第三十四話 商習慣
A.G.2868 ギネス二五七年
霜の月(十の月) 水の週の六日(十二日)
テオデリーヒェン大公国 エレン
その日はエトムントの伝手で見つけた商人との会談である。
エトムントがエレン湖の漁師だった頃に世話になった行商人で、ブランの商会とも取引があるのだと言う。
エレンの街に店を構えているのだが、数人の行商人と組んでエレンとブランを行き来しながら、周辺の農村や開拓村とも取引しているらしい。
「俺の恩人なんだ。不義理はしないでくれ」
「大丈夫。不義理なんてしないよ」
「まぁ、その辺は一応信用してるがよ?」
そう言ってエトムントが案内したのはエレンの南街、河岸(川沿いに作られた船着場)にほど近い緑地広場に隣接する商業地区で、幾つかの商家が立ち並んでいた。
「随分懐かしい名前を見たものだから驚いてしまったよ。死んでしまったのだろうと諦めていたが、元気そうで嬉しいよ」
「旦那も元気そうで。旦那から貰った兜が無ければ死んでおりました」
「そうか。なんにしても生きていてよかった」
どうやらザルデン軍の侵攻の際、エトムントは防衛軍の一員として戦ったらしい。
「それでエトムント、この方たちはどういったお仲間なのかね?」
「へい。今はこの方たちに雇われて船頭をしておりまして、エレンの商人を商会して欲しいと言われて旦那の事を思い出しましたんで。怪しいですがおかしな連中、かも知れませんが、なんていうか、悪い連中じゃありません」
エトムントの台詞で思わず吹き出してしまうユーリウスと商人。
「すまない。この街で商人をしているヨーゼフだ。人は金鴨のヨーゼフと呼ぶ」
「金鴨?」
「あぁ、金色の鴨は我が家の守護精霊様なんだよ」
「金鴨のヨーゼフさん。はじめまして。ユーリウスと言います。灰色の霧が僕の守護精霊でハウゼミンデンの商人と名乗っていますが本当の所は秘密です」
「ほう? ユーリウス殿? でしたかな? 灰色の霧と呼ばれる精霊がどんな存在かはご存知ですかな?」
「もちろんですよヨーゼフさん。ですが本当に僕の守護精霊は灰色の霧なんです」
守護精霊云々を口にする以上、ヨーゼフもヴァテス教徒なのだろう。
そしてヴァテス教徒にとっての灰色の霧と言えば、最高神にも等しい最強の精霊以外には存在しない。
そして灰色の霧が守護するのは魔王の封印、もしくは魔王の迷宮を封じている事になっている為、こうした場で名前が出る事はあり得ないのである。
ヴァテス教徒以外がヴァテス教の教義を馬鹿にしているか、異端の者が魔王の使徒の暗喩として灰色の霧を自身の守護精霊と言っているのか、そんな風にしか思えないのではないだろうか?
「エトムント?」
「それが、その、事実なんで。本物の聖霊様にお仕えする聖女様の弟なんです……何言ってるのかあっしにもよくわかりませんが、見たまんま灰色の霧が守護精霊様だったんです」
再び沈黙してユーリウスを見つめるヨーゼフ。
「……エトムントが嘘を吐いているとも思えないし、君が嘘をついているとも思えないが……」
「混乱させてしまって申し訳ありません。守護精霊の件は別にして、今日は塩の取引をお願いに来たのです」
少し不味かったと思ったのだろう。
守護精霊云々というヴァテス教徒の商人達が行う定形の挨拶を保留にして、本題に移るユーリウス。
「塩ですか。ザルツ山地の岩塩であればお譲りできます」
「ありがとうございます。先ず二〇イルジ。出来れば三〇イルジほど手に入れば、と思っております」
とても一〇歳かそこらの子供――少なくとも外見はそのくらいにまで成長している――とも思えない受け答えであったし、取引量が既に普通の子供が口にできる様な単位ではなかった。
「――三〇イルジ、ですか……支払いはどうなりますか?」
「銀貨か魔石で」
「ほう? 塩の対価に魔石、ですか?」
「ええ、魔石です。エリク」
と、ヨーゼフから目を離さず片手を上げると、図ったかの様に小ぶりの革袋が手渡された。
「確認ください」
中身はもちろん魔石である。
「……三〇イルジでしたな。どちらへお運びすればよろしいでしょうか?」
「東の外れの倉庫群へ。あ、そうそう、荷車と馬車、輓馬二頭に騎馬を一頭、それに小麦と大麦を買えるだけ」
その台詞と同時に今度は小ぶりの革袋一杯の魔石が手渡される。
流石に驚きなにやら口を開こうとした瞬間に、再度ユーリウスが一言。
「余った分は差し上げます」
「……賜ります。早急に用意させていただきます」
「お願いします。今後も良きお付き合いが出来る事を願います」
「はい。ユーリウス様、末永くお付き合いさせて頂きたく存じます」
微妙な目をしたエトムントを尻目に、契約書の類を交わさず店を出ようとするユーリウス。
流石にヨーゼフも慌ててせめて契約書を、と引き止めるが、笑って取り合わない。
「守護精霊様が見ておられますから」
ヨーゼフの方は一体どう対応すべきか真剣に悩んでいたが、帰り際にエトムントが囁いた台詞で完全に陥落した。
「旦那、あの小僧は本物なんで、本物の守護精霊様がついてらっしゃるんで、本当に嘘を吐いたら守護精霊に引き裂かれますんで……」
ヨーゼフもその守護精霊が神話に出てくる本物の「灰色の霧」であるとまでは思っていないが、強力な精霊の守護があるか、それなりに強力な精霊使いが仲間に居るのだろうと思う事で納得する。
それがどんな存在であれ、手にした魔石は本物であったし、多少の無理を通して急いだ所で得られる利益は莫大だったのだ。
文句など欠片もなかった。
ユーリウス達による倉庫群とその周辺の農地の購入は、あっさりと受け入れられていた。
どうやら持ち主も扱いに困っていたらしく、渡りに船という所であったらしい。即座に役場に届け出を行い、エレンの行商人組合への登記と、納屋組合への登記を行ったのである。
「そういう訳で、僕がこの倉庫群の持ち主って事になった。それでここに居る全員を雇いたいとおもってるんだが、どうだろう?」
どうだろう?
