第七十三話 野火
A.G.2881 ギネス二七〇年 アルメル一年
獣の月(六の月) 水の週の四日(十日)
ノイエ・ブランザ王国 王都ハウゼミンデン
ノイエ・ブランザの建国宣言から早六ヶ月。王都ハウゼミンデンは空前の活況を呈していた。
いや、ハウゼミンデンだけではない。
クロイツやヘッシュシュ、オバルフェットといった都市でも同様であり、シュマルカルデン同盟諸国においても同様であった。
ノイエ・ブランザは周辺各国の堕民(迷宮堕ちした人々)の出宮税を貸付する事で大量の移民を受け入れ、彼らを集団農場や都市精霊が支配する護衛の要らない迷宮での組織的な迷宮素材採集業や、分業制を取り入れた大規模工房や工場の作業員として雇い、衣料品や生活雑貨等の大量生産を開始したのである。
生産された品々はハルツ川やエレンハルツ川を通じて近隣諸国はもちろん、リプリア王国等にも運ばれ販売されていた。
特に一部の優秀な職人がいると認められた工房では、水車やゴーレムや蒸気機関を利用した工作機械の利用まで始まっていたほどであったから、人はいくら居ても足りなかったのだ。
また、同時に夜間学級の存在する、無料で給食付きの王立学校が各地の迷宮に付随する形で設置されて、半ば洗脳に近い思想教育を含めた国民教育も開始していた為、ゲルマニアでは唯一とも言えるスラムが形成されていながらも、何処の土地でも見かける浮浪者や孤児の餓死死体が存在しない街へと変わっていた。
まだまだ識字率は低いものではあったが年齢制限も無かったし、無料で給食付きという条件も重なり元堕民の工場労働者達も、王立学校の夜間学級へと足を運ぶ者が増え続けていた。
ただしこの動きは余りにも素早く余りに巨大な変化を想像を絶するほどの広範囲に強制し、ハウゼミンデン式の製造業に対応出来ない無数の弱小工房を瞬く間に押し潰し、ノイエ・ブランザの経済政策への協力を拒んだ全ての都市を、凄まじいまでの不況に追い込んでいた。
その結果として産まれた膨大な数の経済難民達は、故郷の都市の堕民となるか、ノイエ・ブランザの諸都市に移民して労働者として働く事になっていった。
が、一応の救済策も存在していて、各地にあるノイエ・ブランザの王立学校で申請すれば、職人や商人達の多くは前職に応じた業種への紹介状を作って貰う事が出来たのである。
迷宮付随の王立学校をセーフティーネット兼職業紹介所兼孤児院として機能させた訳だ。
一見なにもかもが素晴らしく上手く行っている様にも見えたが、実のところハウゼミンデン、ノイエ・ブランザの税金は非常に高い。
ゲルマニアの一般的な商人なら先ず確実に出店を躊躇するであろう程に高い。なにより売上からも利益からも二重に徴税される上に、ギルドの会費ににまで課税されている。さらに従業員達への最低賃金というものが決まっている上に、支払う賃金と支払われた賃金の両方に課税され、課税後の手取りが最低賃金を下回ってはならない事になっているのだ。
これで儲からなければ商人達など一人も居なくなってしまうだろう。
が、儲かるのである。
ハウゼミンデンの商業ギルド員の大半が莫大な儲けを出している。
確かに強制的に集約していった一次産業への強圧的で共産主義的な支配については、人々からも各種ギルドからも評判が悪かったが、日々爆発的な発展を遂げている二次・三次産業では人手が全く足りない程の好景気であったから、そうした悪評や不満が表面化するのはまだまだ先の事になるはずであった。
ともあれ、そんな動きを周辺各国が黙ってみている訳も無く、ノイエ・ブランザからの技術供与や技術協力の無い国々、具体的にはシュマルカルデン同盟に加盟していない国々からは、抗議と加盟申請の書状が半々くらいの割合で送られてくる様になっていた。
「まぁ手遅れだけどね……」
この動きで最大の被害、不利益を被っていたのが、他国への陸路を完全に塞がれている上に水運の全てを押さえられてしまった、かのテオデリーヒェン大公国である。
