第九十二話 撤退戦
本日二話目です。
A.G.2881 ギネス二七〇年 アルメル一年
夜の月(十二の月) 水の週の四日(十日)
ザルツ公領(ノイエ・ブランザ軍占領地域:ザルツ州)
第四物資集積所の西方約四〇キロメートル
カイは第十三任務部隊の二二〇〇名と四〇〇名程のザルツ・ザルデン両軍の残存兵力と共に、一八〇〇名程の難民集団を守りながら荒野を歩いていた。
度重なる魔物の襲撃に、一日かけても一〇キロメートル程しか進んでいない。
因みにザルツ・ザルデン両軍の残存兵力を指揮していたのはオスヴィン・リストという騎士であり、その兵の多くはザルデン人であった。
聞けば元々オスヴィンはザルデン王国のホフマン男爵ラルスの第三子で、ザルツ伯爵領の領主で騎士であったフォルクマー・リストの家に婿入りした人物で、兵の多く、三〇〇名近くがこのホフマン男爵家の者達である。
運が良いのか悪いのか、オスヴィンは迷宮が暴走した当日にノイエ・ブランザのザルツ侵攻軍の第一軍に対する阻止攻撃に出た所であり、密かに第一軍の後方へ回りこんでいたという。
総勢四〇〇名程の部隊であったらしいが、突然湧き出てきた大豚鬼の群れに襲われて数を減らし、翌日ボーゲンザルツへ戻る途中で逃げてきたザルツ軍の兵士や難民たちから事情を聞いて迷宮の暴走を知ったのだ。
即座にザルツ軍の逃亡兵達を指揮下に組み込み難民たちと共にヴァイゼ方面に逃げようとした所でヴァイゼ方面に閃光ときのこ雲を見て、慌てて進路を変えて北に向かった所、そちらでもまた閃光ときのこ雲が発生し、進退極まって居た所に更に多くの難民たちと兵士達が合流して完全に身動きがとれなくなってしまう。
それでも難民たちや逃亡兵達の話から大量の魔物が跡をつけてきている事を聞いていたから、ノイエ・ブランザ軍への降伏を前提にフェストゥン砦に向かう事に決めて移動を始めた所で魔猿の襲撃を受け、なんとか撃退したと思ったら今度は蜥蜴人の襲撃まで受けて混乱、随分と多くの難民たちが犠牲になったらしいが、正確な数はわからない。
そこからはもう地獄の様な道行きだった。
怪我人や歩くのが遅くなった者達を見捨ててひたすら歩き、夜が来たら一応の円陣は組むものの隙は大きく怪我人と行方不明者を出し続け、犠牲者と重傷者の顔を見ない様に夜もまだ暗い内から移動を開始した。
最初に銀色に見える何かよくわからない物が難民たちの上空に来た時には、オスヴィン達も何か飛行型の巨大な魔物が現れたのだと思ってその場にへたり込んだ。
難民たちも同様で、パニックを起こす気力すら無かったのだ。
ただ呆然と、どこか魚の様な印象を与えるそれが進行方向に移動し、徐々に高度を落として殆ど地面に近い所まで降りてきてなにやらばら撒きはじめた時も、魔物が子供か眷属でもばら撒いたのだろうと思っていた。
それが噂で聞いたノイエ・ブランザ軍の飛行兵器だと気付いたのは、再び上空に舞い上がった飛行物体がいつの間にやら接近していた魔猿の群れに向かって、奇妙な炸裂音と共に鉄球ばら撒き始め、最後は炎弾と呼ばれる一部のノイエ・ブランザ兵が持っていた魔導具までばら撒き始めた時であった。
訳がわからなかったが助けてくれた事は理解出来たし、そうなると先じてばら撒かれた何かに興味が湧いて自らそれを確認したオスヴィンである。
食料の入った箱だった。
殆ど着の身着のまま逃げ出してきた難民たちであったから、水も食料もオスヴィン達が持っていた分が殆ど全てでそれも既に尽きていた。
その場で蹲って泣き出したオスヴィンを責めたり蔑む者は居なかった。
敬虔なクラメス教徒であったオスヴィン達にはナグルファー号がまるで聖霊か精霊か神々の御使いの様に思えたし、ヴァテス教徒にとっても同じであったのだ。
全員で食料を回収して分け合った後、少し離れた場所に再び降りてきた飛行兵器が今度は着陸して水の入った樽を置いた時にも、落ち着いて見る事が出来た。
円陣を組んで野営をしたが、その夜は死者や行方不明者は出さなかった。
全員がもしかしたら生き残れるかもしれないと希望を持つ事で、全力で戦う事が出来たのである。
「……なるほどな。だからあんなに素直に降伏したのか」
「はい。守護神、そう呼ばれていた様ですが、あの飛行戦艦は我らにとっても聖霊の御使い、守護神に等しい存在になっていたのです。その眷属であるあなた方に逆らおうと思う者などいません」
そう言って笑うオスヴィンである。
