第九十七話 冥界の使者
A.G.2882 ギネス二七一年 アルメル二年
太陽の月(一の月) 地の週の六日(六日)
ノイエ・ブランザ王国 ザルツ州
ノイエ・ブランザ王国・ザルデン王国国境地帯上空
ノイエ・ブランザ王国の新年の祝賀会は中止となっていた。
ザルデン王国の王都ルツで迷宮が暴走したのだという。
ザルデン王ヴェルビィングは側近達に護られて脱出したというが現在は行方不明となっている。
報告をして来た密偵からの連絡も途絶えていた。
祝賀会の席で報告を受けたユーリウスは女王に謝罪して退出し、当時の状況と周辺諸国の動向を確認すると共に、ボーゲンザルツを爆撃後に監視体制に入っていたナグルファー号にフェストゥン砦への帰還を命じると、即座に高速飛行船を使ってフェストゥン砦に移動、ナグルファー号に乗り換えてルツに向かったのである。
「既に即時通信接続が絶たれている事から密偵の安否は絶望的と判断しております」
コンラートの言葉に頷くとテューピースレーンの密偵からの報告に目を通す。
密偵が記入する報告はリアルタイムで更新可能であったから、情報の鮮度は非常に高い。が、テューピースレーンにあってもルツの情報については混沌としていてよくわからなかった。
少なくない数の難民が発生しておりテューピースレーンにも流れてきている事はわかったのだが、迷宮が暴走したと言う割には逃げ出してきた難民達には魔物による被害が発生していない。
また、ルツの南のクライルスにも難民達が流れてきているが魔物の被害は確認されていなかった。
「コンラート? これは本当に迷宮の暴走なのか?」
「魔物が現れた事は確実でしょう」
「迷宮の暴走ではない可能性もある。だとしてどこから出て来たんだ?」
答えを求めての言葉ではない。
ナグルファー号の作戦室である。
大テーブルの上に広げられたゲルマニア全土の地図を見ながら考え込むユーリウスであったが、元より情報が少なすぎて解るわけもないのだ。
ただ魔物の多くは水を恐れるのだ。特に迷宮の魔物はその傾向が強く出る為、魔の森から出て来た魔物に襲われたとは考え難い。
魔の森とルツとの間にはハルツ川があるのだ。
そうするとボーゲンザルツの魔物がザルツ山地を越えたかとも思ったが、ボーゲンザルツの迷宮が暴走した話はザルデン王国にも伝わっていたはずで、ザルデン王が山越えしてくる魔物を警戒しない訳がなかったし、実際ザルツ山地には一〇〇〇を超える規模の山岳部隊が展開して警戒しているはずであった。
「ヴァイサーベール山脈から降りてきたのかな? なにか異変は聞いてないか?」
「ありません。ただヴァイサーベール山脈は広大ですから、どこで何があっても不思議はございません」
言われてヴァイサーベール山脈に生息する魔物の確認を始めるユーリウスであったが、こちらも情報が極端に少ない。
強力な魔物や魔獣が居ないわけではないが、迷宮や平地と違ってその数はどうしても制限されるし、余程の事が無ければ縄張りを離れて危険な生物達が暮らす麓にまで降りてくる事は無いし、好んで麓に降りてくる様な魔物や魔獣が生き残れるはずも無い。
人の生存本能は地上で最も強いのだ。それこそ自身を殺せる可能性があると言うだけでその種を絶滅させてしまう程に。
「……わからないな。密偵からの報告では「迷宮が暴走した」とある。だとすれば本当に迷宮が暴走したのだろう」
「ありがとうございます」
「ならば何故溢れた魔物が周囲に拡散していないのかが問題になる。ルツの城門で封鎖出来た可能性もあるが……いや、無いか。封鎖出来たのであればその旨が伝わらない訳がない」
やはりよくわからないのだ。
「何れにしてもいくらもしない内にルツが見えてくるはずです。何が起きたのかは……」
と、そこで緊急事態を告げる警報音が鳴り、艦長のフローラからの全艦放送が流れた。
『第一級戦闘体制! 未確認飛行物体多数が接近中! キメラ翼竜と思われる! 射撃自由! 近付く物があれば撃て!』
フローラの命令を聞いて顔を見合わせるユーリウスとコンラートであったが、即座に板状携帯端末を手にして状況を確認する。
接近中の飛行物体は――。
「三四八体だと?!」
と、そこでコンコンと何かを叩く様な音が聞こえてきた。
どうやら主砲の電磁加速砲を発射し始めたらしい。
板状携帯端末で確認してみると近接信管付きの榴弾である。
いい判断であった。
双方共に高度三〇〇メートル程であろうか?
