青色の 記憶
精霊式ダンジョンというものがある。精霊の存在する空間が干渉を受け、周りの環境と変化した場所のことだ。
植物から獣、昆虫、それらは一様に魔物へと姿を変える。
魔物の定義は曖昧だが、通常では生まれることの無いモノという意味でなら、精霊式ダンジョンの全てが当てはまるだろう。
危険地帯。そう称するのが相応しい場所は、しかし『金の生る木』否、『密林』であった。
金の出処には人が集まる、その法則は漏れなく適用され、多くの精霊式ダンジョンの近辺には街が出来る。
だが、いつ壊れるか分からないリスクを負うには高すぎる"街"は、対象から充分に離れた場所に作られた。
ぎりぎりの範囲にある人里は余りにも少ない。
その中の一つに、ネルルは住んでいた。
街からダンジョンへの中継地として、小さいながらも必要とする者のいる村。その場所で営まれていた宿屋がネルルの家だった。
◆◇◆
「おーい、ネルル? どこにいるんだー」
ネルルは慌てて本を片付ける。
「お? また本を読んでたのか」
扉を開けた父が、床に散らばった本に目をやる。
ネルルはついと目を逸らした。
そんなネルルを見て、父は苦笑。
「読むのはいいけど、片付けろよ」
ネルルはこくこくと頷いた。
「ほら、夕飯だ。 食べてから片付けよう。 ママの料理が冷めちまう」
すてて、と母譲りの茶色いツインテールを揺らしながら走るネルル。愛しい娘を尻目に、父は床の本を一冊手に取った。
「『魔法論理』か……」
ずっしりとした重みを感じながら、表紙を撫でる。
六歳の読むものではないだろうに。
「全く、誰に似たんだか」
にやける頬を隠そうとしない彼は、ごくごく普通の親馬鹿だった。
「さあ、ネルル。 沢山お食べ」
母が、次々と皿を運ぶ。
「いよっ! ママの料理は世界一!!」
「おとーさん、しょくじ中に、立たないで」
「すまん、ネルル」
その様子を見た母が、くすくすと笑う。とろんとした穏やかなその目付きは、ネルルの血縁であることを主張する。
「すっかり尻に敷かれちゃってるわね」
「おひざに、乗せること?」
「ぶふぉっ!」
「おとーさんのおひざは、なんかやだ」
ネルルが無情にも切り捨てた。
「君の小さい頃って、こんなのだった?」
「ふふ、もうちょっと酷かったわね」
二人は娘を見つめる。
「?」
きょとん、と首を傾げたネルルに、「なんでもないわ」と母は頭を振った。
「美味しいかしら?」
「ママの料」
「あなた、ちょっと黙ってて」
ネルルはこくんとスープを飲み込んだ。
「おいしい」
顔をほころばして言うネルルに、親馬鹿が悶える。
「あなた、そろそろ怒るわよ」
数トーン低くなった声に、父がびくりと身体を震わせた。
「でも、なんか量が多い、気がする」
「今年はお客さんが少ないから。 ちょっと買い過ぎたの」
「なんで、少ない?」
ネルルがパンを千切る手を止める。
質問に答えたのは父だった。
「うーん、冬だからいつもに増してダンジョンが危険ってのもあるが……」
それでも毎年、冬に訪れる者は後を絶たない。
「今年は『雪月花』が全然咲いてないからだろうな」
ネルルは白くてふんわりした花を、思い起こす。
「……そう、なの」
あれが見れないのは、とても悲しいことだと思う。
「なぁ、シャルナ」
娘の寝顔を見つめながら、彼は妻に呼びかける。
「そろそろ本格的に、ネルルに魔法を教えてみないか?」
魔力は誰もが扱うことの出来るものであり、その使い方は本能で備わっている。だが、『本能』に任せるだけではあまりにささやかな能力でしかない。"理解"と"呪文"によって、それは初めて"魔法"となる。
妻――シャルナが答えた。
「ふふ、気が早いんじゃない?」
「君だって見ただろ? ネルルは賢い子だ」
彼女は少しばかり、考え込むような仕草を見せる。
