リタの 日記
閑話。
特に意味はない。
――よく考えたら、冒険者って儲からなかった。
その一文で始まるノートを、アネルが見つけたのは全くの偶然であった。
別にいつもの腹いせに、クソガ……リタの弱みを掴もうとしただとか、そんなことはない。アネルは無感情に仕事をてきぱきとこなす、効率重視系完璧メイドなのだ。多分。
そんなこんなで、引き出しから見つけたのは、『極秘 経理関係』とやたら達筆に書かれたノートだった。
毒々しいピンクでなければ、アネルは騙されただろう。といってもアネルがとる行動は、リタがノートを母の元からくすねたと思い込んで引き渡しに行くだけだ。その場合、プライバシーの侵害という冤罪をふっかけられることが確定していたであろうから、アネルは毒々しいピンクに感謝していた。
手に取った拍子にちょっと表紙がめくれてしまったが、不可抗力だ。デキるメイドは覗きなんてしない。
しかし――。
アネルはちらりと時計を見る。時刻は午後十一時。勤務時間外だ。
そしてリタはルイの家に押し掛けている。ルイには申し訳ないと思うが、リタの扱いが上手いのでなんとかやっているだろう。レスカが発狂するという事案は頭になかった。勤務時間外なので仕方ない。
そう、勤務時間外なのだ。とアネルは自身に言い聞かせた。
敬語を丁寧語まで崩し、鉄仮面を取り外す、プライベートな時間だ。なので、メイドの美学に反する行為も許される。例えば覗きだとか――否、これは覗きではない。これは顧客のニーズを知るための研究だ。サービスの向上に繋がる高尚な行為なのだ。
頭を振った。それに合わせて、細い青紫の三つ編みが揺れる。
「しっかりしないと……」
そしてアネルは葛藤に勝利した。
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◯月6日
冒険者にあこがれたのは、遺跡とかすてきだと思ったからで、お金持ちになる方法としては一番たのしそうだから。遺跡系ダンジョンは絞りつくされてるって知ってたけど。やっぱり、儲かるって信じてた。アネルの住んでいたところがとくべつだとか、そんなのは知らなかったもん。無表情のくせにとくいげにジマンするし。まったく、アネルってこどもっぽいよねー。
結論:カタコンベはびっくりするぐらいなにもなかった。→お金にならない。だまされた。
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◯月10日
お金を稼ぐために冒険するのは間違ってる。冒険するためにお金を稼げばいいんだよ。リタ天才!
……やっぱり天才って、こどくで孤高のソンザイでむなしいしなんかやだし、儲からなさそうだからリタは秀才どまりでいい。
……しゅーさいって、マニュアル人間っぽくてなんかやだ。お兄ちゃんみたい。めがねっぽい臭いがしそう。アネルみたいだからやめておこう。めがねないけど。
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△月3日
今日おとーさんが、お仕事手伝ってみないかって言ってきた。うわー守銭奴だー。リタを使って節約しようとしてるんだー。きゃー。
横領を合法的にできるチャンス?乗っ取り?下剋上!いたいけな少女を労働力にしたバツだー!
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△月4日
って昨日おもったけど、今のうちに地位をたかめて、おとーさんのインタイ待った方がいいかも。おとーさん、インタイできるかな……リタが継ぐまでに、商会潰れちゃったらどうしよう……。
やっぱ乗っ取るしかないよねー!
