第五十七話 駄剣とダンディ・エルフ
A.G.2880 ギネス二六九年
獣の月(六の月) 水の週の二日(八日)
ヴェルグニー(妖精族の国) レニ
レーベン川の支流、リーゲン川の畔にある巨大な城塞都市レニは、ヴェルグニーと呼ばれる妖精族にとっての対外的な首都となる。
漸く落ち着いたところで今度は「実はユグドラシルの苗木を持って来ました」と言う話になり更に大きな騒ぎとなってしまった事から、ユーリウス達がアラー湖で起こした騒ぎについては事実上不問にされたが、そのまま「はいどうぞ」で通して貰えるわけもなく、数日間は周囲を十重二十重に兵士達によって囲まれたイルガンディのヴェルグニー側の宿に留めおかれ、数十羽の言付けの小鳥が飛び交った後、数十人の護衛だか監視だかの兵士達に囲まれたまま、この都市の行政府へと案内されたのである。
フィームからの手紙によってユグドラシルの苗木を返還に、人間族の王族と魔導士がやって来るという話は伝わっていたのだが、妖精族側ではユグドラシルが素直に返還されるとは欠片も思っていなかったのだ。
なにせ十二年も放置されていたのだから、妖精族側がそう考えてしまうのも無理は無かった。
だが、アラー湖での騒ぎの後、ユーリウスが発した言葉で妖精族側が予定していた全ての計画が白紙に戻される事になった。
「あぁ、これがユグドラシルです。漸く約束を果たせました。どなたに渡せばいいですか?」
担当していた文官も、ユーリウスが片手になにやら大きめの布をぶら下げている事には気付いていたが、まさかその中に妖精族の神にも等しいユグドラシルの、その苗木が入っていようなどとは思いもしなかった為、中身を見せられた所で卒倒して交渉からリタイアしてしまう。
ユーリウス達が頭を抱えたのは当然であったが、妖精族側もこれには頭を抱えてしまっていたのだ。
一応妖精族の長老達との面会については了承していたものの、最初から交渉を行うつもりなどなく、のらりくらりと躱している間に奇襲部隊が動いてユグドラシルを奪還するはずだった為、妖精族側は全く準備が出来ていなかったのである。
「だからユグドラシルの苗木を持って行くから準備をしろと書いただろうに……?」
激昂する男に不思議そうな顔で言うフィーム。
「――そんな物をどうして信じられるというのだ?! てっきりお前も捕まって、無理矢理そのような手紙を書かされているのだとばかり思っておったわ! 大体迷宮の素材が素晴らしいだの妖精族の長弓を超える短弓だのと世迷い事にも程があろうが!!」
至近距離からフィームに向かって叫んでいるのが、オトマルという中年に見える妖精族の男性である。
光の加減で青みがかって見える淡い栗色の髪に、明るい栗色の縁取りを持つ灰色の瞳をしている。
なんでもフィームの叔父にあたる人物だそうで、妖精族の長老達の末席にいるらしい。
「……嘘は一つも書いてないんだがなぁ?」
などとぼやくフィームを見てユーリウスとエリが顔を見合わせて苦笑する。
因みにここはユーリウス達に充てがわれた迎賓館の一室である。
一応御茶会の形式に則ってはいるが、ユーリウスとオトマルが直接面談し、明日行われる予定の長老会議において、双方が何を要求して何を提供するかの根回しを行う事になっていたのだ。
が、長く留守にしてた家族や友人達への挨拶を終えたフィームが、ユーリウス達の予定も知らないまま訪ねて来て鉢合わせになってしまったのである。
オトマルとユーリウスについては既に何度も言付けの小鳥によるやり取りを行っていて、互いに相手が何を求めているのかについては凡その所は理解しあっていた。
が、オトマルはフィームとユーリウスとの関係を疑い、随分と気にしていたのがわかる。
その気持ちはわからないでもなかった。
なにせこのユーリウスという魔導士は、調べれば調べるほど胡散臭い上に謎だらけなのだ。
挙句にフィームからの手紙では、里を超えるゴーレム創造魔法を駆使し、その主たる聖女は、あの灰色の霧と共に魔王の迷宮を攻略した聖女で、どちらも灰色の霧との「親交」があるのだというのである。
間違いではない。
信仰しているのではなく親交である。
「本当の事でもせめてもっと本当らしく書け! 魔の森で魔物に襲われて全滅して一人だけ生き残ってしまった、までは良い。その妖精族の戦士達が全滅する魔物達をたった一人で殲滅してそのほうを救った人間族の魔導士が僅か四歳の少年で灰色の霧の眷属だなどと書かれて誰が信じるというのだ!」
一気に言い切られた台詞を聞いて、ぷっ、と思わずユーリウスが吹き出したが、エリは真面目な顔で、確かに何処にも大きな間違いはありませんわね、などと溜息をついている。
もちろんオトマルが確かめたかったのはその信憑性についてであったが、やっぱり何処まで本当なのかの判断がつかない。
「だから全て本当だと言っている。しかも魔の森の主様の眷属でもある」
フィームの言葉にオトマルは手にしていた全ての匙を盛大に放り投げた。
魔の森に主が居るなどと言う話は聞いた事もなかったのである。
「……もういい」
そう言ってなんとも困った顔をしているフィームを放置し、ユーリウスに向かって口を開くオトマル。
「それで、ゴーレム技術の提供する見返りに、里のゴーレム船に使っている金属加工の技術が欲しいとか?」
「――ええ。もしくはユグドラシルの結界魔法を、と思っていたのですが、今は金属加工技術と冶金技術、数年間の技術指導もあれば釣り合うものと考えています」
一瞬、ほんの一瞬オトマルの瞳に剣呑な光が宿ったが、即座にそれを消して頷く。