「そう、ね。 年の割には落ち着いていると思うわ」
「ああ、君に似て冷血気味だな!」
彼女が、たおやかな笑みを浮かべた。
「うふふ、あなたったら……」
白く細い指先が、夫の頬を伝う。
「……何度言ったらっ!! それは! 褒め言葉じゃあないって!! 分かるのかしらっ!!!」
目と鼻の先。柔和な笑みを浮かべたまま、地獄の番人の声が響いた。
何度目かわからない、死の覚悟。
「まあ、それは置いといて」
天使がすっと顔を離す。
「ネルルに魔法を教えてみましょうか」
「君ならそう言うと思ったよ」
なんだかんだと言って、彼女も娘に期待を抱いているのだ。
「私の教え方は厳しいわよ?」
「知っているとも。 "雷撃の魔術師"さん」
妻の頬が、みるみると赤く染まる。
「そ、その呼び名はやめてくれるかしら……」
「なんで!? かっこいいじゃないか!」
「あ……うあ……あぁ……」
天使を妻にした男は、打たれ強かった。
その後笑顔の猛毒が、忘れた頃に侵攻して来たことは言うまでもない。
◆◇◆
「――――〈放電〉」
ばちり。
手に持った金属の筒が音を立てる。
自分の魔力には耐性があるため、ネルルが感電することはない。自分自身の身体にかけられる魔法は、基本的に神聖魔法と空間魔法、そして実態が不明瞭な時魔法のみだ。
例え自分に効いたとしても、初級中の初級である〈放電〉では少々痺れるだけである。
「これ、使う?」
パチパチと電気を帯びる筒を握りながら、母を仰ぐ。
「剣に付与すると結構便利らしいけど……あまり使わないわねぇ」
やっぱり……とネルルは思う。
「あ、あとドアノブに仕込むと凶悪よ!」と聞いて、父が時々扉の前でぶっ倒れている理由が判明した。
「ああ、髪の毛に気を付けて」
こくん、と素直に頷く。
もう既に静電気のお陰で、ふわふわと茶色のツインテールは宙に広がっていた。
余程強い素質がない限り、髪に特殊色は現れない。それは髪の毛に魔力が通っていないことを意味し、同時に自分の魔法が作用する部位であることを示していた。
つまり、電気を帯びた筒が髪に直接当たろうものなら、焦げるなんて序の口だということだ。
お粗末な威力なので、心配は無用だろうが。習慣をつけることが大切なのだ。
ちなみに、母は昔うっかり禿げかけて以来、がっちりと髪を纏め上げているらしい。
自分も切った方がいいか、と聞いたのだが「お母さんはその髪型が好きなの」と返ってきたので、今のところは保留である。
繰り返すが、威力が(略)。
「もっとすごいのが、いい……」
「だーめ」
母がしかめっ面をした。
「何事も、基礎が肝心。 ステップを踏まないと大変なことになるのよ。 まずは簡単なものでコントロールの感覚を掴みなさい。魔力消費も少ないから、回数もこなせて一石二鳥よ」
「でも……」
不満気なネルルに、母が肩を竦める。
「〈放電〉」
一輪の花に、薄っすらと青白い光が点る。途端、光は瞬く間に波紋のように広がっていった。
詠唱破棄。実力ある魔術師ならば、誰もが行き着く先。
気負いなく呟いたそれは地面の芝生を一掃した。
"実力ある魔術師"が、ふっと笑う。
「偉そうな口叩くのは、このくらい出来るようになってからよ」
じっと母を見つめていたネルルが、ちょいちょいと手招きした。
「何かしら?」
母がしゃがみ込む。
ネルルは抱擁をねだるかのように近付き――長い髪を纏め上げていた、母のバレッタを跳ね飛ばした。
「……? きゃあぁっ!!」
静電気の猛攻に発狂する母を尻目に、ネルルは駆け出したのだった。
◆◇◆
「――――〈雷球〉」
顔のほどもの大きさのある電気の塊とともに、ネルルが得意げな顔で母を見る。
「密度がまだまだね。 大きければいいってものじゃないの」
が、その返答は厳しい。
