第百四話 エーディット
A.G.2882 ギネス二七一年 アルメル二年
太陽の月(一の月) 風の週の四日(二十二日)
ノイエ・ブランザ王国 ズルトブラン州
ドーグの森北西のハルツ川上空
ナグルファー号艦内
その攻撃を避ける事が出来たのは僥倖であったと言って良い。
ヴェルビングが余計な一言を口にしなければ奇襲は成功していただろう。
いや、奇襲そのものは成功だったと言えるだろうか?
咄嗟の事でユーリウスは身動きがとれなかったのだから。
エーディットが身を挺してユーリウスを突き飛ばしていなければ、軟体動物の様な動きをしているユーリアの皮を被ったヴェルビングに捕らえられていたのはユーリウスであっただろう。
「っく! エーディット!」
触手の様に動くその手足でエーディットの両手両足を絡めとって拘束し、エーディットの持っていた狙撃銃を掴んでユーリウスを撃とうと引き金を引く、が、もちろん弾は出ない。
「ふむ。やはり撃てないのか。だが、これはどうかな?」
言うなり狙撃銃を真上に向けて発砲する。
これは成功する。
狙撃銃の初速は秒速一二〇〇メートル程で長銃身の突撃銃と殆ど変わらないが、弾頭の重量が九グラム以上で射出時の運動エネルギーは七〇〇〇ジュール近い上に電磁加速砲の特性上、弾頭に溝が施された装弾筒付徹甲弾か装弾筒付翼安定徹甲弾である。
天井の内壁を軽く撃ち抜き構造材の一つを圧し折り、気嚢の一つに二つの穴を空けて船体後方上部の外版を撃ち抜き表面装甲の内側で弾かれ、もう一度外版を撃ち抜き気嚢二つに四つの穴を空けてから構造材にあたって弾かれ、更に気嚢の一つに二つの穴を空けて艦中央部を通るダクトの一つに二つの穴を開けると、乗船区画の天井内壁にめり込んでようやく止まった。
滅茶苦茶である。
対物ライフルを使っていれば表面装甲板をも打ち抜ける為、逆に被害は少なかったかも知れない。
ともあれ一発目が撃てた事に気を良くしたのか二発、三発と乱射するヴェルビング。
同時に触手を伸ばしてこれ見よがしにエーディットの首に巻きつけた所で、炎の魔法によってエーディット毎火達磨にされた。
ヴェルビングもまさか人質毎炎の魔法で焼かれるとは思っていなかったのだろう、半分水の入った革袋が潰れる様な音を出し、慌てて効果範囲から逃げようとしてエーディットを取り逃がしてしまう。
精霊魔法ではなく魔法であった。
これならば機動歩兵には然程影響は無いが、人の皮を被っただけのヴェルビングには十分に効き目がある。
ヴェルビングの拘束から逃れたエーディットが大腿拳銃嚢から拳銃を引き抜き、片膝撃ちの斉発で一度に十二発のミニロケットを叩き込むのと同時に予備銃身を引き抜いて、撃ち終わった銃身をその場に落として呼び弾倉を装填。
ユーリウスは魔法を放った直後に背中の駄剣を引き抜いて、胸の中央から上をミニロケットの爆発で吹き飛ばされたヴェルビングを袈裟斬りに切り裂き、更に横薙ぎ、引き戻して上段から縦に切り裂いた。
因みにユーリウスが総重量三キログラムの駄剣を振りぬく際の切っ先の速度は秒速八〇メートル(超一流プロゴルファーのフルスイング並みである)近く、動力甲冑を着込んでいれば秒速一〇〇メートルを超える事もある。
つまり一五〇〇〇ジュール近い運動エネルギーをある程度継続して叩きつける事が出来る。九ミリパラベラムで凡そ五〇〇ジュール程度である事を考えると桁が違うし、上手く体重を乗せれば更にもう一桁上の数値を叩き出すだろう。
もちろん剣戟というのは常にフルスイングが可能な訳では無いし、大半の攻撃は良くて数百ジュール程度であるが、動力甲冑を着て魔獣や魔物を相手にする場合には銃火器よりも駄剣の方が役に立つのは確かであった。
「コレで最後だ! 蒼き炎よ我が敵を焼き尽くせ!」
こんな時でも中二病魂を忘れないユーリウスである。
某焔の錬金術師を気取っていた幼い頃に作った精霊魔法を発動するキーワードを口にして、周囲に無数の魔法陣と魔法の発動エフェクトを浮かび上がらせた上でカッコイイポーズをとるユーリウス。
これでユーリウスが切り裂いたヴェルビングは綺麗に焼き尽くされていた。
が、問題は先程ヴェルビングが狙撃銃を乱射した事をすっかり忘れていた事だろう。
気嚢については発火した瞬間に防火結界が発動して火災を抑えていたが、火災が発生せず、高度が下がって猛烈な勢いで水素を噴き出している気嚢についてはそのままなのだ。
そして運悪く、非常に運が悪い事に、ヴェルビングの撃った弾頭の一つが第三艦橋の防火結界用魔導具を掠めており、その衝撃で機能を停止していた。
