第二十八話 魔の森
A.G.2868 ギネス二五七年
霜(雪)の月(十の月) 地の週の一日(一日)
魔の森 エレンハルツ川
船旅は順調過ぎるほど順調であった。
ところが今度は中々野営の為の場所が見つからないのである。
陽が傾き『女神の恵み』と呼ばれるリングからの反射光までもが消え去り、明かりは半月と三日月となった二つの月(ゲルマニアでは大きい月が赤の月フレイ、小さい月が白の月フレイア)だけという時分になって、漸く野営が可能な場所を見つけたユーリウス達は、周辺の探索すら出来ないまま上陸する羽目になってしまったのである。
もっとも、そのお陰でこの日の移動距離については二〇〇キロメートルは超えているだろう。
力を合わせて船を岸辺の木々に固定して、野営と夕食の準備に取り掛かる。
フィームとユーリウスは周辺を警戒しつつ焚き木拾いであった。
「そんなに警戒しなくても良さそうだ。周辺一〇〇メートル、えっと大体一六〇ローム圏内に危険な動物は居ない」
「そうか。ユーリウスの魔法は相変わらず凄いな」
「水の中はまだ無理だけどね?」
などと会話しながら焚き木を拾い、水辺で暮らすウサ耳でビーバー尾のカピバラかヌートリアといった感じの、ビヴァータという小動物を狩ってから上陸地点に戻る。
狩ったのはもちろんフィームである。
探知能力だけで言えばユーリウスの方が高いのだが、一度その存在を確認出来てしまえばフィームの方が遥かに的確にそれを把握出来るらしい。
ユーリウスが何か小動物が居る事をフィームに伝えると即座にそちらに集中し、ほんの一呼吸ほどでビヴァータである事に気付いたのである。
その場でユーリウスが趣味で作ったコンパウンドボウに矢をつがえて風の魔法で強化すると、何処に見通せるラインがあったのかすらわからないが、立木や下生えの茂みを諸共せずにただ一射。
それだけで秋の味覚である丸々と太ったビヴァータを射抜いてしまったのだ。
「妖精族パネェな……」
「いや、ユーリウスの作ったこの弓の力が凄いのだ。半弓程度の大きさであるのに森の民の作る長弓並の威力がある。この滑車という絡繰りにはとにかく驚かされた」
「それもこれも迷宮素材と魔物素材がチート過ぎるからなんだけどね」
「チートの意味は知らぬが、迷宮素材というのは恐ろしいな。鋼の強さを持つ黒い糸、靭やかなのに斧で叩いても折れない黒い板、迷宮の外壁は破壊する事の叶わぬ魔王の守りだとは聞いていたが、まさかこんな物に加工出来るとは……里に居たのでは想像する事も出来なかった。しかもこの軽さはなんだ?」
「なんだと言われても。それ、実は炭なんだよ」
「なんだと?!」
「うん。驚いてくれてちょっとうれしい。でも本当にそれ、炭と同じ物を別の方法で固めた物なの」
要するに炭素素材である。
どうやってもまともに加工出来なかった壁貨が、実はそれが専用の炉を使う事で高温で燃やせ、燃料の代わりとして使える事を知った事で気付いたのだ。
因みに壁貨はそれでも柔らかい外壁材の一つであり、ユーリウスがコンパウンドボウのハンドル部分に使った物になると、後から加工しようと思えば超高温で焼き切るくらいしか出来ない。
「迷宮の壁は調べてみると、この弓の弦に使った様な繊維状の物や柔らかい物や硬い物、火に強い物や酸に強い物って、いろんな素材が複雑な層を作ってるんだよ。だから普通にやってもまず壊せない。ただでさえ硬いしね?」
「――つまりユーリウスはそれを破壊する方法を知っている訳だな?」
「……まぁ、大体は? でもね? 生きてる迷宮を外から壊すのは無理。破壊し始めた途端に構成変えちゃうから。イタチごっこになる」
「そうなのか……」
「種明かししちゃうとね? 実はこの素材もそうなんだけど、迷宮の外壁材が外壁材になる前の粘液を採集して固めた物なんだよ。その方法は秘密だけど」
