第二十五話 密貿易計画
A.G.2868 ギネス二五七年
雨の月(九の月) 木の週の四日(二十八日)
魔の森 古代神殿
ユーリウスが奴隷の騎士を買った「初めてのおつかい」から二ヶ月が過ぎていた。
森の木の葉が色付き、森の豊かな実りを求めて獣達の活動的になるこの時期、ユーリウスは相変わらず魔法や錬金術の修練と学習に明け暮れていたが、以前とは大きく変わった事も幾つかある。
「ユー様! 茸がこんなに取れましたよ!」
「ユー様! 漸く鱒が住み着きました! 来年には食べ放題になりすぞ!」
「ユー様! 焼き栗が出来ました! 食べてみて下さい!」
「ユー様! ハルツ川(エレンハルツ川)までの伐採が終わりましたぞ! 今は十六号から二十二号に舗装工事をさせています!」
「ユー様! コハク川の工事の為にゴーレムを追加して下さい!」
「ユー様! タケウマが壊れちゃった!」
「ユー様! ベーゴマやろう!」
「ユー様!」
「ユー様!」
「ぷぎゃー!」
大人気である。
奴隷市に立っていたボニファンを見て泣いていた少女も、今では竹馬(竹ではないので木馬? ユーリウス作)に乗って駆け回っているし、痩せこけボロを纏った如何にも難民といった姿だった者達が、古着ではあっても週に一度か二度くらいは洗濯された衣服を身に着け、ふっくらとして健康な様子になっている。
更に神殿の状態を見たボニファンとエリクが何度も街に出向いて、散逸していた元の領民達を探し集め、二ヶ月の間に神殿の人口は六〇人程にまで増えていた。
その新しい住民たちにとって、エリは聖女で姫様という雲の上の存在であったし、メディナは時々異臭騒ぎを起こすが非常に腕の良い薬師で錬金術師という立ち位置であったから、どちらも軽くは扱えない、と言うよりこの二人が「偉い人」のツートップという認識で、二人に用事がある者達は必ずユーリウスかエーディットを通すという暗黙の了解になっているらしい。
ついでに言えば妖精族のフィームは超然とした近寄り難い雰囲気であり、ボニファン他数名と共に狩りや神殿周辺の安全確保に奔走している事から、ボニファンよりも強い「剣士様」という事で一部住民の憧れの対象となっていて、ほとんどの時間をユーリウスに着いているエーディットもまた、フィーム同様の「とっても強い護衛の人」の区分で且つ、他の中間種族(人と精霊の中間の種族。命名者はユーリウス)達のリーダーという扱いである。
なおゴーレムは一号から三十二号までが稼働しており、未だ動く様になったオートマタは存在していないが、中間種族はエーディットを含めて八人が目覚めて活動している。
おかげで予定通りに中間種族を組織して周辺の調査を行わせる事が可能となっており、春までには自給自足が可能で石造りの立派な城壁に守れた、新しい都市の基礎が完成するはずであった。
都市と言うからには迷宮についても当然の如く完備する予定で、神殿の地下施設からも出入り可能な便利で且つ複雑な迷宮に育てる予定である。
「ユゥ、あまり無理をしたらダメよ? 貴方はまだ四歳なのだから」
数日ぶりに共にする夕食の席で、エリがユーリウスの心配をしてくれている。
が、当のユーリウスに四歳児としての自覚など欠片も無いし、今では薬草園の手入れやエリの手伝い等をしてくれる者達が居て、ユーリウスが手伝おうとすると逆に邪魔になってしまう様な有様なのだ。
しかもボニファンやフィームと言った戦闘職の者達数人に訓練をしてもらう他は、時折ブルー達と狩りに行く事はあっても、神殿内やその周辺を巡回して殆ど思い付きだけで指示を出すのが仕事ととなっている。
