第六十一話 迷宮の秘密
少し不安ですが……。
A.G.2880 ギネス二六九年
火の月(八の月) 水の週の四日(十日)
魔の森 アルメルブルク
その日、アルメルブルクの空が赤く燃えていた。
巨大な火球がヴァルツ・マリアの一角を覆い尽くし、周囲のあらゆる物をなぎ倒す爆音と衝撃波で人々を打ち倒したのだ。
「……っく! 一体何が……!」
一瞬の混乱のあと、常時発動している「なんちゃって電磁シールド改」が展開している事に気付いて周囲を見渡し、ほんの少し前までは飛行船であった残骸が降り注ぐ地獄の様な光景に呆然とするユーリウス。
即座になんちゃって電磁シールド改を解除すると大声で叫ぶ。
「アニィ! 一体に何があった?! エリ達は無事か?!」
情報窓を展開し、アルメルブルクの被害状況を確認してゆくユーリウスだったが、既に原因が試験飛行を行っていた飛行船の爆発である事は理解していた。
「――くそっ、無人でなかったら自殺ものだぞコレは!! 動かせるゴーレムとオートマタは全て使え! 負傷者の救助に全力をあげろ! 兵士達を招集して警戒に当たらせるんだ!」
自身も隣で頭から血を流して気を失っているエーディットの状態を確かめ、未使用だったハンカチを未だ血が流れ続けている頭部に当て、ナイフを引き抜いて自身の服を引き裂くとエーディットの頭に巻き付け縛る。
その間に凡その被害状況が展開していた窓に表示された。
どうやら建物が壊れたり炎が燃え移ったりしているのはヴァルツ・マリアだけであるらしい。
もちろんエリもメディナも無事である。
だが、ユーリウスと一緒に試験飛行の様子を見ていた者たちは三〇名以上いたはずなのだ。
レーダー画面で確認すれば一応全員生存しているらしいが、大半の者が負傷している。
「くそっ!! アニィ! 原因はなんだ?!」
と、正面に別の窓が展開され、そこに映しだされた光景を見て言葉を失う。
ゆっくりと空に浮かんだ飛行船が一〇〇メートル程の高度に達した頃だろうか?
先ず一つ、直径五、六センチメートル程の小さな穴が船体中央の側面に空く。
次いで少し離れた場所にもう一つ。
更にもう一つ。
これがほんの一秒程の出来事。
もちろんその程度でどうにかなるほど軟な飛行船ではない。
更に同じ攻撃がもう一度。そのまま暫くそのままで、異常と危険を感知したアリスが飛行船の高度を下げようとして気嚢の弁を開放した次の瞬間、飛行船の前部から後部まで黒い筋が真一文字に船体を横切り、その段階で時を止める魔道具――ユーリウスは冗談交じりに停滞場発生装置などと呼んでいたが――を制御している核にあたる魔晶が破壊されたらしい。一瞬で飛行船全体に炎が走り大爆発を起こしていた。
「……な、なんなんだこれは……!」
ユーリウスの言葉を自身への質問と捉えたらしいアニィが新しい窓を展開し、最初の穴が船体をほぼゼロ時間で貫通した事、その穴の周囲の色と穴の空き方から見て光学兵器による攻撃であるらしい事、レーザーであれば焦点温度は軽く百万度を超えるであろうこと。また、レーザー兵器であったとして、穴の位置と切り裂かれた際の断面とその角度から、攻撃が行われた場所は魔王の迷宮である事を示す図と数値が表示される。
「……っく! ふざけんなっ! なんなんだコレはっ!?」
アニィが再び幾つかの略図を表示するが、殆ど同時に、轟音と衝撃波をまき散らして灰色の霧が現れた。
アルメルブルクで起きた爆発に気付いて飛んで来たらしい。
「モモ!! 魔王は死んだんじゃないのか?!」
「魔王は死んだ」
「それじゃ一体誰が攻撃をかけてきたんだ!? 魔王の迷宮からの攻撃だぞ?!」
どうやらその会話の間にアニィから何が起きたのか聞き取り理解したらしい。
「……ユーリウス。迷宮とは魔王の防御施設なのだ。危険と認識した対象を攻撃する事が出来る。魔物が溢れだすのも、あの攻撃もその一つだ。ユーリウスはアレをレーザーと言っていたが、指向性のある波長の整った光を当てて対象を焼く事が出来る」
さらっと答える渦巻く灰色の霧の言葉に思考停止し、暫く絶句してしまうユーリウス。
「――聞いてないしっ……!」
「すまぬ。まさか空を飛ぶ船まで創りだすとは思っていなかったのだ。言っておくが空を飛ぶ物を攻撃するのは魔王の迷宮だけではない。一定以上の規模がある迷宮であれば、一定以上の質量の飛行物体を検知した時点で攻撃をはじめる」