「増えました合計三八一体。二つの集団にわかれてこちらを包囲するつもりの様です。どうやら待ち構えていたようですね」
コンラートの言う通りであるらしい。
「……誘き出された?」
「恐らく。これほど効果的な包囲網を布いてくる以上、そう考えるべきです」
小さく舌打ちしたユーリウスが再び板状携帯端末を操作し、エーディットを呼び出した。
「エーディット、オートマタと一緒に無人航空機をフェストゥン砦にありったけ持って来てくれ。対空迎撃体制を強化するんだ」
『――了解です』
エーディットに指示を出した後、今度はエリである。
「エリ、護衛の近衛を増やしてくれ」
「わかりました。セーフルームに入った方が良いですか?」
「わからない」
「――わかりました。危険を感じたらセーフルームに入ります。モモかユーリウスが来るまで」
「なるべく早く戻れる様にする。それで……」
「はい。フィーム達も一緒に、ですね」
「ありがとう」
因みにハウゼミンデンの王宮のセーフルームは女王個人の為に用意された神殿という事になっており、いざという時には三重の結界が瞬時に展開されて、最大二〇人で最長一ヶ月程度は籠城可能なだけの備蓄が為されている。
ユーリウスが安心して戦える様にと言う配慮でもある。
「……さて。クラメスの連中がどこまでやれるか見てやろうじゃないか」
ユーリウスの台詞と前後して、足の裏に副砲の電磁加速砲を射撃する際の振動が伝わってっきた。
上部前後に二基二門づつと下部前後に二基二門づつある合計八門の副砲が猛烈な勢いで鉄球を吐き出しているのだ。
因みにアニィによる射撃管制能力はイージス艦並みである。
射撃手の中間種達は|光学透過型接触操作式画面《オプティカル・シースルー・タッチ・モニター》を操作してアニィからの提案に従って目標を選択して許可を出すだけ。
本当に必要なのかよくわからないくらいなのだが、アニィが気付かない動きに射撃手が気付く可能性を考慮しているのだ。
一応は。
そんな訳で恐らく有史以来初の航空戦はナグルファー号側の優位で進行している。
最初に僅かに降下する事で速度を稼ぎ、その後は全速でひたすら高度を稼ぎつつ、接近して来る翼竜を撃破している。
どうやら翼竜の方が最高速度は上の様だが、それはあくまでも緩降下や急降下時だけらしい。
接触してほんの数分の間にそれを見抜いた艦長フローラの戦術眼は素晴らしかった。
ともあれ旋回しつつ高度を稼いで行くと翼竜達がなかなか追いつけなくなって来たのがわかる。
「流石はフローラだ。褒めたいけど――」
「今は邪魔になるだけですね」
「だよね」
どうやら翼竜の最高到達高度は八〇〇メートル程であるらしかった。
少し離れた所に居た翼竜の一団が、なにやら上昇気流を掴まえて少しづつ上昇しているのが見えたが、その程度で追いつける訳もなく……主砲の電磁加速砲から放たれた時限信管付きの榴弾で蹴散らされていた。
一方のナグルファー号は奇襲を受けた最初の数分間に二、三発の魔導弾、強化型の火炎槍を打ち込まれた程度であり、ダメージは全て装甲部分で止まっていた。
「――どうやら反撃開始の様ですね」
コンラートの言葉通り、なんとか上昇しようと藻掻いている翼竜の集団に、上から覆い被さる様にして必殺の電磁加速砲と最高出力の電磁加速砲を打ち込んでいる。
既に弾幕射撃はしていない。
数発づつ翼竜の背中に向かって打ち込まれる鉄球で、断末魔の叫び声をあげて落ちてゆく翼竜。
時折背中の瘤を撃ちぬかれる翼竜も出て来るが、その個体は叫び声を上げる所までは同じでもそれまでとは全く違った動きをし始める。
