伝説の はじまり
※イラスト注意
目が覚めたら、視界いっぱいににレスカの笑顔が広がっていた。
「うわっ……」
レスカの微笑みが、軟度を増す。
「おはようございます。 三時間前からこの体制でスタンばってました」
レスカの語彙が微妙に汚染されていっている……。
「いや、レスカさん、怖いです」
ベッドに上半身が乗り出すよう、腰を屈め、寝ている人の視界いっぱいに顔面を埋め尽くすように照準を合わせた状態で三時間。
ホラーだ。
「全然平気です。 腰痛とか私、ありませんし。 ふふふ、待つのも楽しかったですよ?」
聖女スマイルでレスカが言う。顔面は未だに真正面。アングルのせいで顔全体に影が入り、非常に……こう……。
「怒ってる、よね」
「いえいえ、そんなまさかぁ」
語尾をあざとめに伸ばして、ふふふと笑い、かつ口元に手を当てるマリエッタ仕様。
「怒ってる……」
枕にどっと冷汗が染み込む。
レスカはにこにこと得体の知れない笑顔を浮かべたまま言った。
「そんな、まさか、私が、怒ってないとでも、思ったんですかあはははははは……!!」
「ごめんなさいっ! あたしが悪かったですっ!!」
その後、レスカの説教は一時間以上続いたのだった。
目を合わさずうずくまり、膝を抱えながらフカン顔でぐちぐちと。
いや、もう、ほんとごめんなさい。だからやめて下さい。お願いします。
謝罪すらも聞き入れてくれない。
海底に沈めたはずのレスカのロッドは、回収したのか部屋の壁に立て掛けてあった。
「……私、言いましたよね? アレを使っていいのは私が側にいるときだけだって。 分かってます? 分かってないですよね。 ええ、知ってます」
「うっ……」
いや、だって、なんとかなると思ったんだ……。深夜のテンションは怖い。
「魔法無効は副産物であって、毒には変わりないんですからね?」
「ち、遅効性って言ってたし……」
「……さっさと死ぬやつを混ぜればよかったです」
「ひっ……」
レスカが爪で床を抉り始めた。
声の調子が本気だ。
「第一ッ!!」
レスカがばっと振り返る。
「思い付きで爆発かますとか、意味わかんないですっ!!」
「……ごめんなさい……」
あたしにも意味がわからない……。
何を考えていたんだろう、あの時。
とどめを刺すつもりだったのか、見栄を張ったのか……後者だったら消えたい。
「ば、爆発ってわかります?! 焦げこげのばらばらになるんですよっ?! そんなのっ、そんなのっ……!!」
「………」
レスカの瞳が揺れた。
「私が再利用できないじゃないですかっ!!!」
「あたしの罪悪感が台無しだよっ!!!」
死霊術師は爛々と瞳を光らせていた。
「いいですか、焼死と溺死は今後絶対禁止です」
「今後って、まだしてないし……」
「バラバラまでは許容します」
基準が見えた。
多分、今自分の眼球に光はない。
レスカがふう、と息を吐いた。
「冗談です。 そこまでキチガイなわけないじゃないですか」
そしてちょっと困ったように笑った。
「でも、あんまり心配させたらだめですからね」
舞い戻ってきた罪悪感。
「うん……心配かけてごめん」
「まったくです。 心配してもらうのは私の担当だというのに」
「……ごめん、寝ぼけてるからどういう切り返しをしたらいいのかわからない」
「ルイはだいたい寝ぼけてます」
「はい……」
もう何も言えない。
レスカがふっと微笑を浮かべる。
「というわけで、ゆっくり休んでください。 こちらは全部、終わりましたから」
ああ、そっか。
全部終わったんだ。
レスカの事後報告を聞きながら、ぼんやりと考えたのだった。
「ところでレスカ、何してるの」
「針と糸を用意してます」
「……裁縫?」
「縫合ですねー」