それに黒鬼兵と呼んでいた黒尽くめの兵士達、第二機動歩兵大隊の指揮官が平民の女性と聞いた時には驚いたが、その後に見せた彼女の戦闘力とその指揮力には更に驚いたのだ。
周囲に展開していた機動歩兵達がいつの間にか集まっていると思ったらそのまま駆け出し、遥か彼方で魔物達を殲滅すると何事も無かったかのように戻って来て警戒に付くのだ。
難民たちは足を止める事も無く、ただひたすら歩くだけである。
勝てる訳がないと思った。
一体何故迷宮が暴走したのかはわからないが、それが無くても勝ち目は無かっただろうと素直に思えた戦い振りであったのだ。
そんなオスヴィン達に対して、カイとしても「そうか」としか言い様が無い。
出来れば迷宮が暴走した原因についても知りたかったのだが、この場に居る者達は誰も知らないらしいのだ。
今はただ難民たちとオスヴィン達が素直に指示に従ってくれている事を喜ぶだけである。
「だが過信されても困るぞ? 今の所魔猿の群れは先行している小さな物だけだが、明日には本隊が追いついてくる可能性が高いし、大豚鬼の大集団が前方に居る。ナグルファー号も夕刻までは上空支援についてくれるが、その後は補給に戻らなくてはならない。戻って来るのは明日の昼頃になるはずだ」
「そうですか……」
そう言って難民たちに私線を送るオスヴィン。
カイは前方の大豚鬼を叩く為にシェルベ子爵が出撃した事は知っていたし、戦域情報画面を見れば優勢に戦っておりかなりの数を包囲したらしい事もわかっていたが、最も大きな群れを叩いたという話であり、数頭から数十頭の大豚鬼の群れは他にも幾つか存在していたのである。
「そう。つまり今夜が峠だ。早めに野営の準備をしてナグルファー号が戻って来るまでは耐え続ける事になるだろう」
カイの言葉に間違いは無かった。
前方、西からは大豚鬼の群れが、後方の東からは魔猿の群れが、そして進行方向右、北からは蜥蜴人の群れが迫っていたのである。
「……わかりました。難民たちにはそれを伝えるのですか?」
「伝える」
カイの台詞にオスヴィンが微笑んだ。
「命じて下さい。どんな事でも。我々は従います」
その夜、第十三任務部隊と、第十三任務部隊に組込まれ、だれからともなく「オスヴィン中隊」と呼ばれる様になっていたザルツ・ザルデン両軍の残存兵達は、騎馬と難民たちを纏めて中心に置き、小隊毎の円陣を周囲に展開して三方から襲い来る魔物を迎撃した。
半ば洗脳に等しい軍人教育の成果か、ユーリウスが言った「ノイエ・ブランザ軍に保護された難民が死ぬのは、我ら軍人の全てが死に絶えた後だ」という言葉に忠実に従おうとしたのである。
最初に襲ってきたのはシェルベ子爵に蹴散らされたらしい、傷ついた大豚鬼達の群れで、次いでその動きに釣られた中小の大豚鬼の群れが襲ってきた。
夜半を過ぎてから始まった大豚鬼の群れによる襲撃は散発的に続き、夜が明ける頃になって今度は蜥蜴人の大集団が襲ってきた。
どうやら大豚鬼の動きを察知して、漁夫の利を狙ったらしい。
知能のある魔物の群れはそれがあるから恐ろしいのだ。
その戦いで第十三任務部隊は初めての戦死者を出していた。
大豚鬼の群れと入れ替わる様にして、いつの間にか六〇〇近い蜥蜴人の群れに包囲されていたのである。
最初に被害が出たのはジギスムント・リーツ、リーツ少佐率いる騎兵隊であった。
防御のために下馬して歩兵として戦い続けた彼らであったが、夜明けに合わせて騎乗し騎兵となって遊撃戦を行おうと集結していた所に、二〇〇近い蜥蜴人の集団に強襲を受けたのである。
それまで襲撃を受けていなかった南側であった。
南側にいるのは撃退して傷付きボロボロになった大豚鬼の群れだと思っていたから、それがいつの間にか無傷の蜥蜴人の群れに入れ替わっていたとは、襲ってくるまで気付かなかったのである。
さらにリーツ少佐の部隊が抜けた穴を塞ぐ為に戦列が薄くなっていた事、当時そこを守っていたオスヴィン中隊に疲労が溜まっていた事、渡されたばかりの予備の即時通信機という慣れない魔導具の扱いに失敗して連携がとれなかった事、そうした問題が重なって、リーツ少佐も的確な迎撃指揮が出来なかったのだ。
全周から攻撃を受ける事になった第十三任務部隊の崩壊を救ったのは、蜥蜴人達が飢えに耐えかね、襲ったその場で倒した兵士達に喰らいついて食事を始めたから、それだけであった。
カイは強襲を受けた兵士達を放置してその周りに無理やり戦列を構築し、馬と兵士達が喰われている間に部隊を再編しつつ、リーツ少佐の部隊には負傷者と戦闘中の者を放置してその場から脱出して遊撃戦に回る様に命令したのである。
