選択 ミス
まず、どうするべきか。レスカは走りながら思考を巡らす。
ワンピースを引き裂いて、左腕に巻く。これ以上血がなくなるのは避けたい。
氷人形は次々と生み出され、海を離れていく。だがそのスピードは速いとは言えない。
持久力とは無縁のレスカは、走り続ける。関節が壊れても、恐らくは修復可能だと希望観測を持って歩幅を伸ばした。
宿まであと少し。
「ふおわあちゃああぁっ!!」
ルイの真似をして奇声を発しながら――正直、発するほうが辛いだろうと思っていたが――、その扉を蹴破るかのごとく中に飛び込んだ。ノブが折れた?気にしない。緊急事態の権限は、何にも勝る。
「すぅぅ……」
中で呆然とレスカを見つめている人達を差し置いて、肺の奥底に空気を流し込む。
「火事だぁぁああァッッ!!!!」
鼓膜が震える。
これまたルイ直伝の、カズキを起こす、専用の文句。
レスカの今の声量なら、たとえ喜びの声だとしても皆起き出してくるだろう。そんなことに気が回るほど、レスカの頭は落ち着いていない。
「ちょっと、お客さん何――――」
「うるさいですっ!!」
レスカが盛大なブーメランを飛ばしながら、めきょり、鉄拳制裁。理不尽にもほどがある。最早レスカに「うるさいのはお前だ」と言えるものなどいない。
レスカの知り合いの中で、真っ先に降りてきたのはラオだった。次にカズキだ。そしてレスカは、普段の会話とは全く違う、端的で無駄のない説明をぶちまけた。大量の氷人形がこちらに向かっていることも含めて。
もう、レスカに「お前の方がうるさい」などと言っていられる余裕のある人間はいなかった。
◆◇◆
「これはヤバイな……」
海岸の様子を見て、カズキが声を漏らす。氷人形は数えきれないほどに数を増やし、海の上を覆う氷もどんどん範囲を広げていた。
「はい、だから早くルイを――」
助けなくては。レスカがそう続ける前に、カズキが口を開いた。
「ここで食い止める」
毅然と、迷いのない声。レスカは、カズキが何を言っているのか理解出来なかった。
「カズキ、ネルルはどうするつもりですの?!」
マリエッタが問う。
「ネルルにはルイがついている」
愕然とした。ルイを助けてもらおうとしているのに――勿論ネルルだって気にかけてはいるが――その目的を真っ向に否定された。
唖然としたのはレスカだけではなかった。ラオがカズキに突っかかる。
「何で助けに行かへんねん!」
ネルルは大事な仲間で、ルイは家族も同然なのに、とラオが主張する。
「だからだよ」
対してカズキの答えは、恐ろしいほどに冷静だった。
「信頼する仲間だから、今、助けに行かないんだ。 ネルルは俺の知っている最強の魔法使いで、ルイだって曲がりなりにも"勇者"だ」
「だからといって……」
ミラも、納得がいかないようである。
レスカはふつふつと頭が煮え滾ってきた。ネルルが"今までで最強"だなんて、その『今まで』は一、二ヶ月しかないではないか。
ルイが"勇者"?ふざけるな。そんな仰々しいものなわけがないだろう。どれだけ脆いか、何でカズキがわかっていないのか。もう、言葉すらも出なかった。
こいつは、勇者なんかじゃない。
「それでも勇者かいなっ」
「勇者だから言っているんだ」
カズキが真っ直ぐにラオを見る。
「俺には私情を優先する権利がないの。 どちらかを優先させなければならないのなら、力がなくて数が多い方を守らなければならない。 勇者だからこそ」
レスカはぎりっ、と奥歯を噛み締めた。
違うだろう。勇者というのは、自分の護りたいものを全て護ることの出来る人間のことだろう。仲間を見捨てる勇者など、"勇者"ではない。
しかし、それを言葉にすることは出来なかった。
「もし、ここで俺がネルルとルイを助けに行ったとする。 そしたらこいつらは市街地に向かうぞ? 俺たちが食い止めなくて、誰がやるんだ」
言えない理由は分かっている。カズキの言っていることが正論である、とレスカはどこかで認めてしまっている、ただそれだけ。ただそれだけが、気に食わない。
「勿論二人を見捨てるつもりは毛頭ない。 応援が来るまでは食い止める。 その先は……二人を助けに行く。 これが、全部救うための最短ルートだ」
分かるけど納得出来ない。分かりたくない。もっと他に、あるだろう!
