第八十九話 スタンピード
A.G.2881 ギネス二七〇年 アルメル一年
夜の月(十二の月) 水の週の三日(九日)
ザルツ公領(ノイエ・ブランザ軍占領地域:ザルツ州)
フェストゥン砦
未だ補修工事の続くフェストゥン砦であったが、今は途中の道路工事や港で荷物の積み下ろしに使われているゴーレムの大半を投入して突貫工事を行っている。
散兵戦を展開していた事もあり、魔物の群れに襲われて大損害を受けたザルツ侵攻軍の負傷兵や、ボーゲンザルツ及びその周辺都市から逃れて来た難民やザルデン・ザルツ両軍の残存兵力を受けいれる必要が出て来た為だ。
魔物は全人類の敵であり、魔物達を前に敵国だの敵軍だのといった区別は無いという、旧ブランザ王国が提唱していたグリーフェン砦建設の建前は未だに多くの人々の意識に残っていたから、ユーリウスが魔物達から逃れて来た全ての者達を受け入れる様にと言う指示に反対する者は居なかったのである。
ただし代わりに後退中である攻略軍の損害が増える事は許容するしかなかった。
その攻略軍だが、マルク辺境伯ゲオルグ率いる第一軍は北部への魔物の侵入を防ぐべく、四つ程の軍集団に別れて一個を遊軍とし、三個で三箇所の長大な野戦陣地を構築すべく奮闘中であり、シェルベ子爵ハンス率いる第二軍は、ボーゲンザルツから逃れて来た難民とザルデン・ザルツ両軍の残存兵力を吸収しつつ、一個の大きな集団となって魔物を誘引する作戦を開始している。
第二軍を囮に大半が荒野で人の住まないザルツ州――ノイエ・ブランザの行政区分。現状は占領地として軍の統治下にあり、その後はマルク辺境伯領となる予定――南西部に魔物たちを誘導しようとしているのだ。
第一軍についてはエイル号を支援に送っており、兵力の少ない二軍についてもユーリウスがフェストゥン砦に入った事から、ナグルファー号による航空支援が受けられる様になっていたから、作戦そのものは成功する可能性が高い。
だがそれは昼も夜も無く散発的に続く魔物による襲撃に、延々と耐え続けなくてはならないという事である。
そして第二軍の撤退戦は未だ始まったばかりであった。
「――既に第二軍には難民を収容する余裕はありません。それに、それに歩けなくなった者は置いてゆくしかありません」
第二軍の状況を報告していたシェルベ子爵ハンスが、顔を歪めて絞りだす様な声で告げた。
板状携帯端末を通じて第一軍・第二軍を含む全ノイエ・ブランザ軍合同の作戦会議である。
第二軍が司令部を置いているのは、ボーゲンザルツから凡そ九〇キロメートル強、フェストゥン砦まで凡そ三〇〇キロメートルの位置にある、第四物資集積所と名付けられた小高い丘に据えられた簡易野戦陣地の天幕である。
第一軍ではノイエ・ブランザ、ノヴィエヴァーデン方面へ向かおうとしてた魔物たちや街道を進む魔物たちに対して気化爆弾を含めた徹底的な空爆を行っていたから、ある程度頭の良い魔物はボーゲンザルツの東から南にかけて存在するザルツ山地に逃げ込むか、或いは西に逃げ出しており、魔物の封じ込めはなんとかなる見通しであった。
が、問題は気化爆弾の巨大なきのこ雲を見た難民達やザルデン・ザルツ両軍の残存部隊までもが、その異様な光景に恐れをなして途中で引き返してしまった為、魔物の群れの中にかなりの数の人の群れが取り残されていた事だろう。
難民達やザルデン・ザルツ両軍の残存兵力をこの場所に誘導しているのだが、予想以上に魔物の追撃が厳しかったのである。
ただでさえ囮として魔物を惹きつける様に動いていた第二軍である。
取り残された人の群れを救出する余裕など無かったし、最初から西に逃げた者達を取り込んだ事で行軍速度が大幅に低下している。
最初の内はまだ良い、だが後になればなるほど深部の強力な魔物が押し寄せて来るのだ。
撤退戦は後になればなるほど厳しい戦いを強いられる事になるわけで、動けない者達を守りながら戦う事は不可能になるだろう。
『ノイエ・ブランザ軍は無辜の市民を守る為にこそ存在しているのだ。難民達を見捨てる事は許さない。現在ズルトブランとノルトブランの全域から援軍を掻き集めているしゴーレム部隊も編成中だ。一週間以内に前線に、第三物資集積所に届ける。第三物資集積所までの二〇クルト(約八〇キロメートル、実際は二五クルトで約一〇〇キロメートルほど)を、なんとしても守り抜くのだ。ノイエ・ブランザ軍に保護された難民が死ぬ時は、我ら軍人の全てが死に絶えた後だと心得よ』
