第五十四話 標準軌
三分割した最後の投稿です。
A.G.2880 ギネス二六九年
木の月(五の月) 風の週の一日(十九日)
シュマルカルデン王国 カルス
エリの背後に控える様にして立っていたフィームに視線を送り、再びエリを見つめて溜息を吐くヴィルフリート。
エルフ族が居る事で嘘や冗談の可能性は無いと判断したのだろう。
「……どうりで瓜二つだと……」
「ヴィルフリート陛下?」
「エリナリーゼ陛下は、ベランジュール王妃殿下に良く似ておいでだ。何度かお言葉を頂いた事もある……まさか、まさか生きておられたとは……」
感極まった様子でエリを見つめるヴィルフリート。
こんなヴィルフリートの様子を見るのは初めてなのだろう。
侍従達が目を剥いている。
「――ヴィルフリート陛下は母上様をご存知なのですね。私は顔も覚えておりませんが、宜しければ教えて頂けませんか?」
そのままエリに任せて良いと判断したらしい。
ユーリウスは沈黙したままもう一度頭を下げて一歩下がり、ティアナに視線を送って護衛を任せると、侍従の一人に目配せして少し離れた場所に呼び出す。
「少し時間が掛かりそうだ。この後の予定はどうなっている?」
「はい、この後はご予定ですと、既に夕食の準備が整っておりますので、重臣の方々と共にご夕食という事になります」
「聞いての通り。我が国の女王陛下なのだが、いくらお忍びとは言え、身分を明かしてしまった以上それに相応しいものとしてもらわねば困るのだが?」
「はっ、はい、直ぐに手配致します!」
「うむ。それについては任せる。が、重臣達が一緒だと言ったな?」
「はい……」
「夕食の前にもう一度人選をし直す必要があるはずだ。上手くヴィルフリート陛下に確認しろ。それから後でヴィルフリート陛下からもお話があるだろうが、この場で見聞きした事は当然ながら秘密だ。わかっているな?」
「は、はい。わかっております」
「ならば良い。行け」
「はい!」
やっぱり仕事はハッタリが大事だな、などと改めて考えているユーリウスであったが、一方でヴィルフリートがエリの母親を知っていたというのは嬉しい誤算だった、などとほくそ笑んでいる。
お陰でシュマルカルデン王国との国交樹立は上手くいきそうであった。
「大魔導師ユーリウス」
と、不意に声をかけてきた者がいる。
ゲルマニア北東部の民族衣装に身を包んだ禿頭の老人であった。暗い篝火の中にあっても、明らかに上質とわかる生地に豪奢な刺繍の入った上衣であるが、老人という時点で一瞬混乱するユーリウス。
「お初にお目にかかる。噂は予予耳にしておったが、漸く会う事が出来た」
余計な感想を言う前に名乗れジジイ! と、混乱が残ったままの頭で考えるユーリウスであったが、もちろんそんな事はおくびにも出さない。
ただ黙って相手を見つめるだけである。
「――おお、これは失礼いたしました。私はループレヒト。こんななりですがこの国の王太子、第一王子という事になっておりますな」
そう言って乾いた笑いを漏らす。
どういうわけだか、ループレヒトは若返りの魔法を使っていないらしい。
「ループレヒト殿下でらっしゃいましたか。お初にお目にかかります。魔導士のユーリウスにございます」
流石のユーリウスもどうして良いかわからずそんな挨拶をしただけで沈黙するしかなかった。
「ゴーレム兵を叩き潰し、代わりにゴーレム船を生んだ天才の噂は幾度も耳にしておりましたが、長く姿をお隠しになっていたあなたが再びこうして世に現れた。再び世界が動くのだと、多くの者が噂しております」
前置きが長い。
一体何が言いたいのだろう?
