第四話 深淵なのか?
A.G.2870 ギネス二五九年
地の月(四の月) 風の週の一日(十九日)
古代神殿
美しい春の森である。
神殿があるのは森の小さな盆地であり夏は暑くて冬は寒いのが特徴であったが、春と秋には気持ちの良い爽やかな日々が続く。
「なんとなくだけど、日本より空気が乾燥している気がするんだよね……?」
「くけぇ?」
「ブルーもそう思うか。桜が見当たらないのは残念だけど、この気候は悪くないよなぁ!」
「くけぇ!」
言葉が通じているのかどうかはわからないが、崩れていた壁が補修された事で安全が確保された神殿の周りを、ブルーの背に乗ってぐるぐると走っているユーリウス。
一応騎乗(?)練習のつもりなのだ。
「ユー! 遊んでないでちょっと手伝って!」
畑仕事を始める用意をしたエリが呼んでいる。
「わかった! ブルー!」
「くけぇっ」
ユーリウスの声に従って、即座にエリに向かって駆け出すブルー。
神殿の周りはその大半が薬草や野菜の畑になっていて、エリとメディナは毎日交代でその手入れをしているのである。
「ユゥは本当にブルーと仲が良いよね」
「そうだよ!」
「くけぇっ」
殆ど同時に答えたユーリウスとブルーを見るともなしに見てから、ふふふっと一人楽しげに笑うエリ。
「さ、それじゃ今日はハーブを詰んでいくからね? 上手に出来るかな?」
「出来る!」
と、最近は完全に身体に意識が引きずられているらしいユーリウスが大きな声で返事をする。
こうしている時のユーリウスは実に可愛らしいのである。
因みにこの作業はユーリウスも時々手伝っているのでよく知っている。
大きく伸びたローズマリーっぽい何かやミントやバジルやレモングラスのような物まで、十種類以上のハーブが育てられていて、時々伸びた分を摘んでは縛って乾燥させているのだ。
それらはもちろん自分達でも使うし、メディナが街に持って行って他の品物に交換して来る事も多い。
ハーブ詰みが終われば次は薬草である。
基本的には同じ扱いであるが、大半はメディナが丹念に手を入れて育てているため、エリとユーリウスが摘むのは扱いが簡単な一部だけである。
と、不意に何か柔らかい物で全身を撫でられるような感覚がして、殆ど同時にエリとユーリウスが立ち上がる。
「エリ?!」
「しっ!」
ユーリウスもその感覚は知っている。
誰かが近くで探知系の魔法を使ったのである。
「え……?」
何かが聞こえて来た。
テケ・リ・リ! テケ・リ・リ!
「……っ!」
「あら! ティックルルー!」
いや、テケ・リ・リ、である。「テケリ・リ」ではない所が奥ゆかしい。
季節毎に時々やってくる、森の主に仕える魔物。ユーリウスも冬の間に一度だけ見たことがあったが、あちこちから触手を生やし、真っ黒でぬらぬらと光るぶよっとした不定形のN700系といった印象の巨大な魔物であった。
何をどうやったのかは分からないが、神殿正面の門扉を勝手に開け放ち、ズルズルと一見遅いのんびりした動きであるのに、不条理とも言える異様なくらい素早い動きで二人の方へと進んでくる。
ブルーはティックルルーが苦手らしく、最初の探知魔法の直後に逃げ出し神殿の中へと隠れてしまっている。
「テケ・リ・リ!」
「久しぶりね、ティックルルー!」
「テケ・リ・リ!」
なぜ会話が成り立っているのか不思議であったが、ユーリウスの姉を自認するエリが相手なので仕方がない。
「メディナーっ! ティックルルーが来たよーっ!」
と、ティックルルーが伸ばした無数の触手に全身を弄られる様に巻かれながら、小さな魔石を取り出しアヴィークラと呼ばれる言葉を届ける魔法の鳥を作って放つエリ。画像にしたらR指定されかねない状態ではあったが、残nいや、挿絵は無いし詳しい描写も無いのでセーフと言っていいだろう。
ともあれ、エリの魔法で作られた鳥は即座に空高く舞い上がると、何度か上空を周回しつつ魔力を放ち、片割れの魔力を見つけた方向へと飛び去っていく。
一つの魔石を二つに割って作られる、言葉を届ける魔法であった。
(こーゆーのがこの世界の驚異だよなぁ……。アレって要するにドローンだろ? それも一〇〇パーセント自律して空を飛んだ挙句に自分で目標を探し出してそこまで移動するって、どんだけ高性能なんだよ? 魔法便利過ぎじゃね?)
