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第百一話 狂気

A.G.2882 ギネス二七一年 アルメル二年

太陽の月(一の月) 風の週の三日(二十一日)

ノイエ・ブランザ王国 ザルツ州

ボーゲンザルツ



 ユーリウスがソレに気付いた時、既に全ては手遅れになっていた。

 ボーゲンザルツ郊外のノイエ・ブランザ軍陣地では、真っ赤な機動歩兵と純白の機動歩兵が、漆黒の機動歩兵五個小隊(一個小隊の定数は八名。五個小隊で四〇名)の残存兵力二六名程と共に、襲い掛かってくる五七体の人型ティックルルーと戦っていた。

 マルク辺境伯(マルク)ゲオルグに全軍の撤退を指示し、近場にいた機動歩兵を集めるだけで精一杯だったのである。

 事実、鎧を着込んだ人型ティックルルーには機動歩兵を除いて誰一人敵わなかった。

 その機動歩兵ですら防戦一方であったのだからどうしようもなかったのである。

 人気の無くなった陣地で防衛戦の指揮をとっているのはカイである。


「ユーリウス様、前に出過ぎです! 下がって下さい!」

「わかった!」


 カイの指揮に従いながらも、魔法陣を展開しながら時折雷撃や炎を使って攻撃しているユーリウスであったが、どうやら既に全てのティックルルーが魔石や魔晶を保持しているらしく、最初に何体か焼き殺した程度で効果は薄かった。

 ティックルルーが魔法を防御する為にマナの膜や霧でその表面を覆っているのだ。

 どうやら色々と試しているらしい。


「雷も炎も効かないとは……!」

「伸ばしてくる触手以外は剣も効き難い様子。既にヘッドショットで動きを止める個体はありません」


 ユーリウスの台詞に隣で狙撃銃(ユーリウスが持っている突撃銃(アサルトライフル)の、箱弾倉大口径長銃身版)を構えているエーディットが反応した。

 先ほどからヘッドショットでショゴ……ではなくティックルルーの脳を打ち抜き、動きを止めた所をユーリウスが魔法で焼き尽くしていたのだが、どうやら脳を身体の別の所に移したか脳を持つ個体が遠隔操作を始めたらしく、頭を吹き飛ばしても動きを止めなくなってしまっていたのである。


「あと一〇分程で哨戒に出ていた機動歩兵が一個小隊合流できます。これが最後です」


 カイが告げた。

 第二機動歩兵大隊から一個機動歩兵中隊を殿として残し、残りは撤退支援に振り向けてしまっているのだ。


「これだからティックルルーは厄介なんだよなぁ……」


 などとボヤキながら最後のロケット弾をランチャーに装填して射出する。

 同時に魔法陣を展開して火炎魔法を選択。

 一体のティックルルーがはじけ飛んだ瞬間に半径三〇メートル程の巨大な炎が出現して全ての破片を焼き尽くした。

 周囲にいた何体かのティックルルーも巻き込んでいたが、焼かれて死んだ部分を食料代わりにして吸収し、一瞬動きを止めただけでヨタヨタとぎこちない動きで再び陣地に向かって歩いてくる。

 幸いなのはどれも人型で人間サイズだという所であろうか?

 お陰で一体一体が伸ばしてくる触手は然程長くはなかったし、注意して動けば機動歩兵達が振るう槍や剣でも十分に切断可能で、切り落とされたティックルルーはその個体や他の個体に拾われるまで本能のままに動く粘体生物でしかなくなり松明の炎で軽く焼き殺せるのだから。

 といっても防衛戦を行っている機動歩兵達で松明を持っている者は誰も居なかった。

 集中的に狙われて殺されるか喰われるかしてしまっていたのである。

 切断した後の小さなティックルルーに関しては、時折ユーリウスが範囲選択で纏めて焼き殺していくしかなかった。


「動きがゾンビ並みでなければ終わってるな……カイ、どのくらい耐えられる?」

『半日程度はなんとかなるはずです。それ以上は兵の気力が持ちません』


 だろうな、と密かに溜息を吐くと考えこむ。

 既に三重の防御陣の一つを破られ、陣地内に進入されているのだ。

 そのくらいが精一杯であった。


「損害を出さない様にだけ注意して継続してくれ」

『了解しました』


 と、不意にティックルルー達の動きが変わった。

 どうやら撤退するつもりであるらしい。


「――カイ、全員下げろ。何か始めるつもりらしい」

『今なら追撃できますが?』

「ダメだ。よく見ろ、罠だ」


 ユーリウスの言う通り、こちらに背を向けてヨタヨタと逃げ出している様にも見えるが、小さなティックルルーが点々と散らばっているのが確認出来る。

 即座に魔法陣を展開したユーリウスがそれらを纏めて焼き殺していくが、機動歩兵達を突っ込ませるのは少々危険であった。

 動力甲冑に取り付いた個体が、いつの間にやらヘルメットの中にまで進入していて、耳や目や鼻や口から進入してきて脳から喰い殺されるという事例が幾つも発生していたのである。