そうして抽出したリーツ少佐以下一〇〇名程の騎兵隊を東側から回り込む様に動かし、蜥蜴人の群れの背後から攻撃させる事で迎撃に忙殺されていた機動歩兵を引き抜き、二〇名の機動歩兵をかき集めると、騎兵隊の約半数とオスヴィン中隊で食事中の蜥蜴人の群れに突入して蹴散らしたのである。
ほんの二〇分、いや一五分程であったが、脱出出来なかった騎兵隊の半数、五〇名以上が蜥蜴人に喰われ、オスヴィン中隊はオスヴィン小隊となり、オスヴィンもその左腕と右膝から先を失っていた。
その戦いで第二機動歩兵大隊も四〇名近い戦死者を出し、機動歩兵も一個小隊分八名の戦死者を出していたが、一息つく間も無く再び新たな敵が現れていた。
後方から跡をつけてきた五〇〇匹を超える魔猿の群れが追いついたのである。
「ヘンリック。お前、『死亡フラグ』とか口にしてないよな?」
「中佐こそ、余計な事は口走ってないですよね?」
「なぁヘンリック?」
「なんです中佐?」
「難民たちにデオフィル達を付けて逃がすのはどうだろう?」
「……俺たちより先に死ぬ事はありませんね。いや、どうかな? 魔猿が群れを二つに分けたら終わりですね」
「そうだな。戦列を維持して戦う方がマシか……」
なんとも言えない微妙な空気が漂うが、カイは頭を一振りして戦術窓を開くと即時通信機を選択、表示された第十三任務部隊を選択する。
「全体! 東方約二〇〇〇ローム(凡そ一二〇〇メートル)に魔猿の群れが現れた! 迎撃準備だ! もう直ぐ我らが守護神が帰ってくる! それまでの短い時間だ、なんとしても守り抜くぞ! ゲルト、聞いてるな? 言付けの小鳥を飛ばせ」
「中佐、ゲルトは――」
蜥蜴人に喰われた。
「……イーヴォ、もう奇襲は受けたくない。適時偵察型言付けの小鳥を飛ばせ!」
『イーヴォ了解。偵察型言付けの小鳥を飛ばします』
ゴーグルとマスクに覆われた二人の顔は見えないが、その声にまで疲労の色が滲んでいそうであった。
再び戦術窓を操作して今度はヘンリック中尉とリーツ少佐に切り替えた。
「リーツ少佐、すまないが休息は出来ないらしい。魔猿の群れに追いつかれた。騎兵隊の指揮はお任せする。ナグルファー号の到着は昼頃だ」
『――ちょうど良かった。少し暴れ足りない気分だったのだ。遊撃は任せて貰おう』
「灰色の霧の加護がありますように」
『ありがとう』
通信を切ると迎撃体制を戦術窓で各部隊の指揮官に指示する。
と言ってもこれまでと殆ど変わらない。
変えようが無いのだ。
「ヘンリック。オスヴィン中隊の死体から、あぁ、大豚鬼や蜥蜴人の死体からも武器を回収して何ヶ所に、難民たちの手の届く場所を何ヶ所か選んで集めておけ」
「……了解です」
相当危険な状態になる、下手をすると全滅すると言っている様なものであるが、ヘンリックもわかっていたのだろう。
カイの指示を了承して淡々と指示を出していく。
「少し……頼む」
「了解」
そう言って持ち場を離れて戦列を組んでいる兵士達に声をかけながら、負傷者と難民たちのいる場所に歩いて行くカイ。
呻き声やなにやら啜り泣く声のする負傷兵達の中を進み、カイに気付いて寝転んだまま青白い顔に微笑みを浮かべたオスヴィンの隣に膝をつく。
「オスヴィン卿」
「中佐」
声をかけてしばらく見つめ合った。
「……ありがとう」
「いいえ」
ぎこちない笑みを浮かべて感謝の言葉を口にしたカイに、オスヴィンも微笑みを崩さず一言だけ答えた。
オスヴィンには何があったかわかっていたはずだ。
カイはオスヴィン達を喰わせて再編成の時間を稼いだのだ。
「難民たちは私が命ある限り守る」
「はい」
カイは立ち上がると第十三任務部隊の負傷兵達に、明るく楽しげな声をかけながらその場を立ち去り、二個小隊、一六名を予備として手元に置いて食事と暫しの休息を命じた。
当然だが、最初に接触したのは遊撃を任せたリーツ少佐の騎兵隊であった。
いや、遊撃ではない。
リーツ少佐はカイが何を望んでいるかを正確に読み取って、生き残っていた一五九騎で魔猿の群れに突入し、引っ掻き回して誘導し、囮として可能な限り時間を稼いで全滅したのだ。
第十三任務部隊は、リーツ少佐の騎兵隊が魔猿の群れを引き付け引き摺り回し、全滅して全員が魔猿の胃袋に収まるまでの一時間で、食事をして休息を取ったのである。
時計があれば午前一〇時を回った頃だろうか?