そう。
そしてそれが単身で可能なのは、恐らくモモとアリス、そして人の身ではユーリウスしか居ない。
エリとメディナが協力し合えば可能だろうが、その加工には魔法と精霊魔法の両方の技術が必要となるからだ。
因みにフィームにこんな事を話しているのには理由がある。
妖精族にとって迷宮は、全ての妖精族にとっての仇の様な存在であるらしく、迷宮の存在そのものを憎悪しているのだ。
だから普通の妖精族なら絶対にこんなものを使う事など無いのだが、フィームには多少の変化が見えていたのである。
神の使いとして崇める封印の精霊との交流や、既に魔王が存在しない事、それから命の恩人であるユーリウスやエリやメディナとの交流によって、色々と考えさせられたらしい。
もちろん最大の理由は自身の義足であろう。
迷宮の魔物から得た素材で骨格を、マギシュトゥンの一種で筋肉を、更にそれを迷宮の魔物の革で覆った義足である。
これが無ければ日常の生活にすら不自由していた。
それが自身の足と同様、とまではいかないまでも、慣れてしまえばほとんど意識する事無く操る事が出来る。流石に剣を振る時には踏ん張りが効かない為、これまでとは全く違う戦い方を強いられる様にはなっていたが、それでも足を失った事で諦めていた剣を、再び自身の手で振る事が出来るのだ。
結果として、迷宮と共に、というか迷宮に依存して生きる人族を魔族と呼ぶ事もなくなり、迷宮が何か特別な呪われた存在であるというより、面倒も多いがそれなりに有用な存在であると認識している訳だ。
そんな妖精族は稀であるが、仮にある程度フィームと認識を同じくする者が増えてくれれば、迷宮を利用する全ての種族を排斥する様な、極端な政策は減ってくるのではないか、そんな風に思っているユーリウスなのであった。
「秘密……か。ユーリウスはその歳で秘密が多すぎるのではないか? 確かまだ四歳なのだろう?」
「うーん。一応そうだけど、育ててくれたのがモモと聖女と魔女だよ? 多少は仕方ないと思うけど?」
「それにしても、だ。森の民の幼児もユーリウスと同じくらいの速さで成長するものだが、もっとこう、子供っぽいというか、子供らしいのだ」
「そんな事言われても、子供なんてつい最近まで見たことすら無かったもの。と、おーい! ビヴァータとったどーー! フィームが」
そこで秘密のお話は終わりであった。
既に保存食を使った簡単な食事の用意が始まっていたが、この時期のビヴァータは脂が乗っていて旨いのだ。
焚き木とビヴァータを渡すと即座に献立が変更されて、ビヴァータの香草煮込みになった。
因みに味はイノブタっぽい感じで、酢豚によく合いそうな肉質をしており毛皮も良質、特に尻尾は高級品として扱われるらしい。
魔の森ではあり得ないが、天敵が居ないと際限なく増えてしまう害獣でもあった。
「よく考えたらビヴァータみたいな動物が山程居るんだよなぁ……?」
「ん? それがどうした?」
ユーリウスの呟きに反応したのはエトムントである。
「コイツらのお陰で訳のわからん魔物が一向に減らないんだろうなぁ、と」
主食は水草であったが、実際には何でも食べる雑食の動物である。
水性昆虫や小魚等も捕食するし、地面を掘って地虫等を食べる事もある。
「なんだぁ? 相変わらず小難しい事考えてんなぁ。美味いんだからいいじゃねぇか。エレン湖にも沢山居たしな。俺がエレン湖に居た頃は誰も来ない岸辺にこっそり罠を仕掛けてな? ビヴァータを捕って食うのが楽しみだったんだ。だが見た目と違ってやたらと奔っこいし頭も良いからなぁ……滅多に食べられなかったがな?」
と、不意にフィームが立ち上がって剣に手をかけた。
「どうした――」
「しっ!」
何事かと声をかけたエリクをその言葉と仕草で制して耳を澄ませているフィーム。
