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無題  作者: さちはら一紗
招かれざる 訪問者
69/75

奪還と 依存

伏線一つ仕込むのを忘れてました。




 偽ネルルと、見つめ合う。

 は、話し合いとか……無理ですよね、うん知ってる。


「ひゅわっ?!!」


 気の抜けた叫びと共に、大きく飛び退く。

 氷の杭。

 人の脚ほどはありそうだった。

 ちらり、と後ろを見やる。奥に逃げられるだろうか。

 シュルシュルと音を立てながら、偽ネルルの頭上に太く鋭い杭が作られていく。

 ネルルを連れて逃げるのは、多分……無理。

 情けないけど、技量がない。一希かレスカの力が必要だろう。

 汗ばむ手で、クロスボウを握り直す。絡まっていないだろうか。

 一瞬。きっと稼げる時間はそれだけだ。

 久々に、指先が震えた。

 すうぅっと深呼吸をして、腹に力を入れる。


「かかって来いやーーっ!!!」


 正真正銘一人っきりの、戦闘が始まる。






 打つ、避ける、その繰り返し。

 矢の装填に時間が掛かり、転がりながら杭を避ける。

 ネルルの周りで動いていることが、いい方向に機能していた。

 偽物は、ネルルに当たらないように気を使うのだ。


 矢は、偽物に当たらない。

 壁に突き刺さったそれを、冷ややかな目で一瞥された。

 ……馬鹿にされてる。いや、慣れてるけど。実際馬鹿だけど。


 二連続で、引き金を打つ。

 杭が頬を掠り、髪が舞う。

 よろめいた。

 なんとなく、だがはっきりと、悟った。敵わない。


 もう矢はない。壁に、床に、散乱したそれらが物語る。

 リーチが短く、偽物の場所まで届かない。

 帯に短し襷に短し。よくわからない慣用句が頭の中に流れた。現実逃避の危険信号。痒い所に手が届かない。世の中ってそんなもん。

 物理的に、打つ手がない。


 偽物の表情は呆れ。こちらの表情はどちらかと言うと呆け。

 偽物が、一際大きな氷の杭――棍棒を作り出す。


「ちょ、待って! 待って! ずるい! 遠距離とかずるい!!」


 偽ネルルが、目を細めた。その様子は、何言ってんだこいつ、と物語る。いや、理不尽なこと言ってるけど。ハンデが欲しい。


 棍棒が迫る。

 避けられない。

 そんなことは分かってた。

 分かってたけどどうしようもない。


 だから、あたしはネルルの入った球を、思いっきり蹴った。


 球は当たり前のように変形し、蹴りを避ける。そしてそれは、棍棒の射程圏内へと入り込む。

 偽物が慌てたのも束の間、ぱしゃんと似つかわしくない音が聞こえて、水球は弾けた。

 支えを失ったネルルが落下する。

 地面を蹴った。

 倒れ込むように掻っ攫う。

 それはあまりにも不恰好で、頭を強打してしまったけれど。きっと見合う価値がある。

 ネルルが串刺しになる可能性なんて、考えてなかったとか今更言えない。


 眩む視界で、歪み切った偽物の顔を見た。

 翼の様に、奔流が展開する。

 べぇ、と舌を出して、挑発をかまして。

 余裕なんて、あるわけがないのに。

 それでも、後少し(・・・)が欲しかった。

 偽物が、前に出る。

 矢だらけの領域へと入り込む。

 掠れた声で、持ちうる全てを絞り出して、叫んだ。


「〈放電(ディスチャージ)〉!!!」


 搾りかすの魔力が、呼応した。

 矢から矢へ、真っ直ぐに、縦横無尽に、閃光が走った。

 矢と矢の間に結び付けた芋虫ジャイアントキャタピラーの糸が、電気の網が、偽物の行手を塞ぐ。

 偽ネルルは、ほんの少し躊躇する。ほんの僅か。でも、その躊躇が、誰よりも誰よりもあたしは欲しかったのだから。

 ほんの少しの間に、少々軽過ぎるネルルを抱えて、逃げ出した。


 正直言って、命懸けで作り出した一瞬は、少しばかり割に合わないのかもしれなかった。







                    ◆◇◆








 髪が青色になった。

 それだけで、ネルルの日常に大きな変化は訪れなかった。

 ただ、その日以来ネルルは魔法を使うことがなかった。

 トラウマは、しっかりと根付いていた。

 だからといって、生活に支障はない。家の中なら、魔法が使えなくても生きていける。

 何より人によっては、魔法が使えない、と称したほうがいい者もいるのだから。必須ではないのだ。


 時は緩やかに流れ、体のリズムは戻り始める。

 少々色が変わっただけで、一つ日課が減っただけ。

 世界は何も変わらない。

 そうしてネルルはゆっくりと立ち直っていく。


 ――その筈だった。


 切っ掛けは何だったのだろうか。

 きっととても、些細なこと。

 少しずつ表情を取り戻しつつあったネルルの心が、何かの拍子に昂ぶった。

 そして気が付けば、大嵐の後地のような畑と溺れた友人が目の前にいた。それは、ネルルをダンジョンにけしかけた内の一人だった。


 わけがわからない。ネルルは何も覚えていない。友人の親に誤り続ける母の背中を、見つめながら思う。


「あなたは……なにも気にしなくていいの……」


 優しく抱きしめられながら、震えた声で言い聞かされる。

 なんで、どうしたの、わたし、何もしてない。おかーさん、なんで、なんで、あやまるの?

