第七十五話 彷徨う羊たちの慟哭
A.G.2881 ギネス二七〇年 アルメル一年
獣の月(六の月) 風の週の二日(二十日)
ブルーディット諸侯国 レーブルシェービ近郊
レーブルシェービは包囲されていた。
ここ数日全く届いていなかった言付けの小鳥が引っ切り無しに飛んで来る。
救援を求める無数の言付けの小鳥が飛び込んで来ては魔石に変わるのだ。
レーブルシェービの王宮の一角で、リヒャルト・フォクツ男爵は頭を抱えていた。
レーブルシェービの街には予備兵力など一兵も存在しないのだ。
留守居役に命じられたリヒャルトに出来るのは、悲鳴の様な援軍要請をただただ頭を抱えて聞き流す事だけである。
そしてノイエ・ブランザの軍勢が街の外で使った、見たことも聞いた事も無い大規模魔法を思い出して身震いする。
伝説の神々と魔王の戦いでもあるまいに、なんの因果でアレほどの魔法を使いこなす魔導士と敵対しなくてはならなかったのか。
あんなものが町中で使われたら……と、そこまで考えた時点で思考が止まる。
想像も出来なかったのだ。
ただ一つわかるのは、この王宮など一撃で跡形なく破壊されてしまうだろうと言う事だけだった。
もう一つの魔法も凄まじかった。
王宮の塔の一つが一撃で破壊されたのだ。
大きな音がして石造りの塔の中程が吹き飛んだあと、そこから崩壊して崩れ落ちた。
詰めていた兵達は全員死んだ。
塔の外に居たにも関わらず、運悪くその魔法の射線に居たらしい一人の兵士が肉片になって飛び散っていた。
何が言いたいのかは良く理解出来た。
わかっている。
ノイエ・ブランザ軍は何時でも城門を、いや、城壁を破壊して雪崩れ込む事が出来るし、そんな事をしなくてもあの禍々しい茸の様な炎の雲を生み出した魔法で、好きな時にこの街ごと焼き払えるのだ。
降伏する以外になかった。
目の前にはそれを成す事が出来る「通信機」なる物が置かれているのだ。
黒く継ぎ目の無い何かの角か骨の様な質感の小箱である。
大陸の端から端まで行っても即座に会話が出来ると言う触れ込みだった。
面白いものを見せてくれるとリヒャルトを城門に誘った、その降伏勧告の使者が置いていった物である。
そして王は行方不明だった。
ザクセン王国の指揮官だったハップロート将軍も行方不明である。
それぞれに連絡を送る為の言付けの小鳥の魔石は残り一つづつしか無い。
ブライテの街が破壊されたと言う報告を受け取って以降、ブルーディット王ゲレオンからもハップロート将軍からも、一羽の言付けの小鳥も到着していなかった。
あの大規模魔法を見せられた後なら何があったのかは想像がつく。
そしてこの黒い小箱の話を聞いて理解した。
言付けの小鳥などでは太刀打ち出来なかっただろう、と。
分散した部隊を次々と補足し兵力を集中して叩き、集中している部隊を見つければゴーレム兵を派遣して揉み潰す。
赤子の手をひねるが如きものだったのだろう。
どうやって戦えばいいのか、どうやってこの街を守れば良いのか、全くわからなかった。
降伏以外に無かった。
この街にはリヒャルトの家族も暮らしているのだ。
「……何が懲罰軍だ」
恐らく諸侯達の多くも死んだのだろう。
誰かが責任をとる必要があるが、それは多分自分になる。
そう思って溜息を吐いた。
「懲罰されたのはこちらではないか……」
黒い小箱を手にしてマナを活性化させると、息を吸い込み腹に力を込めて口を開いた。
「艦長。レーブルシェービが降伏しました。使者を送るので攻撃しないで欲しいとの事です」
「わかった。それじゃ後はボニファンに任せて次に行こう」
「――よろしいのですか?」
「総司令官が降伏を受けるべきではないかって事?」
「はい」
「ならそれはエリに任せるよ。どうせ人質もとらなきゃいけないし、王様の身代金も貰わなきゃいけないし、ハウゼミンデンで一度は謁見してやらなきゃいけないわけだし」
