第三十八話 命の対価
A.G.2868 ギネス二五七年
霜の月(十の月) 風の週の四日(二十二日)
テオデリーヒェン大公国 エレン
戦の噂が流れてから一週間(六日間)が過ぎて、様々な事態が様々な所で進行していた。
エレンの街と本格的に戦をしたがっていた勢力はそれなりの規模であったらしく、小競り合いでは済まなくなりそうな気配であるらしい。
流石に簡単には終わらないだろうとの見通しが出た五日前の時点で、ヨーゼフのコネと賄賂を最大限に使って荷物を運び、エトムントとニクラウス、そしてフィームの三人は古代神殿に返している。
船を見送った翌日には初雪が舞っていた為、三人は船上で随分と酷い目にあったらしい。
それでも言付けの小鳥で横から文句が言える程度には軽く済んでいたのだから、十分に幸運だったのであろう。
因みに昼夜問わずに四日間、エトムントが休息をする時以外は全力航行して乗り切ったらしい。
「無茶しやがって……」
させたのはユーリウスである。
なお、ヨーゼフにも色々と無茶をさせていたユーリウスである。
戦争税を支払う事で街から出る事を許されたシュマルカルデン王国やナーディス諸侯領の河商達が一斉に逃げ出した際、戦争税が支払えずに物納された船を何隻か押さえてもらったのだ。
当たり前だがエレンの船大工達も仕事にあぶれて居た事もあり、非常時という事で随分安く雇う事ができている。
他にも戦争税が支払えなかった魔術師や錬金術師達とも交渉し、戦争税を肩代わりする事で様々な素材や知識の提供を受けていた。
矢面に立たされたヨーゼフは同業者はもちろん、領主のアイブリンガー子爵からも完全に目を付けられてしまっているらしい。
まぁその分儲かっているのは確かなのであるが、大半が魔石による支払いであった為、最初は資金繰りに苦労していたらしい。
最初は、である。
本格的な戦、戦争が始まりそうだ、となった途端に、戦闘で使用されるゴーレムや魔法使いの補助として消耗される事がわかっている魔石の価格が暴騰したのだ。
当然ヨーゼフは即座に全ての魔石を複数のルートで売り払い、莫大な利益を手にしていた。
ユーリウスが多少の、いや、多大な無茶振りをしたところでなんとかなってしまう程度の、莫大な利益であった。
「ユーリウス様々でございます。ですがそろそろ私共も避難の準備をしなくてはなりません」
「――あー、じゃあやっぱり王子派(エドウィン王子の取り巻き)の貴族が攻めて来るんだ?」
「予想が外れてしまいました。まさかコレほどの馬鹿王子だったとは思ってもおりませんでした」
「確かに馬鹿王子だとは思うけど、本人は兵を出して無い上に配下の暴走を一応は止めようとしたらしいじゃない?」
「確かにその様な話は流れておりましたが、恐らくは前座喜劇でございましょう。一応止めてみせた、という形式が欲しかったのだと思います」
前座喜劇、要するに茶番だと言っているのだ。
「つまり成功すればそれで良し、失敗してもそれを理由に派閥を固める事が出来て、更に復興途上のエレンは二度目の侵攻には耐えられないから、交渉の時に優位に立てる。それもエレンの領主に恩を売った形になっているから、相当の要求でも断る事が出来なくなる、と」
「ご賢察でございます」
「エレンの住民にはいい迷惑だけどね」
「はい。ですが、我々にはどうしようも無い事ですから」
「どうしようも無い、か。だがこんな状況を変えられる、変える、そう言ったらどうする?」
「心惹かれるものはあります。ですが今回には間に合いませんでしょう?」
「そうだな。詮無き事を言った。忘れてくれ」
「……ユーリウス様は、あ、いえ、詮索は致しませんとも。それでは私共は今日中にはエレンを離れてイエルスに向かいます。また何処かでお会い出来ましたら何卒ご贔屓のほど、よろしくお願い致します」
「うん。世話になった。ありがとう金鴨のヨーゼフ」
一瞬、ほんの少しだけ身動ぎしたヨーゼフが、最後は深々と、王族にでも挨拶するかの様に両膝を着いて頭を下げた。
貴重な魔石や魔晶、それどころか金塊や宝石の類まで持っている得体の知れない少年ユーリウスという評価が、時折出てくる貴族風の仕草やさり気ない言葉使いによって、何処ぞのお貴族様のご子息という認識に変わってしまっていたのである。
ユーリウスに騙されているだけなのだが、散々苦労させられた後であるだけに、せめてこの少年ユーリウスには「身分を隠しているだけの偉い人」であって欲しいと思ってしまうのであろう。
エリクも同じ様な詐欺に引っ掛かっているのだが、人は利益だけでなく、苦労したら苦労した分だけの精神的な代償を求めるものなのである。
「さてエリク。どうやら小競り合いでは済まなくなるらしいぞ?」
「ええ。なりますね。既に逃げ出す住民達を止める事すらしていません。恐らく十分な兵力は揃っているのでしょう」
「――え? 住民の徴用なんてしてたっけ?」
「あぁ、徴募はしますが普通の市民から徴用することは滅多にありません。迷宮堕ちした者達から徴用するんですよ」
そもそもアイブリンガー子爵の様に市民からの忠誠が低い都市では、徴募に応じる市民は少ないのだ。
無理矢理徴用すれば各種ギルドからの反発を招くため、下手をするとアイブリンガー子爵の本領経営にも影響が出てしまう。
