閑話 傭兵 02
閑話です。
ラングラット公国出身の傭兵隊長、ゲオルグ・ガイセの物語。
その第二話。
時系列ではユーリウスが二歳の頃になります。
A.G.2867 ギネス二五六年
星の月(三の月) 風の週の二日(二十日)
ブラン
ゲオルグの仕事はそれなりに順調であった。
市民に暴行を働いた部下の一人を自らの手で切り殺さなければならなかった事もあったが、それ以外は概ね平穏な日々が続いていたのである。
ザルデン王の第二子が、新たにテオデリーヒェン大公国と称する事となったこの地の支配者となるまでは。
悪い噂など聞いた事も無かったザルデン王国の第二王子、エドウィン・マルク・テオデリーヒェン、テオデリーヒェン大公エドウィンであったが、その実態は無知で傲慢な野心家で、狭量な上に欲深いという、甘やかされて育った上位貴族のお坊ちゃまでしかなかったのである。
それでもまだ救われる部分があるとするならば、ザルデン王が側近として付けたカイエ・シュナーデンという男爵の言葉を良く聴く事、統治における実務の総括を行っているエアハルト男爵クルトのやり方に口を出さない事、この二点であろう。
もちろんシュナーデン、エアハルトの両男爵の人事自体がザルデン王の決定であるのだから、第二王子であるエドウィンには手が出せないのも当然ではある。
が……。
「はてさて、あの我儘そうな小僧が一体いつまで我慢できるかね?」
というのがエドウィンを見たゲオルグの感想であった。
実際、既にシュナーデン、エアハルトの両男爵の権限が及ばない、公都ブラン以外の諸都市の知事や領主として、自身の取り巻きを勝手に配す様な真似を平然と行っている。
もちろん大公の直轄領である以上人事権はエドウィンにあるのだが、なんの落ち度もない相手を左遷して、おべっかばかりの無能を都市の統治者に据えたのだ。
成立したばかりの大公国に仕える事を決めた旧ブランザ、ラネック、ザルデンの諸貴族達の支持を失うだけの愚行と言って良い。
特にこの地は様々な出自の貴族が統治している、それだけ扱いの難しい土地なのだ。搾るだけ搾って捨てるだけであるなら兎も角、これでは自分で自分の周りに油を撒いている様な物だろう。
何かの拍子に火が点けば、火達磨になるのは自分自身なのだ。
「まぁ何があってもあの親父が出てくればどうにでも出来るんだろうが……いや、まさかあの親父はそれが目的なのか……?」
まさかな……と、頭を一振りして余計な思考を追い払うと、フェルデ・マールスドーフ両地区の自治会館へと向かう。
が、そこで待っていたのは何時もの和気藹々とした報告会の場ではなく、エドウィン王子と共にやって来た、特大級の厄介ごとだったのである。
「貴方がゲオルグ隊長殿ですか。なんでもラングラットのお生まれとか。今日この日にお会いできた事を心より嬉しく思います」
沈黙が支配する部屋で、ただ一人にこやか過ぎる胡散臭い笑みを浮かべたまま、さらりとほとんど一息に言い切る老年に差し掛かっていると見える中年の男性。
「――貴方は?」
「おお、ご挨拶も忘れて私とした事が、これはこれは失礼致しました。私はルツの商人でザルデン系市民の代表を勤めております、アシル・ペリアンと申します。以後お見知り置き下さい」
ザルデン系市民の代表。
初耳であった。
返答を保留してフェルデ・マールスドーフ両地区の代表達六人を見回せば、これが彼らにとっても初耳であり、自治会議に出席している事自体が寝耳に水の出来事であった事がわかる。
「ふむ。アシル殿、ルツの商人と言う話であったが……」
と、そこでゲオルグの言葉を遮って口を開くアシル。
「あぁ、私の名前ですな? お察しの事とは存じますが、私はリプリア王国のオーワリーブの生まれでして。王国の重臣でいらっしゃるヴィクトル様とは、メンディス時代から親しくお付き合い頂いております」
なるほど。と、ゲオルグは思う。
リプリア王国のオーワリーブとアシルは言っていたが、オーワリーブはメンディス大公国の首都であり、ザルデン王の生まれた都市であった。
そして重臣のヴィクトルと言うのは、大公エドウィンに仕えるヴィクトル・ブリュシェ子爵の事であろう。