どうやら人の頭部が埋め込まれた瘤が死ぬと翼竜としての意識を取り戻す事になるらしい。
流石に狙い撃ちするのは難しいが、凡そ瘤の位置を狙う様に指示する事は可能であったから、多少射撃が緩む事にはなったものの、これまで以上に落ちてゆく翼竜や瘤の制御から抜け出す個体が増えていた。
「しかし……この全自動射撃系と言うのは恐ろしいですね……」
先ほどから板状携帯端末を操作していたコンラートが呟く様に言う。
見れば射撃手の操作を映し出していたらしい。
「あぁ、便利そうだと思ったからな」
ユーリウスが一対多で戦う際に使う射撃管制系を利用した物であった。
全自動射撃を行う場合、射撃手達は|光学透過型接触操作式画面《オプティカル・シースルー・タッチ・モニター》に映し出された敵を指先で範囲指定して攻撃アイコンをタッチするだけでいいのである。
後はアニィが選択された敵の脅威度を判定し、高い順に一番近い砲門を選んで次から次へと射撃してゆく。
射撃手は戦域をよく見て異常を感じた所をタップしてやれば良い。
脅威度が高い場合には即座に射撃順が繰り上がり、最適な時点で攻撃が行われる。
電磁加速砲の命中率で言えば、流石に土人形式の操作系であるから多少精度が荒い所もあるが、アニィがリアルタイムで弾道を確認して補正をかけていく為、三発撃って一発も当たらない事など殆ど無いし、電磁加速砲の命中率について言えば弾道修正を殆どしないで済む為一発必中なのだ。
四〇〇匹近くいた翼竜の群れは、僅か一五分程の間で見る間に数を減らしてゆき、今では二〇〇匹を切っていた。
と、ユーリウスの板状携帯端末に艦長のフローラから通信が入った。
「どうした?」
『ユーリウス様、敵は恐らく直ぐに逃げ始めるはずです。追撃の許可をお願いします』
「任せる。もしも近くに空港の様な物があるなら潰して欲しい」
『了解しました』
通信が切れると直ぐに船体の動きが変わった。
どうやら四〇匹程が纏まろうとしている群れを潰すつもりらしい。緩降下で速度を上げつつ射撃を前方に集中するナグルファー号。
そのまま群れの直ぐ上を突っ切ると再び上昇に転じる。
一撃離脱戦法を試しているらしい。
迎撃しようと一発二発と二〇匹程の翼竜が魔導弾を撃ち上げてくるが、ナグルファー号に命中する物は一つも無く、全てが明後日の方向に飛び去って消えていた。
「――どうやら翼竜には射撃管制系は無いらしいな。そんなので当たる訳がないのに」
「距離五〇〇ロームで相対速度が時速七五クルトですか……確かに手動では命中させる自信はありませんね」
「うん。無理。まぁウチの射撃手ならやっちゃいそうではあるけど……」
それもまた事実であった。
ナグルファー号の射撃手は自動射撃を使う事が多いのだが、球状の砲塔に入り、備えられている二本の操縦桿を手動で動かしての射撃練習も積んでいるのだ。
危険だから実戦では行っていないが。
「――そう、ですな」
因みにナグルファー号の射撃手達は空中に散布した直径六〇センチメートル程の樹脂製の袋を次々と破裂させていく事が出来るのである。
ユーリウスもコンラートも試した事があるのだが、移動目標に命中させるのは非常に難しかった。
というより一発も命中させた事がない。
「お」
不意にナグルファー号が急旋回をかけたのだ。
板状携帯端末を見ればナグルファー号が追っていた群れが急降下で逃げ出し、低空と高空の二つの群れに別れたのだ。
もちろんフローラはそんな手には乗らない。
上空に留まっている方を叩こうとしているらしい。
「これは圧勝だな」
「ええ。性能が違い過ぎます」