何を言われているのか理解出来ない風のユーリウス。
「そ、そんな……それじゃ、それじゃモモや鳥や竜はどうなるんだよ?!」
「最大の大きさの鳥であっても攻撃対象外だが、竜ほどの大きさになれば攻撃対象だ。ただし竜が空を飛ぶ時には、我も同じだが見かけの質量を変化させるし迷宮の目を欺く魔法をつかうからな。攻撃対象からは外れる事になる」
「意味わかんねーし! なんだよその質量とか!」
「質量の言葉はユーリウスの記憶にもあったはずだが、簡単に言えば重さだ」
「いや、そういう意味じゃねーし?」
「どういう意味だ?」
ユーリウスとモモの会話、というかユーリウスは一方的に怒鳴っていたが、少々の脱線を交えながら進み、ユーリウスが抱き抱えていたエーディットが目を覚ます頃には大体結論が出ていた。
「――つまり、迷宮はホンマモンの防御施設なわけだ」
「ホンマモンの意味は知らぬが、何度も言う通りに防御施設である。あれは燃え尽きる事のなかった流れ星の様な物も自動的に破壊するからな。我や魔の森の主にはある意味ありがたい存在でもあるのだ」
「……隕石まで破壊するのか……って、おい、ちょっと待て」
「なんだ?」
「……もしかして、天上の神々の国って、実は本当に宇宙にあったりすんのか……?」
「ユーリウスの認識で正しい」
その言葉に再び絶句するユーリウス。
「……そうすると、魔王ってのも元々宇宙人とか?」
そこから宇宙人の定義に関するやり取りが発生したりもしたが、渦巻く灰色の霧の答えは違うというものだった。
「魔王は精霊に近しい存在だ」
「……勘弁してくれ……つーかSFなのかファンタジーなのかはっきりしてくれよ……」
流石にモモにもそれが単なる独り言である事は理解できたのだろう。
黙ってユーリウスの次の言葉を待つ。
「……この世界の人や亜人って一体なんなんだ?」
「質問の意味がわからない」
「例え獣人であっても人と子供を作る事が可能だと聞いてる。俺の、祐介の常識ではあり得ないんだが、人も亜人も元々一つの種族だったんじゃないのか?」
「そうだ」
「魔王が戦った神々ってのは、恒星間文明を持つ知的生命体だな?」
「そうだ」
「……俺は、俺は異世界から呼び出されたんだと思っていたが、実は過去や未来からだったりするのか?」
「いいや違う。お前が別の世界から呼び出された存在なのは間違いない」
「そうか」
「そうだ」
しばらく沈黙がその場を支配した。
「……もしかして、この星に暮らす人、知的種族も、実は別の星からやって来た者たちの末裔だったりするのか?」
「多くはその通りだ」
「人は、神々の末裔?」
「違う。人族は亜人も含めて伝承の通り、神々が自らに似せて生み出した存在だ」
それを聞いて黙りこんだユーリウスであったが、暫くして笑い出した。
ぞっとするような狂気の響きを感じる笑いであった。
周囲では救助活動が始まっており、突然狂った様に笑い出したユーリウスを見て驚いたり、胡乱な目で見てくる者もいたが、そんな事はもうどうでも良いらしい。
散々笑った後、意識を取り戻して笑っているユーリウスの様子に硬直していたらしいエーディットを、優しくその場に横たえる。
立ち上がり、未だ燻り続ける飛行船の残骸や、建造途上で重大な損傷を受けてしまっている飛行船を見て頭を抱えるユーリウス。
「……モモ、神々の帰還は何時なんだ?」
「わからない」
「頼む。教えてくれ」
「わからない。だが、三〇〇年以内には帰還されると予想している」
「そうか……」
「そうだ」
だからこそ、モモは自信をもってエリにエリが最後の聖女だと言いきかせていたのだ。
先ほどとは違う、乾いた笑いを静かに漏らすユーリウス。
「迷宮は魔王の生み出した防御施設で、都市精霊が元になっている、だったか?」
「そうだ」
「便利過ぎるとは思ってたけど……そういう事か……」
モモは答えない。
「地上では成長する事すら困難なくせに、とんでもない大きさにまで育つ上に迷宮並の外皮を持つユグドラシル。ユグドラシルを守る結界も可怪しかった。なぜ大気の流れまで止める必要があるのか。迷宮もだ。なぜ魔物を生み出すのか、なぜそこまで頑丈にしなくちゃいけなかったのか、意味がわからなかった。都市精霊を見ても凄いとは思っていたが、なぜそんな風に発展したのかが理解できなかったよ。数万の人口を軽く維持出来る循環型の生命維持装置だったわけだ。どう考えても可怪しいのに。なんで気付かなかったのかな? これ、元々は恒星間植民とかする多世代宇宙船の技術だろ?」
