第九十六話 ノイエ・ブランザ
A.G.2881 ギネス二七〇年 アルメル一年
夜の月(十二の月) 人の週の三日(三十四日)
ノイエ・ブランザ王国 グロスヴァルツ州
アルメルブルク
その日の朝は雪が舞い落ちるどんよりした天気ではあったが、人々の仕事が始まる第二鐘――ゲルマニアの時間の単位の一つ。日の出から日の入りまでを凡そ六分割し、日の出で一回、日の入りで六回鐘を鳴らしている。主にヴァテス教の神殿で使われる。この時期の第二鐘は午前八時過ぎだが、アルメルブルクでは午前六時を第一鐘として二時間毎に鐘を鳴らしている。ハウゼミンデンやブラン等の大都市では時計の普及が進んでおり、アルメルブルクに近い――には青空が広がっており、アルメルブルクの人々の表情はいつも通りの明るいものであった。
戦争の影響もあって自警団から守備隊に昇格した兵士達が居なくなってはいたが、それ以上に多くの人々がアルメルブルクに移住しており、兵士の数も人口も戦争の前よりも増えていたのだ。
しかも、『あらゆる種族を平等に』『働けば自由になる』『昨日より今日、今日より明日』『欲しがりません勝つまでは』『私はブランザ』『』等というアルメルブルクの基本理念に則り、妖精族や妖精族や獣人族達も増え続けていたし、ここ一年程で中間種人口も急激に増えつつあり、オートマタやオートマタ達も次々と生み出されていたから、恐らく大陸でも最も人種混合の進んだ都市となりつつある。
基本的人権と呼ばれる、平等権(法の下の平等、ただし貴族特権は残っている)、自由権(信教、学問、移動と居住、経済活動等)、社会権(生存、教育、勤労環境等)が制定されていた事も大きい。
ただし、ユーリウスが意図的に避けた権利が幾つかある。
通信の秘密、結社の自由、身体の自由その他の幾つかが盛り込まれていないのだ。
それらは何れ民衆側で思い付いた時に何らかのアクションが起こるはずで、その時に改めて制定すれば良いと判断したのである。
ともあれ、アルメルブルクには大陸全土から噂を聞いたあらゆる国と種族の代表達や、ハウゼミンデンとブランで募集して選抜された優秀・勤勉な人々が次々とやって来ていたのだった。
エレンハルツ川を行き来する船の大半は、アルメルブルクに行く時には人を運び、アルメルブルクからは大量の工業製品を運んでいる。
その男も他の多くの人々と同様にやって来た。
獣人族の国から友好関係を結ぶ為にノイエ・ブランザ女王に拝謁した、狼人族のミスカ・ラカネンは、噂に聞くアルメルブルクの驚異と脅威に関心と興味があった。
だから変貌を続ける王都ハウゼミンデンと魔物が出ないという迷宮に驚き、その先進的なゴーレム駆動車を見て唸り声を上げ、駐屯地と呼ばれる軍の居留地では機動歩兵の存在に恐怖し、かなりの無理を言ってアルメルブルク見学の許可を貰ったのである。
人口は五〇〇〇人程だと言うが、今やゲルマニア全土で売られる様になっていた万年筆を始めとする各種文房具に雑貨、ゴーレム腕やゴーレム指といった駆動装置の基幹部品、そしてなにより即時通信機や板状携帯端末という情報端末機器を一括して生産しているのがここアルメルブルクなのだ。
それを見ないではとても帰国する訳にはいかなかったのである。
そんな訳でミスカは、女王が付けてくれた中間種の案内人アンネリースと共に、ハウゼミンデンの幾つかの駐屯地に備えられている空港から高速飛行船に乗せられ、アルメルブルクのヴァルツ・マリアに降り立っていた。
「ようこそミスカ様」
高速飛行船のタラップを踏んで降りた所で微笑みと共に声をかけられて一瞬驚き、入国時に板状携帯端末を見て触れさせられた事を思い出した。
板状携帯端末の機能に、一部を透明にした部分から覗いたのと同じ景色を記録するものがあり、それを使えば入国時点で自身の顔と名前を把握するのは簡単な事だろうと気付いたのである。
気付いて再び背筋が寒くなる様な気がした。
他国の密偵を把握するのにこれほど便利な物があるだろうかと思ったのだ。
ハウゼミンデンの衛士は常に最低二人で行動しており、二人に一つは板状携帯端末が支給されている。