エリの状態については一切無視したまま、この際どうでも良い事に思考を全振りしているユーリウス。
確かに便利であるかも知れないが、対になる魔石を作る為には空を飛ぶ魔物や魔獣の魔石が必要であったし、一度使えば再度魔力を貯めるまで使えなくなってしまう。
必ず二つ一組で作る必要がある上に相手が片割れの魔石持ち歩いている必要があり、当然片割れが建物の中や迷宮や洞窟等に入っていた場合には、発見出来ずにそのまま戻って来たり、途中で魔力が尽きて紛失してしまう場合もある。
しかもそこに人が居ようといまいと、片割れの魔石がそこにあれば勝手に言葉を届けて元の魔石に戻ってしまう為、本当に相手に言葉が届いたか否かはわからないのである。
一見便利なようで意外と使い所が難しい魔法でもあった。
特に狩り等隠密行動を要する時には最悪の結果になりかねないのが恐ろしい。
(いや、それほど便利そうでもないか。どうかメディナが戦闘中とかではありませんように……)
フラグが立った。
閑話休題。
ティックルルーに話を戻すと、ティックルルーとエリ達は物々交換を行っている、所謂「森の仲間達」である。
要するにティックルルーはユーリウスが未だ見た事の無い「森の主さま」の使いなのだ。
エリやメディナが用意した魔石や魔晶や魔獣や動物の骨や毛皮や皮革等の他、メディナが街で仕入れて来た木彫の彫刻や石像その他の工芸品等と、畑に撒くと作物がよく育つ謎の土や、燻すと虫が寄って来なくなる謎の木片っぽい何か、洗濯や水浴びの時に使うとやたらと汚れがよく落ちるクリーム状の何か等と交換してくれるのだが、ユーリウス、いや、この場合は祐介だが、なぜ素直に肥料に蚊取り線香に石鹸その他だと考えられないのか?
因みにティックルルーが巡っている森の何処かに幾つもの交易相手が居るらしい事はわかっているが、仲介者が仲介者だけに、その相手が何処のどんな相手なのかは謎である。
「エリ、今日は何を交換するの?」
「あら、手伝ってくれるの?」
「そう」
「そしたら入り口の脇に置いてある荷物を持ってきてくれる?」
言われてユーリウスも思い出す。
二週間ほど前から広間の玄関口に、ちょっとした小山の様になっていた荷物があった事を思い出す。
(アレか。なんでこんな所に置いてるんだろうって思ってたら、そういう事だったのか……)
「わかった!」
と、子供らしい元気な声で返事をすると、すぐさま神殿へと戻っていくユーリウス。
既にエリが常時身に着けている大小の魔石や魔晶を飲み込む代わりに、なめし革を作る時に使う錠剤の薬品を、伸ばした触手の先から鹿の糞の様にポロポロと出している。
なぜエリはテケ・リ・リ! としか鳴かない相手とコレほど自在に意思の疎通がとれるのだろう?
謎である。
ともあれ、ティックルルーも神殿より一定の範囲には絶対に入って来ないため、これからしばらくは荷物を持って神殿との往復である。
(あぁ、せめて台車が、いや、不整地だから猫車が欲し……あ、メディナなら木と皮って言うか革で作れるかな? んー、二輪のリヤカーもどきならいけるか? 作ってくれるかな? 聞いてみよう!)
……もう一つフラグが立った。
次の投稿は月曜日の朝七時になります。
因みに次話は魔法についてのアレコレで、その次には多少お話が進みます。