第二十三話 揚げ物は美味い ※
やっと新しいモニターを手に入れたので、嬉しくてちょっと長くなってしまいました。
スマホでポチポチ打つのは鬱でした……。
A.G.2868 ギネス二五七年
海(水)の月(七の月)火の週の一日(一三日)
魔の森 グリーフェン砦
ユーリウス達がこの半ば魔の森に呑み込まれた都市に着いたのは昨日の午後の事である。
都市とは名ばかりで、言うなれば難民達が不法占拠しているだけの城塞跡地と聞いていたユーリウスからすると、ここは驚くほど綺麗で、想像していた汚物まみれの中世の城塞都市とはかけ離れた様相であった。
「それにしても綺麗だよな? 汚物やゴミってどうしてるんだろう?」
「そんな事も知らないのですか?」
深くフードを被って顔を隠した、何処と無く中世ヨーロッパの修道僧を思わせる神官服の女性。エーディットである。
「なんでエーディットが……?!」
「子供には保護者が必要でしょう?」
相変わらず何を考えているのか分かり難い、感情表現に乏しいホムンクルスである。
「子供言うなっ」
「子供」
ぷっ、とわざとらしく吹き出してみせる背中の駄剣を無視して思考を巡らすユーリウス。
(ここで言い争っても勝ち目は無い。というか汚物やゴミが無い理由か……あ、そうか。簡単じゃないか……)
「迷宮か?」
「え?」
「だから汚物やゴミ」
「はい。正解です」
正解されたのがとても嫌そうに聞こえなくもないエーディットの台詞である。もちろん棒読みなだけで、本当に嫌がっているのかどうかはよくわからない。
ある程度の我の欠片を潜ませてはいるのだが、エーディットの意識がユーリウスほど無防備ではない為、その思考を読む所までは出来ていないのだ。
「なるほどね。都市ではゴミも汚物も迷宮へ捨てていて、迷宮はそれを吸収して拡大強化して外の生き物を呼び込む為の餌を作り、人は食料その他の迷宮素材を得る為に迷宮に入る訳だな?」
「はい。それにここは自由都市で市民権等は存在しないと言っていますが、他の都市では市民権を得られない貧民はまず迷宮で暮らす事になるのです。ここでも何一つ持たない本物の貧民達が暮らす場所は迷宮のはず。その証拠にこれだけ歩いて物乞いの一人も見かけませんでしょう?」
そう。迷宮を基礎として成立しているゲルマニアの都市の多くには、スラムは、本当の意味での貧民街は存在しないのだ。
都市で暮らすのは市民権を持つ、つまり定職がある者だけ。
迷宮の低層階で暮らす貧民達は、最低限食の心配は無いし寒さに凍える事も乾きと暑さに倒れる事も無いが、場合によっては生まれてから死ぬまで、一度も陽の光を見る事無く死んでいく。
しかも大半の迷宮は、自由都市であればその自治組織の、領主がいればその領主の管理する個人資産であり、迷宮から持ち出す物には税金がかけられるのだ。
当然税金が支払えなければ没収であり、支払いは現金のみ。
それもゲルマニアで一般的に流通している壁貨は認められず、銅貨や銀貨での支払いになる。
「……なるほど。それにしてもエーディットは凄いな。良くそんな事を知ってるよ」
当然である。
ユーリウスが魔法だのゴーレムだのホムンクルスだのと騒いでいる間に、メディナやエリの手伝いをしながら必死で「今現在の」常識を学んでいたのだ。
「知らない方が可怪しいのです」
可怪しいのです。
うむ。ちょっとだけ嬉しそうな声音だった気がしないでもないが、恐らく気の所為だろう。このエーディットがユーリウスに褒められて喜ぶ様なチョロインな訳が無い。
無い無い。
「――お、屋台がある」
「それはあるでしょう。見ればわかります」
その通り。見ればわかる事である。
「でも食べた事は無いだろう?」
「……はい。どんな物を食べているのか興味はあります」
あるんだ……?
食いしん坊キャラか?
……考えてみると、エネルギー補給に掛ける、いや「賭ける」ユーリウスの情熱は魔法に賭けるそれと同等かそれ以上のものがある。
アニィの意識の半ば以上がユーリウス、いや、祐介の記憶を元に構成されている以上、その可能性も無きにしも非ずといった所だろうか?
