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閑話 傭兵 04

閑話です。


A.G.2867 ギネス二五六年

地の月(四の月) 地の週の五日(五日)

テオデリーヒェン大公国 ブラン



 

 恐らくヘルムートの根回しが良かったのだろう、どこか諦観の色が見える瞳で討論が続いていた。

 

(だが少なくともご隠居様(エジード)は何か知ってるな。あの爺さんにとっては、俺達は既に過去の存在になりつつあるわけだ……)


「防火対策の水桶設置は決定で良いかな?」


 反対は出なかった。が、エジード爺さんが手を挙げている。


「なんだいご隠居?」

「水桶の予算は儂の所から出そうと思っての?」


 その言葉に不思議そうな顔をする商人達。

 非常にありがたい話なのだが、その目的がわからない。

 ご隠居のくせに未だ複数の行商人達に金を出し、独自の伝手で商売をしているやり手の爺なのだ。


(どんな目的があるのか……いや、もう関係のない話か)


「……それはありがたいお話ですが――」

「俺も一口乗らせてもらおう」


 ざわめきが広がっていた室内の空気が凍った。


「ルートガー殿も?」

「あぁ、フェルデ区に置く水桶は全て任せていただきたい」

「ほう? ならば残りは全て儂が用意しても良いかな?」

「お任せする」


 何を勝手に決めてるんだ、とは思っても、ゲオルグには反対する理由が見つからない。


(一体何が目的なんだ? まさかこの歳になって慈善事業に目覚めたとか……無いな。ルートガーが乗っている以上あり得ない。くそ、ヘルムートが居れば……!)


 他の代表達にも反対する理由など無い。


「――反対はありませんね?」


 無かった。


(もう良い。わからんものはわからん)


「では最後の議題、自警団についてだが……」

「その装備全ては無理だが、自警団の皆さんが羽織る揃いの上衣くらいはウチで用意させてもらっても良い。といっても夏と冬の二種類程度しか用意出来ないが、どうだい?」


(わからねぇ。こんな目をした爺の何処が「隠居」なんだ? じゃねぇ、一体何が目的なんだ?)


 必死で思考を巡らすゲオルグであったが、やっぱりその目的がわからない。

 もちろん何らかの利益を見込んでいるのは確かであったが、何処をどうしたら利益が出るのだろうか?

 これまでの人生でも最大級のストレスを感じながら、何かヒントは無いかと周囲を見渡す。


「――大変ありがたいお話です。どなたか他には……居ませんね」

「じゃあ決まりだね。ついでじゃしの、傭兵さん達の分も用意させてもらうよ。色の指定なんかはあるかい?」


 が、ヒントなどあるわけがない。


(おいおい、全部で一〇〇着だぞ?)


 防火用水の為の水桶数百個に自警団及び傭兵達の上衣。

 一から作れば銀貨(スヴァン)で数百枚分にもなるだろうか?


「一目でそれと判れば十分です」

「なるほど。一目でね? そうじゃ、折角じゃしの、昼間は必要無いかね? 傭兵の皆さんには世話になっておるからの。寒い時期と暑い時期の二種類、もちろんどちらも防水の物を用意させてもらうが?」


 傭兵の分まで用意するだと?

 流石に他の代表達も不安になってきたらしい。

 何が目的かわからない「善意」ほど恐ろしいものはないのだ。


「――さ、流石にそこまでしていただく訳には……」

「なぁに、大した額じゃあない」


(いや、大した額になると思うぞ?)


 昼間の分と言えば、一六〇着が二種類で三二〇着。夜の分まで含めて全部で四二〇着にもなる。

 銀貨(スヴァン)どころか金貨(ロアン)が必要になる量であった。


(正気かこの(じじい)は?)


「まぁまぁ、老い先短いこの爺の最後の善行だと思ってくれたら良いさね」


(善行?)