「………」
「いや、なんか左腕が裂けちゃったので」
「ち、治癒魔法」
「神聖魔法ですよそれ」
ぶすり。
「……う、見てる方が痛い」
「ふっふっふ、ざまあみろですね」
「やめっ、ちょっ、寄ってこないでっ」
「大丈夫ですよ。 カズキを騙して氷魔法を掛けてもらいましたから。 新鮮そのものです。 ……ふふふ、とくと見るがいい!」
「ごめんなさいすみません許してください!!」
「いやですね、怒ってません、よ……?」
「今後絶対レスカに心配かけません……」
「素直でよろしいです」
レスカは満足気に頷いた。
◆◇◆
「だいたいルイは、二番煎じだと思う……」
「ちょっとは友好度上がったと思ったら、毒吐き癖がついたっ?!」
ネルルは不満げに口を曲がらせた。
「わかった。二番手、二流、一次元」
「点と線はやめて!!」
ふい、と顔を逸らした。肩の下までの長さになった青髪が、帽子の下で揺れる。
なんであたしは、こいつがヤンデレ予備軍だと思ったんだろう。人を見る目がなさすぎる。
「あ、一希だ」
ネルルが勢い良く振り返った。そのまま彼の方へ、駆けて行く。
「カズキっ……!」
おい、なんだこの待遇の差は。
あれ?助けたのは一応こっちだよね。記憶違いか。
あの日から二日が経った。
「まったく、今日出発するっていうから、早めに見送りに来たってのにさぁ……」
あんまりだ。
「早めって気合い入れすぎだろ」
一希が笑う。
「いや、だってこの二日間ほとんど寝て過ごしたから、生活リズムが狂っちゃったんだよ」
「早寝早起き、しろよな?」
「小学生か」
「えー……」
確かに言われてみれば、一希とネルルは睡眠時間が長そうだ。悪夢を見せようと、寝ている人の耳元で怪談を語り続ける某アンデッドとは大違いだ。
「まあ、それはともあれ」
一希が前置く。
「いろいろと、ありがとな」
昔と同じ声音で、昔とは違う顔つきで。
いえいえどういたしまして、というか足引っ張ってただけだよ、と返して確信する。
人は、変わるのだと。
青髪の、孤を描いた断面がばらけた。
一希の大剣に、目を向ける。
加護という名の呪いへと。
結局何もできないのだろうな、と思いながら。
「こう……普通だったら見送る側がなんか渡したりするんだろうけどさ、ちょっといいのが見つからなかった」
「いいよ別に」
「あげるのに相応しい代物が、レスカのロッドぐらいしかなかった……」
「それはやめとけっ!?」
しないよ。ちょっと損壊していたし。
今はラオが、「いや、齧っとるけど……齧っとるけどなぁ……」と嘆きながら修理中だ。よっぽどレスカに器用貧乏と言われたのが堪えたらしい。確かにラオは、色々なことに手を出していそうだ。いいと思うんだけど。小器用って。
「うんまあ、つまりそういうことだ」
「どういうことだ……」
「せいぜい頑張って来なさい」
「話が繋がってねー」
さて、あたしはレスカでも起こしてくるかな。今日は珍しくレスカは寝ていたので、起こしてこなかったのだ。
あたしは一希に背を向ける。
一希が、声を発した。
「なあ、ルイ。 お前、やっぱり俺たちと来ないか」
◆◇◆
夢を見ていた。
レスカの睡眠は浅い。寝ていたかどうかの判別は、記憶が飛んでいたかどうかだ。
夢の内容は大抵、忘れてしまう。
ただ、今日のレスカの機嫌は悪かった。
「なんで夢の中でまで、マリエッタと話さなくちゃならないんですか」
「これは現実ですわよ?」
「尚更達が悪いですね」
レスカは柳眉を釣り上げた。
「また私を浄化しに来たのですか。 自覚するほど今日は不機嫌ですので、手加減できませんよ」
「あら怖い」
にこにこと、食えない笑顔でマリエッタが笑う。
だからミレニア教徒は嫌いなんだ、とレスカは自分のことを棚に上げて鼻で笑う。