「……噂に過ぎませぬ」
「えぇえぇ、もちろん噂ですな。ところで大魔導師殿」
「はい、なんでしょうか殿下」
「噂では仕える主がいらっしゃると聞いておりますが、その方は今でも?」
あぁ、と思わず溜息を漏らしてしまうユーリウス。
だがこれは少々失礼な態度である。
「申し訳ございません殿下、あちらでヴィルフリート陛下と歓談なさっておいでの方が我が主にございます」
「――ほ、ほっほっほ、これは、また、大魔導師殿もお人が悪い」
どうやらループレヒトは冗談だと思ったらしい。
「殿下。灰色の霧に誓って、私は我が主を冗談の種になど致しませぬ」
「……なるほど。これは私が悪かった。灰色の霧に許しを乞おう」
「灰色の霧のお慈悲を……」
どうやらそれで終わりらしい。
ぎこちない笑みを見せ、エリを一瞥したループレヒトが立ち去る。
「鬱屈してんだろうなぁ……そう言えばヴィーガン卿の子供は皆若かったのに。ここじゃ違うんだな。ああ見えて猜疑心が強いんだろうか? それともループレヒトが何か老化に値する罪でも犯したか?」
実の所、ループレヒトが老いた姿なのはループレヒト本人の意志である。
本人に若返りの魔法を受ける意志が全く無いのだ。
そもそも領主も王家も土地で産する魔晶の流通を一手に握っているから、若返りの魔法で必要となる魔晶――ユーリウスがレーゲンで支払いに使った物であれば、一つで凡そ一年分程度の若返りに使える――など幾らでも、は言い過ぎにしても、それなりに自由になるのだ。
王族であっても、ただ普通に年老いてゆく事を望む者が居ないわけではないというだけの話である。
因みにヴィーガン卿が落ち着いた後の話し合いでは、ユーリウスが提供した魔晶を使って二〇代の姿にまで成長させている。
今後も暫くはヴィーガン卿が表に立ってハウゼミンデンとナーディスの諸侯を率いる事を認めたわけで、何れエリとアルメルブルクが立った時には公に忠誠を誓う事を、灰色の霧に賭けて約束させている。
「ユーリウス」
少し離れた場所で周辺警戒をしながら蒸気機関車を見ていたユーリウスにエリが声をかけてきた。
「陛下がキカンシャに乗ってみたいと仰せです。大丈夫ですね?」
「はい陛下。お任せ下さい。ヴィルフリート陛下、どうぞこちらへ」
そうして鉄道模型に跨がり、ヴィルフリートを乗せて走りだすユーリウス。
直径一〇メートルほどの円を描くだけの軌道であったが、ヴィルフリートは子供の様に声を上げて楽しんでいる。
「大魔導師」
「なんでしょうヴィルフリート陛下」
不意に静かになったかと思えば、どうやら内緒話であるらしい。
「これはもちろん船にも使えるな?」
「はいヴィルフリート陛下。使えます。これは火の魔道具を使っておりますが、迷宮材を燃やした火でも十分に実用に耐える物が作れるでしょう」
「これは銅で作られているが、鉄でも可能か?」
「もちろん可能でございます。見ての通り簡単な絡繰りでございますから、同じ物を作るのは易しい事かと存じます。ただ、同じ物を船に載せて実用に供するのは難しいかと」
「そうであろうな。あまりにも非力だ。二人乗っただけでこの有様だからな」
「はい」
「だが大魔導師の言った通り、もっと大きな、もっと力の出る物を作れば……」
「はい。船だけではございません。これはしかとした物を作れば馬車など比べ物にならない程の速度で走ります。そのもっと大きな物を、例えば人が二〇人も乗れる程の物を作り、一〇程も並べて引かせる事ができたらどうでしょう? 同じ所をただ回るだけではなく、例えば、そう、カルスからヴァッサーハイムまでの間に、この二つの板、軌条を繋げて専用の道、線路にして走らせたら?」
ガシャガシャガタガタピーピーと、何処までも騒がしい鉄道模型に乗ったままヴィルフリートの答えを待つユーリウス。
「大魔導師、これは今までどれ程売れているのだ?」
「数えきれないほど。リプリア王国でも売れておりますゆえ……」