「でも、まぁ……及第点ってところね」
ネルルの顔がほころぶ。
魔法に厳しい母は、それすらも滅多にくれないのだ。
「おかーさん、新しいの、教えて」
母は首を横に振る。
「もう一年、ずっと初級ばっかり」
「七歳の分際が中級なんて使うものじゃありません。 ネルルの身体が耐えられないわ」
ネルルは口を尖らし、反論代わりの呪文を唱えた。
「――――〈放電〉」
草の焦げた匂いが充満し、母が眉をひそめる。
ああ、これは反論になってない、とネルルは悟った。
案の定、母の口から出たのは
「……詠唱破棄が出来るようになったら、ね」
そんなもの、今、どう足掻いたってできないことぐらい、幼いネルルにだって分かっていた。
「学校に入る前には教えてあげるわ」
じっとりと、母を睨む。
通わせてくれるとしても魔法学校だろう。それ以外は貴族など、身分が高いもの、金持ちが通う魔術学院だ。正直違いはわからない。なんだか字面的に高級感が漂っているぐらいしか。
どちらのレベルが高いのかと言われたら、微妙なところだ。数ならば圧倒的に魔法学校の方が多い。すれば、庶民向けであろうとも馬鹿に出来ないところが出てくる。王都の魔法学校など、それそのものだ。そして母も通った王都の学校に、ネルルは憧れていた。
魔法学校には、十二歳から入るのが一般的である。つまり、中級を習うには三年以上も待たなければならないのだ。きっと母は、入学試験に間に合うぎりぎり――中級魔法一つを完成させるには、半年から二年かかると言われている――に教えるつもりなのだろう。
そんなに待てるわけがない。
幼いネルルには、母の持論も意図も理解できなかった。
だから――
その日の夜、ネルルは母の部屋に忍び込んだ。
今日は客が泊まっているので、母は五時起きだろう。なので決行は間を取って二時半だ。
ネルルは必死で目をこする。寝た振りをして、何度か寝てしまいそうになった。
明かりを付けずに時計を確認する。寝る前に客の部屋に忍び込み、盗賊のお姉さんにたっぷりと〈暗視〉を掛けてもらったのだ。夜に家の前までやってくる動物の正体を知りたい、と嘘を付いて。
嘘吐きはいけないことだ、と罪悪感が胸を占める。が、ネルルは頭を振った。
雷魔法関連の本は、全て母が隠してしまった。ネルルの適応属性は雷のみ。他の魔法書に用はない。場所の検討はつくが、昼間にとることは不可能だ。引き出しの合鍵は、母の絶対領域である台所なのだから。さらに、台所の引き出しの鍵は母の部屋にあり、と難解な布陣である。
それでも、突破したかった。
中級魔法への好奇心の前では、"いい子"であることなんて何の魅力もなかった。
◆◇◆
「ネルル、ネルル? 目を開けたまま寝てるの?」
がくん、とネルルの頭が振り戻る。
「寝てない」
「そう? もしかして、朝ご飯美味しくなかったかしら 」
「おいしい」
ネルルは慌てて、口の中に詰め込んだ。
「ごちそうさま」
胸の高鳴りを、頬のにやつきを、悟られないようネルルは部屋へと駆け戻った。
自室の本棚から数冊、本を抜き取る。
きょろきょろと辺りを見渡し、自分の部屋で何をしているのだろう、と気付く。
だが、念のために椅子を扉の前に置いていく。
おかーさんは大好きだけど、怒るとすごく怖い。
母の魔力を食らい過ぎて、耐性が付いてきてしまったんじゃないかと思わしき父親をまぶたに浮かべて、身震いした。
逆らっちゃいけない。けれど――初めての反抗に心躍るのもまた、事実だった。
本の間に挟んでおいた紙をそっと抜く。念のために、数枚あるそれは分けて置いていた。
記載されているのは、夜中に書き写した中級魔法。書き写すのは、一つだけが精一杯だった。
それだけで充分。まずは一つだけでいい。
ネルルはごろごろとベッドでのたうつ。