前菜を食べ終えた魔猿が、その醜い姿を現した。
体長は二メートル程、大豚鬼を一回り大きくしたくらいで顔は猿だが、鋭い犬歯はまるで狼の様であり、安物の鎖帷子くらいは軽く噛み千切れるし、両足を掴んで引き裂き内蔵を啜るくらいの事は朝飯前であった。
「総員戦闘準備」
戦術画面で通話を第十三任務部隊を指定して命じた。
「よく聞け、全員余計な事は考えるな。何をすれば良いのかは私が教えてやる。命令された通りに動いて目の前の猿を殺す事だけを考えろ。お前たちにも出来る簡単な仕事だ」
悲鳴の様に聞こえる魔猿の鳴き声が接近していた。
「最後の仕上げは我らが守護神がしてくれる」
ナックルウォークから全速力の四足走行に移って悲鳴が絶叫に変わった。
「いいな! 絶対に抜かせるな! 雄叫びを上げろ! 殺して殺して殺しまくれ!」
カイの命令に第十三任務部隊の全員が絶叫で答えた。
「ノイエ・ブランザ万歳! 女王陛下に勝利を!」
戦いが始まった。
カイが率いる二個小隊が飛び出し、先頭集団の鼻面を叩いて散々暴れまわって戻って来た時には一四名になっていたが、ほんの数分の戦闘で手持ちの手榴弾の半分以上を消費した甲斐もあってか魔猿の足が鈍った。
多少慎重になったらしい。
走るのではなく、ナックルウォークで弧を描く様に展開して押し包む様に迫ってくる。
「良いぞ! ヘンリック、一個小隊はお前に任せる、好きに暴れて来い!」
「了解!」
それからの戦いは壮絶な潰し合いになった。
ぐるりと全周を囲まれ、戦列を組んだ兵士の後ろにカイとヘンリックの小隊が並んで、時折強引に突破してくる魔猿を切り裂き、叩き潰して死体を群れの中に放り込む。
戦列を組んだ兵士達は左右の者達と連携をとりながら襲ってくる魔猿を撃退し続けたが、戦列の兵士達は一人欠け二人欠けして次々と戦列に穴が空いていく。
補充の人員など無いのだ。
が、カイの思惑通り、難民たちの一部が集積されていた武器を手に、空いている戦列の隙間に自ら踊り込んで戦い、殺され、また別の者が出て来て隙間を埋めた。
そんな戦いがどれほど続いたのか、カイにも直ぐにはわからなかったが、兵士の数が一五〇〇を切った所でヘンリックが死んだ。
戦列を組んだ兵士達の間を、遂に一〇匹単位の魔猿が突破したのである。
ヘンリックとその小隊が殲滅したが、一頭が脇目もふらずに難民の一人に躍り掛り、それをヘンリックが背中から切りつけ、更にその背後から迫っていた魔猿に捕まって首の骨を折られたのだ。
ほんの一瞬の出来事であった。
そうして自ら武器を持って戦列に加わる難民たちが居なくなった頃には難民たちの数も一三〇〇人程になっており、第十三任務部隊の兵士達の数も一〇〇〇人を切っていたが、そこで不意に魔猿達が後退していった。
殺された魔猿の死体を奪い合い共食いを始めていたのだ。
魔猿達の飢えも限界だった訳だ。そしてそれが魔猿の群れの最後であった。
ナグルファー号が到着したのである。
次の投稿は月曜日の十二時になります。
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