板状携帯端末の機能を使えば入国者の顔と名前の全てを記録して、それを簡単に検索出来る。つまり不正に入国した者は衛士に声をかけられて検索された時点で発見される事になる。
ハウゼミンデンの高度な住民管理機構もあって、各区の各町の長から各所に居住している全ての住民を集める事も容易いし、そこには不正入国した者が入り込む余地など欠片も無い。
名前と顔の記録が無い者は犯罪者か他国の密偵なのだ。
一瞬でそこまで考えたミスカであったが、何時までもそこで立ち止まっている訳にはいかない。
「――ありがとう」
と、ブラン語で短く一言お礼を言ってヴァルツ・マリアの空港の受付に向かう。
聞いていた通りここでも入城審査があるらしい。
と言っても受付の場所で板状携帯端末に触れて名前を言うだけである。
再び「ようこそミスカ様」と声をかけられ、アンネリースに促されて歩き出す。
「随分と長閑な場所ですね」
周囲を見渡し、そんな事を口にする。
アンネリースはそんなミスカに小さく微笑み、そこから見える各種施設について説明してくれた。
空港と管制塔、兵員宿舎と、南の大迷宮を攻略している妖精族の戦士達の官舎、その向こうにあるのが内港の倉庫街。
今は雪に覆われたただの雪原であったが、周辺の農地は全て土人形と自動人形が管理しており、人手は一切かからない事、飼育に向いた動物や魔物を飼う牧場があって、毎朝新鮮な乳と卵が手に入る事、東の貯水池は養殖場で沢山の魚を育てており、加工されたり生きたままハウゼミンデンや各地の都市に運ばれて売られている事、貯水池にある大水車の力で沢山の織り機が動いていて、均一で緻密な織物が大量に作られている事等である。
ただ長閑なだけの雪原ではないと言う事であった。
ミスカは丁寧にお礼を言い、さらに城壁の外は見られないかと聞くと、公開されている場所があると言われて空港の端に幾つか並べれていた「自動三輪車爺さん」と一括して呼ばれている三輪の乗用車に乗り込んだ。
ハウゼミンデンでも何台か見たが、貨物用と乗用があるらしく、乗用は五人乗りと三人乗りの物がある。これは三人乗りだった。
ミスカを後ろの座席に座らせてベルトを付け、アンネリースが操って南門へと移動する。
石畳の道であったが殆ど振動も無く、あっという間に南門へ到着し、五人乗りの自動三輪車爺さんが数台止められたそこに降り立つ。
よく見ると軍用の物と民間用の自動三輪車爺さんであるらしい。
興味深げに見ていると苦笑したアンネリースに促され、民間用の階段を登って城壁の上に到着した。
その場所は幅一〇メートルほどあり、一三〇センチ程の胸壁に囲まれていて、変わった形の弓を外したバリスタ風の物が設置されている。
どうやら観光地の一つとなっているらしく、ミスカ同様中間種の案内人を連れた商人風の男が数名なにやら声をあげながら「弓を外したバリスタ」に取り付いたり、胸壁に手を付き外を見たりしている。
「あれは?」
「恐らく何か魔物でも現れたのでしょう。せっかくですから見てみましょう」
そう言って胸壁に近づくとバリスタの様に見えた物が実は二本の筒である事がわかった。
アンネリースがそれを覗き込みながら暫く位置を変更してからミスカを振り向いた。
「どうぞご覧下さい」
言われて覗き込んで驚いた。
目の前の街道で妖精族の戦士達と巨大な鹿の化物が戦っていたのである。
慌てて目を離すと南門の前に広がる雪原に、除雪された街道が見えていた。
それを辿るとその先、魔の森への入り口付近にケシ粒の様な影が見えている。
再び筒を覗くとケシ粒の様な影が目の前にあって、増援らしい数名の人影が戦いの場に向かって走っているのも見えた。
「――これは! 遠見の魔導具ではないか?!」
「はい」
こんな場所に野ざらしにして放置して良い物ではないはずなのだが、先程の商人達が交代で覗き込んでるのを見ると、何を言っていいのがよくわからなくなる。
「これは、獣人族の国では貴重な魔導具で非常に重要な兵器なのだが……?」
「アルメルブルクでも貴重ですよ? 貴重だから皆で使える様にしてあるんです」
余計に訳がわからなくなった。