 呪文ならばすらすらと言えたのに。口下手なネルルは、黙り込むことしかできなかった。


 その後、何度か同じようなことを繰り返し、ネルルが使えるはずもない水魔法で、誰も教えたことのない氷魔法で何もかもを壊していたことを知った。

 呪文もない。魔法名すらもない。ただ、そこにあるかのように操る。

 初めは無自覚だった。

 回数が増えるたび、段々と意識がはっきりとしてきた。

 けれど、意識があるだけで止められない。

 自分の意志など関係無しにそこにあるものを壊し尽くして、そうしてやっとネルルは止まる。

 いつも、涙を堪えた母がネルルを救い出す。

 ネルルの家である宿は、既に半壊していた。


 髪の色が変わっただけのネルルは、誰も拒絶しなかった。

 ただ、無尽蔵に魔法未満の術で全てを壊す化物は、受け入れられるはずがなかった。



 ネルルが引きこもるのに、そう時間はかからなかった。

 自分は何を仕出かすかわからない。お母さんの泣き顔は見たくない。

 きっとそれが、一番いい方法だから。


「お母さんとお父さんは、いつまでもネルルの味方だから」


 その言葉だけでネルルは救われる。

 二人の間には、引っ越しの相談が繰り広げられた。

 自分のためだと思うとどうしようもなく辛かった。

 駆け落ちの末に手に入れた安定を、ネルルが全て壊したのだと、そう思えば消えてしまいたくなった。

 だからせめて、それまでは静かにしよう。おとなしくしよう。いい子であろう。いい子で、ありたい。

 魔法書の消えた本棚の横で、ネルルはそっと願った。


 もう一度、わたしを"いい子"にして下さい。


 その願いは、あっという間に崩壊した。

 耐え切れずに涙を零した瞬間、我を失う。

 次にネルルが元に戻った時には、全てが遅かった。

 母を、瀕死に追い込んで、ネルルの願いは裏切られた。


 大好きな大好きな母は、娘であった化物をただひらすらに恐れた。








                     ◆◇◆








「なぁ、お前さ、図書館の噂って知ってるか」

「ああ、幽霊が出るってやつ?」

「馬鹿野郎、そんなんじゃねーっての」

「じゃあ、なんだよ」


 少年は、むっとしながら友人に問う。

 友人は、ニヤリと笑みを浮かべた。


「本の精さ」

「は……?」

「いや、人間なんだろうけどな」

「どっちなんだよ」


 本から顔を上げ、頬杖をつく。


「天窓の下にな、小さな女の子がいて、いつも本を読んでんだ。

生徒じゃないし、話しかけても答えない。

本の精って言葉が相応しい子だよ」

「へぇ……」


 少年は興味を無くし、本に目を戻す。


「つっても俺は見たこともないんだけどな!」

「一緒に探そう、とか言うなよ。 嫌だからな」

「つれねぇ……」


 友人がため息を零した。


「だって考えてみろ。 ここは王都の魔法学校だぞ? 図書館ですらどれだけ……」


 少年が言葉を途切れさし、人差し指で何かを示す。


「ん、どした?」


 友人が、少年の指差す方向を見て。

 少年が口を開いた。


「もしかして、あれか?」


 時刻は閉館間際。

 王都随一の蔵書を誇る、魔法学校の図書館で。

 ぎりぎりのバランスで、両手いっぱいに本を抱えて歩く少女。

 薄青の髪を揺らしながら、小さな少女は足早に去っていった。







 ネルルはあの事件の後、母の恩師であり、精霊学の権威である人物の元に送られた。

 ネルルを迎えた壮年の男性は、ネルル以上に無口で無表情な人だった。

 何をするでもない。壊れてもいい部屋を与えられて、ふと思いついたように質問をされて、軽く調べらる。それだけだった。

 多分、大切にされていたとは思う。

 「何か欲しいものはあるか」とことあるごとに聞かれていた。

 その度にネルルは一言、「……本」と答える。

 最初の一ヶ月は、それが全ての会話だった。




 ネルルは研究室の前で、立ち尽くした。

 ドアが開けられない。

