小鳥が飛び交い、直ぐ様ザクセン王国王都グローナメーンに援軍要請がなされたが、その日の早朝にはオバルフェットとボーデヴァーターに集結していたノイエ・ブランザ軍もまた行軍を開始していた。
なにはともあれ、レーベン川を封鎖していたボール大橋の守備軍としては、ノイエ・ブランザ軍に上陸される前に迎撃するべきなのは明らかである。
ボール大橋に駐留していたゴーレム船二隻に漕船二〇隻が出港したが、ザクセン水軍がノイエ・ブランザ水軍を迎撃する事は無かった。
一隻の巨大な飛行船、エリク艦長率いる空中戦艦エイル号が現れると無数の火を噴く魔導具をばら撒いて、瞬く間に全ての船を破壊してしまったのである。
それだけではない。
ザクセン水軍を壊滅させた空中戦艦はそのまま移動しボール大橋の直上に陣取ると、橋の両側に建つ城砦に向けて鉄の玉をばら撒き始めたのだ。
凄まじい速度で放たれた鉄の玉は城砦の石壁を削り、兵達を貫き、城壁に設置されていた対ゴーレム用の大型弩の全てを破壊した挙句、ボールに残されていた軍船の全てを破壊してしまったのである。
城壁内に身を隠す以外の事が出来なかったボール大橋の守備兵達は、いつの間にやら上陸していた「ノイエ・ブランザの黒鬼兵(機動歩兵の霜月同盟側の呼び名)」達が持つ炎弾(手榴弾)によって城門を破壊され、死傷者は殆どいなかったにも関わらず心が折れた。
ボール大橋の守備兵達は降伏したのである。
援軍の道を断たれて包囲された事を知ったザクセン王国の第一王子ゴットハルトは、狼煙台を結ぶ言付けの小鳥網によってラネック王国及びヘッセン公国に現状を伝え、腹心のエーレンフロント子爵に集結していたザクセン軍五〇〇〇の内二〇〇〇の兵を預けてボール奪還を指示した。
言付けの小鳥による報告では、ボール大橋に接近中のノイエ・ブランザ軍は三〇〇〇に満たないはずであり、エルリッヒブルク郊外に集結していた公称八〇〇〇――実際には五〇〇〇程であったが――のヘッセン・ラネックの両軍と合同すれば、ボール大橋奪還は易いと判断したのだ。
グローナメーンの城壁に依って防衛戦を行い、ボール大橋を奪還したヘッセン・ラネック・ザクセン三カ国の連合軍の到着を待って挟撃する。
それがザクセン王国次期国王であるゴットハルトの作戦であった。
「ユーリウス様。グローナメーンの軍が動きました」
ナグルファー号の作戦室で各地の戦況を確認していたユーリウスにコンラートが声をかけてきた。
「動いたか。どっちだ?」
「北上している模様です。ボール大橋の奪還が目的ですね。数は凡そ二〇〇〇程だと」
グローナメーンの密偵からの報告である。
「そうするとグローナメーンの守備兵は三〇〇〇くらいか?」
「はい。王の不在で動員が上手くいっておりませんから、それ以上増える事は無いかと思われます。レーリヒ卿(ハップロート将軍。レーリヒ子爵ゲープハルト)の調略が効いていますね。それにボール大橋の失陥が伝わればニールの街が寝返るはずです」
コンラートの言葉に頷きながら、ノイエ・ブランザ軍の配置を確認していく。
「……勝てるな?」
「はい。確実に」
ボーデヴァーターからグローナメーンに向かっているのは旧ナーディス諸侯を中心とした四〇〇〇の軍勢であり、司令官はクロイツ男爵ローレンツ。
そしてオバルフェットからはオバルフェット男爵ギュンターが率いる三〇〇〇の軍になる。
これにボール大橋を落としたヴィーガン侯爵ハルトの率いる三〇〇〇の兵に加えて、調略に応じているニールの領主イェール男爵ブルクハルトとその郎党に周辺諸侯の軍がいる。
グローナメーンとアーベルンはその連携を断たれて各個撃破される事になるのだろう。
ユーリウスとコンラートの表情も淡々としたものである。
「これで偵察衛星があったら完璧なんだがなぁ」
「偵察型の言付けの小鳥ではダメなのですか?」
「使い勝手が悪いだろう?」
確かにあまり使い勝手は良くなかった。
偵察型言付けの小鳥が見た景色はアニィが記憶して板状携帯端末で確認出来るのだが、二つの魔石の一方を言付けの小鳥に変えて放つと、半径二キロメートル程まで螺旋状にぐるぐると回って戻って来るだけなのだ。
もちろんそれはそれで凄まじく便利な機能ではあるのだが、誰かが調べたい場所から二キロメートル以内で使う必要がある。
「十分便利かと思いますが……必要ならば飛行型オートマタの開発を急がせましょう」
「そうだな。オートマタとオートマタなら上手い物を作ってくれるだろうし?」
最近は開発までアニィとアリスの二体の精霊に任せきりになっているのだ。
もちろんアニィはユーリウスの思考をエミュレートしているから、事実上ユーリウスが一緒に開発しているのと同じ事なのだが、既に技術の特異点という奴を超えてしまって久しい感がある。
因みに即時通信機で聞いた様々な製品の不具合や不満点等を、クレームになる前に設計段階から改修してしているのもこの二体である。
それもユーリウスの中二病心を擽る事を目的としているとしか思えない改修を繰り返す事が多い。
……大丈夫なのかこの世界?