そこで一旦言葉を切って手元の水を一口飲んでニヤリと笑って続ける。
『それにな、明日には世界最強の大魔導師がそちらに合流する。心配するな。作戦は必ず成功する』
その言葉に一瞬沈黙したシェルベ子爵だったが、驚愕のあまり目を見開いて板状携帯端末の向こうに居るユーリウスを見つめる。
「か、閣下、世界最強の大魔導師とは、その、一体どなたの事でありましょうか?」
『それでもノイエ・ブランザの貴族国民か? 世界最強の大魔導師と言えば俺に決まってるだろう?』
ゲルマニアの各地で板状携帯端末越しの会議に参加していた諸将からどよめきが起こった。
『決定事項だ。ノイエ・ブランザ軍最高司令官として命じる。シェルベ子爵ハンスは魔物の中に孤立している難民達の救出に全力を尽くし、可及的速やかに後送せよ』
「は、はぁっ! このシェルベ子爵ハンス、全力をもって任に当たる事を誓います!」
『信用している。各軍には保有する全ての自動貨物車の拠出を求める。ザルツ州に送れ。難民の輸送に使用する。高速飛行船の定期便も何機かこちらで使うから定期便の本数が減る事になる。なにか意見はあるか?』
無かった。
その頃、第二機動歩兵大隊を率いるカイは、機動歩兵一個小隊に支援部隊の槍兵一個小隊四〇名を率いて、第四物資集積所から四キロメートル程の所で五〇人程の難民を守りつつ緑色の子鬼の群れと戦っていた。
明け方に騎馬斥候隊の一つが偵察型言付けの小鳥で発見した集団である。
第四物資集積所の近傍には、上層階に棲んでいたと思われる数百匹に達するであろう緑色の子鬼の群れの他、剣狼や身体の一部が虹色に光り異常な跳躍力を持つ雑食の魔獣である燐光兎。更にはナヴォーナやパノアではカリュドンと呼ばれる巨大な猪の化物(ユーリウスはおっこ◯ぬしさまと呼んでいる)数頭が接近しており、その後方にはエイル号が追い払った大豚鬼の群れも控えていたから、慌てて救出に出向いていたのだ。
が、カイにしてみればアルメルブルク周辺に出現するガグと呼ばれる四本腕の巨人や、タンタルピッツという毒の触手を持った化物に比べれば微笑ましいと言える程度の魔物である。
機械弓を構えるだけで表示される到達点を確認しながら、立て続けに緑色の子鬼の頭部を射抜きつつ、合間合間に戦術情報を確認して指示を出す。
その冷静沈着な指揮ぶりはまさに勇者のそれである。
「イーヴォ、オリヴァー、二人は子供を抱えて。このままじゃまた囲まれるわ」
『了解』
カイの指示を受けた二人が難民達が連れていた四人の子供達を両手に抱えて足を速める。
これで機動歩兵は弓を持っている二人を除いて全員が怪我人と子供で両手が塞がった状態になっているが、残っているのは皆それなりに頑強そうな男女だけである。
病人や老人が一人も居ない理由については語る必要も無いだろう。
病人や老人を庇って足を止めていたらこの場には誰一人居なかったのだ。
「みんな後一クルト(約四キロメートル)だ! 一クルトでノイエ・ブランザの陣に入れる! 足を動かせ! 急げば昼には温かいスープが飲めるぞ!」
マスクを外して叫んだカイの声に驚愕する難民たちであったが、言葉の意味に気付いて頷き合う。
本当に生き残れるかもしれないと希望が出て来たためだろう、先ほどまでの幽鬼の様な足取りとは見違えるほどの勢いで歩き出す難民たちの群れ。
それを見て再びマスクを着けるとレーダー画面を確認するカイ。
動力甲冑のレーダー画面では周囲一〇〇メートル程しかわからないが、幸い周囲は疎らに背の高い草や潅木が生えているだけの荒野である。
もう一人の弓兵であるゲルトを先行させ、小高い丘の上に上って偵察させる。
二十分ほどして丘の頂上に到着したゲルトから通信が入った。
『中佐、到着しました』
「なにか見える?」
『荒れ地ですね』
「バカ。誰がそんな事を聞いている!?」
『えー、敵性の存在は確認出来ず。集積所も見えま……あ、我らが守護神様(飛行戦艦)が浮かんでます。何処へ行くんでしょう?』
「――周りに魔物は居ないんだな?」
『居ませんね。どうやら緑色の子鬼も諦めたみたいです』
鬼神の様な速射が嘘の様にのんびりとした声である。
「わかった。一応偵察型言付けの小鳥を飛ばせ。こちらが追い付くまでそこで周辺警戒だ」