「うん。無理はしてないよ。前よりも随分楽になったし。エリもティアナも行儀見習いの子達が来て楽になったでしょ?」
「そうね。皆さんのお陰で私も沢山時間ができたわ。メディナなんて部屋に篭もりっきりになっちゃったもの」
すっと実に優雅にさり気なく頭を下げたのがティアナである。
ティアナというのは侍女としてエリに付いている中間種族の一人で、見たことも無い人が増えた事をメディナが気にしていた為、それならば、と、護衛兼侍女としてエリに付ける事にしたのである。
ユーリウスに付きっ切りの様に見えて意外と好き放題しているエーディットと違って、ティアナはまるで影のように静かにエリを守り補佐している。
「最近見かけないと思ったら、メディナはヒッキーになってたのか……食事はちゃんとしてるんだよね?」
「それは大丈夫よ。毎朝ヨハナかマリーアが食事を届けるついでに様子を見てくれているから。食事といえばユゥ、貴方こそちゃんと朝食はとっているの?」
実はユーリウス達はもう朝食も共にしていなかったのである。
毎日六〇人分の食事の全てを神殿の食堂に用意するようになったため、ユーリウスやエリが入ると料理を担当する者達の邪魔になってしまうのだ。
それでも最初は食堂の隅で一緒に食事をしていたのだが、それだけでも住民達を緊張させてしまう事から、エリは自室の居間に食事を運んでもらっているし、ユーリウスは戦闘職の者達と同様、城門に備えた兵士達の詰め所で食事をしている。
二人で一緒に食事をする機会など、週に一度か二度しかなくなっていたのである。
「大丈夫。ボニファンやエーディット達と詰め所で食べる様にしてるから。流石にブルー達が食堂に入ると大騒ぎになっちゃうしね?」
ブルー達。
これについても新しい住民達を捕食しない様に、全員にエリやユーリウスの匂いの付いた物を持たせたり、全員を集めてブルー達にも挨拶をさせたりと随分気を使ったのだが、ユーリウス達の心配など無用だったらしい。
最初は少々苛ついた様子を見せていたが、今では群れの一員として受け入れており、子供達を乗せて駆け回っている姿や、ユーリウスも受けた様な、捕食行動の訓練らしきものを行っている姿を見かける様になっている。
普通の鶏ではない――全身色彩鮮やかなふわふわの羽毛だし、今月に入ってからはブルー、デルタ、エコー、チャーリーの全てが毎日卵を産むし――とは思っていたが、やはり普通の鶏ではなく、非常に頭の良いなにか別の存在なのだ。
「そうよね。慣れない人はどうしても怖がってしまうものね」
「うん。まぁそれは仕方ないとは思うけどね。でもそれ以上に問題なのはティックルルーだと思うよ?」
当然だろう。
ティックルルーは、普通であれば見た瞬間に原初の恐怖を感じる存在なのだ。
「慣れてしまえばとっても可愛い子なんだけど……」
それはない。
ユーリウスも口には出さないが、即座に「それはない」と思っている。
そもそも鶏達が恐れる存在を前にして、平然と可愛いなどと言い切ってしまえるエリは、やはり聖女様なのだ。
「ティックルルーを介した森の主さまとの交易は絶対に必要だしね。慣れてもらうしかないんだけど……」
エリやメディナが平然としていたからコレが普通だと思っていたけど、やっぱりちょっと普通じゃない生活をしてたんだよな……。などと思うユーリウスであったが、エリやメディナの要望を聞いてこの生活を整えたのはモモである。
精霊の人に対する認識やら感覚やらがどういったものなのかは不明だが、人とは決して相容れない存在なのは確かだろう。
むしろ魔王様の方が人の感覚を良く理解していたのではないだろうか?