それまで密かに静かに進行していたハルト、ハルト・ヴィーガン辺境伯による調略が一気に表面化し、エレン、ロートシート、ヴェルクト、ドーグ、そしてグリーフェン砦が離反してしまったのである。
ところがテオデリーヒェン大公が動かないのだ。
ノイエ・ブランザ王国は既にテオデリーヒェン大公国から離反した諸都市の防衛力強化も行って、何時戦争が始まっても良いだけの準備を整えていたのだが、肝心のテオデリーヒェン大公国が精々幾つかの騎士団招集した程度で、奪還に動く気配がないのである。
「わからないな? なぜテオデリーヒェン大公国は動かないんだ?」
ユーリウスが恐らく大陸でも随一だろうと密かに誇りに思っているノイエ・ブランザの情報部門が察知できない以上、テオデリーヒェン大公国はまだ軍を動かそうとはしていないのだ。
もちろんこのまま動かないでいてくれる分には困らない。テオデリーヒェン大公国から離反する都市が増えるだけだからだ。
「ザルデン王が止めているのか? もしかして銅貨恐慌が効きすぎたのか?」
その可能性は示唆されていたし、半分程度は正解であった。
ユーリウスがザルデン王国とメンディス・ディッタースドルフの両大公国における、贋金の大量使用で引き起こされた銅貨バブルとその崩壊は、想定していた以上に深刻な損害を与えていたのだ。
とどめを刺したのは、巻き込まれたリプリア王国の諸侯達との関係悪化と、リプリア王国からの損害賠償請求だった。
最終的には関税率の変更と銀貨(ザルデンの銀貨)と銀貨(リプリアの銀貨)の交換率の変更で決着したが、それが致命的なレベルの損害だったのである。
ザルデン王国及びメンディス・ディッタースドルフ両大公国で使用されていた銀貨は、国際的な取引からは事実上完全に駆逐されてしまう事になった。
流石のザルデン王も通貨統合などとは言っていられず、国内経済の立て直しに奔走する事になっていたのだ。
当然だった。
それまで銀貨一〇〇枚を持っている者は銀貨を一〇〇枚――厳密には交換時に手数料を取られるので目減りするが――を持っているのと同じであったのに、突然それが通用しなくなってしまったのだ。
そう、ただでさえ暴落していた銀貨は、例え回復しても一〇〇銀貨で八六銀貨以下の価値しか無い事になり、暴落からの回復の見込みは無く、ザルデン王は通貨統合の為に準備していた資金のほぼ全てを吐き出しても尚足りない絶望的状況の中、余力の全てを流通していた銀貨の回収と銀貨への切り替え、銅貨から壁貨への切り替えとに傾注しており、戦争をする余裕など欠片も無かったのである。
その結果として、テオデリーヒェン大公の資産と手持ちの資金量がザルデン王のそれを上回るという逆転現象が発生し、大公はザルデン王の統制から外れかけていた。
要するにそれまで押さえつけられていた反動からか、テオデリーヒェン大公の箍が外れてしまったらしい。
酒池肉林、遊興と酒色に溺れていたのだ。
しかもザルデン王はかえってその方が面倒が少ないと見ているのか、それを諌める事もせずに放置しているのだと言う。
エーディットからの報告でそれを知ったユーリウスは頭を抱えていた。
「あのバカ大公、どうしようも無いなこりゃ」
「ブランを落としましょう。ブランザの復興という名分もあります」
「市民を巻き込んでの攻城戦とか嫌だぞ?」
「多少は仕方ない事なのでは?」
その通りではあるのだが、ブランは人口二万を超える大都市であり、一応ブラン防衛の為の戦力として幾つかの騎士団が動員されていたから、市街戦になってしまえばブランの街にも相当の被害が出るのは間違い無かった。
だがなるべくならあまり傷付けたくはない。ブランの街に与えた損害は全てノイエ・ブランザが負担して復興するしかないのであるから、大公国の軍勢はブランから誘き出した上で叩きたいのだ。
「馬鹿馬鹿しいから嫌だ」
エーディットにもその気持ちはよく分かる。