 「考えろ、この爺はあの(・・)ヴェッツェルだった男だぞ」と、額に汗を滲ませながら必死で思考を巡らすゲオルグ。

 だが相手は旧ブランザ王国でも最大級の商会として、ゲルマニア全土に支店を持っていた豪商だ。

 「ヴェッツェル」では当主となった者が代々その名(ヴェッツェル)を受け継ぎ、巨大な商圏を支配してきた。

 その先代ヴェッツェルがこのご隠居様である。

 なんでもブランザ王国の滅亡とラネック王国による弾圧を切り抜けた手腕は伝説級であるらしい。

 もっとも、今のヴェッツェル商会はブランの商会としては最大級ではあるが、リプリア王国やザルデン王国の巨大商会に押されて気味である。


(そんな状況下で動き出した伝説的な先代ヴェッツェルが単なる「善行」だと?)


 それだけはあり得ない。


「なるほど……そうするとルートガー殿も善行ですか?」

「悪いかね?」

「いえ。素晴らしい事であると思います」


(……諦めよう)


 なんとか恩を売れたらとは思っていたゲオルグであったが、相手があまりにも悪すぎる。

 軽く転がされて終わりであった。


「ですが、そうですね。全てをお任せするというのも心苦しくありますので、私の「シルス湖の竜」の分は我々の方で仕立てさせてもらいましょう。本契約の隊員だけになりますから、六〇着づつ二季分で一二〇着程度ですが。そのくらいはこの街の為に使わせて下さい」

「……ほう?」

「善行ですよ、善行」


 引き攣った笑みを浮かべて「一口噛ませろ」と伝えてみる。が、どうやら大丈夫らしい。


(恩を売るのは止めだ。何が目的か知らんが一口噛ませてもらおう)


 もしコレが本当に「善行」であったなら、傭兵団「シルス湖の竜」の財政状況は一気に破綻寸前まで追い込まれるだろう。

 が、ゲオルグの勘が「何が何でも喰らいつけ!」と言っているのだ。

 どうやら無意識の内にここが戦場だと感じていたらしい。

 ここが戦場であるならば、自身の勘には些かの自負があるゲオルグだった。

 どうなるかはわからないが、恐らく勝ち馬に乗れるだろう、と、勘を根拠に安堵する。


「ではよろしいですかな? そうなると自治会予算からの支出は……随分と減りますね? えっと、改めて次の機会に報告させてもらいます。では今日は以上ですね。皆さんお疲れ様でした」



 ……で、終われば楽なのだが、会議の後は持ち回りで宴会(パーティー)になるのが恒例となっている。

 しかも今回は初めて顔を合わせたミューレ・オーラント両地区の代表者も来ているし、宴会(パーティー)の主催はこちらから参加をお願いしたルートガーである。

 参加しない訳にはいかなかった。

 

「傭兵さん、お疲れの様ですけど、どうしたのかしら?」

「あぁ、お嬢さん、ちょっと飲み過ぎただけです。大丈夫ですよ」


 立食式の宴会であり、出席者もほぼ全員が平民である。

 当然然程堅苦しい物ではなかったのだが、開始から延々と挨拶攻勢が続いた後であった為、ゲオルグも少々疲れていたらしい。

 女が近づいて来るのに気づかなかった。


「飲み過ぎ、ですか? それは一杯目のグラスですわよね?」


 どうやら観察されていたらしい。

 しかも副官(ヘルムート)が居なくなった所を狙い撃ちである。

 ただでさえ今夜は人が多い。会議の参加者だけでなく今後会議に参加する可能性のある者全員が招待されている為、知らない名前が多すぎて挨拶だけで疲れてしまっていたのだ。

 副官(ヘルムート)が居ないとこの女が宴会の参加者なのか、主催者(ルートガー)側が呼んだ遊女なのかもわからない。


「おや、どうやら見られていた様ですな。お恥ずかしい」


 諦めて「代表達の親族への対応」に出るゲオルグ。


「えぇ、最初からずっと傭兵さんの事しか見てませんでしたわ」

「ほう?」


 では遊女なのか? と、改めて観察するが、遊女らしい媚びた様子が見えない。


「失礼致しました。私、ミューレ区の妓館で「エリス湖の百合」の代表を勤めております、マルティナと申します。どうかお見知り置き下さいませ」


 やはり知っている顔と名前では無かったが、余計に訳が分からなくなるゲオルグ。


(つまり宴への参加者、ミューレ区の代表達の一人ってことで良いんだよな? ……わからん。俺の脳味噌(ヘルムート)よ! 早く帰って来い!)