増援が到着して鹿の魔物が倒されるまでの一部始終を見てから顔をあげる。
雪に覆われた広大な森林地帯である。
魔の森と恐れられる森であったが、今はただ美しい雪原と雪に覆われた森が見えるだけだ。
振り返るとヴァルツ・マリアの雪原や空港とその周辺施設、それから貯水池と大水車、冬だというのに豊富な水量を誇るコハク川の流れが一望に出来た。
さらにその先、ヴァルツ・ローゼの城壁の彼方に二本の尖塔が突き出しているが、アレが恐らく古代神殿なのだろうと思うミスカであった。
「……美しい街ですね」
「ありがとうございます」
お世辞ではなく美しい街だと思うミスカである。
高さ二〇メートルを超える三重の城壁に囲まれた都市。
獣人族の国の都も同じ様に森に囲まれている都市であったが、もっと狭くて猥雑であった。
しかもアルメルブルクの迷宮も魔物が出ない物であるから、巨大になればなるほど生産力が上がるし暴走の危険も無い。
これを造り出したのは未だ見たことのない渦巻く灰色の霧の眷属。
大魔導師ユーリウス。
一体何を考え、たった一人の為にゲルマニア全土を戦乱の渦に巻き込んだのか?
もちろんミスカもユーリウスが女王エリナリーゼの弟の様な存在であるとは聞いていたが、そんな事は欠片も信じてはいなかった。
ユーリウスの事を事実上の王配であろうと思っていたし、年齢についても一〇〇歳やそこらでは全くありえない、二〇〇歳や三〇〇歳といった本物の化け物に違いないと信じていたのだ。
だからただ亡国の王女を助ける為だけに全てを成したなどとは信じる事が出来なかったし、信じるつもりも無かった。
アルメルブルクを見る事で、大魔導師ユーリウスの真の姿を見出す、そう決めていたのである。
真の姿を知り、今後獣人族の国が進むべき方向を探るのだ。
「――では先ずは宿にお願いします。流石に少し疲れました」
「はい。ではご案内します」
そうして案内されたのはアルメルブルク公営の高級旅館であった。
神殿に向かう参道沿いにある五階建ての立派な建物であり、内装や装飾品にも気を使った豪華な旅館である。
「即時通信で連絡いただければ直ぐに覗います」
アンネリースがそう言って立ち去ると、ミスカは大きな溜息を吐いていた。
町中をかなりの手練が何十人も闊歩していたのである。
獣人族の戦士としてそれなりに自信があったミスカであっても、これは、と思う者がゴロゴロしているのだ。
大半は妖精族の戦士であったから多少は解る話であるのだが、人族はもちろん妖精族の戦士らしき者も居たのである。
三部屋もある広い部屋には、ベッドサイドに即時通信機が備えられた巨大な天蓋付きのベッドがある寝室と、温かみのある上品な装飾品に彩られた暖炉のある居間、そして食堂として使うらしい部屋には『ミニバー』という小さなカウンターと小さな半透明の細長い入れ物に入った酒が並べられた棚とカウンターが設えてあり、蛇口を回すだけで温水と冷水、それもそのまま飲める温水と冷水が出て来ると言う個人用の浴室。全身が映る巨大な鏡と化粧台が備えられ、ハンガーという衣類を吊るす為の器具が置かれた、一〇〇着くらいは優に収納出来るであろうクローゼットまである。
なにより驚いたのは二つ目の浴室の様な造りのトイレであった。
使った後に摘みをひねるだけで水が流れて綺麗にしてくれるという水洗便所の横には、用を足した後には水で洗ってタオルで拭く為だという、ビデという小さな噴水の様な物まで備えられていたのだ。それも温度調節は出来ないがぬるま湯が出る噴水であった。
たかが旅館と思っていたが、貴族階級であるミスカの自宅よりも快適そうであるのは間違い無かった。
居間の壁の一面は、天井から床まで大きく透明な、それこそ光が反射していなければ触れるまでわからないくらいに透明な板が六枚、窓というか扉としてそこに存在しており、開けば壁の隙間にその全てを収納して完全に解放出来る様になっている。
さらにそこには指一本でスルスルと開け閉め出来るレースの薄い『カーテン』という垂れ幕と、厚い遮光性に優れた垂れ幕の二種類がかけられていて、夜は片方のみ、もしくは両方を閉めるのだという。