むう、と唸るヴィルフリート。
「この、軌条、といったか、この二本の板にはどんな意味がある? 線路と呼んでいたが、動く場所を定めるだけなのではあるまい?」
「流石は陛下にございます。実はこのキカンシャ、そのままでは人を乗せるどころか、これだけでもまともに動きませぬ」
「なんだと? どういう事だ? この軌条とやらになにやら魔法でも使われているのか?」
「いいえ、この軌条も見た通りの木製にございます。試してみましょう。クリストフ! 機関車を軌条から降ろせ!」
ユーリウスは鉄道模型を止めて軌条から降ろさせると、石畳の上で動かす様に指示する、が、ほんの小さな凹凸でひっかかって止まってしまう。
だが再び線路に乗せれば動き出すのだ。
「この軌条には魔法など何一つつかってはおりませぬが、見ての通りにございます」
「……なるほど」
そう言って騎士の一人に明かりを持ってこさせ、膝を着いてまで軌条を詳細に調べるヴィルフリート。
「なるほど。……大魔導師、これは馬車でも使えるのではないか?」
「はい。陛下。一頭の馬で数両の馬車を引かせる事が可能となりましょう」
その言葉を聞いて大きな笑い声を上げるヴィルフリート。
「大魔導師、お前が決めろ、この軌条の幅はどれほどにすれば良い?」
「そうですな。その幅を軌間と呼んでおりますが、折角ですので陛下の身長、では不敬でしょうから、陛下に敬意を評して五クライを神々に捧げ、二ロームと四クライ(およそ一四四センチメートル)ほどではいかがでしょう?」
因みに数字は適当である。
限りなく標準軌の軌間に近いのは偶然なのだ。
ユーリウスの台詞に何を思ったのか、大笑いをするヴィルフリート。
「良いだろう。我が国の軌条の幅は今より二ロームと四クライとする」
「では陛下に一つ」
「なんだ?」
「実用となる軌条には木製では強度が足りませぬ。金属で作るか補強するか、でなければ迷宮外壁材をお使いくださいませ」
「わかった。とは言え、先ずは馬で引く物を港と市場を結んで様子を見るだけだ」
「良きお考えかと」
そこでエリが視界に入ったらしい。
「おお、これはエリナリーゼ陛下には失礼をしたしました! 場所を移しましょう! 既に食事の用意は整っておるのです! どうかお許し頂きたい!」
ニコリと笑って席を立つエリ。
もう完全にエリをブランザ王国の王族として認めたのだろう。
誰憚る事なくエリナリーゼ陛下と呼んでいる。
少し離れて見ていたシュマルカルデンの貴族たちの様子は様々であった。
驚きに目を見張る者、猜疑心に満ちた視線を送る者、何を言っているのか理解出来ずにポカンとする者。
ざっと眺めて変わった動きをする貴族の顔を記憶するユーリウスだったが、その後の晩餐会では大きな失敗も成功もなく終ってしまう。
いや、一応の成果はあった。
テオデリーヒェン大公国の南に、魔の森の只中にアルメルブルクという都市があり、ブランザ王国を名乗っている事、シュマルカルデン王国がそれを承認した事、国交を樹立する為の交渉を行う事等がヴィルフリートの口から直接語られたのである。
だがそれだけであっても、ヴィルフリート自身、少々興奮し過ぎて余計な事を口にし過ぎていた自覚があったのだろう。
そんな訳で、ユーリウスとエリがそれぞれ個別にあげた外交成果については、アルトゥルの舘に戻ってから改めて語られたのである。
「どうやらヴィルフリート陛下は幼い頃にはブランで暮らしていたらしいわ」
「そうなの?」
「ええ。当時はご両親がオレスム王国の外交官だったのですって」
「なるほど。それでエリの両親の事を知っていたのか」
「何度か家族で王宮に招かれた事があって、その時に声をかけていただいたって。楽しそうに言っていたわ。それで私にも何時でも遊びに来て良いって。私、言質をとった事になるのかしら?」
「うん。間違いなく。フィームも居たし侍従もいたからね。大成果だと思う」