「ではこのまま離反工作を続けますか?」
「いや、軍は進めよう。リープの領主はザルデン王の肝入だろ? 邪魔すぎるし、ロートシートにいるヴィーガン卿への支援にもなる」
ハルトは二〇体のゴーレムを主力に機動歩兵四〇を含む兵三〇〇を率いてロートシートで指揮をとっていたから、ノイエ・ブランザが主力を動かしたとなればそれを利用し、離反工作に弾みをつけてくれるに違いなかった。
が、軍議の途中で入った報告にリープ攻略は延期にせざるを得ない状況となる。
北のブルーディット諸侯国がザクセン王国と結び、「ゲルマニアの安寧を乱すノイエ・ブランザへの懲罰」を名分に掲げて軍を挙げたと言うのである。
「――何れは来ると思ってたけど、随分早いな? ラネック王国が動いたのか?」
ユーリウスが思った通りである。
この二国の挙兵の裏にはラネック王国があった。
僅か半年程でゲルマニア全土を席巻しつつあるシュマルカルデン同盟諸国の勢いに、ラネック王ホラーツは恐怖していたのだ。
糧食その他の物資の提供はもちろん、一〇〇〇名を超える義勇兵を募ってブルーディット諸侯国に送り込んでいた。
因みにこのブルーディットは諸侯合議制で王を選定するという一風変わった体制の小国であったが、今のブルーディット王ゲレオンはザクセン王の従兄弟であり、ザクセン王自身がブルーディット王の選定権があるベッピング家の出身でもあったから、領地の拡大を狙うにはレーベン川を越えてガーバンカッセル大公国を狙うか、シュマルカルデン同盟諸国を狙う以外に無かったのだ。
ノイエ・ブランザも諸侯の切り崩しは行っていたのだが、やり過ぎてナヴォナ古道を塞がれるのは問題であったし、ノイエ・ブランザ軍の主力であるゴーレムの過半はロートシートやエレン、グリーフェン砦等の防衛に使ってしまっている。
当然ながらリープ攻略どころの話ではない。
「先ずはブルーディット・ザクセン両国の侵略軍を叩き、返す刀でテオデリーヒェン大公を叩き潰す! ボニファン!」
「はっ!」
「先鋒を任せる! 敵中を突破しブライテを落とせ!」
「はっ! 必ずや!」
と、負けるとは全く思っていないユーリウスである。
戦列を組めばゴーレムに蹂躙される事がわかっている以上、ゲルマニアでは良く訓練された常備兵――大抵は少数に留まる――に傭兵達、そして国立の傭兵団とも言える騎士団の騎士や兵士で構成される、中小の部隊を広範囲に散らした散兵戦・機動戦が主体になっている。
要するに戦列を組む敵とは戦わずにその後方地域への浸透や宿営地への奇襲を行うのだ。
もちろん攻城戦においてはそうも言っていられない為、都市の周辺では戦列を組んで戦う事も多いし、互いにゴーレムを持っていない事がわかっている戦場では戦列を組んで決戦を行う場合も多いが、そんな無数の言付けの小鳥が飛び交う戦場に、アニィを介した事実上の即時通信機を持つノイエ・ブランザの騎兵達や機動歩兵達が突入するのだ。
偵察型の言付けの小鳥や空中戦艦によって確認した地形をオートマタで描き出した詳細な地図と即時通信機に、空中戦艦ナグルファー号を見た妖精族からの要請で大量生産した、小型の二人乗り偵察用熱気球。
更に騎兵の数は少ないが、対騎兵用の秘密兵器である手榴弾がある。
確かに負ける訳がなかった。
……ただし敵がこれだけであれば、だ。
翌日、ロートシートのハルト・ヴィーガンから緊急の報告が届けられた。
ついにテオデリーヒェン大公が動いたと言うのである。
またそれと前後して、マルク・マルクからザルツ公が兵を挙げたという知らせが届き、シュマルカルデン王国及びノヴィエヴァーデン共和国の大使館からも、オレスム王国が動いたと言う知らせが届いたのだ。
後に懲罰戦争と呼ばれるゲルマニア全土を巻き込んだ戦いの始まりであった。
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