ちょっと"悪い子"になった気分は、なかなかにクセになりそうだった。
中級魔法〈雷槍〉。ネルルがそれを完成させたのは、たった三ヶ月後のことだった。
ネルルはひたすらに浮かれた。
"危険性"の本当の意味を理解していなかった。
浮かれたネルルは、調子に乗った。
優秀な魔術師の娘もまた、幸か不幸か優秀過ぎた。
だからきっと、いともたやすく挑発に乗ってしまったのだろう。
だからきっと、単身で冬のダンジョンに向かうなんて真似をしてしまったのだろう。
友人から提示された、『度胸試し』の代償を考えることなんて、思いつきもしなかったのだろう。
◆◇◆
切っ掛けはなんてことない。少しからかわれただけ。いつもなら無視して聞き流す言葉。それなのに、今日に限って反抗心が湧いてきた。
生来おとなしいネルルは、弱虫のレッテルを貼られることが多々あった。ノリが悪いとでも言うのだろうか、イタズラの計画に、乗ったことがなかったのだ。そしてそれを、前までは誇りに思っていた。
だけど少し、自分の意思で行動して、ちょっと悪い事に味をしめ、中級魔法を手に入れたネルルは、"弱虫"を『汚名』としか考えられなかった。
『弱虫じゃねーって言うなら、しょーめいしてみろ』
『えー、"弱虫ネルル"ができるわけないよねっ?』
『できる、からっ……!』
『じゃあ、おれが"しれん"をさずけてやろう』
「『雪月花』を取って来い……」
ネルルは試練の内容を反復する。
もう何時間歩いただろうか。その花は見つからない。昨年に引き続き、少なくなっているというのか。
いつのまにかネルルは、精霊式ダンジョンの奥深くまで入り込んでいた。
ほぅ、と白い息を吐く。
「たいしたことない」
遭遇した魔物は少なく、かつ〈雷槍〉で一撃で倒せてしまうものばかりだった。
初級魔法で数をこなし、魔力総数を上げるという母の特訓の意図が機能していたという理由もある。だがそれ以上に、ひたすら運が良かった。
否、運が悪かったというべきか。入ったばかりの時に怖い思いをしたとすれば、ネルルは一目散に逃げ帰ったのだろうから。
「あった……!」
辿り着いたのは泉。一面に氷が張っており、オレンジの色素が乱反射している。
その中央。
白く、儚く、いまにも溶けてしまいそうな、雨混じりの綿雪の花が一輪。
夕空から差し込む光に当てられたそれは、白い森の中でふと目を離した隙に、崩れ落ちてしまいそうなぐらいの脆さを感じさせた。
月が出た途端に花は閉じてしまう。
ネルルは躊躇いなく氷を踏みしめる。冬用のブーツはしっかりと氷を引っ掛けた。
パシン、という音とともに近づく"証"。
手袋を外し、震える指先が花に触れて、白と橙が織りなす世界が、どうしようもなく青く、白く染まり――
ネルルの記憶はそこで途切れた。
断片的で、曖昧で、何もかもが理解出来ない。
ただ、目が覚めたら母がいて、声を出したら抱きしめられて、そのまま泣きながら怒られたことだけははっきりと覚えている。
ものすごく怖かったような気がして、ものすごく情けなかった気がして、ものすごく悪いことをしたと気付いて、ネルルは泣きじゃくりながらごめんなさいを繰り返した。
泣き声が止んで、しゃっくりの音ばかりが響き渡り、視界の端ーー上の方に青がちらついていることに気が付いた。
それが、自身の前髪だということを認識した瞬間、横隔膜が動きを止めた。
意味が分からず、鏡を落とす。
母譲りの髪の色。
秋を思わせる、樹木の色。誕生日に口にした、甘くとろけるチョコレートのように、こんがり焼けた、焼き過ぎ寸前のパンのように、香ばしい色。
そんなものはどこにもなかった。
青く、澄んだ、水の底のように深い色へ冬を混ぜ込んだ、そんな髪。
水の精霊が司る色。氷すらも支配下に置く、冬の水精。