『了解』
と、そこで突然別の声が割り込んできた。
『カイ中佐。シェルベ子爵ハンスだ。新しい任務だ。魔物の中に取り残された二〇〇〇程の難民集団がある。貴官の第二機動歩兵大隊五〇〇を集結させて救出に向かって欲しい。本隊からも騎兵二〇〇と兵一五〇〇を出す。騎兵については既に出発させた』
「シェルベ子爵、我々は今難民達を連れてそちらに向かっている所です。彼らはどうなりますか?」
『……直ぐに迎えの小隊を送る』
「了解しました。航空支援はどうなりますか?」
『明日からは貴官らの部隊が最優先だ』
「ありがとうございます。現地に留まり合流次第難民救出に向かいます」
『健闘を祈る』
「はっ!」
即座にバイザーに情報窓を表示させて詳細を確認する。
第十三任務部隊、となっていた。
第十三任務部隊の指揮官は第二機動歩兵大隊のカイ中佐。
そこにハーゲン・フィルツ少佐、フィルツ男爵率いる兵一五〇〇と、ジギスムント・リーツ少佐率いる騎兵二〇〇が加わる。
難民集団までは五〇キロメートル。
どうやら幾つかの難民集団とザルデン・ザルツ両軍の残存部隊が合流して、いや、追い立てられて一つに纏まったらしい。
騎兵と機動歩兵が先行して安全を確保し、ザルデン・ザルツ両軍の兵力を纏めて撤退戦。
そういう事になりそうであった。
縮小して戦域情報を確認すると、難民集団の近傍には大豚鬼や魔猿の群れの他、蜥蜴人まで居るらしい。
極めつけはそこから二〇キロメートル程後方に存在する赤黒い絨毯。
背中に二本の巨大な鉤爪がある甲殻蜥蜴の群れだ。
その見た目の凶悪さから魔物だと思われているが、実は魔石や魔晶を作らない普通の動物であり、体長は一メートルほどで熱帯から温帯の山岳地帯に生息する。
背中に生えている鉤爪は毒があるわけでもなければ人が棍棒を振り回すのと同じくらいの早さでしか動かせず、殻も見た目ほど硬いわけでも無いため、そこらの農夫でも余裕をもって狩る事が出来る雑食の蜥蜴だ。
その凶悪な見た目に反して非常に美味で滋養があるため、普通はありとあらゆる動物から狩られて食い尽くされるのだが、八年から一二年に一度づつ実を付ける笹の一種が、時に山全体を覆い尽くすかのように一斉に実を付ける時、この甲殻蜥蜴は爆発的に繁殖して数十万匹もの群れを形成し、怒涛の勢いで平地に降りてきてあらゆるものを喰尽くすのだ。
ゲルマニアでも何度か発生した記録が残っている大海嘯がそれである。
そして迷宮の甲殻蜥蜴は野山に生息する普通の甲殻蜥蜴とは違って魔石や魔晶を生成する本物の魔獣である。
他の迷宮の迷宮生物、迷宮の魔物の特徴と同じく巨大化している。
体長は二メートルを優に超え、普通は精々が六〇センチメートル程の鉤爪も巨大化して一二〇センチメートルにもなる。
無人航空機による偵察で発見された甲殻蜥蜴の群れは凡そ二〇万匹ほどであるらしいが、既にそこかしこに穴を掘っては産卵を繰り返しているらしい。
ボーゲンザルツの住民達や他の魔獣や魔物を喰らったのだろう。
「ナグルファー号が向かったのは甲殻蜥蜴を減らす為……か。つまり大豚鬼や魔猿はこちらでなんとかするしかないわけだ」
戦域情報画面を見ながらそんな事を呟くと、改めて大隊情報画面を表示すると副官の名前をタップして呼び出す。
「ヘンリック。新しい任務だ。第二機動歩兵大隊はフィルツ男爵の部隊と協力して敵中に孤立している難民達を救出に向かう。全兵力を纏めて全速力で私の現在位置に集結しろ」
『了解』
口笛でも吹きそうな声で一言応答があった。
「全軍停止! 喜べ! 第四物資集積所から迎えが来る事になった! この場で合流を待つ!」
突然の命令変更に難民達の幾人かから何やら声が上がったが、カイの言葉に大半の難民達が崩れ落ちる様に座り込む。
「もう安心だ。暫く休んで迎えが来たら直ぐに歩き出せる様に準備しておけ」
そうして第四物資集積所から迎えが来たのはそれから二〇分ほど、第二機動歩兵大隊の集結が終わって機動歩兵への補給が終わったのはそれから二時間ほど後の事であり、第二機動歩兵大隊が行軍を開始したのはそれから更に二時間後の事であった。
緑色の子鬼の襲撃を受けたのである。
前途多難、であった。
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