ただの妄想に過ぎない事ではあったが、なんとはなしにそれが正解である様な気がしている。
そんなこんなで、ティアナの指導を受けたヨハナとマリーアによる給仕を受けながらの食事を終えるユーリウスとエリ。
それなりに整った晩餐であったが、実は今後しばらくは粗食が続く予定であった。
食料庫に残されていた食材はその大半を使い切ってしまっており、エリとメディナが採取して来た迷宮珠から生み出した迷宮についても、未だ食料が得られるほどには成長していなかったのである。
そんな訳で食後のハーブティーを楽しみつつも、会話の内容と言えば食料問題である。
エレンハルツ川までの道――まだ獣道に毛が生えた程度ではあるが――が通じた事で、ある程度の川魚を確保する目処が着いていたし、森の恵を住民達が総出で備蓄している。さらに戦闘職の者達はそのまま狩猟職でもある事から、獣や魔獣、魔物の肉についてはある程度備蓄する事が可能なはずであった。
が、問題は塩である。
一冬程度は栗や団栗をはじめとした木の実も含めて辛うじて生存可能な程度は用意出来るはずなのだが、生きていく為には絶対に必要となる塩が無い。
魚や獣が捕れたとしても、それを加工して保存する為の塩がなければどうしようもないのだ。
魔の森もひたすら西に進めばいつかは海に出れるはずであったから、いつか、という話であれば海水から塩を精製して用意出来る日が来るかもしれない。
或いは魔の森のどこかに岩塩の鉱山が眠っている可能性もある。
だが必要なのは「今」なのだ。
「まさか塩の備蓄がそんなに減ってたなんて……」
「私も知りませんでした。エーディットが居なかったら一体どうなっていた事かわかりません」
「エーディットに感謝しないとな。それで実際にどうするかって話なんだが、近くに岩塩の鉱山でも見つからないかなぁ……」
「そうですね。魔の森は手付かずですから、調べたらザルツ山地の様な大鉱脈があるかもしれません」
「でも急場には間に合わないよね。消費と備蓄を把握出来ていなかった事も問題だし、購入したとしても森の中を人力で運ぶのはかなり大変なんだよな」
道無き道を人力だけで運ぶのだ。大変どころの騒ぎではない。
かと言って道を作ればそれがそのまま侵略者を呼び込む軍用道となりかねないし、現状では誰にも見つからない様にするのが基本方針なのだ。
「上手く出自を誤魔化して塩を手に入れるルートを構築しなきゃならないって事だよな。何処かに『上杉謙信』でもいないかな?」
「うぇえしゅ? 誰ですか?」
「なんでもない」
いねぇよ! いや、実際の所はわからないが本当に居たら腰が抜ける。
「やっぱり馬を買うべきだったかなぁ……それも移動用じゃなくて輓馬みたいなやつ」
「それを言っても始まりません。何か考えましょう。自給できない以上、何処かから交易で手に入れるしかないのです。その時に問題となるのはなんでしょうか?」
「そこまで戻る? あ、まぁ基本か。流石は姫様」
「こらユゥ。茶化さないの」
エリに言われてテヘペロしたユーリウスは可愛いらしい。行儀見習いの二人もほっこりしているから間違いないだろう。
「えっと、まず問題になるのは輸送手段。確か馬の最大積載量が四〇〇キロじゃなくて、えっと二〇イルジだから、一応馬が一頭いれば、その背中に括りつけて運べる程度の量で足りるはず? ただし、グリーフェン砦は難民の街だから、あんな所で二〇イルジもの塩を買えば足が着く可能性がある。つまり、購入するならもっと大きな街や都市で買う方が良い。それから塩を買うにしても現金が足りない。まぁこれは魔の森の魔獣や魔物の魔石や魔晶ってのがかなり高く売れる事はわかってるから、代理人さえ見つかれば備蓄分を放出する事で大丈夫。あとは、なんだろ?」
「時間は大丈夫ですか?」
「それもあったか。あと二週間もすれば初雪が舞うもんなぁ……どうせなら塩でも降ってくれたら良いのに」
「そんな物が降ったら森が死にますよ」
そう言って笑うユーリウスとエリ。
どうしても茶々をいれてしまう癖が抜けないユーリウスであるが、エリは既にそれが普通の状態であるらしい。
だが深刻な話題であっても笑顔が絶えないのは悪い事ではない。
「さて、そしたらどれをどうやって解決しようか。まず塩を購入する場所について、グリーフェン砦の先で、ある程度大きな都市って事になるけど……」