と言われても答えに困ってしまうだろう?
「仕事の内容は色々とあるが、当面の目標としてはハウゼミンデンとの貿易が主業務になる予定だ。それでこの倉庫群を使う。しばらくは今まで通りここで生活してもらうが、準備が整い次第全員に引っ越してもらう事になる。あぁ、もちろん引越し先はこちらで用意する」
そこで一人の男が手を挙げた。
「いいだろうか?」
「あ、全員質問の前に名前を言ってくれ。どうぞ」
「カールだ。全員を雇うと言うが、俺は農民だ。簡単な力作業と農作業くらいしか出来ないぞ?」
「大丈夫だ。問題ない。この周辺の農地も全て購入した。農業が得意な者には農業をしてもらう。もちろん出来た作物も買い取ろう。他にはあるか?」
「ハーゲンだ。屋台を曳いている。元は兵士だった。俺に出来る様な仕事はあるのか?」
「文字の読み書きは出来るか?」
「自分の名前くらいしかわからない」
「兵士の仕事がしたいという事でいいか?」
「小荷駄の護衛くらいならしたことがある。行商人なら護衛が必要なんじゃないのか?」
「いいだろう。後で腕試しをしてもらう。護衛として雇うかどうかはそれからだ」
「わかった」
「他には?」
と、そんな感じで質疑応答を進め、文字の読み書きが出来る者、計算が得意な者、それからこれまで通りの仕事を続けたい者、以前の仕事に近い職を望む者等を振り分ける。
が、文字の読み書きが出来る者は全滅で、大半は自分の名前が書けるだけ。唯一ラネック騎士の未亡人というイルマがブランデールと呼ばれるゲルマニアの文字を一通り書けただけと言う有様であった。
「識字率は一体何パーセントになってるんだか……あぁ、どおりで通りの看板に文字が見当たらなかった訳だ」
それでも屋台曳き組は全員ある程度の計算が可能であったし、小額貨幣だけとは言え貨幣体系についても知識があった事から、全員を生まれたばかりのシュリーファ商会の事務員として雇う事にしたのである。
因みにシュリーファ商会の会頭はユーリウスで、副会頭はエリクとなっている。
「仕事の内容は難しく無い。倉庫の清掃と維持管理に、品物の管理と出入庫の管理、といっても未だしばらくは倉庫の清掃と維持管理くらいだから、必要な事は少しづつ覚えていけば良い。しばらくは暇だろうから屋台曳きを続けても良いが、その場合はエリクの指示に従ってくれ」
色々と言っている様だが、実際の所はエリクに丸投げである。
ハウゼミンデンとの貿易という形にして、ここを拠点に神殿との貿易を行うのだ。
給料は安い。
バカバカしくなるほど安いが、食事は賄いとして出す事になっている為、衣食住は商会持ちという事になる。
拠点を作って適当な人物に任せ維持させるという作業は、既にエリクがグリーフェン砦で経験済みであったし、必要な物を安い時を見計らって購入して倉庫に保管し、売るか他の所へ持って行くかを決めるのが基本であるから、素人商会でも慎重に取引を行えばなんとかなるだろう。
「エリク、商人のヨーゼフとは仲良くしておいてくれ。色々と協力してもらう事になる。それから幼馴染の行商人が居ただろう?」
「は、はい!」
「エレンに拠点を移してもらう事は出来ないか?」
「――それは、その、か、可能かと思います」
「ならばここを拠点に活動してもらってくれ。予算もウチから出して構わない。グリーフェン砦に辿り着いた者達が居れば、申し訳無いがその者達もここに移って貰おう。後はボニファンと相談して問題の無い者を。わかるな?」
「はっ!」
「あぁ、もう一つ、ザルデン系の移民やブランザ系の難民、迷宮堕ちしている者でも構わないから、これと思う者が居れば拾っておいてくれ。使える様なならこれも任せるが、人選は慎重に頼む」
「わかりました。お任せ下さい」
エレンの拠点が活動を始める事になった。
後はヨーゼフが注文の品を運び込んでくれるのを待って帰還するだけである。
「――十二年か……」
諦めたらそこで試合は終わりらしいぞ?
頑張れユーリウス。
次の本編の投稿は明日の朝七時……頃になります。




