閑話 傭兵 03
閑話です。
A.G.2867 ギネス二五六年
地の月(四の月) 地の週の二日(二日)
テオデリーヒェン大公国 ブラン
ルツの商人という触れ込みであったアシルとの邂逅から二週間ほどが過ぎていたが、その間ザルデン系住民からの要求があった訳でもなく、商業関連での問題が起こる訳でもなく、ブランの街、とりわけフェルデ・マールスドーフ両地区の日常は平穏そのものであった。
ゲオルグとその配下にある傭兵たちの努力がもあるが、統治の責任者であったエアハルト男爵の単純明快な統治方針が功を奏している。
即ち生まれがブランザであろうとラネックであろうと、ザルデン王国の法に従うかぎりは同じザルデン王国の国民として扱う。
そういう事である。
それまで徹底的に虐げられてきた旧ブランザ王国の民からすれば、まさに救い主の如き存在であったし、今度は自分達が同じ目に合わされるのではないかと戦々恐々としていたラネック系住民は安堵した。
もちろん新たに移住してきたザルデン系、リプリア系住民からすると少々物足りない気持ちにならないでもないのだが、同じ国民であり同じ扱いだと言うのであれば、表立っては文句も言えない。
なにより殆ど断絶状態であったラネック王国以北の国々との交易も復活した上、リプリア王国との交易も復活したのである。
この巨大な経済圏の中継を担うのは、当然ながらザルデン王国の商人達であった。
折角の儲け話に水を指し、お偉いさんから睨まれる様な真似は誰しもしたくない。
ゲオルグ配下の傭兵たちも、その多くがゆすりたかりで小金を稼ぐより、信頼されて感謝される事の喜びに目覚めている。
「……平和だなぁヘルムート」
「そうですね」
「こうしていると、平和ってのも中々いいものじゃないか?」
「そうですね」
「こんなにのんびりしたのは一体何年ぶりだろうなぁヘルムート」
「そうですね」
「――お前、人の話を聞いてないだろ?」
「そうですね」
フェルデ・マールスドーフ両地区は平和であった。
少なくとも表面上は。
お陰でエアハルト男爵が唯一許可した治安利権とも言うべき、商人達からの「自主的な献上金」も多く集まり、巡回の回数や配置する人員が増やせて、治安が良くなった事で人が以前より遥かに多く集まる様になり、経済は大きく回って商人達はもちろん一般の住民達からの信頼も高まり、その感謝の気持ちが「自主的な献上金」という形で還元されて、と、実に良好良質な発展と拡大の循環が生まれていたのである。
問題は、ゲオルグのフェルデ・マールスドーフ両地区以外はそれほど上手くはいっていなかったという事だろう。
そう。
あのエアハルト男爵がこの状況を見逃す訳がなかったのである。
「なぁ、ヘルムート、そろそろ戦がしたくならんか?」
「……そうですね」
「こんな仕事は俺達のやるべき事じゃないと思わないか?」
「…………そ、う、で、す、ね!」
「なぁヘルムート。一体俺達は何処で間違えちまったんだろうなぁ……?」
「四年前、貴方に命を助けられた時だと思いますよ。今更どうしようもありません」
「……なぁヘルムート。やっぱり人手が足りないよな?」
「増やして下さい。その為の書類がこれです。あとランプレヒト坊やもウチの傘下に入れて欲しいらしいですよ?」
向かい合わせに二つ並べられた大きな机の正面から、数枚の脂紙(迷宮素材から作られた紙)をゲオルグの前に放り出す。
因みにランプレヒトはファラング都市国家連合出身で、先週までエリス攻略の支援部隊として雇われてた傭兵部隊の隊長である。
ローデンステッド大公とマルク伯爵との小競り合いで共闘した事がある男で、若いが戦の流れを見るのが上手く腕っ節もかなりものだったと記憶していた。
「そうか。あのランプレヒト坊やがねぇ……?」
人員補充の申請書は無条件でサインした。
本当に人が足りないのである。
とは言っても申請書であるから、この書類をザルデン軍ブラン占領軍司令部改めテオデリーヒェン大公国軍総司令部に持ち込んでも、それが通るかどうかはわからない。
上手くエアハルト男爵の元まで届いてくれれば確実に通るだろうとは思うが、そこに至るまでに却下されてしまう可能性が高かった。
(どうせ通らんかならなぁ……)
既に人員増の予算請求は完全に諦めている。
エアハルト男爵はゲオルグを重用してくれているが、その配下と周辺貴族が盛大に足を引っ張っている。
ザルデン王とその軍勢――メンディス大公国軍やディッタースドルフ大公国軍に、リプリア王国の諸侯軍が含まれていた――が帰還した途端に傭兵向けの支出が絞られてしまっているのだ。
テオデリーヒェン大公エドウィンとその取り巻きが実権を掌握しつつあると言う事なのだろう。
「バカ王子」との印象は強いが王族は王族である。
