第四十二話 カイ
A.G.2868 ギネス二五七年
霜の月(十の月) 木の週の四日(二十八日)
テオデリーヒェン大公国 エレン
その日、ついにブランの軍勢がエレンの東に到着していた。
全高三メートルはあるゴーレム兵三体を先頭にした貴族連合軍であった。
が、二五名もの貴族達が結集した連合軍であると言うのに、その陣容は些か物足りなさを感じるものである。
騎乗した貴族とその郎党が三〇〇名に、装備の整わない徴用された雑兵達が二〇〇〇名ほどと、八〇〇名程の傭兵、合わせて三一〇〇名だと言う。
公称五〇〇〇の貴族連合軍は一体何処に消えたのか?
しかも雑兵二〇〇〇の内五〇〇名は輜重兵であり、ブラン周辺から集まって来た一〇〇〇人を超えるであろう行商人や、流しの娼婦達の群れと渾然一体となっていて、それでどうして戦力として数えられているのか理解不能な状態である。
対してアイブリンガー子爵テオバルト、テオバルト・ギース・バイラーが率いるのは直臣や郎党が二〇〇名に雑兵三〇〇〇名であり、ゴーレム兵は無いにしても防御側の方が兵力で優越している事になる。
ゴーレム兵の突破力を考えれば野戦をするのは危険過ぎるだろうが、防衛戦をするのであれば然程難しい戦いとは成り得ない。
城壁には防御用の巨大なバリスタが幾つも備えられているし、魔導士(魔術や魔法、精霊術等を使う者達の総称)達も安心して強力な攻撃を準備出来るのだ。
……貴族連合軍の連中は一体何をしに来たのだろう?
「――貴族連合軍の連中は一体何をしに来たんだ?」
エリクからの報告を聞いたユーリウスの台詞である。
「事前の情報通り、目的は新都市の建設なのではないでしょうか? 後続があるとも聞いていませんし、ゴーレム兵が居たのではアイブリンガー子爵も城壁から出る事は出来ません」
要するに最初から適当な小競り合いをして講和に持ち込み、新都市を建設する際の負担を負わせようという事だ。
「……それはもしかして長引く可能性が高いという事か?」
「連合軍に着いて来た商人達の規模を見れば、確実に長引くと判断しているものと……」
あぁ、溜息を吐くという感覚はこう言う事なのだ。
面倒事はさっさと終わってほしいと思っているのはユーリウスだけではないのに。
「様子見するしかないな。全員何時でも船に乗り込める様に準備だけさせてしばらくはここに立て篭もる。――そう言えばフィリベ達はどうしてる?」
不意に話題が変わってしまったが、それに対してニヤリと笑うエリク。
「中々使い勝手の良い連中です。見るからに堕民ですからね。何処を彷徨いていても不思議には思われない。物見も連中がしたんですよ。クリスが迷宮堕ちしたのは最近だったそうで、彼奴は字もある程度は読めるし目も良い。何より数を数える事が出来ます」
「あぁ……」
なるほど。とユーリウスも理解したらしい。
どうりで正確な数字を出してきたと思えばそういう事であったわけだ。
貧民では両手の指を超える数字を数える事も出来ないのが普通なのである。
「他にもフィリベは度胸があるし剣の筋も悪くない。ボーランはボーランで色々と鼻が利くらしく、傭兵たちの動きを一番良く見てきます。カイは……まあこれからでしょう」
「ふーん。じゃあフィリベにクリス、ボーランはエリクが使え。カイは俺が使おう。年も近いしな?」
エリクが一瞬口籠る。恐らくは、なにを言っているんだコイツは? などと考えていたに違いない。
「……わかりました」
「それじゃ引き続き偵察……物見を頼む」
「あぁ、偵察、そうでした。では偵察に行って参ります。後でカイをこちらに送ります」
そうしてエリクとの情報共有を終えたユーリウスは、既にほぼ完成状態となっている三胴船『シュリーファ』号の待つ造船所へと戻って行く。
ほぼ空になっていた造船街にはシュリーファ商会の商会員八〇名が入っており、数日前までの閑散とした様子は無い。
一応残っていた船大工達やその家族からの許可も貰い、使われていない造船所に塒を作っているのだ。
昨日からは船大工達やその家族達も、みんな一緒になって食事の支度をしている姿を見かける事が出来た。
「おう、ユーリウスの旦那。コイツはすげぇな!」
と、動力部とその伝達系の動作確認を行っていたガルツがユーリウスに気付いて声をかけてくる。
「おう! すげーだろ? それでちゃんと動いたんだよな?」
「当たり前だぜ! エレンの船大工はハウゼミンデンの職人にだって負けやしねぇぜ!」
そう言えばガルツはハウゼミンデンの商人だと信じてたんだな、などと苦笑したユーリウスであったが、それを訂正するつもりは無いらしい。
「動いたなら良い。艤装が終わり次第荷物を運び込んで何時でも進水出来る様にしておいてくれ」
「任せておけ! それよりこの、えーと、せ、船上構造物ってぇのは良いな! 本当に船の上が家になっちまった! まさか台所まで作っちまうとは思わなかったがよ!」
そう言って笑うガルツ。
そんな物まで備えている川船など見たことが無いし、そもそも甲板があるのは高速船と呼ばれる帆を持った櫂船くらいで、大半の川船と言われる物は筏や艀に毛が生えた程度の物なのである。
甲板などあったら荷物の積み下ろしの邪魔になるのに決まっているのだ。
だがこの船は違う。
甲板があるからこその積載量であり、船上構造物なのである。
