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第五十五話 伝説の魔物

ちょっとだけエリのお話。

A.G.2880 ギネス二六九年

木の月(五の月) 風の週の三日(二十一日)

シュマルカルデン王国 カルス



 エリにとって、世界というのは只々恐ろしく残酷なものであった。

 エリの周りでは何時も誰かが、それも好きになった者達が傷付き血を流していた。

 物心ついた頃には自身がその恐怖の源泉である事に気付いていたし、周囲の反応についても概ねそれを肯定するものであったから、エリとしては全ての感情を押し殺し、周囲の全てを拒絶する事でその小さな身を、その小さな心を守るしかなかった。

 それを変えてくれたのは、一体何人目になるかもわからない、エリ専属の侍女として王宮に上がったイルメラであった。

 騎士夫人であったイルメラは当時三十代の後半で、戦で夫を失いながらも領民達と協力しながら領地を守って六人の子を育てあげたという、ユーリウスの言う所の肝っ玉母さんだった。

 自身に意識が向いた時には話さない、行動しない、なるべく何も考えない、を心がけるだけで、エリにかけられた呪いを受ける可能性を減らせる事に気付いたのも、そのイルメラが最初であった。

 だからエリは必死で周囲の全てを意識しない様に気を付けていたし、意識するのであれば絵巻絵本、刺繍や編み物に集中し、自身の呪いに周囲を巻き込まない様に細心の注意を払う様になった。

 そうする事でイルメラを筆頭にした侍女たちが最初は恐る恐る、次第に大胆に自身を構ってくれる様になったからである。

 ただ、髪を梳かれている時などはそれが難しく、ほんの小さな気の緩みで髪に絡んだブラシを外そうとした侍女が何をどうやってか生爪を剥いでしまったり、目に入っただけの侍女が転んで骨折する様な「事故」が起きてしまっていた。

 だから時折、二人きりになったイルメラが抱きしめてくれる時には、それこそ何が起きているのかすらわからない程、全力で何か別の事に集中してしていた。

 イルメラを傷付けるのだけは嫌だったから。

 だからイルメラが居なければ、エリは恐らく正気を保つ事も出来なかっただろうし、メディナとの出会いやモモとの出会いももっと違ったものになっていただろう。

 だからイルメラの事で少し寂しいと思うのは、イルメラの笑顔を思い出すと最後は必ずあの日の情景まで思い出してしまう事である。

 王都ブランが陥落し、物心ついて以来、初めて塔から出て見たのがイルメラの生首だったのだ。

 時折思い出しては夢に見て飛び起きる事があるのも、ユーリウスの言うトラウマというものなのだろう。

 遠い昔の話であって復讐も遂げた今となっては、出来ればイルメラの笑顔だけを覚えていたいと思うエリであったが、同時に恐らくそれは無理なのだろうとも思っている。

 だからシュマルカルデンの王であるヴィルフリートから両親の話を聞いた後、立て続けにイルメラの事を夢に見てしまっていた事についても納得していた。

 なにしろエリは両親の顔など、あの無数の生首の中にあったのだろう程度で、ほどんど覚えていないのだ。

 だからヴィルフリートが語った母のエピソードもエリの夢の中では全てイルメラの顔であったし、最後は悪夢となって飛び起きる羽目になる事についても諦めていた。

 そんな訳で、ユーリウス自身には魔王の呪いが全く通じないらしい事に気付いた時のエリの喜び様は、メディナにして気が狂ってしまったのではないかと思う程であったのだ。

 だから。

 そう、だからエリはユーリウスに依存し溺愛していたのだ。

 それがあまり表に出ないのは、エリがその感情の表現方法を知らないからに過ぎない。

 十二年もの歳月を離れ離れになって過ごした後のエリが、以前にも増してユーリウスに干渉する様になったのも当然で、これでエリが多少なりとも甘え方や我儘を知っていたとしたら、二人の関係が一体どうなっていたかわからない。

 恐らくユーリウスの方が耐え切れなくなって逃げ出していたのではないだろうか?