こいつは勇者なんかじゃない。切り捨てることを躊躇しない――冷酷な為政者だ。
マリエッタたちはその理屈に合点がいったのか、先へと向かう。だがカインは渋い顔を作ったままで、ラオに至っては明確な苛つきが見て取れた。
―――みんな、口下手ですね。
自分にも返ってくる言葉を、舌の上で転がす。
私は納得なんかしない。
「カズキ、私にはあなたの指示を聞く理由がありません」
カズキが振り返る。
そもそも、人に頼ろうとしたのが間違いだったのだ。人に頼って依存して、良かったことなどないのに。
「だから私は、勝手に行動します。 文句は言わせません」
私はお前が大っ嫌いになった、と言ってやりたい。ルイと似ていると思ったのも、撤回する。理性で物を考えて、論理的で、理屈っぽくて……面白くない。だからこいつに、価値はない。
レスカは顎をくいっ、と突き出す。
カズキが真っ直ぐにレスカを見つめた。
「頼む……」
カズキが、泣きそうな顔で声を絞り出し、深く深く、頭を下げた。その後に続く言葉は、指示に従うことを望む物ではない。
レスカは目を瞬いた。
……結局か。結局こいつにも、感情はあるというのか。結局私に頼むのか。頼んだのはレスカの方だというのに。
不合理だ。
変に理屈を優先するからこうなると、何でわからない。
レスカはやっぱり、カズキが少し嫌いになった。
◆◇◆
冷たい感覚。自分の身体が水の中にあるのだと認識するのに、そう時間はかからなかった。
「(平常心平常心平常心……無理、じゃなくて無理じゃない)」
パニックに陥らないように自己暗示。落ちた原因は後だ。ネルルは見当たらず、〈探索〉を掛けるにも声は出せない。無詠唱は単純な魔法しか出来ず、割と複雑な部類に入る空間魔法は流石に出来ない。練習しようにも、魔力は無尽蔵ではなくなってしまった。閑話休題。
大事なのはネルルが見当たらないということだ。視界に映るのは、魚の群ればかり。〈暗視〉で色が判別出来ないことが、こんなにも煩わしいと思ったことはない。
海水でも目が支障なく開けられることは臨海学校で実証済みなのでそれについては問題がないのだが、思いっきり擦ったらしき左脚がじくじくしている。いや、遠慮なく掻き回されている。自重しやがれ海水。明らかに血が流れ出ていた。それもかなりの量が。ああ、動きたくない。
息に余裕があるうちに上がらなければ、と早鐘を打つ心臓を誤魔化す。冷静なフリをして頭を上に向けーー早鐘のサイズが、銅鐸になった。
「(うそうそうそっ!)」
喉元が締め付けられる。動悸がさらに加速する。
穴が、無くなっていた。
高血圧かなにかでエラーと警告音が鳴り響く。
二度見しても頭上の氷は分厚いままで、そのまま息がリタイアを申し上げそうになる。そこそこ鍛えた肺活量で、 あと――一分持つか持たないか。
ふざけんなっ!!求めない死に方ランキング三位の溺死とか御免だ!目指す先は大往生なのに!
レスカのロッドを鎌に変え、その後で思い出したように槍に変える。氷を突き破ろうとするが、水の中では勢いが付かない。服のせいで、身体がもつれただけだった。
う……そろそろ限界。
ぐらつき揺れる視界の中、見た物は。
思わず、ぽこりと気泡が口から出る。
あの背びれのシルエットは。
認識した途端の寒気。血の臭いで寄ってきた?心臓が破裂する。その前に血管が爆発する。てか死ぬ。
鮫らしきものが、ランキング一位の捕食死が迫っていた。
こっち来るな、と焦る頭でひたすら願い続けながら頭上の氷を割ろうと奮闘する。しかし、その甲斐なくどんどんと距離は詰められた。
逃げなくちゃ。でも、どこに?
鮫に似た魔物のサイズはそう大きくないが、数は三体。身動きが効かない中、自分一人でどうしろというのか。
躊躇している間に、一体が速度を上げてこちらへ向かってきた。慌てて身を捩る。ガチン、と歯が噛み合った鋭く冷たい音と同時に、頭が白く焼き付いた。声にならない悲鳴。二酸化炭素の割合が増加した空気が、泡になって飛び出した。
掠っただけ掠っただけ掠っただけ掠っただけ――脳内の連呼。それで何が変わるわけでもなく。余りに熱い痛覚は、ふつふつと怒りの方向に変換されていった。
ふざけんな。
酸欠の脳味噌はそれだけを繰り返し、力の抜けていく手の中の槍を鎌に変える。そのまま、出来る限りの力で振り放つ。
「(フカヒレごときが逆らうんじゃねええーっ!!!)」
火事場の馬鹿力、脳内麻薬、そんな物が働いたのかどうかは知らない。働いたのは女神様の慈悲の賜物。
大鎌が鮫もどき等を真っ二つに切り裂きながら、くるくるとゆっくりとした軌道を描きながら、そのまま沈んでいくことだけが事実。
その様子を半眼で見つめながら、意識は遠退いていく。失血死コースの可能性が浮上した。苦しまずに済むならそれでもいいか。
「(やっぱりコントロール力なんかじゃなくて、STR全振りとかにしとけばよかった……)」
そしてそのまま、意識はフェードアウトしていったのだった。
ちなみに2位は焼死。