余程の事がない限り、近い将来エアハルト男爵は今の地位を追われ、それから程なく自分達もお払い箱となるはずであった。
もちろんそんな事は口が裂けても言うつもりは無い。
一発で士気が崩壊して総崩れになる。
だから自身が最も信頼する、副官であるヘルムートにすら伝えていないのだ。
「三〇名か……却下だな」
「隊長?! 人手が足りないんですよ!! しかもフェルデ・マールスドーフ両地区に加えてミューレとオーラントまでウチの管轄になるんです!! 二〇〇人そこそこの人員でどうしろって言うんですか!!」
実の所ゲオルグにはどうしようも無かったのである。
「自治会から人を引っ張る」
「は?」
「だから正直に予算が無い事を伝えて、自治会から人を出してもらう」
要するに自警団を組織すると言うのだ。
「それは、街の連中を使って警備をするって事ですか?」
「もちろん主力は俺達になるが、夜間の巡回くらい交代なら手伝えるだろうよ。太鼓か笛でも持たせて何かあったら鳴らせば良いにする」
ヘルムートは沈黙したまましばらく口を開かなかった。
次第にピリピリとした緊張感が漂い始めたが、ゲオルグが何も言うつもりが無い事を察したのだろう。大きな溜息を一つ吐いて口を開く。
「――わかりました。夜間巡回への協力を求めましょう。どんな体制にするかくらいの事は考えてますよね?」
「一応はな。今ある二人一組から、傭兵一人に住民三人の組に編成し直す。それで各地区一〇組づつ四〇人、それに加えて、待機組四〇人二〇人づつを、フェルデ・マールスドーフの中間とミューレ・オーラントの中間に配置する」
ゲオルグの計画をざっと現状に当てはめて思考を巡らすヘルムート。
「王宮で何か良くない動きがあったんですね?」
今度は不意を突かれたゲオルグが溜息を吐いた。
「……嫌な副官だよお前は」
「なるほど。俺達は邪魔者になった訳ですか――」
ゲオルグの優秀な副官は王宮の腐臭を嗅ぎとってしまったらしい。
顔を顰めて書類を投げ出す。
「つまり予算はもうこれ以上出ないって事で良いんですね?」
「未だわからん」
「どうせ精霊神様の奇跡が必要とかって話なんでしょ?」
沈黙が答えであった。
「……ねぇ隊長。俺達、結構上手くやって来ましたよね?」
「――上出来だったよ」
「過去形はやめて下さい」
「お前も過去形だっただろうが?」
「そうですね。ま、美味い仕事は長くは続かないって話ですね」
ゲオルグは答えず、腕を頭の後ろで組んで天井を見上げるヘルムート。
何を考えているのかはゲオルグにもわからない。
だが、この遣る瀬無い気持ちは同じだろうと思う。
どれほどそうしていたのか、不意にヘルムートが姿勢を正した。
「……自治会には今日中に話を通します。隊長、人員整理の時にはなんとしでもカスパールとオスビンの二人だけは引き抜いて下さい。そうだ、それからルートガーにも話を通しておいて下さい。どう話を持っていくかは隊長にお任せします」
「おいおい、カスパールとオスビンは兎も角、ルートガーに話をって……」
カスパールとオスビンはゲオルグの配下ではなく、ゲオルグとの協力関係にある「トーゴの竜」と言う傭兵団と「ファーンボロー傭兵団」に所属する傭兵達である。
今のうちに唾を付けておけと言っているのだ。
傭兵には良くある事ではある。
が、問題はルートガーだった。
ルートガーはブランの街の暗黒面の顔役連中の一人なのだ。当然ゲオルグ達とは事実上敵対関係にある。
が、ゲオルグも気付いたらしい。
エアハルトによる統治が続かないのであれば、その後活気付くのは表の街より裏の街だろう。
「――ルートガーだけで良いんだな? ヘンリックも悪く無いと思うが?」
「ヘンリックはダメですね。隊長が彼奴に兼ね合いってのを教えこんでくれるなら別ですが?」
「ルートガーだけにしておこう」
「お願いします。それじゃ早速自治会を招集しましょう。五日後で間に合いますか?」
「……そうだな。間に合わせよう」
ゲオルグが立ち上がった。
「――何してるんですか?」
「なにって、俺はこれからルートガーに渡りをつけようかと……?」
「それを終わらせてからにして下さい。全部。予算の申請って奴は通ろうと通るまいと、出してなんぼなんです。それに今のうちにツケの精算も済ませておく必要がありますし、分捕れる武器や装備やなんかは今のうちに処理しておく必要があるんですから。遊んでる暇はありません」
「お、おぅ……」
後に「ゲオルグに過ぎたるもの」の一つとして数えられる事になるヘルムートが全力で動き出した。戦場での働きは兎も角、平時の働きについては多少自信に欠けるゲオルグとしては、素直にそれに従う他がなかったのである。
本編の投稿は明日の朝七時になります。
ザルデン王国、テオデリーヒェン大公国に雇われた傭兵隊長の物語。