興味深げにカーテンの開け閉めを何度かした後、クレセント錠という、これまた指一本で開け閉め出来る鍵を回して窓を一つ開いてバルコニーに出て参道を眺めるミスカ。
参道には三々五々連れ立った無数の人々が屋台や食堂に向かっていたり、各所に置かれたベンチに座ってパンに肉や野菜を挟んだ『惣菜パン』や『サンドイッチ』という料理で食事をしている姿が見えた。
なんでもノイエ・ブランザでは朝、昼、夜の三回食事をとる様に指導しており、食堂等の『サービス業』を除いて大半の工房や商店が昼時には休憩となるらしいのだ。
「『あらゆる種族を平等に』か……」
街中で見かけた「標語」だ。
ハウゼミンデンでは時折見かけた獣人族への差別は見られないのだ。獣人族も人も妖精族も妖精族も、なんの拘りも無く連れ立ち会話しながら歩いている姿を見かけるのである。
「……不思議な街だな。そして面白い。まるで獣人族の国の様だ。厳しい環境で助けあって生きるしかない魔の森の楽園……か」
実に面白いとミスカは思う。
あるべき姿を言葉にして街の各所に掲げるという取り組みは面白いと思っていたが、考えてみればノイエ・ブランザ王国では無償で文字と算術を学べるのだから、そうした取り組みは決して無駄にはならないのだろう。
他国では国宝として飾られているだけの自動人形が、ここでは大手を振って歩いている。
他国では国宝として城や宮殿の奥深くに閉じ込められている中間種が大手を振って歩いている。
他国では被差別民として虐げられている獣人族が、獣人族の国でそうある様に振舞っている。
と、そこで一つの事に気付いた。
「中間種と自動人形か……!」
もう一度街の様子を見て口元を歪めるミスカ。
「――そういう事か。外には魔物と魔獣、内には自動人形と中間種。この街に暮らす者達にとっては、獣人族だの妖精族だの言っている場合ではないのだな……これは偶然か? それとも大魔導師がそうなる様に仕組んだのか?」
改めて街中の様子を詳しく観察するミスカ。
結論は保留したが、まず間違い無く大魔導師が仕組んだのだろうと思った。
「この街の市民達には差別などしている暇は無いのだ。それくらいなら働いてより良い生活を手に入れる努力をした方が良いに決まっている。争い毎も無い訳ではないだろうが、中間種が仲介して恨み言など残さない。いや、残ってもその感情が向かう先は中間種だ。奴隷も存在しないというが、実際には自動人形がある……」
考えすぎて頭が痛くなって来たミスカがふと顔を上げると、純白の高速飛行船が空を舞っていた。
「――理想郷か」
小さく笑って腕を組んだ。
「だが一体何の為の理想郷なのだ大魔導師よ?」
冬の抜けるような青空と、時折煌めく美しい女神の羽衣がヴァルツ・ローゼにかかっていた。
ミスカは考えるのを止めた。
どうやっているのか何時までも温かい部屋に入って窓を閉めると、応接間の足の短いテーブルの上に残されていた「ルームサービス」の冊子を手にして、ソファーというそのまま寝てしまいたくなる程深くて柔らかい椅子に座る。
テーブルに乗った大きな深皿の上には、こんな真冬の最中に一体何処からどうやって手に入れたのか、山盛りの果物が用意されており、ミスカにしてみればそれだけでも十分過ぎる程のご馳走であった。
が、惑わされる訳にはいかなかった。
こんな物を食べてはアルメルブルクの料理を試せなくなる。
「――屋台や食堂の料理も一度は試す必要があるが、先ずはルームサービスとやらを試さなくてはな……」
応接間のテーブルの上にも小さな赤い突起を押すだけで受付と話せるという簡易型の即時通信機が置いてあるから、冊子の一番最初に本物と見紛うばかりの細密画と共に書かれていた、日替わり定食という物を注文する。
前菜と魚と肉と汁物にパンが一揃いになった簡易の注文方式であるらしい。
よく考えるものだと感心しながら午後の予定を考える。
ハウゼミンデンにも幾つか完成していたコウダンや、魚を育てているという貯水池、その大水車と、迷宮産の糸を布にしているという紡績機、その登場から一瞬でゲルマニア全土を席巻しつつある万年筆や文房具の数々を作っているという工房。