「それよりノヴィエヴァーデン方面が少し不味い事になっていますね」
コンラートが何やら板状携帯端末を操作しながら深刻そうな声をだす。
「……オレスムとザルデンか」
「休戦前にシュマルカルデン同盟諸国の国力を出来るだけ落としておきたい、といったところでしょう」
オレスム・ザルデン両軍は、都市を陥落させて自領に組み込むのではなく、破壊する事に力を注いでいるのだ。
「連れ去られた住民はどうなるんだ? やっぱり奴隷にされるのか?」
「そうなるかと思います」
「解放出来ないかな?」
「流石に国外に連れだされてしまうと難しいですが、逃走経路さえ確保しておけば不可能では無いかと?」
「……逃走経路を確保するのが一番難しいんじゃないのか?」
「どれだけ予算と人員を投入可能かによって変わりますから」
そう言って再び板状携帯端末を操作するコンラート。
「ルツまで連れ去られた者達を救い出すにはノイエ・ブランザ軍が総力を上げて五割といったところですね。現実的な所で言えば、シュマルカルデン同盟の勢力圏に近い場所に居る者達ほど有利になりますから、ディッゲンからエアフを結ぶこの線から三〇クルト(約一二〇キロメートル)圏内になります。高速飛行船や飛行戦艦を投入すればもう少し範囲は広がりますが……全てが上手くいっても解放出来るのは全体の二割か三割程度です」
「専門のチームを用意するか?」
「ユーリウス様。可能かとは思いますが、正直申し上げて、そこまでする理由がわかりません」
コンラートが厳しい声を出してユーリウスを見つめる。
「ノヴィエヴァーデン共和国の市民は王制に批判的です。助けたところで我が国の為に働くとは思えません」
「……そう、だな。その通りだろうな……」
「よくお考え下さい」
意表を突かれたらしくショックを受けた様な顔をしていたユーリウスであったが、直ぐに表情を改めて頷く。
「わかった。よく考えてみよう……うん。やっぱり出来る範囲で可能な限り助け出そう」
「ユーリウス様!」
「我儘なのはわかってる。その我儘でノイエ・ブランザの兵士が傷付くだろう事もわかってる。でもな? それを認めたら何のためにノイエ・ブランザ王国なんてものを創ったかわからなくなる。なんの為に中間種を創造したのかも、だ。だから助け出そうと思う」
「……そこまで仰るのであれば反対はしません」
コンラートの表情は変わらない。
「ただし、少しやり方を考えよう。軍は逃走経路の維持と確保だけに集中して、情報部で奴隷となった者達に噂を流そう。それなら負担は少ないだろう?」
「――そう、ですね。可能です。負担も大きくはありません」
「計画を立ててくれ」
「わかりました」
コンラートの返事を聞いて、ピアス型の即時通信機を起動するユーリウス。
「艦長、カルスへ向かってくれ」
『了解しましたカルスへ向かいます』
ヘッセン公国は暫く混乱が続くだろうし、ラネック王国にも余裕は無い。ザクセン王国での戦いは三週間以内には終了するだろう。
残りは消化試合のようなものなのだ。
フリレを陥落させてバルヒフェット伯爵を降したマルク辺境伯ゲオルグの兵五〇〇〇がノヴィエヴァーデン方面に移動している。
ユーリウスが向かう次の戦場は、苦戦が続いているランディフト諸侯領と、ノヴィエヴァーデン共和国であった。
誤字脱字その他コメント等ありましたらよろしくお願いします。