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△月6日
お兄ちゃんのこと忘れてた。どうしよう。お兄ちゃんが後をついじゃう。
独立してくれないかなー。悪女に見初められないかなー。どーしよーかなー……。
そうだ。失脚させよう。
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△月7日
ブッソウな発想はやっぱりいけません。リタはクリーンないい子なの。商人の面の皮はクリーンが一 番。おとーさんはあぶらギトギトだから、やっぱり会社潰しそう。
社会的天才って、けっこうおいしいって気づいた。わかりやすいのが、若き成功者。なめられるし貫禄とかないけど。つまり、リタが十代前半でほとんど牛耳っちゃったら、お兄ちゃんはもう手を出せないよね。あと四年。がんばるぞー。ルイなんかにかまってあげる時間なんてない。
お兄ちゃんはアネル並みにちょろいから、ぜったいいける。
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△月11日
いそがし
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△月19日
だいぶ間隔あいちゃった。
お勉強より楽しいけど、つかれた。
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△月20日
ひさしぶりにレスカを発見した。ぴょんぴょんはねながら、かさを回してた。はれてるのに。
たぶんあの人、アホの人だ。
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△月21日
自称ゆうしゃさまな人に会った。なんかルイと似てるふんいきの名前だったけど、なんだっけ。忘れた。イマドキゆうしゃさまとか、うさんくさい。あやしい。フシン者だー!
明日はゆうしゃさまのあとをつけてみようっと。
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△月22日
金の匂いがした。
金のあるアホのフシンな人だ。
お客様だ。
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△月24日
卵かけご飯なるものをルイに食わされた。生臭かった。夢にまで出た。
この借りは必ず返してやる。
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△月30日
辛いときは「ロードキジュンホーイハン」って唱えたらいいらしい。ルイが言ってた。唱えた。何も起こらなかった。嘘つき。
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◇月3日
計算間違えてた。もうやだ。
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◇月5日
人件費人件費人件費人件費人件人権人件費削減じんけんじんけんひじんけんひじんけんひじんけんひじんけんひじんけんひじんけんひじんけんひじんけんひじんけんひじんけんひ……
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◇月7日
かいけつしたー。よかったー。
レスカはカモ。
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◇月9日
えへへー。しあわせー。やっぱり世の中は愛で回ってるよね。今日はほんとうについてる!
アネルの素を見ちゃった。
なんか……ばばくさかった。
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アネルはホワイトブリムを床に叩きつけた。
「可愛くないっ……」
知っていたけれど、知ってはいたけれど。せめて、一片の無邪気さぐらい見たかった。リタにそんなものを求めるのが、そもそもの間違いなのだが。
耳に金具が引っかかったのか、じんわりと熱を持っている。姿見で様子を確認すれば、案の定赤みを帯びていた。これだから嫌なんだ、と思わずため息が出た。
虚ろな目で日記の表紙にもう一度目を向ける。たった七文字が、心に深刻な傷をつけていた。
アネルの使用言語には、自己流の脳内マニュアルがある。不適切な言葉を口走らないための保護策だ。だから、間違ってもばばくさいなどと思われるわけがない。いや、勿論まだ十分若いはずなのだが。もしや言葉ではなく、動作なのだろうか。メイドらしい奥ゆかしさを追求した結果が、この七文字なのだろうか。
最早、言い訳じみた自身の思考に憔悴し始めている。
アネルは何かに取り憑かれたかのように、緩慢な動作で再度日記を開いた。
一度手を出したなら、最後までやり遂げるのが様式美。例えこの先どんな怪物が潜んでいようとも、メイドたる自分には進み続ける義務がある。
アネルの中のメイド観は極めて謎であった。
覚悟を決めて手を伸ばし、爪の端がページを引っ掛け――
ぺりっ。
乾いた小さな音が、嫌に響いた。
『このページには糊がうすーく貼ってありまーす。 残念でしたー!』
無駄に達筆に書かれた文字の羅列。綺麗な字と裏腹にふざけた文体。それはなんのためか明らかで。
自然に目は細まる。
「…………」
衝動的に日記を壁へと叩きつけて、アネルは叫んだ。
「可愛くないっ!!」
床上の日記の折れ曲がったページがぴらぴらと、からかうようにはためいていた。
その後思い出したように日記を回収し、時魔法で修復を試みた結果まったくの白紙になってしまったというのはある意味お約束である。
そしてまた一つ、アネルはリタに弱みを握られることとなった。




