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プロローグ 1

A.G.2867 ギネス二五六年

地の月(四の月) 火の週の一日(十三日)

魔王の迷宮


「エリ、準備は良いか?」


 目を閉じて祈りを捧げていた少女がそれに答える。


「……ええ。大丈夫よモモ」


 なんとか引きつった様に微笑むが、その身体はまるで雨に濡れた捨て猫の様に震えている。

 怯えているのだ。


(お父様、お母様、リオ、ニー、ベル! お願い、私を守ってっ!)


 魔王ラプラスの封印を維持する為の生贄となる事を了承し、エリはその為だけに生きてきたはずなのだが、今は亡き家族に祈りを捧げてしまう程度には、なおも死ぬのは恐ろしかったのである。

 封印を守護する精霊に同化する事を、本当に死ぬと言えるのかはわからない。

 精霊であるモモの話によれば、封じの精霊と同化してもエリの自我が失われる事はなく、今現在自我を失いかけている今代の精霊の意識を乗っ取るような状態になるらしい。


「大丈夫だエリ。封じの精霊との誓約は貴女が最後。天の時が満ちた時、ラプラスは滅ぼされて貴女は解放される事になるだろう」


 寝物語の様にして聞き続け、一言一句完全に覚えてしまった魔王ラプラスとの戦いとその結末。

 そして語られる事のない謎に満ちた天上の世界と精霊たち。


 嘘はつかないと言われている精霊でも、モモの様な高位の存在になると、時に都合の悪い真実は話さない事があるのだと知ってしまった今では、それを何処まで信じて良いのかわからなかった。


「……大丈夫よモモ。誓約は果たされるわ」


 そう言って、今度こそ微笑むエリ。

 モモに上手く思考を誘導されたのだろうと内心苦笑しつつも、エリは自身が口にした誓約の言葉を思い出したのである。


『私の願いを叶えて。そしたら私があなたの願いも叶えてあげる!』


 忘れてなどいない。

 いや、忘れてはならない幼い日の誓いの言葉である。

 エリ、エリナリーゼ・アルメル・ブランザは、今は亡きブランザ王国の第三王女、周囲の者に不幸を齎す魔王の呪いを受けた子として産まれた。

 最初にその呪いを受けたのは乳母であり、次いで手周りの侍女と護衛の騎士達。それが未だ幼かった兄弟達にまで及んだ事で、父であり国王でもあったラザール・ロアンは、彼女を城の塔へと幽閉した。

 呪いは些細なものから命に関わる重大なものまで様々であったが、ブランザ王国が家臣の裏切りと隣国のラネック王国による侵略で滅ぼされた後、両親や兄妹達と共に死ぬはずであった彼女を守ったのもまた、その忌わしい呪いであった。

 ブランザ王国の滅亡については良くある政争と裏切り、それにつけ込んだ隣国の欲と野心が理由であったが、裏切り者や侵略者達はもちろん、生き残ったブランザの貴族や民衆までもが全ての責を彼女に押し付け、触れるどころか近付く事すら叶わぬ呪われた子供として追放したのである。


 その時エリは僅か十歳。

 呪いが親しい者に及ばない様、漸くその力の扱いに慣れて来たばかりの頃。

 物心ついた頃には城の最深部にある塔へと幽閉され、エリが初めて知った両親や兄妹、世話役の乳母や侍女といった親しい人との触れ合いを経て、いつか塔を出て暮らせる日が来る事を夢見て期待と希望で胸を膨らませていた矢先の事だった。


 顔を隠し、殆ど口も効かぬ他国の兵士によって塔から出されて初めて目にしたのは、物言わぬ骸と化した親しい人々と、血にまみれた城、城門の外で首だけの姿で晒された両親と兄妹、そこに集められた民衆の怨嗟の瞳と呪詛の囁きであった。


 着の身着のままで放り出された彼女ではあったが、害意をもって近付けば即効確実に降りかかる不幸によって、石をもって追われる様な事も無く、かと言って誰からも声をかけられず、近くで死なれたらどんな災いになるかもわからずと、街の外へ、村の外へと食べ物やぼろ切れ等が置かれる事になり、途中、メディナという放浪の魔女に拾われなければ、恐らくそのまま衰弱死していただろう。