 両手の本と扉を交互に見やる。


「あ……」


 扉が、内側から開く。

 中から現れたのは、いつもどおりの仏頂面。


「ただいま、帰りました……」


 ネルルの聞き取れないほど小さな声に、彼はただ一言言った。


「入れ」


 一年たった今でも、二人の間で使われる語彙は少なかった。






『お前がシャルナの娘か』


 出会い頭の言葉で、その以降に会話があった覚えはない。

 まず、ネルルが頑として口を開こうとしなかった。彼も、何も話そうとしなかった。

 今だから分かるが、きっと小さい子供の扱いがわからなかったのだろう。

 無表情で無口。変人教諭の噂は伊達でない。

 しかし、ネルルには表情が読めないことが、何を考えているのかわからないことが、とても楽だった。


 時々ぽつりぽつり、と独り言のように精霊や魔法のことを語り、時には物語などを淡々と聞かせる。

 ネルルはそれを、黙って聞いていた。

 いつの日かネルルは、彼に聞かれたことには答えるようになっていた。


 何時か髪を短く断ってしまおうか、と考えるものの実行は出来ない。今以上変わることをどこかで拒否していたのだろう。

 そうして諦めたように、二つに結う。母の好んだ髪型に。




 朝起きて、本を読んで、食事をとって、本を読む。そんな生活がずっと続くのだろう、と思っていたころ。何の脈絡もなく、告げられた。


「今からお前に術を施す」


と。

 それは、ネルルの力を抑えるものだった。

 何が起こっているのかわからない内にあれよあれよと言う間にネルルの背に術式が刻まれていく。


「強過ぎる魔具に対する処置を応用した」


 大したことではない、とでも言うように伝えられる。

 ネルルのことを気遣ったのか、術式は透明だった。


 僅か一ヶ月。あんなに悩んだのが馬鹿らしい。ネルルの中では、喪失感が再び膨れ上がる。しかし、


「……ありがと、ございます」


声が震えそうなほど、嬉しかったのも事実だった。





 僅かな感情の高ぶりぐらいでは、暴走しなくなった。だが、加護がなくなったわけではなく、ネルルの危険性は相変わらずだった。

 ―-そして、母の迎えは未だに来なかった。


 彼はネルルに魔法を教え始めた。本来威力を上げるために使われる呪文は、ネルルにとっては威力を抑え、制御するためのものだった。

 ネルルと同じく、水、氷、雷の魔法を扱う彼はネルルのために少し弄った呪文を教えた。

 魔法なんか一生使うものか、と思っていたネルルを淡々と脅しにかけながら。

 魔法以下の災厄が、魔法という手段に変わっていく。そのことに喜びを覚えなかったと言えば、嘘になる。人命に関わらない暴走は、気が楽だった。

 "教えて貰う"という行為は心地よく、マイナスへと変わり果てた魔法への好感度はゼロに近くなり、遠のいていった。

 だけどネルルは、意地でも雷魔法を使おうとしなかった。




 程なくして、ネルルは外出許可を得た。とは言っても、学校の敷地内限定だ。

 生徒でもないネルルに使えるのは、彼が許可を勝ち取ってきた図書館ぐらい。もっとも、それ以外に興味はなかった。


 誰とも顔を合わせず、誰とも口をきかない。

 対人恐怖症とでも言うのだろうか、それとも傷つかないための防衛本能だろうか。外を自由に出歩けるようになって、ネルルは気付いた。

 学校の図書館にネルルのような幼い子供がいることは珍しく、好奇の目で見てくる者は少なからずいた。中には声をかけてくる者も。

 その度に、ネルルはただじっと睨む。

 これ以上、自分の世界が変わるのが嫌だから。変わることが怖いと思っている自分に気付く。

 ネルルの過ごす時間は、空虚だった。



 明るい光の差し込む、天窓の下。そこがネルルの定位置。

 踏み台に腰掛けて、ただ一心に文字を貪るだけの存在。


 どこか人間味のない青色を持った少女は、いつからか"本の精"と噂されるようになっていた。







                    ◆◇◆








(日が暮れる)