「ユーリウスも何か成果があったのでしょう? 晩餐会では社交辞令が徹底していたもの」
「あったあった。ヴィルフリート陛下は馬車鉄道を導入するつもりらしい」
「馬車鉄道?」
「機関車の代わりに馬車で貨車を動かす鉄道だよ。普通の馬車の何十倍もの仕事が出来る。それから鉄道に使う線路の軌間も決めた。二ロームと四クライ。これでアルメルブルクでもシュマルカルデン王国向けの機関車や貨車を作れる。恐らくこれが大陸全土の標準になるからね。後は、そうそう、蒸気機関を搭載した蒸気船も作られると思う。大陸中で真似するだろうから、性能の良い機関を作れば輸出して大儲け出来る」
「ユーリウスってば、商売の話しかしなかったの?」
そう言って笑い出すエリ。
どうやら少し酒が入っている上に、殆ど面識が無かったらしい両親の話を聞けて興奮しているらしい。
「まぁ商売の話なんだけど、これでも国家の根幹に関わる事業だから。それに馬車を使うって言ってたけど、シュマルカルデンでは多分ゴーレムを使う事になるんじゃないかと思ってる」
「まぁ。それじゃ蒸気機関は使わないの?」
「新しい技術だから、実用化までに暫くかかると踏んでるんだろう。でもあの様子だとそれまで待つつもりなんて全く無い。だからゴーレムを使うはず。ミゼット爺さんにも興味津々だったからね?」
「……そう言えば、フィームが困っていました。余りにも動きが早過ぎると。私が表に出るまで、アルメルブルクが公になるまであと十年は必要だと思っていたのに、あっという間に都市を一つ手に入れて、エルフ族唯一の友好国との国交まで樹立してしまったと」
「偶然だけどね?」
そこで柔らかかった表情を改めて姿勢を正すエリ。
「そうですわ! 私も決めた以上どんな事をしても許します。ですが、あまり危険な真似はしないで下さい。貴方は私のたった一人の肉親だと思っているのです」
「は、はい」
「わかっていますか? 私は怒っているのですよ? あの時、ヴィルフリート陛下と共にテッドーモケーに乗った時の事です」
鉄道模型である。
「はい」
「あの時、何時ヴィルフリート陛下が剣を抜くかとハラハラしていたのですよ?」
「はい。気付いていました」
「確かにユーリウスのナンチャーテデンヂールドカイは強力な魔法ですけど、ヴィルフリート陛下が佩いていた剣もまた強力な魔剣でした」
なんちゃって電磁シールド改、である。
「はい。気付いていました」
「ならばなぜ無防備な背中を向けて共に乗る様な真似をしたのです?」
「それは、ヴィルフリート陛下への信頼感というのをこちらから表そうと……」
「言い訳ですね?」
「いいえ。本当です。……その、ちょっとは本当です」
ふう、と大きな溜息を吐いてユーリウスを見つめるエリ。
エリの後ろに控えて必死で笑いをかみ殺しているティアナを見て泣きそうになるユーリウス。
「私が怒っている理由はわかりましたね?」
「はい。ごめんなさい。軽率でした。もうしません」
「……本当ですね?」
「なるべくしないで済む様に頑張ります」
「……まぁ良いでしょう。次はセーザーですよ?」
それを言うなら正座である。
「はい」
「では、今夜は少し疲れました。私は休みます。ユーリウスも早く寝るのですよ? 何か思い付いたからなどと明日の朝まで起きている様な事はしてはなりません。健康管理も仕事の内だとユーリウスも言っていたはずです。いいですね?」
「はい」
「あ、そうだ」
と、エリが立ち上がって漸く開放されたのかと思った瞬間にこれである。
お願いだからもう勘弁して上げて下さい。
ユーリウスのヒットポイントはもうゼロです。
「な、なんでしょう?」
「今日はよくやりました。流石はユーリウスです。ありがとう。それからおやすみなさいユーリウス」
やはりエリには敵わない。
誤字脱字その他コメント等ありましたらよろしくお願いします。
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