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第三十二話 湖畔の街エレン

A.G.2868 ギネス二五七年

霜(雪)の月(十の月) 水の週の四日(一〇日)

テオデリーヒェン大公国 エレン



 エレン湖の湖畔にちょっとした拠点を作り、人の街では動き難いフィームを留守番にして、ユーリウス達はエレンの街にやって来ていた。

 一応ハウゼミンデンの商人という触れ込みであったが、未だ二年前に受けた戦災の爪痕がそこかしこに残る現状では、そんな触れ込みなど必要なかったかもしれない。

 二年前の戦いでは大量の難民を出したというエレンの街であったが、ザルデン王国からの移民が大挙してやって来ていたのである。


 人が集まれば当然そこには需要が生まれ、それを満たす為に供給が生まれる。

 問題は、その需要と供給の波に取り残された人々が大量に存在していた事だろう。

 少々心に期する所はあったとしてもそれはそれとして、エトムントは昔の伝手を辿って商人とのつなぎを取るために動いており、ニクラウスは工房で使用する予定の様々道具類の発注に駆けまわっている。


 当然、エリクの出番となる商人との交渉は未だであったし、暇を持て余したユーリウスが素直に留守番などしている訳が無かった。

 要するに、ユーリウスはエリクを連れて観光していたのである。

 ただ歩きまわって買い食いをしいるだけの様に見えるが、グリーフェン砦を「人の街」だと思い込んでいたユーリウスは、古都エレンを巡ってその考えを改めていた。


 旧ブランザ王国発祥の地である古都エレンは、エリス湖湖畔の小さな丘を中心にした城塞都市として生まれた。

 魔の森の開拓とエリス湖の恵みによって発展し、迷宮を得てからは急速に軍事力を伸ばして周辺の都市国家群を制圧し、エレン湖からハルツ川に至る広大な地域をその支配下に置いた。

 当時の面影を色濃く残していたという王宮は焼かれ、最も美しい街の一つとして知られた旧市街の大半も焼失してしまっていたが、それでも都市としての機能はそれなりに残っており、ブランやエレンホルといったエレン湖湖畔の諸都市や、ハルツ川及びレーベン川の諸都市との水運による交易についても完全には止まっていない。

 何よりゲルマニアの諸都市を結ぶ、エレン大道と呼ばれる交易路の起点となる都市なのだ。

 戦災による衰退があったとは言え、それなりの経済力は残っている。


「……これは勿体無いな。ある程度の投資で一気に復興するだろうに」


 何ヶ所も存在しているらしい河岸そのものといった港と、略奪にあったらしい破壊された倉庫群を見て溜息を吐くユーリウス。

 そんな街であるにもかかわらず、「迷宮堕ち」寸前の所で踏み止まって、なんとか復興させようと奮闘する人々が多いのだ。

 そうした人しか残らなかっただけなのかもしれないが、恐らく彼らにとってはそれだけ良い街だったのだろう。

 問題は、城壁に囲まれた旧市街とその周辺を一掃し、急速に東部リプリア風の市街地を建設しつつあるザルデン系住民達である。

 彼らからすれば、住民の居なくなった場所に新しく街を作っているだけなのだが、元からこの街に住んでいた者達にすれば、とても黙って見ていられない様な暴挙と映る。


「移民政策と同化政策か」


 それがどれほど難しい施策なのか、前世の記憶があるユーリウスには良く分かるのだ。

 国内の事だけを考えてしまえば、全員追い出してしまう方が手っ取り早いのである。

 事実、世界中に存在していた流浪の民、所謂ロマとかジプシーと呼ばれる人々は、そうして生まれているし、ユダヤ人などはその典型といえる。


「それにしても、なんで一々廃墟を造り直してるんだ? 他の所に一から造る方が安上がりだと思うんだけど?」

「ユーリウス様、それはあの中に迷宮があるからですよ」


 ユーリウスの呟きにエリクが答えた。

 言われてみれば当然の事であった。


「なるほど。迷宮の支配者がその土地の支配者、だったっけ……」

「はい。そう言って良いと思います」


 自ら破壊した城壁と旧市街の復興、それも住民を完全に入れ替えた上での作業である。

 馬鹿馬鹿しい程無駄の多い復興計画であったが、迷宮を中心に考えて見れば当然の事なのだろう。

 ユーリウスからすれば、この都市の特徴であるエリス湖とその水運を中心にした方が発展し易い様に思えるのだが、それはユーリウスがこの地の常識に疎いからだとしか言えない。