「そうだ」
あっさりと返された事実に再び小さく笑うユーリウス。
「……なぁモモ、もしかしてさ? この世界にも、俺が産まれた、いや、転生前の俺が産まれたのと同じ星があったりするのか?」
「知らぬ。神々の世界については教えられていない。我が失敗した場合に我から神々の世界の情報を漏らすわけにはいかなかったのだ」
「そっか……」
「そうだ」
その答えに、顔を覆っていた両手を払うようにしてモモを睨みつけるユーリウス。
「……ちくしょう……何が神々だ……ふざけやがって……ふざけやがってっ!!」
がっくりと両膝をつき、一言怒鳴るとそのまま全力で足元の大地を殴りつけた。
石でもあったのだろう。嫌な音が響き、裂けて骨と肉が見えた拳で二度三度と大地を殴り付けると、急に脱力した様に尻を着いて、徐ろに空を見上げる。
遠くに積乱雲の浮かぶ青い空に、薄っすらと見える大小二つの三日月とリング。
「ユーリウスには怒る権利がある。我らには全く関係無いのに、我らの戦いに巻き込まれてしまったのだ。この世界でただ一人、我らと神々に怒りをぶつける権利がある。すまぬ」
沈黙が支配するその場で、次に動いたのはエーディットであった。
いつもの革の肩掛け鞄から水筒と白い布を取り出すとユーリウスに駆け寄り、怪我をした右手を洗い流すと布を巻く。
その間もユーリウスは一切反応を示さない。
「ユーリウス様。手の治療をしませんと……」
答えはない。
「ユーリウス様……」
エーディットの手を振り払って睨みつけた所で我に返ったらしい。
「……ごめん、エーディット」
「いいえ」
だがユーリウスは動かない。
再び空を見上げて朧な月を見つめるその目から、涙が一筋零れ落ちた。
「……ぜってぇ無理じゃん……神々とか言うから、森の主様や精霊や、そんなの軽くぶちかませるくらいの、本物の神様がいるんだろうって、そう思っちゃうじゃん……神様がいるなら、神様に会えたら、神様に気付いてもらえたら、そしたら、もしかしたら帰れるかもしれないって、そう思っちゃうじゃん……バカじゃん俺……」
……無理なのだ。
自らを時空の彼方に消し飛ばすという大失敗を出した魔王が、宇宙そのものを揺るがす程のエネルギーを丸ごと注ぎ込んだ挙句に全力で掴んだ一本の藁、それが祐介であったのだ。が、時空を超えて辿りつけたのは祐介の記憶、それも非常に不完全な記憶の欠片という情報だけだったのである。
「ユーリウス様」
ユーリウスの気力もそれが限界だったのだろう。
再び血の滲む右手に手を添えられた所で、エーディットの膝の上に倒れこんだ。
「……ユーリウス様……?」
押し殺した泣き声は、泣き疲れたユーリウスがその場で眠ってしまうまで続いていた。
傾きかけた日差しに照らされて、誰もが汗ばむほどの陽気であったというのに、ユーリウスの身体は驚く程に冷たくなっていた。
泣き疲れて眠ってしまったユーリウスであったが、目が覚めるのは驚くほど早かった。
丁度エーディットがユーリウスの右手の治療を終えて新しい包帯を巻いている所で、直前まではエリが一緒にいたのだが、この非常時にアルメルブルクのトップ二人が揃って姿を見せないというのは問題である。一体何が起こったのかを説明する必要もあった。
だからこの時、ユーリウスの側にはエーディットしかいなかったのである。
「――エーディット」
燭台のロウソクが三本だけでは手元が少々暗くなり過ぎるからだろう。包帯を巻くのに集中していたエーディットが驚いて顔をあげた。
「ユーリウス様。すみません、痛かったでしょうか?」
「いや。……現場を放り出しちゃったから、どうなったのかと思って」
「――大丈夫です。エリク様も居ましたし、直ぐにボニファン様が兵を率いて来て下さいましたから」
「死傷者は?」
「死者はおりません。全員軽傷です」
「そうか」
そう言って窓、といってもガラスが嵌っているわけでもなく、装飾があるだけの四角い壁の穴に視線を送り、宵闇に包まれたヴァルツ・シーナの城壁を見つめる。
「……ユーリウス様の所為ではありません」
不意にそう言ったエーディットであったが、不思議そうな目で見つめられて慌てて謝罪する。
「す、すいません。失礼しました」
