第百五話 レンドリース
少し短いです。
A.G.2882 ギネス二七一年 アルメル二年
太陽の月(一の月) 木の週の六日(三十日)
ノイエ・ブランザ王国 ズルトブラン州
王都ハウゼミンデン
ナグルファー号が墜落したと聞いてから八日が過ぎていたが、ナグルファー号に乗っていた者達は全員が隔離措置が必要との事で、アルメルブルクの迷宮に軟禁されたと言う。
幸いユーリウスは無事だったと言うが、この八日間ユーリウスの声を聞いた者は居ない。
女王エリナリーゼからも「ユーリウスは無事です。軽挙妄動は控える様に」という言葉があっただけ。
しかもあの紅眼が死んだと言う。
ユーリウスの重傷説、重体説が囁かれる様になっているのも無理は無かった。
「……ユーリウス様からの連絡は?」
「未だに音信不通です」
ミヒャエラはソフィの言葉に溜息を吐き、一瞬だけ瞳を閉じて頭を一振りすると侍女達に衣装を整えさせてそのまま部屋を出て行く。
因みに四美姫達専用となりつつある、王宮の中庭に面した大きめの茶室だ。
王族相手の茶会でも使えそうな豪奢で気品溢れる椅子とテーブル以外に、暖炉とソファーが置かれた一角や、ソフィとフィームが座っているローテーブルとソファーの組み合わせがある一角まである。
ここ数日、ヘルタとミヒャエラはユーリウスの代理として様々な会議や交渉事に追われており、ミヒャエラも分刻みのスケジュールを必死で消化しているのだ。
が、そのくせフィームとソフィには殆ど固定の予定が無い。
ミヒャエラとヘルタがノイエ・ブランザ王国の二大派閥、ヴィーガン侯爵とマルク辺境伯の縁者である事が理由なのは間違い無かった。
要するに、ユーリウスが死んだか重傷を負っている事を前提とした動きが広まっていたのである。
「……ミヒャエラ様は大変ですわね」
「仕方あるまい。ヘルタがアレだからな……」
お茶を手にしたフィームとソフィの会話だった。
フィームはエリの態度を見てユーリウスが無事である事を確信していたし、これは秘密であったが、アルメルブルクに居る妖精族の一人から、ユーリウスが大きな荷物を自分で持って古代神殿に入っていくのを見たと言う報告も受けていたのだ。
ソフィについてはもっと達観している。
この年で寡婦になるのは少々辛いが、例えユーリウスが死んだ所でまた商人に戻るだけだと思っているのだ。
フィームが時々なにやらブツブツと呟き出すのは妖精のエーミーと会話している為である。
頭が可怪しくなった訳では無い。
「ヘルタ様は随分荒れていらっしゃいましたから」
「うむ。ヘルタの様な女を『ツンデレ』と言うのだ」
「つんでれ、でございますかフィーム様?」
「そうだ。ツンデレだ。『その気が無いフリをして冷たい言葉ばかり言う癖に、本当は好きで好きで仕方が無くて、時々その冷たいフリを忘れてしまう様な可愛らしい女』という意味だ」
「……ヘルタ様そのまま、ですわね」
「だろう? 年齢差が気になって素直になれないらしい。しかも面談を求めて来る者達の大半はユーリウスが死んでいる事を前提にして話したがる連中だ。ヘルタがどれほど言葉を尽くしても意味が無い」
「侍女から噂を聞きました。一日二本のペースだそうです」
「一日二本――あぁ、扇か」
「はい。昨日は遂に鉄の板が入った扇を曲げてしまったのだそうです」
「それで今日はあんなに荒れていたのか」
「そうかもしれません」
鉄の板が入った扇、鉄扇である。
武器であり普通は折れない。
「そのヘルタからだぞ?」
空中投影型の卓上端末から通知音が響いて起動した。
ヘルタの板状携帯端末画面が映し出されている。
どうやらヘルタが操作中らしく、画面の表示が次々と変わって指ゴーレムや腕ゴーレム用の魔晶の割り当て量を確認し始める。
同時にもう一つ別の窓が開いた。
「――また軽銀(※)の製法ですか。ついにヘルタ様にまで泣きついたのですね」
「錬金術協会の連中も勇気があるな……」
「またヘルタ様の機嫌が悪くなります……と。名簿に無い方なので教える事はできません――と」
※軽銀には一般的な軽銀=アルミニウムと、重ミスリルとか硬ミスリルと呼ばれるチタンがある。どちらも迷宮からは比較的豊富に採取される。アルメルブルク以外には、アルミニウムをアルマイト加工したり、ジュラルミン等の合金にする技術は無い。
なにやら呟きながらテーブルの上に映し出されたキーボードの文字に触れて文章をつくるソフィ。
これはフィームよりもソフィの方が早くて間違いが少ないのだ。
「鍛冶ギルドや錬金術師達が目の色を変えるのも無理は無い。軽銀がアレほど強い金属になるとは誰一人思ってもみなかったからな」
そう、一般的に軽銀の魔導具は軽くて魔力が通り易い上に加工がし易い為、魔導士達の御用達だったのだ。
が、如何せん軽銀は柔らか過ぎる。
だがアルメルブルク産の軽銀は驚くほど強靭なのである。
純粋なアルミニウムとジュラルミン(恐らく超々ジュラルミンと呼ばれる物)では事実上別物である。
各国はアルメルブルクで一体どんな加工をしているのかと、必死でその秘密を探ろうとしているのだが、誰一人として成功した者は居ない。
そもそもユーリウスが知らないのだからどうしようもないのだ。