 いつの間にか本のページは橙に染まっていた。

 普段と同じように図書館で一日を過ごしていたネルルは、慌てて踏み台から降りる。

 文字を吸収して飽和し切った頭は、ぼんやりとしていた。もともとぼんやりした目をしているため、ぱっと見はわからないが。

 知識を得るためでなく、本を読むために本を読んでいるようなネルルが手に取るものは脈絡がない。活字中毒とでも言うものだろう。

 覚えようとも思っていないため、知識が身になっているかも怪しいものだ。


 足元に積み上げた本を持ち上げる。重量とくらつく頭が合わさって、ネルルはよろめく。

 不意に、後ろから支えられた。


「大丈夫か?」


 何が起こったのか理解出来ず、後ろを振り返る。視界いっぱいに広がる紺色。魔法学校の、制服。


「持ってやるよ」


 少年の明るい笑顔は有無を言わさず、ネルルの持つ本を奪おうとする。

 咄嗟にネルルは、手で振り払った。抱えていたものが、床に散らばる。

 少年は慌てるような声を上げながら、拾おうとしゃがみこみ――その隙に、ネルルは一目散に駆け出した。


「えっ……おい! おーい!!」


 今夜は何も、読むものがない。

 ネルルは落胆しながら、階段を駆け下りた。




 少年は、溜息をつきながら青い少女を見送った。


「だからやめろって言ったんだ」


 離れて見ていた友人が言う。


「いや、折角見つけたんだぜ?」

「……お前みたいなのをなんて言うか知ってるか?」

「勇者」

 

 キリッとした顔で、少年がポーズを付ける。

 今度は友人が頭を押さえた。


「ストーカーだよ、 () ()() () ()

「『一緒に探さない』って言っても結局付き合ってくれるお前は最高だ!」


 ストーカーは聞く耳を持たない。


「まあ、でもやっぱり"本の精"なんかじゃなかったじゃん?」


 少年は目を細める。


「俺は降りた」

「つれねえ!」






                    ◆◇◆







 その後も、謎の少年の襲撃は続いた。

 殆ど毎日、何度も何度も場所を変えて、ネルルは逃げる。


(何、あれ)


 本棚にもたれかかって、息を整える。


(不審者だ)


 運動不足が祟ったのだろうか。

 図書館にある無数の階段を行き来するのは、慣れてない向こうの方が辛いはずなのに。

 鈍器(ほん)を構えて、踏み台の上で戦闘態勢を取る。


「そんな逃げなくても……ごふっ!!」


 位置エネルギーを負荷した一撃は、少年をよろめかせるには十分だった。

 ……逆に言うと、ネルルの力ではよろめかせることしかできなかった。


 宙に浮いた不安定なネルルの身体は、少年の背にぶち当たる。


「いてっ」

「………」


 痛いのはこっちだ。

 ネルルは、じっとりと睨んだ。


「何すんだよ、まったく」

「………」


 それもこっちの台詞だ。


 得意気な表情で胸を張りながら語られる。


「いいか、奇襲っていうのは、正面から正々堂々仕掛けるものなんだよ!!!」

「………」


 ネルルは目を閉じ、ゆっくりと開いた。


「……それ、は、奇襲、じゃ……ない……」


 掠れて、途切れ途切れの、申し訳程度の突っ込み。

 少年は破顔した。


「なんだ、喋れんじゃん」


 ネルルは鈍器を振り上げた。

 その時既に、胸の中を占めていたのは諦め。


 その少年が、ネルルの領域に土足で踏み込んで来た最初の一人だった。







                    ◆◇◆








 研究室の片隅で、温かいミルクが注がれたマグカップを両手で抱えながら、ネルルは口を開く。


「先生……」

「なんだ」

「いえ……何も、ないです」


 もはや、この時間だけが癒しだった。

 あの少年が現れてから、図書館は心なしか騒がしくなった気がする。そんなことは、ない筈なのに。


 二人の間に会話がないのはいつものことだ。

 それは苦痛ではない。が、なんとなく今日は喋りたい気分だった。


「先生……」

「なんだ」

「今日も、人、いないですね」

「人気がないからな」


 精霊学は、百年以上も前から停滞している。推量と仮定ばかりが多い、抽象的な学問だ。学問の範囲に入っていることが、ぎりきりなぐらいの。

 ただ、精霊の加護を受けた物は強い力を持ち、魔具になることは事実。故に、魔具制作に携わることを望む者が、サブとして専攻するぐらいだ。極めようとするものは、かなりの変人だろう。この教諭のように。