 凡そ二リットル程もあれば離れた所から操って、そうした攻撃を行う事が可能であるらしい。

 それ以下になると動きが良いだけの粘体で、大きな傷口でもあって潜り込めれば別だが、生きた動物の皮膚を溶かして喰らうまでの力は無くなり、精々が腐肉を漁る程度の事しか出来なくなる。

 それどころか鼠や肉食の昆虫等の良い餌なのだ。

 ともあれ、全てのティックルルーに指示を出すキングなりクイーンと呼ばれる個体がどこかに居るのは確かである。


「カイ、超小型無人航空機(アニィちゃん)を出して偵察してくれ」

『現在準備中。射出しました』


 どうやらユーリウスが指示を出すまでもなかったらしい。


 カイの居る方向から超小型無人航空機(アニィちゃん)が飛び出して捕虜達を閉じ込めていた屋敷に向かって飛んで行った。

 機動歩兵達を撤退させる為、現在五隻の高速飛行船がボーゲンザルツを目指して移動中であったが、最初の一隻が到着するまで後四時間、最後の五隻目が到着するのは六時間後、大量の油を積んだナグルファー号が到着するのは八時間後であった。



 一方その頃、天候の悪化が続いて吹雪き初めているカスパル・シュテファン要塞でも新しい動きが発生していた。

 ザルデン軍の一部兵士が、いや、ザルデン軍の一部兵士だけではなく、シュマルカルデン同盟軍の全ての軍からも、一人、二人、と、武器を捨てて壁を乗り越え、ティックルルーの群れに向かって歩き出したのである。

 と言っても壁の高さは空堀の底まで一五メートルはある。

 その多くが足や腕を骨折して酷い事になっていたが、痛みなど全く感じていない様子で、折れた骨が皮膚を突き破って出ているのも無視してヨタヨタとティックルルーの群れに向かって歩いていくのだ。

 八〇名程であろうか?

 殆どパニック状態になったカスパル・シュテファン要塞であったが、緊急の報告を受けたユーリウスからの「絶対にティックルルーと接触させるな。不可能なら全員殺せ」という命令に更に混乱する事になってしまう。

 それまで共に戦っていた仲間なのだ。

 いくら可怪しいと言っても戦友の背中に向かって弓矢を放てる者など殆ど居ない。

 パニック状態が続く内に最悪の事態が発生していた。

 自分達に向かって歩いてきた餌を本能のままに飲み込んだティックルルーの数体が動きを止めたのである。

 訳のわからない動きを始めた兵士達の大半は、慌てて門を開けて飛び出した各国の兵士達によって無理矢理要塞内に引き戻されたが、一番最初に動き始めた四、五人については間に合わなかったのである。

 全てのティックルルーが動きを止めたのが二〇分後、要塞内の混乱を治める事が出来たのは三〇分も後の事であり、カスパル・シュテファン要塞が陥落したのはそれから二時間後の事であった。

 当初八〇〇〇の軍勢を擁していたシュマルカルデン同盟軍は、組織的な攻撃を行うティックルルーの群れの前に崩壊し、吹雪の中で壊滅したのである。

 テューピースレーンに辿り着けたのは二〇〇〇名に満たなかった。



 ヴェルビング・アンドレアス・フォン・ヴァルター・デア・ザルデン、ザルデン王国の国王ヴェルビングはその全てを見ていた。

 生きたまま喰らった相手の記憶の全て自らの物として脳を肥大化させ、その巨大な脳が必要とする膨大なエネルギーを周囲のあらゆる物を喰らう事で維持していた。

 身体の大半を脳にして、手足として使っている数体のティックルルーに近場にある有機物を運ばせて喰らっているのだ。

 既に人の姿ではなかったが、その意識は、少なくともその意識の中核にあるのはヴェルビングのものであった。

 ヴェルビングは楽しかった。

 カスパル・シュテファン要塞に居た「加護持ち」の兵士達の意識を奪って適当なティックルルーに喰らわせ、その脳を模して思考能力を生み出し、自身の意識の欠片を植え付けた後、周囲の個体に接触させて「加護」を植え付けて配下にし、配下となった個体をさらに別の個体と接触させる。