「エリ様?」


 真っ暗な部屋のベッドで一人震えていたエリにティアナが声をかけてきた。


「また嫌な夢を見ていたのですか?」 

「……大丈夫ですよティアナ」


 涙は既に乾いていたが、寝汗のせいで喋ると喉がヒリヒリとしていた。

 ティアナの手には水差しとカップがあったが、エリには未だ少し混乱が残っていたのだろう。水を注ごうとしてカップを落としてしまうティアナ。

 ガラスの砕ける音が響いた。


「動かないで! ティアナ、そのまま、そのまま動かないで」


 と、それで完全に目が覚めたらしいエリが鋭く叫ぶ様に命じ、一呼吸、二呼吸、と間を置き、エリの様子を観察していたティアナが徐ろに口を開く。


「――申し訳ございません」

「ティアナに非はありません。私が少し混乱していたのです。もう大丈夫ですから、人を呼んで片付けさせて下さい」

「はい。エリ様。お水も直ぐにお持ちします。あとお着替えも」


 ティアナを意識から外して自動人形のような受け答えを行うエリ。

 嫌な震えは既におさまっていたが、寝汗で湿った寝間着が気持ち悪かった。

 こんな時にエリが意識するのは常にユーリウスであった。

 ユーリウスが相手であれば、例え呪いが向かった所でなんの影響もない。いや、それどころかユーリウスが為すあらゆる行為が上手くゆく。

 ユーリウスには言っていなかったが、エリはメディナと共にそれを幾度か確かめていた。

 魔王の依り代として生み出されたユーリウスには、エリの呪いは真逆に作用するのだ。

 だから今頃ユーリウスは、きっと何か楽しい夢でも見ている事だろう。

 そう思うと自然とエリの口元に笑みが浮かぶ。


 ティアナが差し出した水を飲んだ時も、数人の侍女達がエリを立たせて着替えをさせている間も、シーツと上掛けが替えられて、改めて心地よい高価な寝具に包まれた後も、エリの口元に浮かんだ笑みが消える事は無かった。

 


「おはよう、ユーリウス。よく眠れましたか? 体調は大丈夫? 今日は準備が終わり次第出発するのでしょう?」


 純白のドレスに一風変わった形をした練色の上衣を纏い、白銀に輝くティアラを付けて純白のファーを首に巻き、赤い豪奢なケープを靡かせていた。

 どうやら朝食の後では間に合わないと判断したらしい。


「おはようエリ。大丈夫だよ。チョー元気だし。昨日はヴィルフリート陛下が快速船を只でくれるなんて言うからついつい飲み過ぎちゃっただけでただの二日酔いだし。もうなんともないし」


 と、昨日の朝の様子が嘘の様に元気なユーリウスである。その様子を楽しそうに見て席に着いたエリに、ティアナが厚手のエプロンをかけるとお茶が運ばれてくる。


「まぁ確かに昨日はちょっと参ったけど。つーかヴィルフリート陛下、アレはヤバイね。ウワバミだよウワバミ」

「ウワバミ?」

「うん。お酒が大好きでどんなに飲んでも酔わない伝説の蛇の魔物」

「ヴィルフリート陛下がそのウワバミ、ですか……?」

「俺の三倍は呑んでたのに昨日も平然としてたでしょ?」

「そうなのですか……ウワバミ、ウワバミ……」


 と再び楽しそうにウワバミの言葉を繰り返しながら朝食の席に着くエリ。一国の王を魔物扱いするなど不敬も良いところであったが、食事も基本的にはティアナが手配している為この場にはアルメルブルクから連れてきた者達しかいない。


「これだけ厚遇されるとシュマルカルデンから市場を奪うのが申し訳なくなっちゃうけどねぇ……」

「市場を奪う、ですか?」

「そう。ハルツ川とエレンハルツ川の水運はブランザ王国がもらう」


 あぁ、とエリも納得した表情をみせる。


「それは仕方ないのではありませんか? 別に不正な事を行うつもりは無いのでしょう?」

「アニィの存在がもう既に不正(チート)だからなぁ……困っちゃうよなぁ……」


 などと、本当に困った様子のユーリウス見て微笑むエリ。


「ユーリウスも言っていたではありませんか、ハルツ川の水運を奪われたところで――」

「それ以上にレーベン川の水運が活発になれば決定的な問題にはならないだろう。ね。そうは言ったものの、なんか騙してるみたいで居心地が悪いんだよね?」

「でも、きっとヴィルフリート陛下もどうやってハウゼミンデンの利権とアルメルブルクの秘密を奪うかを考えていると思いますよ?」

「それもそうか。そうだよね」


 と、防諜もそろそろ気合入れて考えないとなぁ、などと意識を切り替えるユーリウス。

 そうしてタコスともガレットとも言えそうな朝食を楽しむ二人であった。

 

 

 



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