「……わかりました」
「カタリーナに指示を。テオデリーヒェン大公国、ロートシートへ向かう、と」
「はっ!」
こうしてユーリウス達は、未だ掃討戦の続くブルーディット諸侯国を後にする。
レーブルシェービ陥落の知らせが言付けの小鳥によって前線の部隊に届くまでに、恐らくかなりの数の諸侯が死ぬだろう。
作戦室の大地図上で見る限り、一部の部隊だけが――恐らくは言付けの小鳥を使わない独自の伝手で――ブライテの陥落を知って後退を始めていたが、未だ五割以上の部隊が混乱しつつも無傷で戦場を駆けており、そこかしこで優勢なノイエ・ブランザの軍勢に包囲されつつあったからだ。
そしてノイエ・ブランザの軍勢が捕捉可能な範囲にいる部隊には、最後まで言付けの小鳥が届く事は無いのだ。
過去の戦争を知っている者であれば、とても戦争などとは呼べないであろう一連の戦いを特等席から観ていた六人の幼年学校生達は、これこそが戦争なのだと思った。
だが所詮は中二病の思い付きを無理矢理形にしただけの物なのだ。
恐らく彼らが士官として戦場に出る頃には、より高度な戦争の形態を生み出しているだろうし、ユーリウスもそれを望むだろう。
ユーリウスが捻じ曲げてしまったこの世界では、既に大軍をもっての一回こっきりの大会戦など余程の状況でもなければ起こらない。
戦列を組んで戦う事が不可能になって以降、兵士達は小部隊毎、其々の指揮官の才覚に応じて素早く密やかに移動し、互いを奇襲し裏を掻き、寝首を掻き、拠点を襲い、荷駄を奪い合う様になっており、他国においても言付けの小鳥やその他の魔導具に狼煙や手旗等を使った統制は行われていたが、これはもうそうした次元を超えている。
ノイエ・ブランザ軍も一見小部隊毎にバラバラになって戦っている様に見えるが、実は戦場が広大になっただけで大規模会戦に匹敵するレベルの指揮・統制・運用が行われており、その緻密さは小部隊単位にまで及んでいるのだ。
ユーリウスは言った。
「……ちゃんと見たかな? いずれ君たちには、いや、君たちの誰かにはこれを運用して貰う様になるだろう。どうすればより素早く、より正確に、より効果的な運用が出来る様になるか考えて欲しい。その為にもよく学んで沢山のものをその目で見て確かめ、そしてその都度考えて欲しい。君たちに何が出来るかを。ではノイエ・ブランザの為に! そして陛下の為に!」
「ジークハイル!」 「ジークブランザ!」「ハイルブランザ!」「ジークアルメル!」「ハイルアルメル!」「ジークハイル!」
ユーリウスの言葉に起立して口々に声をあげる六人。
ジークユーリウスもハイルユーリウスも無かった事に内心ニンマリしながら、表面上はにこやかに、一人づつ握手をしながらそれぞれの肩を叩いて激賞する。
ユーリウスがアイデアを出し、アニィがマニュアル化した幼年学校の孤児たちへの教育は、どうやら十分に上手くいっているらしかった。
末はヒトラーユーゲントかイェニチェリか。
早ければ一〇年後には彼らを中核にした国民軍が生まれるだろう。
その頃ハウゼミンデンでは、アルメル(エリの事ではなくノイエ・ブランザの俗称)の四姉妹と呼ばれる様になっていたフィーム、ヘルタ、ミヒャエラ、ソフィーが久しぶりに揃って四人だけのお茶会を楽しんでいた。
「ご存知ですか、ユーリウス様の出撃前の話ですが――?」
「あの紅眼の事ですね?」
「聞きましてよ? 出撃前のお忙しい時に結界まで張らせて一時間近くもお部屋に篭もられたとか」
「白髪の小娘が……」
ギリっと誰かの歯軋りが聞こえた。
「一時間でございますか。ではやはり……?」
「結界まで使っていたとなればクロだな」
「お姉様、おやめ下さいクロだなどと。ですが賢しらにスカーフなど首に巻かれているのを拝見いたしましたわ。素敵なスカーフですわね、と声をおかけしましたら、あの紅い目よりも尚赤くおなりでしたのよ?」