橋の下を潜る必要も可能性も無い場所での運用が想定されている為、喫水線上が非常に高いのも特徴の一つだ。ユーリウスも高速航行時の水飛沫が余程に堪えたのだろう。
船上構造物は二階建で、第一甲板の一階部分は貨物室として周囲に囲いがあるだけの伽藍堂であったが、二階部分は大部屋状態ではあったが一応客室としての設備が整えられている。
中央の船体後部は機関室で残りは船員達の船室と貨物室、両舷の二隻の船体内についても貨物室として使用可能だ。
そして船上構造物の先端部分に、この船のもう一つの特徴である機械式の操舵室が存在している。
舵輪からベルトで繋がった船体内の天井を這う木製シャフト回し、木製ギヤ動かして最大四五度の角度まで対応出来る操舵装置と、勢車からの動力伝達を行う迷宮外壁材の乾式クラッチとベルトが伸びているドラム。
勢車とクラッチを挟んだ駆動系には船大工達も最初は首を傾げていたが、最大効率で駆動しているだけのゴーレム動力でいきなり外輪を回せばその瞬間に外輪が破損して終わるだろう事を理解してからは只々感心しきりといった様子である。
この中で一番金と手間がかかっているのは全鉄製の直径一メートルはある巨大な勢車だろう。
木製鉄枠では湿気を含んだだけでも重心が狂ってしまう為、最初に作った勢車は廃棄せざるを得なかったという曰く付きで、造船街全体から鉄材を集め、アニィの能力を最大限に使って生み出した超巨大な超精密部品であり、一旦設置してからも何度も微調整が必要であった代物である。
高速回転を始めるとほんの僅かな重心のズレで、三〇〇キログラムを超える円盤が軸から飛び出しそうな程の振動を始めるのだから、これはもう仕方なかったのだ。
当然ながら軸受けは最初に用意した分だけは全く足りずに幾つも作る羽目になっていたし、スラスト軸受けについても改めて制作する必要があったのだが、使用する潤滑油の都合がつかず、質の悪い、要するに発火の可能性が高い潤滑油しか無かった為水冷機構を組み込まざるを得なくなってしまっており、各所に冷却水を継ぎ足す作業が増えている。
とは言え、苦労した甲斐があったのだろう。
動いてる時にも殆ど音を出さず、回転している事にも気付かない程の物が完成していた。
――絶対に触って腕ごともぎ取られる奴が出てくるだろう。
そんな訳で、全員が船室に入るのは難しいが、シュリーファ商会の八〇名程度は余裕で乗れるだろうし、無理をすれば船大工達とその家族の六〇名、合わせて一四〇名プラスアルファ程度は乗り込めるだけの余力があった。
もちろんその場合は造船街に移された荷物を載せる余裕は無くなってしまうが、それこそ艀にでも載せて牽引すれば良い。
問題はどの位の速度が出せるか、であったが、シミュレーションでは満載であっても時速二〇キロメートル、およそ一〇ノット程度は出せるはずであった。
「これで貴族の馬鹿どもがさっさと引いてくれたら俺も帰れるんだがなぁ……」
「ユーリウス様は何処に帰るんですか?」
カイであった。
単に黙っていただけで、ユーリウスがシュリーファ号の機関部で駆動装置の試験を開始した時から控えていたのだが、そう言えばカイが手伝いに来る事になっていたなぁ、と、今更ながらに思い出している。
「んー、ハウゼミンデン、かなぁ……?」
「それは何処なの? ――ですか?」
あぁ、知らないのだ。と、思わずカイを見つめたまま黙り込んでしまうユーリウス。
「――あ、あの、邪魔してごめん! ――なさい!」
ユーリウスの態度に不興を買ったとでも思ったのだろう。
慌てて謝罪を始めるカイ。
「いや、怒ってないし邪魔じゃない。なんて説明しようかと考えていただけ」
「そ、そうなんですか……?」
ユーリウスは怒ってないですよ。
ユーリウスを怒らせられたら大したものですよ。
うん。
「うん。それよりカイはあまり堕民らしくないな? 迷宮生まれじゃないのかな?」
「うん。ぼくは、あ、はい。僕はエレンの生まれ。です。小さい時は街に住んでたんだけど、何時からって言われてもよくわからない。あ、小さいっていうのは今よりももっと小さい時の事で……」
と、無口なキャラだと思ってたカイが必死になって丁寧な言葉遣いで説明しようとするのを見て、内心苦笑してしまうユーリウスであったが、一〇歳児というのはこういう存在だったのだなぁ、などと考えているのだ。
自分は四歳児の癖に。
とは言え、迷宮堕ちした者達には時間の感覚などあるはずが無いのだ。
それどころか一日や一週間、春や夏や秋や冬についても感じる事は無い。
年間を通じて二〇度前後の気温で、朝も夜も無い永遠の薄暗闇の世界。
それが地下迷宮なのである。
「大丈夫。わかったから落ち着いて。気付いたら地下迷宮にいて、小さい時の事はよくわからないから、両親がどうなっているのかもわからない。それで良い訳だな?」
「……うん。あ、はい。ユーリウス様は凄いな」
「それじゃカイは俺に着いて来い。俺が何処に帰るのか見せてやる」
「――いいの?」
「良いも悪いも、俺は来いって言ってるだろ?」
「うん。行く。はうじぇみん……見たい!」
「ハウゼミンデン、な? まぁハウゼミンデンには直ぐには行かないけど、俺に着いて来るならその内一緒に連れて行ってやるよ」
あぁ、また無垢の存在がユーリウスの毒牙に……。