「ユゥ、地図を用意しましょう。執務室にあります」
本格的な会議のようである。
エリが執務室と呼んでいるのは、恐らく神官長とか神殿長といった立場の者
が使っていた部屋で、立派な執務用の机にちょっとした会議にも使える大きなテーブルも用意されている部屋である。
「そう言えばこの地図も久しぶりに見た気がする」
元々はフィーム達が人の街で手に入れた物で、ユーリウスが妖精族の国に向かう事になった事でフィームから譲られたのである。
ユーリウスからすると何もかもが足りない地図とも言えないレベルの代物だが、これ以上正確な地図となると軍事機密になる為、そう簡単には手に入らないのだ。
「グリーフェン砦を除外するのでしょう? そうするとある程度の大きな都市といえばイエルスかライナという事になるわ」
「これ、どのくらいの距離があるの?」
そう言って地図の上を指差すユーリウス。
「イエルスだとグリーフェン砦から徒歩で馬車で三日ほどだったと思うわ。ライナはイエルスから更に二日という所かしら?」
つまりイエルスはグリーフェン砦から近ければ一〇〇キロメートルほど、遠くても二〇〇キロメートル程の距離だということだ。
因みにローマ街道並の舗装道路で且つ、六~八頭立ての一九世紀並の馬車で、疲れた馬を交換可能な駅の整備まであれば、直線距離では兎も角、移動距離では下手をすると六〇〇キロメートル近くはあるかもしれない。
まぁ最後の所は別にして、馬車が基準であるため街道の整備状況次第なのだ。
「やっぱり縮尺が全くあてにならないんだな……って、まてよ?」
呆れ顔であったユーリウスの表情が変わった。
「なあに?」
「エレンハルツ川とエレン湖って繋がってるじゃん」
確かに繋がっている。
「よし、舟を作ろう。あれだけの大きな流れなら舟が使える!」
「あぁ、水運という手がありましたね。川の魔物は恐ろしいですが、ある程度の大きさがあれば襲われる事もありませんし、それは良いかもしれません」
「川の魔物なんているの?」
「ええ。でも大半が夜行性だからそれほど困らないとも聞いています」
「つまり小舟でも昼間移動して夜は陸に上がっていれば襲われない?」
「ええ、そうですね。漁師達はそうして生活しています」
「それは良いな。でも、今から舟を作って間に合うかな?」
「漁で使う小舟なら既に造っていたのではないかしら? 道が通じたから漁が出来るとエトムントが喜んでいましたよ?」
エトムント? と一瞬考え込んだユーリウスであったが、直ぐにエレン湖で漁をしていたという、エリス出身の難民であった事を思い出す。
「思い出した。舟を造る資材を分けてくれって言ってきたオヤジだ」
「多分その人ですね」
そう言ってエリが微笑む。
「見た目は怖いですけどとても礼儀正しい人……」
「見た目がアレでめっちゃ態度の悪い奴で……」
と、続けて同時に口にした内容に絶句する二人。
本当に同じ人物なのだろうか?
「ま、まぁどうでも良いか。舟を出してエリスかブランの街で塩を手に入れよう。ついでに野菜の漬物や穀物なんかも。それで冬籠りの準備は完了だ」
「良き着想でしたね。やっぱりユゥは頼りになります。これで皆が救われますね」
「まだ終ったわけじゃないよ。舟の大きさによっては何度も往復しなきゃいけないし、川を下ってまた川を遡るんだから、どうなるか……あぁっ!」
「どうしたの?」
「原動機を作ろう! オートマタの部品とゴーレム関連魔法があればなんとかなる!」
「原動機? オートマタ? ゴーレム?」
なにやら思いついたらしい。
「早速準備しなきゃ! それじゃエリ! おやすみなさい!」
「あっ、ユゥっ!?」
なんとなく予想は出来るが……。
――時間は大丈夫なのだろうか?
次の投稿は明日の朝七時になります。
神殿で新しい生活が始まりましたが、人が増えた事で、適当だった食料の備蓄や資材その他の管理等、問題点が浮かび上がって来ました。
因みに住民は大半が元からボニファンの領民だったので、大半の問題についてはボニファンとエリクが処理しています。
それについてはエリクが主人公の閑話にするつもりです。
ともかく、これでユーリウスの「ナイセイ☆」と「カイハツ★」が本格的に始まります。