「口惜しやぁあの紅眼、どうしてくれよう、どうしてくれよう……!」
ピシリ、と誰かの茶器に罅が入る音がした。
「一つ、その、大変失礼かと思うのですが、初めての時以来、その、私は一度も呼ばれておりませんので、あぁ、もう、私、何を言っているのかしら……」
「良いのよソフィー。この場で正直に申しますわ、私も呼ばれておりません」
「…………なんですかその目は。お姉様まで……ええ! 言いますとも! 言えばよろしいのでしょう?! 私も呼ばれておりません! ですがお姉様の様に初めての時に自分から押しかけて行ったりしてはおりませんから!」
「ぐふっ」
誰かがお茶を吹き出しそうになってナプキンを口に当てていた。
「ヘルタ様! フィーム様、私はフィーム様に感謝しておりますのよ? あの日フィーム様が無理矢理、あ、えっと、その、少々手荒くなさって……あれ? 私、その、なんて申し上げていいのか……」
「――くっ、殺せ……!」
「ソフィーったら。フィーム様には私も感謝しております。酔った上でのご乱行とは言えアレが無ければ私達は今でも乙女のままでございましたから」
「ミヒャエラ様、どうかそのくらいで、私も言い過ぎました。フィーム様は既に息をしておられません」
「……私は傷付きました。順番にお部屋を巡って下さった後は四日も連続であの方と……」
「その通りですわソフィー様。一度だけで放置するなど……あまりの侮辱、屈辱。あの紅眼! 断固許してはなりません! 皆様! 次のお茶会の用意を! あの紅眼には一言いってやらねばおさまりません!」
「良いお考えですわミヒャエラ様。仲良くせよとの仰せでもありますし、ね? 私、これでも錬金術は得意でございますのよ? うふふふふしわしわのおばあちゃんにしてあげようかしら、いえ、いっそ男になってしまえばユーリウス様との関係を許してさしあげるのも吝かではありませんわ、楽しめるやもしれませんし……」
「ふっ、いいだろう……実は私も妖精族の秘薬の効果、一度誰かに試してみたいと思っていたのだ……くっくっくっく」
「――あ、あ、あの、み、皆様、どうか、どうか落ち着いて下さいませ! あの方に手を出すのは悪手にございます! どうか思い留まってくださいませ! この通りにございます!」
――危ない所であった。
フィームは確実に本気だった。ヘルタも殺る気であった。
この二人はヤバイ。
ミヒャエラも顔色を変えている。
「……ソフィー様、悪手というのはどういう事でしょう? この私が仕損じるとでも?」
「妖精族の秘薬は無味無臭で遅効性だ。絶対にバレないぞ?」
「お二方! 私、お二方を見損ないましてよ!! こうした事は正々堂々真正面からぶつかってこそ意味があるのです! 私はあの紅眼如きに劣るとは思っておりません!! ただ、そう、今はただ時が巡って来ていないだけなのです!!」
堂々と胸を張って叫んだミヒャエラの胸を見て舌打ちして視線を逸らすフィーム。
堂々と胸を張って叫んだミヒャエラの胸を見て扇を鳴らし視線を逸らすヘルタ。
ソフィーは思わず溜息を漏らしていた。
「私にはミヒャエラ様の様な自信はございませんが、それでも、あの方に負けているとは思っておりません。ユーリウス様も人の真心を思いやって下さる方だと知っております。そんな方だからこそ、その、初めてのお相手だというあの方を大切になさっておられるのだと思っております」
「……誤算だった。こんな事なら私が奴の初めてを奪っておけばよかった……」
「お姉様、無理矢理されたのでは心の傷になりかねません」
「心配するな。心の傷など妖精族の秘薬があれば――」
「――お姉様! そんな事で良ければ私がユーリウス様からあのメス犬の記憶を残らず消し去って――」
「お二方!!」
グダグダである。