疲れた様子のユーリウスが小さく笑って、包帯が巻き直された右手を左手で擦る。
「失礼じゃない。ありがとう。それから……」
「――それから?」
「すまなかった」
ユーリウスの謝罪の意味が理解できなかったのか、それとも何に対する謝罪か理解出来なかったのか、そのまま考えこんでしまうエーディット。
「恥ずかしい所を見せちゃった挙句に付きあわせちゃってごめん。すまなかった」
改めて言い直した所でエーディットに謝罪しなくてはならないあれやこれやが多すぎてバカバカしくなったらしい。
大きく息を吐いたユーリウスが再び窓の外を見つめる。
既に女神の恵み(リングからの反射光)も消え、カエルの様な両生類達の鳴き声と、気の早い秋の虫達の鳴き声が聞こえていた。
「ユーリウス様の所為ではありません」
エーディットの言葉が消え、窓の外から聞こえる生き物達の鳴き声にユーリウスの泣き声が混った所でエーディットが立ち上がった。
と、そのエーディットの手をユーリウスが掴む。
驚いたエーディットにユーリウスの湿った声が追いかけてきた。
「――もう少し、もう少しだけ、一緒にいてくれないか?」
窓の方を向いたままのユーリウスの顔は見えなかったが、その言葉で再び椅子に座り直すエーディット。
「……子守唄でも歌って差し上げましょうか?」
エーディットの台詞に湿ったままのユーリウスが小さく吹き出し振り向いた。
「エーディットが? 歌うのか? 子守唄を?」
「えぇ、もちろん歌えますとも。今後ユーリウス様が書物仕事をさぼらないと約束するのであれば幾らでも歌って差し上げましょう」
「……なら良い」
まっ、と小さく声を上げたエーディットが笑う。
「もうこんな機会はありませんよ? 良いんですか?」
「要らない」
そう言って再び窓の外を見つめるユーリウスであったが、その左手はエーディットの左手を掴んだまま離さない。
その手に導かれる様にして立ち上がり、ユーリウスのベッドの縁に腰掛けるエーディット。
「エーディット。俺さ、色々頑張って来たけど、本当はずっと日本に帰るつもりだったんだよ」
「――はい。気付いてました」
その言葉に驚いた様子でエーディットと見るユーリウス。
「ホント?」
当然である。
エーディットが一体どんな思いで一人苦闘するユーリウスを見つめていたと思っているのか?
「わかります。そのくらい。……エリ様も気付いてらっしゃると思いますよ?」
「そっか」
「ええ。そうです」
泣き笑いの顔で窓の方を向くユーリウス。少し伸び過ぎた髪が濡れた頬に張り付いていた。
自由になる右手でその髪を耳の後ろに梳いた所でユーリウスと視線が合って微笑むエーディット。
そのエーディットの額には固まった血がまだこびり付いており、頬はところどころに黒い煤の筋が残っている。
赤い部分は軽い火傷の跡だろう。
「ユーリウス様?」
声をかけられてユーリウスの手が一瞬とまったが、そのまま額にこびり付いた血を指先で落とし、頬の煤を拭う。
「――上手く落ちないな……」
「あ、すいません。包帯を巻いたら洗ってくるつもりだったのですが……お見苦しい所をお見せしてしまいま――」
「見苦しくない」
そう言って今度はシーツを使って頬の煤を拭うユーリウス。
「綺麗だと思う」
「ユーリウス様?」
「エーディットは綺麗だと思う」
泣いた所為なのか、呼吸が可怪しくなっているのかしゃくり上げながらそう言うと、引き倒す様にして抱きしめるユーリウス。
そして、しがみつく様にしてその胸に顔を埋めるユーリウスの頭を撫でながら笑う。
「……もう。子供の様です」
と、そのまま押し倒されて小さな悲鳴を上げるエーディット。
「子供じゃない」
「――子供みたいに泣いてまし――!」
唇で口を塞がれ、答えに詰まるエーディットだったが、抵抗する気はないらしい。
唇が離れた時、閉じていた瞼が開いてユーリウスを見つめる。
「……私はホムンクルスですけど?」
そう言いながら、寝癖がついていたユーリウスの髪をそっとその手で梳く。
「嫌か?」
「卑怯です」
「嫌ならやめる」
「もっと卑怯です」
「そっか」
「はい」
二度目の口づけは、二人同時に瞳を閉じた。
……朝ちゅん乙。
何処まで書いて大丈夫なのかわからないので諸々切ってます。
誤字脱字その他コメント等ありましたらよろしくお願いします。
ところで、コメントってどうしたらもらえるんでしょう?