 そうして次々とその配下を増やしていった。

 ロカマドゥールに何体か居た加護持ちの目を通して見た、ノイエ・ブランザ軍の新兵器の威力には恐怖したが、直ぐに対策を思い付いた。

 迷宮に潜ってしまえば良いのだ。

 直ぐ近くに二〇〇階層超えの迷宮がある。

 食料も多い。

 しかも三〇〇階層超えのティックルルーに敵う魔物など居ない。

 ヴェルビングは笑った。

 ボーゲンザルツの迷宮は自分の物になる。

 迷宮の全てを支配して、もっとたくさんの自分(ティックルルー)を作ろうと思った。

 人の皮が残っている部分が痒かったから引き剥がして喰らった。

 うまかった。

 自身の目玉を噛み潰した。

 耳を、鼻を、その唇を引き剥がして喰らった。

 いつの間にかボーゲンザルツの迷宮にたどり着いていた。

 暖かくて心地良い場所であったが、困った事に迷宮の外に居る自分(ティックルルー)が見えなくなった。

 暫く考えて身体の一部を長く伸ばしていき、迷宮の外に小さな自分(ティックルルー)を造り出したら、再び他の自分(ティックルルー)達が見える様になった。

 ヴェルビングは笑った。

 趣味の悪い奇妙な飾りの様になった自身の頭を振って笑った。

 中身はとっくの昔に無かったから、ただ虚ろな穴があるだけのそこから涙を流しながら笑った。

 剥き出しの口をカチカチと合わせるのが楽しかった。

 残念だったのはカスパル・シュテファン要塞を奪い取った所で、小さな自分(ティックルルー)が凍り付いて動けなくなってしまった事だ。

 完全に凍り付くと死んでしまう事がわかったから、未だ動ける大きな自分(ティックルルー)をどんどん集めてさらに大きくなった。

 凍り付いて死んでしまった自分(ティックルルー)や砦に残されていた糧食や油や獣や兵士達の死体を喰らった。

 大量の魔石や魔晶があって、それは特に美味かった。

 全てを喰らって新しい王国を創ろうと思った。

 こんなに楽しいのは初めてだった。

 ボーゲンザルツの迷宮を喰らいながら沢山の魔物や魔獣を喰らい、更に脳を増やして見どころのある魔獣の身体を奪うと、あの赤い奴を襲わせた。

 あの赤い奴はどうしても食べなければ、そう思った。

 ふと、どうしてそう思ったのか不思議になって考えてみたら、あの赤い奴は大魔導師なのだ。

 とてもとても強かった兵士達の記憶を思い出したらとても尊敬していた。

 うらやましくなった。

 ならばあの赤い奴を喰らって自分が赤くなったら良いとおもった。

 いつの間にとりこんだのか知らない別の加護の様なモノに気付いた。

 なんだかわからないが経路(パス)が繋がっているから奪っ……。



 


「撤収っ!」


 ユーリウスの台詞と同時にナグルファー号の副砲が発砲した。

 剣狼(アングストヴォルフ)型のティックルルーは綺麗にその頭を吹き飛ばされてひっくり返っていたが、直ぐに新しい頭を作り出して再び向かって来ようとして今度は最大出力の連射を喰らってバラバラにされ、その瞬間にユーリウスによる炎の魔法で燃やされた。

 殿を務めていた機動歩兵はほぼ全員が撤収済みであり、ユーリウスとエーディット、それからカイ直属の一個小隊がナグルファー号に乗り込めば撤収完了であった。

 これでも一時はかなり危機的状況に追い込まれていたのだ。

 カスパル・シュテファン要塞の防衛線が崩壊しつつあり、こちらは暫くなんの動きも無くなっていた事から油断してしまったらしい。

 気付いた時には緑色の子鬼(ゴブリン)型や大豚鬼(オーク)型のティックルルーや剣狼(アングストヴォルフ)型のティックルルーによって包囲されていたのである。

 悪化する天候の中でギリギリまで踏みとどまってくれた高速飛行船の艦長たちの献身的な援護が無ければかなりの損害が出ていただろう。


「どうやらティックルルー達はボーゲンザルツの迷宮に逃げ込んだ様ですね」

「また厄介な所へ……!」


 最後にもう一度、ナグルファー号による砲撃と銃撃によって細切れにされた剣狼(アングストヴォルフ)型ティックルルーを炎の魔法で焼き尽くし、悪態をつきながら最後にユーリウスがナグルファー号に乗り込んだ。