「軽銀や硬軽銀よりもアダマンタイトの秘密が知りたいものだが……」
「――あの黒い金属ですか……小さな塊なのに驚くほど重くてびっくりしてしまいました」
「重さだけなら鉄の三倍はある徹甲弾の元になる金属と言うのも見た事があるがな? アダマンタイトは鉄の倍の重さでより強靭で、しかも金剛石に匹敵する硬さがあるらしい。何かの金属を炭で焼入れした物なのは確かなのだが……教えてくれないのだ」
因みに迷宮珠の殻や某人型殺人ロボットの骨格と同じ物質(タンタル。この場合は炭化タンタル)だったりする。
「私はそんな恐ろしい物の事など知りたくありません」
賢明な判断である。
知った所で危険が増えるだけだ。
「そうだな。だが妖精族は知りたがりの種族だから仕方ないのだ」
「……それにしてはユーリウス様がどうなさったのか、あまり興味が無さそうですが?」
多少批難がましい口調であったのはソフィが抱える不安の裏返しであろう。
「ユーリウスが怪我でもしていれば、エリが呑気に女王稼業なんぞをしている訳が無いだろう?」
「それは、確かに、そうですけれど……」
「つまり国や戦争の行方に考えが向かない程の何かに集中しているのだよ」
「国や戦争よりも大切なもの、ですか?」
フィームの言葉はソフィの心には響かなかったらしい。不思議そうな顔で首をかしげている。
「ユーリウスにとっての国家とは、なんらかの目的を達成する為の手段の一つに過ぎないらしい」
「目的ですか?」
「うむ。第一がエリの安寧。第二に私達の安寧。第三にユーリウス自身の安寧……だと思う。大昔に失われた何かを探し求めているとも聞いたが、それがどんな物なのかは私にはわからなかった」
「……安寧」
安寧とは程遠い激務と重圧の真っ只中に放り込まれた身としては納得がいかないらしい。
「ユーリウスの考える安寧は、一般的な安寧とは少し違うのだろう」
「違い過ぎると思います」
と、そこで再び卓上端末が起動して一度に数十枚の窓を表示する。
「――ユーリウスだな」
「ユーリウス様?!」
と、ソフィが添付されていた文章を読み始めるのと同時に、フィームが窓の一つを手前に動かして、映し出された画像を確認していく。
「……これは! 乗り込み型のゴーレムか!」
動画まで添付されており、オートマタの一体が乗り込んで試験している様子が映し出された。
どうやら簡易量産型で各国への有償供与品となる「E型」と呼ばれる物らしい。
座席の入った箱型の胴体に手足が付いた、どこかコミカルな印象の強化外骨格である。
全高は三〇〇センチメートル程、肩幅が一五〇センチメートル程だろう。
操縦者は胸から上が剥き出しになり、腕は二本、機体の指は其々親指から薬指までの四本しかない。
操縦者は座り込んだ姿勢になっている機体に、梯子が胴体後部に付いている取っ手を使って乗り込み、箱型の座席に座ってシートベルトを締め、肩から指先までの両腕の動きをトレースする籠手の様な器具を付ける。
座席の前には大きな丸い方向舵が付いており、ホイールを掴んで引けば立ち上がり、一杯まで押し込めば座り込む。
ホイールを握っている場合、もしくは両手又は片手の動きをロック――小指を二回素早く曲げる。解除も同じ――した状態で丸い方向舵を回すとその方向に向きを変え、右足のペダルを踏み込むと前進、左足のペダルを踏み込むと後進となっている。
細かな動きは不可能だが、バランスを上手くとって三〇〇キログラム程度の物まで持ち上げて運ぶ事が出来るらしい。
「――ゴーレムというより自動人形に近いな」
「ミヒャエラ様とヘルタ様の為ですね」
「そうだな……だがコレは売れるだろうな」
「操縦者は魔導師でなくても良いのですね……私にも使えるのかしら?」
「使えるだろう。これなら老人でも使える」
どこか吐き捨てる様な言い方であった。
「フィーム様?」
「自立型のゴーレムは妖精族の国にしか無かったのに、それを変えたのはユーリウスだった。そして今度はコレだ。ゴーレムに命令出来るのは魔導師だけだったのに、足さえ届けば子供でもゴーレムを動かせる様になった。ユーリウスは一体この世界をどうしたいんだ?」
妖精族からすれば当然の感想だっただろう。
妖精族の国の絶対的であったはずの優位性が崩壊していくのだ。
それを一番近くで一番長く見続けていたのはこのフィームなのである。
「……便利になります。豊かになります。きっと皆が幸せになります」
「ユーリウスの思い通りの便利さで豊かさで幸せなんだろう?」
「フィーム様……?」
暫くE型の資料を見ていたフィームが溜息を吐いた。
「すまない」
「いいえ。でも、何が悪いのか、フィーム様が一体なにに憤ってらっしゃるのか私にはわかりません」
そう言ってフィームを見つめるソフィ。
「――そうだな。私は一体何に対して憤っているのか……」
ユーリウスが何を考えているのかはわからない。
が、少なくとも妖精族の国と敵対するつもりが欠片も無いのは知っているし、フィームの事も大切にしてくれている。
ならばそれを喜ぶべきなのだ。
……たぶん。
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