だがフィームもヘルタも半分程度しか本気ではないし、それはミヒャエラもソフィーも気付いていたから、お茶会が始まって以来漸く四人の表情に笑顔と落ち着きが戻っていた。
「ともあれ、私はともかく方々は子を作さねばならぬのだろう?」
フィームの言う通りであった。
妖精族は元々寿命が長い代わりに妊娠し難い為、最初から子供については諦めているし、ソフィーも期待されてはいるものの、下手にお家騒動の元にでもなれば返って問題が大きいし、出来なければ出来ないでも仕方ないと思われている。
だがヘルタもミヒャエラも子供は絶対に必要なのである。
「その通りですわお姉様」
「フィーム様の仰る通りです」
「で、あれば、だ。ミヒャエラの言う通り、いっその事それを二人に、ユーリウスと小娘、いや、エーディットにはっきり伝えておくべきではないか?」
ヘルタとミヒャエラが視線をかわして頷いた。
「ありがとうございますお姉様。確かにその通りでしたわ」
「私も少し興奮し過ぎたようですわ。ありがとうございますフィーム様」
「うむ。で、どうするのが良いと思う? そうした駆け引きは苦手なのだ」
「本来であれば、どなたか親族の方からそれとなく注意していただくものなのですが、ユーリウス様の親族と申しますと……」
「ミヒャエラ様の仰る通りですわね、私もあの方にお願いする勇気はございません」
「エリ……エリナリーゼ陛下か……諦めよう」
「お姉様!」
「やはりエーディットと直接話すべきだろう。それが良い、私はこれでもエーディットとそれなりに長い付き合いがあるからな」
「――お姉様? 何がお望みですか?」
ヘルタの言葉でなにやら考えこんでいたミヒャエラがはっ顔をあげ、ソフィーもヘルタと視線を交わした後フィームを見つめる。
そう、これは取引なのだ。
フィームは恥を忍んで敵対する相手に慈悲を請わなくてはならないのである。その代わりに、ヘルタ達に何か代償を、対価を求めようとしている事に気付いたのである。
「ふっ、やはりヘルタには気付かれたか……」
「もちろんわかりましてよお姉様」
ふっふっふ、と笑いながら見つめ合った後、フィームは視線を逸らして呟く様に言った。
「三回」
「ご冗談を」
「一回と共同で一回」
「無理です」
「……私は、その、ユーリウスとの初めての記憶が殆ど無いのだ……頼む!」
その言葉にヘルタ達三人が顔を見合わせた。
「その、実は、実はだな、私はあの朝、起きたらユーリウスのベッドで寝ていたのだ! 確かに少々痛みが残っていて証拠の品も出てきたし致したのは間違いないはずなのに覚えていないのだよ私は! 既成事実としてユーリウスが受け入れなかったら自殺ものだったのだ! 頼む! 一回だけ見逃してくれ! 一回だけやり直しをさせてくれ! この通りだ! このままでは私はあまりにも惨めなのだ!」
魂の慟哭であった。
ミヒャエラは少々呆れていたが、ヘルタは目に涙をためていたし、ソフィーも同情的ではあり、気不味い沈黙が漂う中で視線を交わし合う三人。どうやら譲り合っているらしい。
が、暫くしてヘルタが折れた。
「お姉様、本当に一回だけですわね?」
「そうだ! 一回で良い!」
「その後は順番を守るという事で宜しいのですわね?」
「守る! 約束する!」
再び視線を交わし合う三人。
「では、お姉様にお願い致しますわ。よろしくお願い致します」
三人揃って頭を下げた。
わけのわからない世界であった。
とりあえず一つだけ言えるのは、全てユーリウスが悪い、それだけである。
リア獣爆発しろ。
なんでもアリですね。
と言うか、迷宮の素材とか最初から恒星間移民を支えるシステムなので、ユーリウスが欲しい物と相性は良いです。
因みに某ジェインが好きです。
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