氷のように冷たく鋭利な冬の精霊が支配する森へ、入り込んだ代償は。
今年初めての『雪月花』に、精霊が大切に守っていた花に、手を出した対価は。
逆鱗に触れたネルルは、精霊に憎まれると同時に――深く、深く愛された。
無邪気な精霊は、感情というものが存在しない。
憎悪は愛情。好意は敵意。悲しみも喜びも全てが同じなのだから。
興味が全て、直結する。
呪いは祝福の裏返しであり、祝福すらも呪いそのもの。加護は、枷へと姿を変える。
ネルルは精霊に魅入られた。
きっと母は、知っていたのだろう。本当の"危険性"は『思い上がり』だと。
教訓の代価は、小さな身に釣り合わなかった。
青髪の魔女。それは生きながらの、魔具である。
◆◇◆
それは長い長い夢の中にいた。
主に与えられた役目をこなし続ける、幸せな夢。
その夢を、現実だと信じて疑うことはなかった。
夢の崩壊は唐突だった。
ふと、己の見ている風景が単に過去の再生だと気が付いた。時を司る昔の仲間、今における裏切者が見せた偽りだと。
敵の認識が、意識の覚醒を呼び起こす。
いる。上から、裏切者と同じ匂いがする。
膨れ上がる憎悪。半端な覚醒は、それだけを形にした。
半分死にかけのそれには、上に行く手段がない。己の形すらも奪われた。
怒りだけが、呼応する。アレを消せ、と全てに命令を下す。
だが、不完全なそれの命令もまた、不完全。
どうしても届かず、形のないままに膨れ上がり――気付けば願いが近づいていた。
アレは自らこちらへ近づき、そのことに歓喜という感情が蘇る。
しかしそれでも届かない。
絶望が新しく蘇り、そして淡く消えた。
望むもの。形を。器を。力を。そして何より、どれだけ己に近いかを。
全てを備えた人間が、アレの隣にいた。
裏切者の作った種族だろうと、どうでもよかった。だからこそよかった。
子が親を殺す、裏切者の罪と同じ形で報復する。
狂気を、それは取り戻した。
取り入り、つけ込み、無し崩す。見つけた瞬間から、貴女は己の器だと決めた。
青く染め上げられた器は、あつらえたかのようにぴったりだった――。
…………
それは、裏切者の匂いが薄く漂っていた人間を見逃した。
消すまでもない。匂いは薄く、力は弱い。怨みを分け与えることすらも、勿体無い。
必要がないのだ。
もう直ぐ器を、写し終えるのだから。
上を仰ぐ。
人形なんぞに、殺させない。
ただ、足を止めればそれでいい。
ゆっくりゆっくりゆっくりゆっくり、己自身の手で殺すのだから。
主が最後に与えた巣箱の、その向こう。使徒の存在を噛み締めて、頬が裂けるほどに、何千年振りか、心からの笑みを浮かべた。
◆◇◆
「落ち着け、落ち着くんだ、うん、落ち着こう」
岩を振り上げていた手を下ろす。
ごつごつしていて、手が痛い。岩は全体的に湿っていたが、やっぱり苔の類いはなかった。
目の前のネルルに、視線を戻す。
「卵みたい……」
薄い膜でもあるかのように割ることが出来ず、液体の満ちた球の中で丸まるネルルは、魚の卵のようだった。
って、呼吸してる?
ぺたぺたと手で球を触りながら――感触は水面のよう――ネルルの口元を凝視する。
ぽこぽこと気泡が出ていた。
水中で息出来るのかよ……。 えら呼吸?はっ!!もしやネルルは魚人か!!
人魚と称しなかったところに、悪意がある。
イライラしながら、今度はナイフで突つく。
「あーっ!! もうっ!! 起きろよ!」
ネルルに化けた水妖がくるじゃないか。
乗っ取りか、コピーか。恐らくは後者だろう。
埒が明かない。何かいい方法はないか、と後ろを振り返る。
「………」
ちょっと待って。
ネルルがコピーされてるってことは、もしかして。
この水球は……やっぱり……アレの……。
「えーと、こんにちは……?」
偽ネルルが微笑んだ。