「迷宮か……迷宮に依存し過ぎていて怖いな……」

「ラネックから来たばかりの頃は、ボニファン様も同じ事を仰っていました」

「というと、ラネック王国では違うのか?」

「はい。迷宮は迷宮組合が管理する物でしたし、迷宮組合の探索者達以外、余程の事が無ければ迷宮を食べようなどとは思いもしません」


 言われてみれば、ボニファン達は迷宮の無い場所で、ユーリウスのイメージする農村そのものという感じの開拓村を作っていたのだ。


「なるほどなぁ……ブランザ王国の常識はちょっと特殊だったわけか」

「リプリア王国のクラメス教団などは、未だにブランザの民を魔族扱いする者がいますからね。迷宮に惑わされた異端の民だそうです」


 それはユーリウスが初めて聞く話であった。


「クラメス教団?」

「はい。天空の唯一神を信仰する連中で、リプリア王国の国教となってからは凄まじい勢いで信徒を増やしました。アレもダメ、コレもダメなんてのが多すぎて面倒なんで、ゲルマニアでは少数派ですがね。精霊様の祝福があるゲルマニアと見捨てられた土地であるリプリアでは条件が違い過ぎますから」


 確かにゲルマニア以北には精霊信仰が基本となっているヴァテス教徒が多い。

 身近に信仰の対象となる精霊達が多く棲む土地であるから、それも当然と言える。


「そう言えば、ザルデン王は元々リプリア王国の……なんとかって大公様だったっけ?」

「ディッタースドルフ大公国ですね。そうです。敬虔なクラメス教徒だそうですよ? この街を見ていると何処まで敬虔なのかはわかりませんけど」


 そう言って苦笑いするエリク。

 ザルデン王が真に敬虔なクラメス教徒であれば、迷宮を中心とした都市建設など行う訳が無かった。

 エレンを攻略した時点で、同時に迷宮を攻略して破壊していただろう。


「合理的で現実主義の癖に敬虔な信徒でございますって顔をしている訳だ。面倒な王様だな」

「そうでなくては、ディッタースドルフとメンディスの両大公国に加えて、ザルデン王国の支配者になどなれませんでしょう」

「挙句に旧ブランザ王国の過半を支配して、テオデリーヒェン大公国の実質的な支配者様だもんな。しかし、エリクは一体何処でそんな情報を手に入れたんだ?」

「これでもラネック王国の従騎士でしたから。ある程度の騎士教育は受けております。まぁ大半は難民捜索の時に知り合った行商から聞いた話なんですがね?」


 そう言って笑う。

 ボニファンとエリク。中々良い主従だと思う。

 もちろん、そうでなくてはまともな支援も無しに、ゼロから開拓村を開いて発展させる事など不可能であろう。

 と、そこでなにやら絹を引き裂く様な悲鳴が聞こえて来た。

 殆ど反射的にそちらへ駆け出すユーリウスと、駈け出したユーリウスを慌てて追いかけるエリク。

 なぜそこで面倒事に首を突っ込む様な真似をするのだろう?

 しかも最大戦力である妖精族(エルフ)のフィームはこの場に居ないのである。

 

「やめてください! お願いします! やめてください!」

「やめるのはお前らだと言ってるだろうが! 誰のお陰で商売が出来るとおもってるんだ!」


 屋台らしき手押しの車を破壊している数人の男達と、倒れている娘を抱えた女性の姿を見て、思わず立ち止まったユーリウスが天を見上げた。

 薄く細い雲が数条棚引く秋の空である。


「止め――!!」

「しっ、ダメですユーリウス様!」


 と、ユーリウスが止めに入ろうとした所を、その寸前で口を塞いで羽交い締めに抱きかかえるエリク。

 グッジョブである。

 モゴモゴと何やら叫んでいるらしいユーリウスの耳に囁く。


「ユーリウス様は執行猶予中なのでしょう? 下手な動きは控えて下さい」


 執行猶予中の言葉が効いたらしい。

 ユーリウスの身体から力が抜けた。


「……ごめん、エリク……でも、なんであんな酷い事を……」

「酷くはありません。聞いていたはずです。あの母娘は何か決まり事を守らなかった。だからその報復を受けているのです。他の者達を見て下さい。受け入れているでしょう?」


 その通りであった。

 納得の行かない顔をしている者は確かに多いが、それを止めようとする者は一人も居ない。

 もちろん暴力が恐ろしいと言うのもあるのだろうが、そうであるなら役人を呼ぶなり衛兵を呼ぶなり出来るはずなのだ。

 が、そうした動きは無い。

 しばらく見ている内に、騒ぎを聞きつけてやって来たらしい数人の衛兵達も、それを見て何も言わない。

 それどころか乱暴していた男達に挨拶までしている。

 水戸のご老公様が見たらキツくお仕置きしてくれる事間違いなしの状況であった。


「なんなんだ? なぜ誰も助けようとしないんだ? 一体あの母娘が何をしたって言うんだよ!?」

「ユーリウス様。落ち着いて下さい。多分、あの母娘はラネック系の住民なのでしょう」


 その言葉でユーリウスも朧気ながらその状況が理解出来た。

 漸く満足したのか、男たちが立ち去った後、のろのろと力無く動きだす母娘。

 二十代の後半といった見た目の母であるが、実際には未だ二十代前半だろう。

 娘は十四から十五歳といった所だろうか?