要観察であろう。
「……おばちゃん、これ、なに?」
「おや、可愛いお客さんだね。あぁ、コレはヴィルシェの料理でファボックさ。食べてみるかい?」
「食べたい」
「そいじゃ一つ三壁貨(※)だよ」
「では二つ下さい」
「よしきた! 熱いから気をつけて持つんだよ?!」
ユーリウスがお金を出そうともぞもぞしている間に、エーディットが素早く支払いを済ましてしまう。
因みに揚げパンの様な食品である。
どうやら麦の粉を練って発酵させた物をラードで揚げ、さらにそれにラードを付けて食べるらしい。
熱々の揚げパンを直接渡してくるのは困りものであったが、エーディットが鞄の中から手ぬぐい状の布を取り出してユーリウスに渡す。
大きさは広げた大人の手ほどもあるだろうか?
「外はさっくり中はしっとり、熱々の揚げパンに塩味の効いたラード……なんでこんなに美味いんだ……?」
思わず呟いてしまったユーリウスの台詞を聞き取ったおばちゃんが大きな声で笑う。
「そりゃ美味いさね、王様の、あ、いやラネックの王様の大好物だもの。他でも売ってるが本物のファボックはうちだけさ。これはね、暑い時には熱々で、寒い時にはもっと熱々で食べるのが美味しいんだよ。それも揚げる油も付ける油も本物の油でなきゃダメなんだよ」
(本物の油ってなんだ? 下水油みたいな偽物があるって事なのか?)
正解だ。
本物云々というのは、これもまた迷宮産の油というのが存在している為である。
肉状になった部分を包む粘液を精製すると油が取れるのだ。
味は普通の油と変わらないのだが、それで揚げ物を作ると腐らない物が出来るため、ゲルマニアでは保存食を作る際に広く利用されている。
祐介の世界にあったロッ◯リアやマ◯ドナルドのポテトフライの様な物だろうか?
知らぬ間に体内から破壊する魔王様の神算鬼謀深慮遠謀。
異世界の知識が無ければ我も気付く事は無かったであろう。
「おばちゃん美味しかったよ!」
「そうかいそうかい。嬉しいね。また来ておくれよ!」
と、徐々に人が増え始めた露店の先に、なにやら人だかりが出来ている。
「オークションみたいだな。何を売ってるんだろう?」
と近くに行ってみると、どうやら貧民が身売りをしているらしい。
要するに奴隷市である。
聞けば数年前から月一回、自治会の監督の元でこうした市が開かれているのだと言う。
なお、これについて多少の説明が必要だとすれば、奴隷商が買い手である事だろう。
貧民が自分の子供や自分自身を売る為の市なのだ。
中央に設えられた演台の様なところで、奴隷希望者本人もしくはその家族らしき者が値段を叫び、精一杯の売り込みをかけている。
「――これは予想外だった……!」
「こればかりは昔から変わりませんね。見たところ安物ばかりの市の様です。ユーリウス様のお役に立てる様な者は居ないでしょう」
「安物……か……」
エーディットの言う通り、迷宮で暮らしている様な貧民が最後の賭けとして自分自身を売り込んでいたり、生活に困った家族が末の子供を売ったりする場なのである。
文字が書けたり計算が出来たり、はたまた戦闘訓練を受けた事のある様な者は一人も居ないだろう。
競りの価格も銀貨(※)数枚から高くても大銀貨数枚で、安ければ銀貨にも満たない価格で収まる程度であるらしい。
「……人が、こんなに安く買い叩かれるのか……」
ほとんど口の中だけで消えてしまったユーリウスの台詞は、周囲の喧騒に包まれエーディットにも届いていないが、実のところそれほど安い訳でも無い。
ゲルマニアは一般的にヴァンツ商圏と呼ばれる迷宮を基盤にした経済圏であり、ナヴォーナ王国からリプアリア王国、スェービ王国に至るアルトゥル商圏とは物価も価値観も全く違う。
ヴァンツ商圏とアルトゥル商圏を跨ぐ取引においては、小金貨と小銀貨しか使えないし、以前は国境を跨ぐ場合にも小金貨と小銀貨しか持ちだせなかったのだ。
現在はヴァンツ・アルトゥルの両商圏に跨る大国となったザルデン王国が存在するため、その制限が崩れかけているのが実情ではある。