断られてしまったが、未だに諦めきれない即時通信機や板状携帯端末の工房もなんとかならないかと相談する必要があった。
「二泊三日では足りないかもしれないな……」
とは言っても旅館の宿泊費用は自弁であったし、獣人族の国の代表として新年の祝賀会には絶対に出席する必要がある。
なんとも悩ましい話であった。
「アンネリース、このコウダンというのも大魔導師の発案と聞いたが、どこからどこまでが大魔導師が考えた物なのだ?」
昼食を終えたミスカがアンネリースを呼んで最初に見学を申し入れたのは公団住宅であった。
既に何人か住み始めているという一番新しい棟に案内され、中に入ってアンネリースの説明を聞きながら質問する。
「全てです」
「全て、とは、建物の事か?」
「いえ、住宅公団という組織も建物の設計も設備の設計も、全て大魔導師が行いました」
アンネリースの言葉に唸り声を上げるミスカ。
難民向けの最低限の単身者住宅でさえワンルームであり、家族向けであれば三部屋から六部屋の間取りで、見た事も無い白銀に輝く金属と真っ白なタイルに囲まれた大型の共同調理場には、調理器具から食器にカトラリーまでもが大量に用意されており、蛇口を回すだけで飲料水が出て来る水道と、指一本で温度調節が可能な炎を使わないという「電磁式のコンロ」が据え付けられている。それから共同食堂兼居間と、男女別に分けられた共同の水洗便所にビデは無かったが、代わりに水に流して捨てられるボロ屑の様な専用の紙が用意されていた。
至れり尽くせりだと思ったが、流石に温水の出る浴室というのは無いらしい。
代わりに数棟毎に共同浴場というのが用意されているのだという。
ノイエ・ブランザは呆れる程税金の高い国だと聞いていたが、その代償がこれであるならなんと幸せな事だろうと思う。
アルメルブルクでは難民達が、いきなり王侯貴族に匹敵する生活を保障されるのである。
生活の質というのは見た目ではない――もちろん高級旅館については見た目も豪華なものであったが――という事を嫌でも悟らされたのだ。
「……どうしてこれほど厚遇出来るのだ? ここに入るのは難民達であろう?」
「厚遇ではありません。それに入居するのは難民だけではありません。アルメルブルクでは移民の受け入れを続けていますから」
どうやらアンネリースにはこの生活が厚遇だとは思えないらしい。
そう考えた所でアンネリースが中間種である事を思い出して苦笑する。
アルメルブルクで生まれて育ったのであれば、いや、中間種が育つと言うのもおかしな表現ではあるが、少なくともアルメルブルクとハウゼミンデンの王宮しか知らない様な存在なのだろうと気付いたのである。
アンネリースにとってはこれが普通かもしくは最下層の生活なのだ。
「よくわかった。ありがとう。次に案内してくれ」
「はい。かしこまりました」
常識が違うのだ。
アルメルブルクは大魔導師が生み出した新しい常識で動いている。
恐らくその常識がゲルマニアを、何れは大陸全土を席巻するだろう。
事実、王都ハウゼミンデンはアルメルブルクの常識に席巻されつつあった。
「これには誇り高き獣人族の国であっても抗えまいな……」
「――はい? なにかおっしゃいましたか?」
「いや、独り言だ」
一体なぜなのか。
どうしてここまでするのか。
ミスカにとっての謎は深まるばかりであったが、これだけは理解した。
かの大魔導師は、本気でこの常識を世界の常識にするつもりなのだと。
そして世界は大魔導師の常識に抗えない。
公団住宅の見学を終えて外に出た時には既に西の空が紅く染まっていた。
冷たい風が気持ちよかった。
「何が目的なのだ大魔導師?」
疲れた様子で小さく呟かれたミスカの台詞は、少し前を歩くアンネリースには聞こえなかったらしい。
少し遅くなり過ぎたという事で、街一番の人気店という食堂に向かって歩きながら、ふと目についたブランデールを口にする。
「……明日は世界を……!」
アルメルブルクの標語の一つであった。
誤字脱字その他感想等ありましたらコメントをお願いします。