「可哀想なのは翼竜だな……いや、背中に埋め込まれた連中もか……コンラート」
「申し訳ありません。未だ何処で生み出されているキメラなのか不明です」
「……使い捨てじゃ後をつけた所でどうしようもないしな……」
そう呟いて唇を噛むユーリウス。
「ゲリラはどうなっている?」
「現在捕捉しているゲリラの数は約二〇〇、司祭の数は五名から八名程と思われます。近日中に全て殲滅致します」
「わかった。三号艦が完成次第、梱包して氷漬けにした司祭の首を一つロカマドゥールに投下してビラを撒け。非合法活動をしていたと批難しろ。その上で高位の司祭を一人殺せ。信者を巻き込むな」
「――殉教者にしてしまいかねませんが?」
「構わない。その翌日にはもう一つゲリラをしていた司祭の首を投下して二人の司祭を殺せ。その翌日も首を一つ。高位の司祭は三人だ」
「八名居れば八日間続けるのですね?」
「そうだ。どうせまた暗殺者を送ってくるからそいつらの首も同様にして落として司祭を殺せ。全ての敵対行動をやめるか神子以外のクラメスの司祭が全滅するまで続ける。コソコソ隠れる様なら教団の施設を一つ叩き潰すとビラを撒いて時間を指定してその通りにしてやれ。それで信者が死ぬのは許容する」
「……わかりました。現地調査員を増員します」
「任せる」
何時しか上空を舞う翼竜は一匹もいなくなっており、ナグルファー号は逃げた翼竜の群れを高空から監視しつつ追跡していた。
「……一体何処へ向かっているんだ?」
「恐らくルツではないかと……?」
その通りであった。
ザルツ山地を南から回り込む様にして飛行するナグルファー号の前には、巨大なヴァイサーベール山脈の威容と、美しくも険しいルツ峰、そしてその裾野に広がる平原地帯。
そのど真ん中に、巨大な城塞都市が見えてきていたのである。
「どうやら正解のようだが、ここからではルツの街がどうなっているのかよくわからないな」
二人で板状携帯端末を操作して船首カメラの映像を拡大してみるが、ルツに聳える無数の尖塔が微かに確認出来る程度で、特に何かが燃えている様な様子も無ければ周辺に魔物の群れが居る様子も無かった。
「……可怪しいですね。この辺りには――」
力尽きて平原に落ちた翼竜が、いや、落ちそうになっていた翼竜が、一瞬で消えた。
「――艦長! 上昇しろ! 高度二〇〇〇!」
不意にユーリウスが叫び声を上げた。
特に板状携帯端末や即時通信機を操作したわけでは無いが、アニィは一瞬で成すべきことを判断して艦橋にユーリウスの言葉を伝えていた。
『了解! 上昇します出力最大!』
ギシギシと何かが軋む音が響いて二〇度近い角度で上昇を始める。
僅かに北へ進路を変えたのは風を掴む為だろう。
「――これは、草原に擬態しているのか?!」
コンラートが驚きの声を上げる。
「これは……デカイぞ……っ!」
上昇を始めた事で漸く可怪しな所に気付いた。
雪がそこかしこに残る枯れ果てた冬の平原が滲んでいる。
街道が歪んでいる。
翼竜達が高度を落すのに合わせて景色が歪む。
ナグルファー号が動くのに合わせて大地が震える。
そして。
そして、ルツに向かっていた翼竜の群れが高度三〇メートル程に落ちた所で、直径三〇〇メートルほどの大地が爆発した。
いや、爆発的な動きで、無数の黒い触手が飛び出し一瞬で全ての翼竜を大地に引きずり落としたのである。
「――ティックルルーか……っ!」
魔の森の主様の支配下に無い、迷宮産の魔物であった。
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