「そうですな。里にも存在しないゴーレム技術でしたか。確かにあの小さな入れ物の中にゴーレムを閉じ込めるというのは驚きでしたが、先ずはこちらの魔導士に詳しく調べさせてからでなければなんともいえませんぞ?」
「ええ。それは理解しております。もちろんこちらも代わりに金属精錬から加工の現場を拝見させて頂ける様になると言う事でよろしいですか?」
「先ずはそんな所からでしょうな」
「では先ずは互いの技術の見聞を要求しあうという事で」
「いいでしょう。それからブランザ王国との国交樹立という事でしたが、こちらとしては魔の森の奥深くに存在する都市などと言われましても、まるで雲を掴む様な話で……」
と、我関せずの体でヴェルグニー産の香草茶を楽しんでいるエリに視線を向けるオトマル。
「そうですね。ではどうでしょう。大使館の設置とは言いませんので、先ずは双方の連絡所の様な物を作るというのは? その為にもどなたか我が国に人を出して頂ければと思うのですが?」
「互いに連絡員を置く所から始めようと言うのですな?」
「はい。正式な国交の樹立は実際に互いの国を見てからでも遅くはございませんから」
妥当な所であろう。
アルメルブルクはまだまだ発展途上ではあったが、画一化された公団住宅や上下水道等の設備など、里と較べても先進的であると言うし、人口は二千人程だが一万人を超える人口でも維持可能な迷宮を保持しており、しかもその迷宮を管理しているのはあの灰色の霧と、失われた伝説の都市聖霊なのだと言うのだ。
何れは全ての迷宮を滅ぼそうとしている妖精族としても、アルメルブルクという都市の在りようには文句の付けようがなかったのである。
もちろん、それが本当の話であれば、だが。
挙句に世界を滅ぼすという魔王を倒したのが、この何を考えているのか一向に見えてこないエリという少女であるとか、ユーリウス達の話は余りにも荒唐無稽過ぎて、いくらフィームの言葉があったとしても信じられないのだ。
「では決まりですな?」
「はい。異存はありません」
と、そこでふと思い付いた、という風に、オトマルがユーリウスの腰に視線を送る。
「そう言えば、ユーリウス殿は魔剣ヒュメルフリューグの使い手でしたな?」
「えぇ、ユグドラシルを届ける対価としては過剰と思わないでもありませんでしたので、なんでしたら妖精族の皆様にお返し――」
「おう、こらヒヨッコっ! 黙って聞いてりゃなにを言い出すんだこの野郎! ユグドラシルの苗木の対価だぞこの野郎! 俺様くらいの対価でななきゃ釣り合わねぇってんだよこの野郎!」
「……オトマル殿、やっぱりユグドラシルを届ける対価ってコイツ以外の物じゃダメですか?」
「バッカ、おま、俺様をなんだと思ってんだこの野郎!」
「――あー、ユーリウス殿には大変申し訳ないのだが、魔剣ヒュメルフリューグは自ら主を選ぶと聞いている。大変申し訳ないのだが、ユーリウス殿が主だ」
「オートーマールー! てめーは一体誰の味方なんだよこの野郎!」
「うるせぇ! 大事な話をしてるんだからちょっと黙ってろ!」
「なんだとこの野郎!」
もちろん駄剣ヒュメルフリューグの罵詈雑言がこの程度で止まる訳がなかった。
そうしてユーリウスとオトマルが視線を交わして苦笑していると、ようやくヒュメルフリューグが黙りこんだ。
その瞬間、オトマルが口を開く。
「魔剣ヒュメルフリューグよ、それで、こちらのユーリウス殿が仰っていた事は何処まで本当なのだね?」
「全部本当だよこの野郎!」
その台詞に頭を抱えるユーリウスと、別の意味で頭を抱えるオトマル。
「駄剣……」
「あ? なんだとこの野郎?!」
「お前な、外交交渉中だって事くらいわかってんだろうが? なんで相手の質問にド直球で答えてるんだよ?」
何時もと違う雰囲気のユーリウスの言葉に、ヒュメルフリューグが沈黙した。
「お前は使い手の足を引っ張るのが仕事なのか?」
「――もしかして、俺、何か不味い事言っちまったか?」
「言った。半信半疑の間にふっかけるだけふっかけてやるつもりだったのに、お前の所為で全部おじゃんだ」
「ま、まじか……!」
「マジだ」
「……す、すまねぇ」
そのまま沈黙する駄剣ヒュメルフリューグ。
「――さて。オトマル殿。よくもやってくれましたな?」
「なんの事かわからないな。私はただ旧友に挨拶しただけの事」
「まぁ良いでしょう。油断したこちらが悪いのですから。この分は明日の長老会議で取り返さえて頂きます」
「……ほう? 根回しも無く、国交も無い外国人の要求が通るとでも?」
「通せないとでも?」
不敵に微笑むユーリウスとオトマル。
「言っておくがジョーキキカンなど我が国には必要無いぞ? 一体何を対価に何を要求するつもりなのかね?」
「そろそろ疲れました。続きはまた明日、長老会議の後にでもいかがです?」
どうやらユーリウスは少々怒っているらしい。
オトマルの方が一枚上手だったというだけの話であり、ユーリウス自身も怒っているのは自分に対してである。
ユーリウスはまさかオトマルがこんな所を攻めてくるとは思ってもいなかったのだ。
こうして、若さと粗さが見えるユーリウスの様子については多少微笑ましい思いをいだいたオトマルであったが、ユーリウスがどんなカード切ってくるのか、少々の不安と多大な期待を感じつつ、改めてエリとユーリウスに挨拶をした後退出したのであった。
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