 二、三言で会話は途切れる。しかしネルルを満足させるには事足りた。

 ミルクを啜りながら、そっと考える。

 駆け落ち婚で生まれたネルルには祖父というものが存在しない。だが、もしいたとしたらーーこんな感じだったのだろうか、と思うのだ。少しばかり年齢は足りていないのだけど。


「話す事がある」


 突然、背を向けたまま彼は切り出す。

 いつものことなので、ネルルは黙って聞いていた。


「もうすぐ入学試験がある」


 季節は夏に差し掛かる頃。

 そういえばそうだった、とネルルがぼんやりと考えている間に、彼は二の句を告ぐ。


「受けてみる気はあるか」

「え……」


 ネルルは目を(しばた)いた。


「わたし、まだ十歳……」

「受けてはならない決まりはない」

「学校の許可……」

「とってある」

「両親の許可……」

「私に一任されている」

「………」


「受けるのか、受けないのか」

「やります」


 気が付けば、口は勝手に答えていた。


「お前は自慢の弟子だ」

「……!」


 ネルルは息を飲んだ。


「思いっきりぶちかまして来い」

「……はいっ!」









「へー、凄いじゃん」


 少年は当たり前のように、ネルルの隣に陣取る。

 無視しても話し続ける彼のことを諦めてから、ネルルは自分からも話すようになっていた。空気というものは恐ろしい。


「よろしくな、後輩!」

「……気が、早い」


 少年はどこ吹く風だ。


「なんでいつも、すぐ見つかる……」

「空間魔法!!」

「………」


 空間魔法だけ、やたらと優遇されている気がするのは気のせいだろうか。

 不本意なことに、ここ最近の毎日は楽しかった。

 試験を受けると決めた要因には、きっと彼もあったのだろう。



『お前は自慢の弟子だ』


『思いっきりぶちかまして来い』


『へー、凄いじゃん』


『よろしくな、後輩!』


 一体どの言葉が引き金になったのかはわからない。




 数日後、ネルルは試験会場を全壊させるという暴挙を伴って、入学した。




 "化け物"の呼び名は再び蘇った。








                      ◆◇◆







 学校生活は期待した分だけ、ネルルに失望をもたらした。

 ネルルを見つけるために使われた空間魔法は、今度はネルルに見つからないために使われたのだろう。

 ネルルが化け物だと理解した少年は、淡い好意を抱いていた彼は、その後ネルルに近づくことはなく。

 変人教諭の親類、という立場で入学したネルルに近づく者はなく。

 半ば伝説と化した入学試験とその年齢もあいまって。

 膨大な量の本で積み上げた知識は、授業すらも退屈にした。

 文字の世界に、逃げることも出来ない。


 さっさと卒業してしまおう。

 きっと自分が、間違えていた。

 わたしには、身分不相応な夢だった。


 飛び級を重ねるためだけに授業にでる。


 魔法学校と魔術学院の抗争という事件(まつり)も、ネルルには関係がない。

 あと少し、あと少しで単位が足りる。そうしたら、また一年通う時間が短くなる。

 一度だけ、焦りのせいで苛々して、勉強の邪魔をする魔術学院の奴等に一発やらかした。

 それは最初で最後の"暴走魔女"の出番。


 それ以来何故だかしらないが、"化け物"に興味をもった変な奴等が近づいてきた。

 一人は魔具制作に携わることを志す年上の同級生。ネルルが化け物であることを喜ぶ、変人――むしろ変態。

 そしてもう一人は、フォート・アレスチナ。後に、マリエッタの弟と分かる人物である。


 そうしてネルルは飛び級を、やめた。


 化け物を逆に価値と考える彼らは、 いつの間にか友人とでも称すべき存在に成り上がっていた。


 頑なに拒んでいた雷魔法を使い始めたのも、その頃だ。

 雷魔法は暴走しない。しかし、水の精霊に気に入られたネルルの身体は、それだけを使うことを許さない。それでも、いいかと思えた。


 多分、幸せだったから。


 だから、錯覚したのだろう。

 景色は必ず、真反対にできるのだと。


 彼らと同じ年に卒業して、進路を全て蹴った。

 感謝を述べて、学校を出る。

 母の好きな髪型。

 母の好んだ服。

 母の得意な魔法。

 手土産は、ただそれだけ。


 いつの間にか両親は引っ越していて、探すのに少しばかり時間がかかった。

 引越し先の町は先生に知らせてあったが、詳しい住所は伝えられていなかった。