 疲れきった様子で立ち上がるが、何処か身体を打ったらしく、涙を拭いつつ顔を顰めている。

 そしてそれを見つめる周囲の者達の冷たい目……。


「――そういう事かっ……!」


 旧ブランザ王国の住民からすれば、憎き侵略者であり、ザルデン王国の者達からすれば、自分達への憎しみの矛先を逸らす為の標的な訳だ。


「エリクはなんとも思わないのかよ?!」

「私が、何も感じていないと思いますか?」

「――ごめん、エリク。八つ当たりだった。もう大丈夫だから。離して」


 ユーリウスをその場に下ろすと、隣にしゃがみ込んで諭す様に言うエリク。


「私は大丈夫です。ここに居ても仕方ありません。私達に出来る事は何も無いのです。ほら、他の者が立ち去るのに合わせて行きますよ?」

「――行かないよ」

「ユーリウス様?」

「ほっとけない。このまま見過ごしたら、俺が俺でいられなくなる!」

「ユーリウス様!」


 大バカ者である。

 泣きながら壊されたり撒き散らされた道具類を集めている二人の元へ行き、片付けを手伝い始めるユーリウスを見て溜息を吐くエリク。


「……嫌いじゃないんですけどね。そういう所」


 もう既に手遅れかと、倒れている屋台を引き起こすのを手伝うエリク。

 最初は怯えていた母娘であったが、エリクがラネック訛りで話しかけた事で落ち着きを取り戻した。

 予想通りだったらしい。

 予想外だったのは、旅姿であった二人を見て母娘がユーリウス達を招待してくれた事と、ユーリウスが招待を受けてしまった事である。


「いいじゃないかエリク。どうせ泊まる所も未だ無いし、下手な宿に泊まるより安心だろ?」

「そういう問題じゃありません。戻らなければフィームが心配しますし、エトムント達はどうするんですか?」


 との台詞には「あのさ、俺達他にも仲間が居るんだけど、そいつらも一緒で良い?」などと問いかけた挙句に笑いながら許しを貰ってしまうという斜め上の結果になる始末。


「大丈夫ですよ。同郷の人が来ればみんなも喜びますから。あぁ、忘れてました。私はイルマ、この娘がベルタです」

「私はエリク。この子は主筋のご子息でユーリウス様と言う」

「――まぁ……主筋と言うと、もしかしてお貴族様でらっしゃいますか……?」

「いや、行商人だよ。雇い主ってだけ」

「まぁまぁ……それは……その、ご招待しておいて今更なんですが、その、みすぼらしい場所になりまして……」

「気にしない気にしない。野っ原でだって眠れるんだから。そんな風に気を使われたら困っちゃう様な連中しかいないよ」


 それで本当に気にしなくなってしまう素直さが民草というものなのだろうか?

 ひねくれまくりのユーリウスには、是非とも見習って欲しいものである。

 そんなこんなでイルマに招待されて辿り着いたのは、エレンの街の東の外れ、幾つかの倉庫が立ち並ぶだけの寂れた場所であった。

 傾き始めた日差しのその先には、数人の農夫がなにやら作業をしている、荒れ気味の畑が広がっている。


「ベルタ、先に行ってお客様が来るって伝えてくれる?」

「わかった!」


 随分酷い目にあったばかりであると言うのに、即座に駆け出すベルタ。

 ベルタが駆け込んだ先を見れば、まさかと思いつつも予想が間違っている事を望んでいた倉庫の一つであった。


「――もしかして、アレ?」

「はい。親切な方が貸してくださっているのです」


 壊れてガタつく屋台を押しているエリクと顔を見合わせ、再び倉庫を見れば中から数人の子供達が駈け出して来るのが見えた。

 何やら叫んでいるベルタの声が聞こえたのだろう。

 更に数人の大人が中から出てくる。


「あの、何人くらいで生活しているのですか?」

「あ、言ってませんでしたね。全部で八〇人くらいだと思います。時々数が増えたり減ったりしているので、正確にはわかりません」


 予想外だった。 

 


挿絵(By みてみん)






次の本編の投稿は、明日の朝七時になります。

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