「これはご丁寧に。私はゲオルグ。しがない傭兵でございます。美しいお嬢さん」


 わからん時はとりあえず褒めておけ、がヘルムートの指示だった。

 実際マルティナは美しい。褒めるのは簡単な話である。


「お嬢さんはおやめ下さいな」

「ではマルティナ、そう呼んでも?」

「えぇ、もちろんですわ。私もゲオルグと呼ばせて頂いてもよろしいかしら?」

「もちろんですよマルティナ。あなたほど美しい方に名前を呼んで頂けるとは、これほど喜ばしい事はありません」

「――まぁ、お上手ですわね? これもあの副官さんの指示ですの?」


(バレてる!)


「本心ですよ。マルティナ。あなたの瞳は故郷のシルス湖を思い出す。溶けることの無い雪を戴くヴァイサーベールの峰々を映す、何処までも深く青い湖。その畔に咲く一輪の赤い華があなただ」


(……あれ? 口説き文句になっちまったぞ……?)


「ま、口説いてらっしゃるのかしら?」

「これは失礼しました。ですが本心ですよマルティナ」

「――おや、これはこれは、百合の君と竜の主がご一緒とは、私が紹介する予定だったのですが、中々お手が早い」


 ルートガーであった。


(はてさて、「お手が早い」の台詞は俺とマルティナ、どちらに向けて言った台詞だったのかね?)


「これはルートガーの旦那、近頃は何処ぞのお貴族様に気に入られて、可愛い手下が何人も取り立てられていらっしゃるそうじゃありませんか、挙句に自治会代表会議にまでご出席とは。ご出世でございますねぇ?」


(待て、初耳だぞ? 俺はルートガーが貴族に目を付けられて――あぁ、嫌味だったのか……。貴族に取り立てられたら天国だったって落ち。怖いなこの女(マルティナ)


「ありがとうございます。お陰さまで出世させて頂きましたよ。今後は宿泊業組合の一員として、マルティナ殿にも何かとお世話になる事が増えると思います。どうぞ宜しくお願いします」

「宿泊業組合ですって……?」

「おや、ご存知ではありませんでしたか?」

「全く知りませんでしたわ。階段を駆け上がる者は降りる時も早いと申します、どうかお気をつけ下さいませ」

「はい。これまで通りゆっくり堅実に往かせていただきます」


 ゲオルグにはそれが嫌味の応酬である事以外は理解出来なかったが、特に仲が悪いという訳でも無いらしい所が不思議であった。


「――お二方はお知り合いで?」

「えぇ、知っておりますとも」

「それはさて置き、ゲオルグ殿、少しあちらでお話出来ませんでしょうか?」


 あちら? と、視線を向けると、ゲオルグの脳味噌(ヘルムート)ご隠居様(エジード)が何やら真剣な顔で話込んでいる。


「あ、あぁ、そうですね。伺いましょう。マルティナ嬢、心残りではありますが、少々込み入った話がございまして、今宵はこれにて失礼させて頂きます。この埋め合わせは何れ改めて……」


 と、マルティナの手をとって軽く腰を下げる。

 一応の宮廷作法くらいは知っている男なのである。


「お引き止めするつもりなどありませんでしたが、改めてとおっしゃるのであれば、是非。楽しみにしておりますわ」


(くそ、この女、社交辞令と知ってって言質とりやがった!)


 軽く笑いながらその場を後にし、ゲオルグを見る目が完全に凍り付いているヘルムートの下へと向かう。


「――酒、もっと飲んでおけばよかった……」


 因みにこの日、ゲオルグは二つの誓いを立てた。

 よくわからない商売には手を出さない。

 そして、知らない大人の後には絶対に着いていかない、である。




本編の投稿は明日の朝七時になります。

傭兵隊長ゲオルグの物語。

本編に出てくるのはまだまだ先の話になります。


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