「なるほど……あぁ、そう言えば今日初めて路上生活者を見たよ」
「迷宮を暴走させる時には邪魔ですからね。低層に居る住民は全員追い出すんです」
聞いてみると、迷宮がその気になればどんな物でも吸収する事が出来るらしいが、その能力にも限界があるため、大量の油を流し込んで火を点けるという様な攻撃が可能であるらしい。
ただし、それをすると今度は迷宮が本気になるらしく、その迷宮では養いきれない程大量の魔物が呼び出されるのだ。
「その結果が迷宮の暴走ってやつか」
「はい。大量の魔物が下の階層から追われる様にして、一気に迷宮の外に出てきます。迷宮の規模にもよりますが、出てきた魔物を狩り尽くすまで、周辺一帯を含めて使い物にならなくなります」
「――ヤバ過ぎるだろ迷宮」
「そうですね。だからこの地は特殊なのですよ。ラネック王国にも迷宮堕ちはありましたが、基本的には刑罰です。自ら迷宮堕ちして迷宮で暮らそうなどと思う者はいません」
確かに何処か狂っている様にも思う。
迷宮を育てるという意識がある時点で、やはりゲルマニアは特殊な土地なのだ。
「……そう言えば、市民達の一部は家財道具持ってエレンホルかイエルス方面に逃げてるみたいだけど、路上生活者や難民達はどうなるんだ?」
「運を天に任せて逃げ惑う事になります。ギルドの支援を受けている避難民に紛れ込もうとしても追い出されてしまいますから」
「……ギルドってそんな事してたんだ?」
「だからみんな都市の市民に憧れるんです。まあ農村には農村なりの自衛手段や避難計画ってのがあるものなんですが、ギルドの場合は他の都市のギルドからも支援を受けられるのが大きな差でしょうね」
農村ではいざという時の計画があったとしても、ほんの少し歯車が狂っただけで一村纏めて全滅なんて事が幾らでもある。
「……まぁいい。エリンギの商売の秘訣は覚えてるか?」
「え? はい。『恩は売れるときに売っておけ、なるべく高く』ですね?」
「そう。だからシュリーファ商会の従業員には出来るだけ多く売りつける事にしよう」
「――恩を買える様なお金も物も持っていないと思われますが……?」
「我が国の市民候補なんだし、しかも命の対価だ。金や物で買える訳がないだろう?」
そう。
命の対価は命で返してもらう。
ユーリウスの場合は即ち人生である。
が、他の難民達や路上生活者については無視するつもりであるらしい。
確かに他の難民や路上生活者がどれほど居るのかわからないし、シュリーファ商会の従業員以外の面倒まで見るのは不可能であろう。
現実的な判断で結構な話ではあるが、そこはやはりどーんとエレンの難民と路上生活者の全員の面倒をみるくらいの器量が欲しい所である。
「生涯に渡る全員の忠誠が買えるんだから安いもんだよ」
「一体何をするつもりなのですか?」
「戦争準備だよ。エレンの領主軍って言っても、武具の数が三〇〇〇人から五〇〇〇人分程度しか無いって話だしな? 騎士と従騎士、その郎党まで含めて二〇〇人以下だって言うから、限界ギリギリまで集めても六〇〇〇人。実際には全員が指揮をする訳じゃないからもっと少ない訳で、武具の数から言っても五〇〇〇人以下。更に言えば一回の侵攻で終わらない可能性がある以上予備の武具は必須な訳で、最大で見積もっても三〇〇〇人くらい。アイブリンガー子爵の懐具合を勘案したら精々が二〇〇〇人ってところだろう」
一気に言われて唖然としてしまうエリク。
言われてみればその通りではあるのだが、
「それに今回は、あの馬鹿王子は一つだけいい事をしたんだ。エレンの街での略奪暴行は一切禁止ってな」
「どれほど守られるかわかりませんが?」
まず守られる事のない命令であったが、それでもエレンに押し寄せてくる軍勢は自前で全ての糧食を用意して輸送しなくてはならず、その分兵力が減っているのだ。
しかも内戦の常として徴募に応じる市民が殆ど居らず、迷宮堕ちした者達や奴隷を半ば強制的に徴用するしかない為、それほど大量の兵を集める事が出来ない。
防衛側のアイブリンガー子爵とは条件が違うのである。
「略奪暴行が横行するのはバラバラに対処しているからだよ。隠れて略奪暴行が出来ないくらいの規模で纏まってれば問題ない。だから全員纏めて面倒をみる」
「全員ですか?」
「まぁ八〇人くらいならなんとかなるだろ。幸い食料は隠してあるし、船大工の連中はギリギリまで作業してくれるって言うから、いざとなったら船でエレン湖に出ちゃえば追って来る事も出来ない」
「今度の船は八〇人も乗れるのですか……!?」
「余裕だよ。今度のは外輪が二つある三胴船だからね。真ん中の主船体は漁船じゃなくて輸送用の櫂船を改装するんだし?」
「確かに随分と大きな船でしたが……使う場所を選び過ぎるのではありませんか?」
「そうなんだけど、一応三胴船だから喫水は見た目ほど深くないし、今度の船は水上戦も視野にいれないといけないからね?」
それで「あぁ」と納得顔のエリクである。
どうやら水棲の魔物退治に利用するつもりであるらしい。
因みになんとかウオータージェット推進が使えないかと余計な事を考えていた為、動力部は未だ完成していない。
……間に合うのかユーリウス?
次の本編の投稿は明日の朝七時になります。