 メディナに保護されたのはエリにとっての幸運ではあったが、メディナにとっては大いなる厄災の始まりであった。

 知らなかったとは言え、追放された罪人を保護してしまったメディナもまた土地を追われた。

 しかも当時のエリは再び周囲の者全てを無差別に呪う存在となっていたのだ。

 メディナの苦労は並大抵のものではなかったが、エリを再び放り出す様な事はしなかった。

 そんな二人が数ヶ月の放浪の結果として辿り着いたのは、魔王が眠る場所として人々が恐れる魔の森である。


 人かゴミかもわからない有様となった二人を保護したのが、魔王の封印を守護するモモだったのだ。

 当時の事を思い返せば、エリは自身が半ば狂っていたのではないかと思っているが、人の基準に照らして見れば、精霊であるモモもまた何処か狂っている。

 逆にそれが良かったのだろう。

 恐らくメディナだけであれば、モモはそのまま放置して去っていっただろう。

 エリだけであれば、モモは森の外にエリを放り出して忘れ去っていただろう。

 この時のメディナとエリが、モモとなんと言葉を交わしたのか、エリの記憶には殆ど残ってはいない。が、モモが途轍もなく強大な存在である事だけは理解した。

 だからエリはモモに願い、モモの求める誓約に応じたのだ。


 国王であった父を裏切ったブノワ・ヴィクトル・デュネーとその一族、そしてブノワを唆して王国を滅ぼしたアルフ・アドリアン、ラネック王国国王とその一族の命と引き換えに、エリはモモの目的のために命を捧げると誓ったのだ。

 もちろんモモの誓約は速やかに果たされた。

 裏切り者の一族とラネック王国の血族は、精霊らしい律儀さと正確さをもって、低位の貴族はもちろん平民や奴隷など血のつながりすら知らなかった様な者たちまで含め、その全員が殺されたのだ。

 根絶やしにされたのである。


 もう何年も前の話であり後悔はしていない。

 モモのお陰で人の身では望めない程の魔力を得たし、崩れ始めた封じの聖女の隙を突いては現れる強力な魔王の眷族との戦いに対応する為、ちょっとした騎士や冒険者と比べても遜色のない程の力も得ることが出来た。

 共にモモに保護され、平穏な生活を何よりも望んでいたメディナにも、少しは恩返しが出来た様に思っている。

 ほんの一瞬、もう一度だけ目を閉じて祈りの言葉を捧げるエリ。

 長く伸ばした金の混じった薄く明るい赤毛が、戦いの汗と返り血で額に張り付き、髪の毛に編み込んでいた魔力を上げる術具も歪んでいる。

 それでも彼女は美しかった。

 モモと名乗る精霊に保護されてからは肉体的には殆ど成長しておらず、見た目はまだほんの少女でしかないエリであったが、凍てついた透明な冬の夜明けの空を思わせる紫色の瞳に宿る意思の光と、微かな微笑みを浮かべた口元が、内面の力強さに輝いている様だった。


「モモのお陰で良き人生を送ることが出来ました。心より感謝致します」


 その言葉は精霊であるモモをして不意打ちに近い物であったらしく、珍しくモモがその言葉を詰まらせてしまう。


「エリ……」


 世界最強の精霊と言って良いモモであっても迷宮の中では振るえる力には限度があったし、精霊の加護を受け、聖女としての修行を積んだとは言えエリは人の身である。

 封じの間を除けば魔王の封じられた迷宮に現れる魔物は全てが魔王の眷族であり、その戦いは熾烈を極め、白銀に輝く聖女の鎧は返り血にまみれ、右手の聖剣は刃こぼれしている。

 肉体年齢を一〇歳の頃のままで維持し、怪我を負った際には加齢、というか肉体を成長させる事によって即座に癒やして戦い続けたエリ。

 肉体年齢は十五、六歳といった所であろう。 

 だがそれもここ迄であった。

 この先にはもう精霊と化した封じの聖女と、封印された魔王が居るだけ。


「参りましょう!」

「では行こうか」


 モモの言葉で扉が開くと、ぼんやりとした明かりに照らされた地下とは思えない程広大なその空間を、この世の全てを暗黒に引きずり込むと言われる魔王の脈動を全身に受けつつ、慎重に進んで行くエリ。