エリクも即座に立ち上がり、剣を腰に佩くと手槍を構えて周辺を警戒する。
だがユーリウスには何が起きているのかさっぱりわからない。
アニィからの警告も無かったし、レーダーには一切危険な生物の反応も無かったのだ。
「全員、荷物を持って静かに船に乗れ、どうやら囲まれているらしいぞ?」
囲まれていると言われてもよくわからなかったが、剣を抜いたフィームの様子に全員が素直に従う。
ユーリウスのレーダーは非常に高性能だが、実のところコレを誤魔化す方法はいくらでもある事を知っているからだ。
ごくりと生唾を飲み込み手近な荷物を抱えて動き出すエトムントとニクラウス。
ユーリウスは小さくHMDとステータスの魔法を展開し、音波によるパッシブ探知も追加して、絶句した。
「……木が……動いてる……?」
風が吹いて木々が動いた事まで探知する様ではレーダーとしては失格であったため、木立や灌木の類の反応はスクリーニングして探知表示から除外していた事が仇となったらしい。
「来るぞっ! 下からだ! ユーリウス! お前も下がれ!」
その瞬間、フィームの足元から木の根が飛び出して来た。
それを僅かな体重移動だけで躱して一撃で切り落とすフィーム。
「エトムント! 出航準備だ! エリク! エトムントを支援しろ!」
「応さ!」
「ユーリウスは火は使うな! 別の明かりを!」
地面から次々に飛び出してくる木の根を切り払いながらも、ユーリウスが光源の魔法を幾つか展開したのを見て、朝食用に残っていた煮込みの残りを焚き火にかけて火を消し、隙を見て自身の荷物も拾い上げてからジリジリと後退していくフィーム。
ユーリウスも既に船の上である。
「ユーリウス! 私もそちらに行く! 牽制してくれ!」
「わかった! レンジ!」
と、レンジの言葉と共に、ユーリウスが視界に展開されたレーダー画面に合わせて指先を動かし、敵性の赤色に染まっている対象を範囲指定する。
「喰らえ化け物ども! 拡散誘導水刃! 三連!」
その瞬間、六〇以上の魔法陣がユーリウスの周囲に浮かび上がると、船の周りの水が渦を巻いて集まり、淡く青色に光る無数の三日月形の刃となって打ち出され、範囲指定でロックオンされた目標に向かって飛んで行く。
それが更に二回繰り返され、後にはズタズタになった木の魔物の死体が残されていただけであった。
因みに魔法陣の大半はそれっぽいだけのエフェクトで、他も水の刃を淡く光らせたり、ユーリウスの周囲に渦巻く水の流れを綺麗に形成したりするためのモノで、本来の水刃は光ったりしない。
「おおおおっ!?」
エトムントやニクラウスから驚きの声があがり、ユーリウスの口元が歪んだ。
「決まった……!」
「ばか者ぉっ!」
「え?!」
呆然としていたフィームが我に返ってユーリウスの方を向くと凄まじい勢いで怒鳴った。
「やり過ぎだっ!! 相手は森の長老達だぞっ! 本来は森で火を使った私達が悪いのだっ! 時間稼ぎの牽制だけで良いのに! なんて事を!!」
「ええっ?!」
「――あぁ、森に怒りが満ちている……!」
「えええっ?! なにそれ!? もう蟲笛も光弾も効かなくなっちゃうとかそーゆーの?!」
ユーリウスの頭にフィームの拳骨が落ちた。
「……気付いてなかったのか? あれは森の主さまの眷属だろうが?」
「森の……? えええええええっ!!??」
「不味いぞ? 森の主様がどんな存在かは知らぬが、ティックルルーの力は知っている。あれほどの化け物を手足に使うのだ、それはもう凄まじく強大な存在なのだろう。私にはどうやってこの森の怒りを解けばいいのかわからない……」
「――まじか……!」
――うむ。
ユーリウスが悪い。
次の本編投稿は明日の朝七時になります。
ユーリウスがやっちゃいました。
やっと森の主様登場します。