そう。
第三艦橋は爆発したのである。
爆発は第三艦橋の窓という窓の全てを吹き飛ばした上に表面装甲板の幾つかまで吹き飛ばし、更に後部の方向舵の制御装置を完全に破壊してしまった。
制御を失ったナグルファー号は緊急着陸の為に目指していた平原ではなく、その手前の森の木々を圧し折りながら最後の三〇メートルを降下しつつ横に半回転し、完成以来酷使されてきた構造材の幾つかが折れた事で船体中央部を拉げさせながら不時着した。
爆発の衝撃で壁面に叩き付けられて意識を失っていたユーリウスが目覚めたのは、不時着から凡そ一時間程後の事である。
「……知らない天井だ……つーか毛布?」
寝たまま手を伸ばしても届いてしまう程低い。
どうやら毛布をタープ代わりにした簡易のシェルターを作り、船室から引っ張りだして来たマットを布いて、その上に寝かされているらしい。
まだ吹雪は収まってはいなかったが、ナグルファー号の個室から引剥した暖房用の魔導具が置かれていて寒くは無かった。
右脇腹に鋭い痛みを感じながら起き上がったユーリウスであったが、他に大きな傷は無いらしい。
「なんちゃって電磁シールド改二」が発動していなければ打撲に骨折、内臓破裂程度のダメージを受けていたのは間違い無いが、肋を二本圧迫骨折した程度で済んでいたのだ。
動力甲冑が脱がされただけのインナースーツ姿で、枕元には駄剣と板状携帯端末が一つ、それから軍服と防寒用のコートと動力甲冑用のブーツが置かれていた。
「魔剣、一体どうなっている? あれからどれくらいたった?」
「今は野営の準備中だよ。意識を失ってたのは大体一時間くらいだ。あと少しで夜が明ける」
「そうか――エーディットはっ?!」
「爆発で通路の方に吹き飛ばされて腕を骨折してるらしい。だが元気そうだったぞ?」
エーディットの話を聞いて漸く頭がはっきりしてきたらしい。
直ぐに軍服を着こみ、これだけは動力甲冑用のブーツを履くと、裏地が毛皮のコートを羽織って天幕を出る。
「エーディット!」
目の前に天幕に入ろうとしていたらしいエーディットが居た。
ナグルファー号の船員用であるジャンプスーツに防寒コートを引っ掛けた姿だったが、添え木を当てられて固定された右腕が痛々しい。
「ユーリウス様、良かった。目が覚めたのですね」
「エーディットは、怪我はそれだけか?」
「はい」
思わずエーディットを抱きしめたユーリウスだったが、折れた腕に響いたらしく小さく声を上げたエーディットに慌てて謝罪して離れる。
「……損害は?」
「負傷二三名。大半が打撲と骨折ですが四肢の切断が二名。死者は一二名です」
「切断? 一二名?!」
「不時着時に避難していた個室のダクトから小型のティックルルーが現れたそうです。全員シートベルトをしていて対応が遅れ、四名が喰われました」
「……四肢の切断はその時か」
「はい。死体は今焼いている所です」
ナグルファー号が圧し折った森の一角に焚き火の明かりが幾つか見えているが、風下の一番大きな明かりがそれである。
薄暗闇の中、空は低くて暗い雲に覆われていて未だに吹雪いている。
不意に寒気を感じて身震いしたユーリウスは、そこで改めて周囲を見渡した。
五〇名程の人影がナグルファー号から荷物を降ろしたり、天幕や朝食の準備をしている。
ユーリウスが寝ていた様な、木々の間にロープを張って作られた簡易のシェルターが八つ程あった。
「――本当にそれで全部なのか?」
「わかりません。構造材や気嚢の隙間に隠れていたら発見のしようがありませんから」
「……ナグルファー号ごと焼くしかないか」
「はい。そう仰ると思って機動歩兵が使える物を全て降ろしています。三時間もあれば粗方船外に出せると思います」
「わかった」
「それより何か口にされた方が良いと思います。今朝食の準備をさせていますのでそちらへ」
エーディットに促されて焚き火の一つに向いながら、板状携帯端末を出して状況を確認する。
死んだのは砲術士官の中間種達だった。
全員が第三世代で一番若い個体は生後半年程である。
「……怖かっただろうな……」
ポツリと呟いたユーリウスであったが頭を一振りし、板状携帯端末を操作する。
この夜の間にザルデン王国に侵攻したシュマルカルデン同盟軍も悲惨な事になっていた。
カスパル・シュテファン要塞は陥落し、シュマルカルデン同盟軍は潰走中で、殿となった機動歩兵の多くがティックルルーの群れに飲み込まれていた。