 失われた古代の技術の粋を集めたというその祭壇の周りには、それ迄嫌になるほど湧いて出てきた魔王の眷族達の姿は無く、「もしかしたら」と、無数の魔物達との死闘を覚悟していたエリには拍子抜けと言ってよかった。


「ここは……魔王の脈動を除けば清浄と言っても良いほどに空気が澄んでいるのですね……」


 直線距離にして一〇〇メートル程の距離を歩いて辿り着いた祭壇と、巨大な漆黒の石板を前にして思わず呟くエリであったが、封じの聖女はどうやらモモの予想を遥かに超えて狂い始めていたのだろう。


 侵入者の存在を感知したらしい封じの聖女が意識を二人に向けたのわかった瞬間、それまで一定の感覚で感じていた魔王の波動が一気に強まり、堅固としか言えない鉄壁の護りを誇っていた封印に綻びが生じた。


「ダメだテオドラ! 意識を戻すのだ! それでは封印が解けてしまう!」

「モモ!」

「ここは我が抑える! エリは交代の儀式を!」


 封じの精霊に生まれたほんの一瞬の隙を突いて、封じられた魔王が遂にその意識を取り戻したらしい。

 漆黒の石板そのものが脈動を始め、光を放ち始めていた。


「テオドラ!」

「させない!」


 封印の維持に全力を注ぎ始めたモモの傍で、手慣れた様子で一瞬にして展開されたエリの魔法陣と、重なりあった輻輳する次元の狭間が映し出される。


(あぁ、やっと私の勤めが終わる、終わらせて……!)


 精霊交代の魔法陣によって、自らを捧げた今代の聖女の心の声がエリに伝わる。

 たった一人、三〇〇年の永き渡って封印を護り続けて来た少女の叫びであった。


(……これが、テオドラ……!)


 だが同時に伝わってくる魔王の声は歓喜に満ちている。


(我が意識を封じるとは良くぞ考えたな人間ども! だがそれも終わりだ! 同じ罠には二度と嵌らぬ!)


「黙れ魔王! 我が命に代えても絶対に復活などさせぬっ!」


 焦り怯えるモモの声など初めて聞くが、今この様な時には絶対に聞きたくは無かったものである。


「……未だ、間に合う……モモ、力を貸して……!」


(我と力比べでもするつもりか! 我は魔王! 全ての世界と世界の全てを統べる魔王ラプラス! 今こそ全てを取り戻してみせよう!)

(あぁ、終わる! 私の勤が!)


「テオドラ! 待ってくれ! もう少しだけ! 魔王の力に飲み込まれないでくれ!」


 テオドラと呼ばれた存在はもう既に殆ど残されてはいなかった。

 目覚めた魔王による侵食はそれほど素早く苛烈であり、テオドラと呼ばれた少女の痕跡の大半が失われ、封じられた巨大な存在の意識だけが凄まじい勢いで拡大していゆく。


「モモ! 魔法陣が侵食されてる! お願い力を貸して! モモ!」

「終わる! 我が雌伏の時が!」

「終わる! 私の勤めの時が……!」

「テオドラ!」

「モモっ!」


 魔王の脈動によって殆ど完全に崩れてしまっていた魔法陣が光を放ったのは、巨大な漆黒の石板が崩壊したのと殆ど同時の事であった。

 封じの精霊がその半身を置いていた精霊界と、魔王が逃げ込み封じられた漆黒の間(ミグレプレント)、いやその手前、黒連珠と呼ばれる次元の狭間に、エリが意識に乗せ、モモがこの世界に蓄え続けた力の全てが突き抜けて……全ての力が唐突に消え失せた。


「……は?」

「え……?」


 魔王の攻撃で消し飛ぶはずだった二人の間に落ちる沈黙は、なんとも形容し難い微妙なものである。

 見渡せば、祭壇に据えられていた巨大な漆黒の石板もまた消え失せ、石板の基部が埋め込まれていたらしい床の空洞が残っているだけ。 

 そしてその空洞の底に、どう見ても人間の乳飲み子にしか見えない男の子が寝ている事に二人が気付くのは、それから更に暫くの猶予が必要なのであった。







プロローグのその2です。



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