第三十九話 迷宮の闇
A.G.2868 ギネス二五七年
霜の月(十の月) 風の週の六日(二十四日)
テオデリーヒェン大公国 エレン
エレン討伐軍を称する王子派貴族達の中で不協和音が出ているとの噂が伝わってきていた。
それが事実なのか王子派貴族達による謀略なのか、はたまたアイブリンガー子爵による謀略(士気を高める為の)なのかはわからなかったが、少なくともエレン討伐軍とやらは未だブランを出発できていないらしい。
エレンの街の市民達も貴重品その他は隠すかギルドや神殿等に預けるかして、半数程度は残って様子見をしているらしい。
いざとなれば各種ギルドが共同で用意している避難場所に逃げる事も出来るからなのだという。
市民とやらも意外と逞しい連中である。
「エリク、なんだか路上生活者がやたらと増えているんだけど……?」
「はい。迷宮堕ちした貧民達ですね。領主も一応食料の配給は行っていますが、そもそも住む場所も無い様な者達ですから、迷宮から追い出されてしまえば路上以外に行く所はありません。既に凍死者も出ている様ですし、治安も悪化してます。ユーリウス様も絶対に一人では出歩かない様にして下さい」
「……そうする」
因みに外輪船弐号機の建造を依頼している造船所に向かっている途上である。
「迷宮堕ちした人達は、そのまま迷宮で生まれて迷宮で育ち、迷宮で死んでいく者も多いって聞いてるけど、迷宮での生活って一体どんな感じなんだろうな……」
「三日やったら辞められないとは聞きますが、実際には一度迷宮堕ちしたら二度と這い上がれません」
細かい部分では各迷宮毎に違うが、入るのは無料、ただし出る為には決して安くは無い金額を支払わなくてはならないのだ。
物納が認められている迷宮も存在するが、当たり前だが迷宮内で得た産物には税金がかかる。
出所税を支払えば減額されるが、出所税も含めてになると税率は八割を超えるらしい。
そして迷宮堕ちした大半の貧民達は文字が読めず、迷宮の出入り口を守る兵士達や徴税官達を監視する者など存在しない。
当然ながら徴税官と結託した兵士達及び買い取りを担当する商人達のやりたい放題に成る訳だ。
迷宮ギルドが存在していた頃であれば、そうした問題もある程度は抑制されていたのだが、現在ではゲルマニアに存在している迷宮のほぼ全てが国や個人の資産となっている為、迷宮ギルドが手を出せる部分など存在しない。
「そうすると、エリスで迷宮堕ちした貧民達にとっては大きなチャンス、それももしかしたら人生最初で最後のチャンスになるかもしれない訳だな?」
「はい。兵士として雇われるのであれば食事も給金も貰えますから、上手く行けば都市で再出発する契機になるかもしれませんし、兵士として活躍すれば正規兵への道もありますから」
「――迷宮持ちの領主連中には嫌になるくらい良く出来た仕組みだな。統治で不満を溜める様な連中は片っ端から迷宮堕ちさせて、迷宮からの素材や物資を巻き上げて大儲けして、いざとなったら命懸けで働く雑兵達が幾らでも湧いて出てくる。しかも迷宮は上手く育てたら幾らでも増やせるし、適当な理由で適当な時期に増税と減税を繰り返せば、事実上の迷宮奴隷が居なくなる様な事も無い。しかも迷宮が増えれば増える程食料の供給が増えて価格が下がり、貧民達が必要に駆られて行われる様な口減らしも必要なくなり人口は爆発的に増える様になる。余った分は迷宮堕ちさせるか他国に奴隷として売れば良いだけ……と。フィーム達妖精族がゲルマニアの民を魔族扱いしてるのも当然だな……」
どうやら随分と憤りを感じているらしい。
今はどうしようも無いと言う事は理解しているし、街に溢れた路上生活者を見れば、迷宮で暮らしていた貧民達がどれほどの数になっていたのかよく分かるというものである。
当然迷宮持ちの領主軍が雇った雑兵達の質もその分だけ高いのだろう。
「――なぁエリク?」
「はい?」
声をかけたは良いが、考えがまとまらないらしい。
その場に立ち止まってしばらく考えて込んでいたユーリウスだったが、次に口を開いた時には考えていた台詞を一気に読み上げている。
「こんなのは絶対に終わらせなきゃいけない。迷宮で生まれて迷宮で育ち、一度も外に出る事無く迷宮の中で死んでいく者たち。春の日差しで微睡む事も無ければ、真夏の二つの満月に女神の恵み(日が沈んだ後のリングからの反射光)が最高潮になった時の明るさも、暑い夏の日の午後に飛び込む小川の冷たさと心地よさも、山の秋の恵みで作った料理の美味さも知らなければ、山々が少しづつ紅く染まっていって、気付いた時には一面真っ白になっている驚きも、何もかも、その存在すら知らないまま死んでいく。こんなに美しい世界を知らないまま、薄暗闇の中で汚物に塗れて死んでいく。生まれた事すら知られる事無く、死体すら残さず跡形も無く消え失せる。そんな馬鹿な話が許される訳がない。誰が許そうと俺は絶対に許さない。だからエリク。俺達は力をつけなきゃいけない。どんな奴にも絶対に負けない力をつけて全部作り直す。誰もが幸せになる事を夢見て、それを当然だとする世界を創ろう。俺達ならそれが出来る。そうだろエリク? 俺はまだ小さくて力が足りないけど、十ね……いや、二十年後なら、俺は、俺達はもっと大きな力を得ているはずだし、エリクも四〇代で、きっと何百人も、いや何千人もの人々を手足の様に使える様になってるだろう。巨大な城壁に囲まれた神殿とその周辺は開拓されて、世界中から訪れた何万人もの人々が太陽の下で暮らしてるんだ。それを俺達は高い山の城から眺めて乾杯する。もちろんエリクだけじゃないぞ? エリやメディナやボニファン、ニクラウスやフィームも一緒に、透明なガラスの薄い酒杯に注がれた酒で乾杯するんだ。透き通っていて細かな泡がキラキラ光ってて、さっぱりとした酸味がある発泡酒を太陽に掲げて。俺達はやったぞ! ってね? だからエリクはもっともっと強くなって、もっと沢山の人を導ける様にならなきゃいけない。良いだろ? みんなと一緒に乾杯しよう」
因みにユーリウスは、超高速で思考する自身の擬似人格とアニィを語り合わせて生み出した台詞を、光学透過式表示装置と同様の仕組みで表示された文章を読んでいるわけだ。
一体ユーリウスは何処まで本気で言っているのだろう?