 だから見つけたとき、飛び上がるほど喜んだ。

 会ったらまずは、なんて言おう。

 期待と高揚感に胸を膨らませて、ノッカーをならす。


「はーい」


 返ってきた幼く、高い声に首を捻った。


「ご用件は、なんですか?」


 扉を開けた少女は――。

 瑠璃色の眠たげな瞳、日に焼けていない肌、香ばしい色のツインテール――ハ年前の、ネルルがそこいた。


「え……?」


 一瞬、過去を遡ってしまったのか、考える。

 そんなことはありえない、と思い直すまでに一秒。

 「おねえさん、どうしたの?」と八年前のネルルが首を傾げるまでに二秒。

 八年後の母の姿が見えるまでに、あと三秒――。


「あ……」


 お母さん。

 帰ってきました。

 迷惑かけて、ごめんなさい。

 心配かけて、ごめんなさい。

 わたしは、元気でした。

 学校は……多分楽しかったです。

 早く、お母さんに会いたかった、です。


 溢れる言葉は、母のたった一言に遮られた。


「どうして」


どうして帰って来たの。


 ネルルがその言葉の真意を、両親が引越した理由を、目の前のネルルそっくりの少女の正体を、理解するまであと――一体何秒かかったのだろう?

 永遠に思える時間の中、全てを悟って、ネルルは苦笑した。


 一度壊れてしまったものは、二度と元には戻らないのだと。

 ……自分はもう、愛されていないのだと。


「ありがとう。 わたしは、幸せでした(・・・)






 誇るはずだった卒業証書はギルドのカウンターへと、乱暴に叩きつけられた。







                   ◆◇◆







 何度目かわからない後悔が蘇る。

 自分の力を過信した七歳の自分を、身の程を理解しなかった十歳の自分を、――そして、幸せな勘違いをどこかで感づきながらも訂正せずに、十五まで年を重ねた自分を、嫌悪した。


 失望とぬか喜びを繰り返したネルルの心は、不安定になっていた。

 そんな時にカズキに出会った。


 拒絶されるなら最初からの方がまし、と素っ気ない態度で臨んでも、「クーデレってやつ?」とわけのわからないことを言うだけで。

 やけくそになって『魔女』という肩書きを名乗れば、かえって喜ばれた。盛大な自虐は、予想外の方向に跳ね返された。

 『魔女』という言葉の起源はエルスラ帝国の死霊術師だと、カズキほどに魔法を使う者なら知っていると思ったのに。


「要するに凄いってことだろ?」


 無邪気で真っさらなカズキに、ほだされてしまったのは、仕方がなかった。

 カズキは、順調に腐っていくだけのネルルを包み込んで。

 カズキに頼られることに、快楽を覚えた。

 依存されることに、依存した。


 でも――そんな日々は変わる。全て、変わって欲しくないのに変わっていく。

 カズキはどんどんと一人で何もかも出来るようになっていって、魔法なんて教える余地もなくて、自分以外に頼れる人の方が多くて、カズキは勇者で――わたしは出来損ないの『魔女』。


 ネルルは足を引っ張る側だった。

 自信が、自信の根拠に見合う能力が、自分の存在価値が、なくなっていく。否、最初からそんなものはないのだと、気付かされる。


 崩壊は、ルイの出現によって加速した。

 味方でも、敵でも、ネルルの物事を変える人間だと知った。

 距離を取って、それでも崩壊は止まらない気がして。

 

 気がつけば、魔法すらもまともに使えていなかった。


 願いを明確にした途端に叶わなくなっていく、それがネルルのジンクスでも。

 願わずにはいられなかった。

 

 お願い。

 お願いします。

 頑張るから、誰よりも頑張るから。

 どうか、どうか。


 わたしを置いていかないで。
























伏線→糸

申し訳ありません。

こっそり仕込んで来ます。

10/20 第58部分 「行程 途中」 に加筆。


魔法については、

尖らせた氷を作り、それを刃物がわりに使って自分の身体を傷付けることは可能。

自分の血液を凍らせるとかは無理。

そんな感じの基準です。

結構アバウトなので、自分でも忘れるかもしれません。

まあ、その時には……優しく指摘して下されば……何食わぬ顔で「そんなシーン、ありましたっけ?」状態にしますので。


よろしくお願いします。

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