ミレニア教自体、国に寄生する一種の国であり、まずその仕組みから既に嫌いだ。
一応、帰属する国の法には従うし、国の違いによって同じミレニア教とはいえ多くの違いが出てくる。が、国に深く関与することは出来ない。その代わり、国がミレニア教に命令する権利もない。国民である限りは教徒に利点はないのだが。
だが、地位が高くなれば、その支配は国でなく神と定義されるようになる。上記の利点が、活用される。
それこそ、勝手に勇者を祭り上げたり。
とにかく、完全な私情により、レスカは嫌いだった。
客観なんてものは知らない。
「ほら、さっさと浄化すらなりしたらいいじゃないですか。 塵も残さず消してあげますよ?」
半分ぐらいハッタリである。
正直に言うと、未だ本調子ではない。左腕の方は、治るあてがあるからいいが。
「やめましたわ」
マリエッタが吐いたのは、予想外の文句だった。
「はぁ? 職務怠慢ですね。 司祭様に訴えてやりましょうか?」
「家柄を振りかざせば乗り切れますわね」
「権力者め…… 」
「その罵倒は、あなたにも返って来ますのよ?」
レスカはしばし沈黙した。
「つまり、あれですか。 マリエッタは私と世間話をしに来たわけですね」
「ええ」
「帰れ」
「酷いですわ」
そして肉弾戦になるだけで、後の流れはいつもと変わらなかった。
マリエッタがレスカを組み伏せて、終了する。結末までも昔と変わらない。
レスカが抵抗を諦めて――物理的には可能だがめんどくさい――マリエッタが立ち上がる。
「アレスチナ家の者たるもの、迷える死者を癒すことこそが使命だと考えてきましたわ」
マリエッタが、眉を少し下げて笑う。儚げで、人を魅了して離さない笑みだ。それを見慣れているレスカは、冷めた目で見つめ返す。
「そして、あなたを癒すのは"私の"使命だと思っていたのです」
レスカは不機嫌に返した。
「余計なお世話です」
マリエッタが、ふっと息を吐いた。
「そうですわね。 だってレスカはこんなにも――」
レスカはマリエッタから目を逸らし、窓の外を見やる。そこには見慣れた少女の姿があった。
「そうですよ。 私は多分、幸せなんです」
◆◇◆
「あたしは多分、現状幸せだから」
そういって、一希の誘いを断る。
「だから、一希についていかない」
一希が捨て犬のような顔をした。
「それに、あたしに出来ることないしね」
「そんなことは……」
「私情を挟まない」
捨て犬が更に貧相になる。
しかたなく、付け足した。
「それが、一希の理想とする勇者像でしょ?」
「そうだな……」
心境的には納得がいかないらしく、ちらちらとこっちを伺う。
あたしは、見送る側だ。
一希が道を踏み外したとしても、彼を止める人は既にいるのだから。
ネルルと目が合う。
渡せる情報も、ネルルの頭の中に既に入りこんでしまった。真実を詰め込まれても尚、一希の力になると決めた魔女がいる。
「一希はそこそこ正しいよ、うん」
「そ、そこそこか。 うん、そこそこだな」
「でしょ?」
きっと一希は、剣がなくても変わっていったのだろう。誰よりも"主人公"をしながら、変わっていく。
それでも。
例え神様だろうと。
一希の芯だけは変えられない。
ネルルは絶対に変えさせない。
ネルルは無意識に、天性の勇者である一希に惹かれたのだから。
「だから、せいぜい勇者様やって来なさい」
見送りの言葉は――これでいい。月並みだけど、正統派で。
「いってらっしゃい」
一緒に行きたいと、ちょっとだけ本気で思ってしまった。
自分の舞台はあそこじゃない。
けど、少しだけ、本当に少しだけだけど―――
漏れたのは静かな感慨。
―――伝説の始まりに、手を触れた。