特にヴァンツ、壁貨の価値が両商圏では全く違う為、両商圏に跨って両替商営む者や、両商圏にまたがって商取引を行う商会が出現した事によって、富の蓄積と偏在が始まっていた。
「俺はボニファン。ボニファン・ルーフトだ。元ラネック王国騎士で戦闘奴隷を希望している。値段は五大銀貨からだ」
そう叫んだのは赤ら顔で赤毛髭面の偉丈夫である。
元傭兵や兵士という者達も居たが、ここまで高くは無かった様に思う。が、ユーリウスが気になったのはそこではない。
元騎士だというボニファンという男を見守る二〇名ほどの泣きそうな顔をした男女の姿であった。
「誰か居ないか!? 俺はラネック王国の槍試合では八位に入賞し、王からも称された事がある! 五大銀貨だ!」
必死のアピールが続くが、周囲の商人達は白けた様子で沈黙している。
まだ僅かな時間しか見ていなかったユーリウスの目から見ても、ボニファンという自称元騎士の言い値が少々高すぎるのだ。
「では四大銀貨だ! 誰か居ないか?!」
ついに値下げが始まった。これもごく普通に見られた光景であった。
値段が上がる者もいれば、買い手がつかなくて自ら値段を下げる者もいる。また、一切の値引きをせずに売れないまま引き上げる者もいたのだが、値段を下げ始めた者は大抵買い取られていく。
値段を下げても売りたい、つまりその者、もしくはその家族や所有者は現金が必要だという事なのだ。
当然奴隷商達もこの程度では誰一人声を上げない。
悔し気な様子でボニファンの姿を見守る男女に気をとられている間に、二大銀貨、つまり一〇銀貨にまで値下げしているボニファン。
ユーリウスの見るところ、奴隷商達にもそろそろ適正価格なのだろう。
つまりここから先が奴隷商達の腕の見せ所となる訳で、まだまだ引き下がるつもりの無いらしいボニファンの値下げが続く。
見守っている者達の中には泣き出してしまっている少女までいた。
恐らく今起こっている事の意味までは理解していないだろうが……。
「五大銀貨」
と、そんな声が聞こえて、それまでの喧騒が嘘の様に静まり返った。
「五大銀貨だ」
もう一度同じ言葉が繰り返され、そのあまりにも幼い声に再び周囲がざわめき出す。
光り輝く一枚の四分金貨を掲げたユーリウス。
四分金貨が一枚、つまり五大銀貨であった。
※通貨
ヴァンツ商圏とアルトゥル商圏が併存する。
一般的に小金貨と小銀貨だけがヴァンツ商圏とアルトゥル商圏との交換に使える。
ヴァンツ商圏は主としてゲルマニアと呼ばれる地方。
1金貨=4四分金貨=10小金貨=20大銀貨=100銀貨=400四分銀貨=200半銀貨=500小銀貨=1000大銅貨=4000銅貨=8000半銅貨=20000小銅貨=50000壁貨
1晶貨=3~10金貨
1金貨=100銀貨
1四分金貨=25銀貨
1小金貨=10銀貨
1大銀貨=200銅貨=2500壁貨
1銀貨=40銅貨=500壁貨
1半銀貨=20銅貨=250壁貨
1四分銀貨=10銅貨=125壁貨
1小銀貨=8銅貨=100壁貨
1大銅貨=4銅貨=20小銅貨
1銅貨=2半銅貨
2半銅貨=5小銅貨
2小銅貨=5壁貨
1大銅貨=50壁貨
1壁貨≒量り売りのワインの最小単位≒1/10ミル(※約80ミリリットル)≒半斤分の小麦粉(約100~150グラム)
基本的に価格固定だが、物価の変動に合わせて混ぜ物が増えたり減ったりする。
他に2、5、10ヴァンツ硬貨がある。
ヴァンツは直系3~5センチ、厚さが1~5ミリ、中心の穴の大きさが3ミリ。
他に棒状の壁材が50~1000ヴァンツとして流通している。
ゲルマニアで一般的に使われる硬貨は、大銀貨、銀貨、半銀貨、四分銀貨、小銀貨と、四種類のヴァンツ硬貨の計九種類。
銅貨はほとんど使われておらず、銀貨も小銀貨が大半で、小銀貨と壁貨以外は滅多に目にする事が無い。
※ 度量衡
クライ 約6センチ
ローム 約60センチ
クルト 約4000メートル
ミル 約0.8リットル
イル 約18リットル
デル 約3グラム
スタン 約520グラム
イルジ 約20キロ
ゲルマニア
魔の森と周辺国地図
次の投稿は明日の朝七時になります。
ユーリウスが奴隷を購入しました。
因みに馬を買う予定の金貨でした。