慇懃無礼に嫌らしい無礼さを加えたこの男の口調と態度の意味は理解できた。だが、目的はなんだ? と、平穏な状況に慣れきり少々錆びついていたらしい脳みそを無理やり働かせ、時間稼ぎに出るゲオルグ。
「おお、アシル殿はオーワリーブの生まれでしたか。一度だけ訪れた事があります。ランドル湖を望む美しい街でした。そう言えば下町の漁師街では今でもあの、なんと言いましたか、あの魚のパイを振るまう祭りがあるのでしょうかね?」
「これはこれは懐かしい。ええ、今でも漁師街の祭りはあるはずです。あの料理は白身魚と南瓜のパイ包み焼きと言うのですよ。もう何年も食べてはおりませんが……」
と少しだけ遠い目をするアシル。
だがその間になんとか思考を纏めたゲオルグだったが、先ずは情報収集の為の時間が必要という、当然ではあるがなんの役にも立たない結論しか出せなかった。
「いや、これはお恥ずかしい。そうですな、もしも機会があればゲオルグ殿を私の故郷に招待いたしましょう。ところで本日私がこの場に参上した理由についてですが、今後は我らザルデン系の住民の意見も自治会の施策に反映していただく為なのですよ。この所ルツを始め王国の各地からの移民も増えましたから、王国の重臣でいらっしゃるヴィクトル様からもご心配いただきまして。ええ、自治会と言うものがあるのならば、是非ともザルデンの民にも心を砕いていただける様に尽くせと言われまして……」
とそこからはもうアシルの独演会といった様相であった。
ひたすら喋りまくった挙句に用事を思い出したと言い残し、嬉しくて仕方ながないという様子のまま去って行く。
残されたゲオルグ達が一斉に大きなため息を吐いた。
「つまりアレは……何を言いたかったんだ?」
「ブルシェ子爵様が我ら自治会に、アシルに対して便宜を図れ、そう言っているのだろう」
疲れた様子でそんな事を話している自治会の面々であるが、その結論は恐らく正しい。
問題は一体どんな便宜を求めてくるのか、だ。
「そんなところだろうな。それで、誰かあのアシルという男について知っている者はいないか?」
「噂でよければ」
「頼む」
と、フェルデ自治会の代表の一人で、古くから続く宿屋の主人であるロータルが語り出した。
なんでもロータルが金を出している酒場の一つでザルデン系商人による買収騒ぎがあったらしい。
かなり強引な方法を使っていたらしく、怒った酒場の主人が周辺住民を巻き込んで叩き出したのだと言う。
「まて、俺はそんな話は聞いてないぞ?」
「それが、私が聞いた時にはもう全てが終わった後でして。その後はもう買収の話もなくなったという事だったので、話すまでもないと思ったんです。ただ、今になると、その買収を持ちかけてきたのがルツの商人だったって事と、リプリア王国の訛りがあったって話だったんでね? しかも名前がアミルだとか言ってましたから、恐らく聞き違えたか名前を忘れた所為だと思いますが……」
ゲオルグにも終った話を蒸し返すのも馬鹿馬鹿しいという気持ちは理解出来るし、何事も無ければ一々報告してもらう理由も無いような話ではあった。
「その酒場って何処だ?」
「グンターの所です」
その瞬間全員から「あぁ」とも「はぁ」とも言えない溜息が漏れた。
出す酒と料理は美味いし安いし言う事の無い店なのだが、そこの名物親父がとにかく頑固で面倒なのだ。
その代わりと言ってはなんだが意外なほど面倒見の良い親父で、近所で病人が出た時などにはちょいと栄養のある美味い物を作っては届けたり、ツケが払えなくなった奴を無理やり働かせて払わせたり、知り合いが結婚でもしようものなら店を貸し切りにして盛大に祝ってやったりと、街の顔と言っても良い親父なのであった。
「それだけ話してくれたなら上等だろう。彼奴は未だに俺の名前すらまともに……いや、まあいい。腕っ節もあるし大丈夫だとは思うが、一応みんなも気を付けておいてくれ。俺も少し調べてみる」
そう言って頭を切り替え、予定していた議題へと話を向けたゲオルグであった。
本編の投稿は明日の朝七時になっています。