 即座に浮上し風上に向かって進みつつあっという間に上昇していく。

 扉が閉じられた所でしゃがみ込むとマスクを毟り取り、ヘルメットを放り出して大きな溜息を吐いた。

 外から戻ってくる者達の為に三〇度近い温度に設定してあるらしく、格納庫の中は非常に暖かった。

 ぶるりと震えた所で随分と身体が冷えていた事に気付いた。


「……損害は?」

「三名です。合計で戦死一二名。負傷者四名です」

 

 びしょ濡れのまま、ユーリウス同様マスクとヘルメットを脱いで格納庫の壁にもたれて座り込んでいたカイが答えた。


「負傷者の様子は?」

「最後に確認した時は落ち着いていました」


 ユーリウスがわざわざ確認したのは、魔獣型や魔物型のティックルルーに噛まれた者は噛まれた部位を切断させたからである。

 小さな個体が消化器系に入り込んでも消化されて終わりだが、呼吸器系や傷口から入り込んだティックルルーは生き残って増殖する危険があったのだ。


「……わかった。隔離して様子を見ておくように伝えてくれ」

「はい」


 撤退戦に成功したユーリウス達であったが、既にカスパル・シュテファン要塞陥落の報が届いていたからか、その表情は暗かった。

 シュマルカルデン同盟軍はこの吹雪の中を決死の思いで撤退中なのである。

 どれほどの被害が発生するかわかったものではなかったのだ。

 毛布とタオルを持って来てくれた甲板員に礼を言って受け取ると立ち上がると、ピアス状の即時通信(アンシブル)機に触れて声を出す。


「艦長、予定通りハウゼミンデンに向かってくれ」


 極々僅かな遅延で艦橋にユーリウスの声が響いた。

 本当ならば撤退中のマルク辺境伯(マルク)ゲオルグが向かっているフェストゥン砦に行きたい所なのだが、カスパル・シュテファン要塞の陥落で動揺した諸侯達を安心させなくてはならなかったのである。

 

『了解しました。ハウゼミンデンに向います』


 汗でごわついた髪の毛をワシワシとタオルで拭いつつ、その場でどんどん甲冑を脱いでいくユーリウス。


「……ったく。ザルツ公領は『鬼門』だな……」

「キモン? ですか?」


 ユーリウス同様甲冑を脱ぎながら、質問するエーディットである。


「伝説の魔物が現れる場所……かな? 転じていつも悪い事が起こる方向?」 

「それも疑問形なんですね」

「まぁ詳しい事は覚えてないし?」


 カイや他の機動歩兵達もその場で甲冑を脱ぎ、二人づつ組になると防寒性能の高いインナースーツ姿で両腕を上げて、互いに全身を確認していく。

 どうやら傷を負った者は居ないらしいとわかって、漸く安心した表情をみせる兵士達。

 ユーリウスもエーディットと互いに怪我の有無を確認する。

 用意された毛布にくるまり再びその場所に座り込む者もいるが、多くはそろそろ嫌な臭いがし始めたインナースーツをその場に脱ぎ捨て、飛行戦艦の乗員用に用意されていた下着と制服に着替え始める。

 ユーリウスもさっさとその場で裸になって着替えてしまっていた。


「カイ、動力甲冑は全て一箇所に纏めておいてくれ」

「了解」


 全て消毒するつもりなのだ。


「エーディット、悪いが後を任せても良いか?」

「はい。お任せ下さい」


 エーディットが微笑み、魔石の入った袋を取り出すのを見て自室に戻っていく。

 筋力はユーリウスよりも少ないが、体力は中間種(ホムンクルス)であるエーディットの方が多いのである。

 因みに機動歩兵達は、夜間シフトで空いている船員達のベッドを提供してもらって休む事になっていたが、エーディットの部屋は無い。

 ユーリウスの自室で一緒に眠る事になっているのだ。

 艦長フローラの心配りであった。







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