それでも二割がテューピースレーンに辿り着ければ良い方であるらしい。
疲労と凍傷で多くの者が雪に覆われた街道沿いに屍を晒す事になる。
「くそっ……!」
その場で窓を開いて兵器の開発状況を確認するユーリウス。
「アニィ! 強化外骨格の開発はどうなってる?!」
窓が幾つか開いて進捗状況が表示された。
ほぼ全てが一〇〇パーセントに近く、幾つかは試用の為にハウゼミンデンへ輸送中であった。
専用の動力甲冑を着込んだまま乗り込む、全高三メートルはある内腕付きの戦闘用強化外骨格が本命であったが、動力付きインナースーツとも言える薄型の専用動力甲冑の開発に手間取っているらしい。
ただし、動力甲冑を着こまず通常のインナースーツで乗り込む形態の強化防護服は試作品が幾つか完成している。
左腕に大型の電磁加速砲を搭載したA型、左腕の電磁加速砲が無いA2型、卵型のコクピットがあり重装甲のB型、両腕を内部で自由に動かせるコクピットを持ち、コクピットの内腕を操作して多数の兵器を操作する事が可能なC型。
そして基本設計はA2型だが、工兵その他の支援部隊で使用する予定の、胸から上、ヘッドレスト部分以外が透明なポリカーボネートで覆われたD型である。
あまり詳しく描写すると横山宏ファンからダメ出しを喰らうに違いないビジュアルだが、何れもゴーレムではなく高出力な自動人形形式の駆動系を持つ為、謂わば肉体の延長である動力甲冑とは比べ物にならない力を発揮する。
……はずであった。
「これでティックルルーに喰われたらどうなる?」
どうもならない。
動力と内部の酸素が続く限り活動可能だ。喰われた所で無理矢理ティックルルーの身体を掻き分けて出て来る事が出来る。
流石にD型の場合はポリカーボネート部分を叩き割られる可能性が有るため危険であったが、同じく有視界戦闘が可能なA型のポリカーボネートは強化型であり、装甲板を叩き潰せる程の衝撃でもなければ割れる事は無い。
「問題を把握して改修しつつ量産を開始しろ。一旦動力甲冑の生産を抑えても構わない」
アルメルブルクで生産ラインの変更が始まった。
「ユーリウス様」
エーディットがスープが入った樹脂製のゴブレットと言うか、大きなマグカップを左手に差し出してきた。
右手を固定され、ユーリウスに持ち易い様にと持ち手をユーリウスに向けて小走りにやって来る。
「……ありがとう」
「いえ……あ……」
「おっと!」
雪で滑ったのかエーディットが足を縺れさせて倒れ込み、固定された右腕に触れない様に支えるが、スープが少し溢れて湯気が上がった。
「――すいませ……あ、」
雪の上に溢れた熱いスープで一瞬だけ濃い蒸気が立ち込めて、エーディットの手から落ちたマグカップが転がった。
苦笑したユーリウスがエーディットを立たせ、転がったマグカップを拾おうとして、その手が止まる。
咳き込む様な音と共にエーディットが身動ぎし、ユーリウスが伸ばした手の先に鮮血が降り注いだのだ。
その瞬間、無理な姿勢をしていたユーリウスをエーディットが突き飛ばした。
「エーディット!?」
ユーリウスを突き飛ばした後、もう一度口から血を吐いたエーディットが腹を抑えてその場に膝を付いた。
何かが左手で押さえた腹部を突き破り鮮血が噴き出した。
食事の準備をしていた者達から悲鳴があがった。
「エーディ――」
エーディットがもう一度血を吐いて、片手を腰に回してナイフを引き抜き首に当て、何度も首を切る様な動きをする。
自分では切れない事は知っているが声が出ないのだ。
一瞬目を閉じたユーリウスが頷いた。
「――愛してる」
駄剣を引き抜きそう言うと、無理矢理笑顔を作ったエーディットの首を一閃で切り飛ばし、全力で飛び出しその首を掻き抱くと雪原に駄剣を突き刺し、右手を伸ばして精霊魔法のキーワードを叫んだ。
「蒼き炎よ焼きつくせっ!」
エーディットの身体が燃え上がった瞬間、発情期の猫の様な鳴き声が響き、首の切り口から血飛沫と共に黒く細長いモノが飛び出して来たが、それも一瞬の事であった。
青白い炎は飛び散った血飛沫の一滴たりとも見逃さず、灰になるまで燃やし尽くしていく。
急速に冷たくなっていくエーディットの頭部を抱きしめ、抱え込む用にして膝から崩れ落ちる。
傍らの雪原に突き立てられた魔剣はまるで墓標の様に見えた。
ユーリウスの慟哭が、薄暗闇の森に響き渡ると吹雪の中に消えていった。
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