グレー ゾーン
まだ夏です、と言い張ってみる。
青い海、白い空――飛び出す阿保。
「うーーみーーー!!」
脛を全力で蹴りつける。
「はうっ」
レスカががくりとバランスを崩した。
「な、何するんですか!」
「いや、なんか腹が立った」
「りふじ……はびゅっ!」
ぷっくりとした艶の乏しい唇を掴み、思いっきり捻じる。
「ふゃふゃふぁ!!」
あたしの腕を、ぺちぺちとレスカが叩く。ぺちぺちがベチベチに変わるころに、指を離した。
「う~、私に何の恨みがあるんですかぁ……」
「別に君だけ水着を着ていることに何の感情も湧いてきてないんだからねっ」
「えっ、あっ、『つんでれ』となんか違いますよ!? というか、言っている内容が男性目線ですよ!?」
「ウフフ」
そう言って、和やかな笑顔を浮かべる。
白いビキニが真っ赤に染まってしまえばいいのに。
「その笑い方は気持ち悪いです……」
足払い。レスカは縄跳びのように、飛び跳ねた。
ポニーテールにまとめ上げた髪が、跳ね回る。
ついでにミニスカート形式の水着も舞い上がる。
「私を倒そうなんてマイナス百年ぐらい早いです!!」
「マイナスってなんやねん」
ポージングをばっちりと決め、ドヤ顔を作ったレスカに、ラオが適切な指摘をする。
「時を渡れば、なんと私を倒せる可能性が存在します!」
どこと無く、テレビショッピングのような口調だ。
「意味ないわっ」
「ラオは分かってないですね。 百年前は、私は生まれてないんですよ?」
「だから何なん」
「つまり、不戦勝が可能です!」
「………せやね」
ラオがレスカとの交信を諦めた。
少々疲労の浮かぶ目で、レスカから離れた。そして、傷心なラオをカインが慰める。完全に図式はラオ(母)、カイン(父)、レスカ(バカ娘)だ。
……ん?BL?
しばし、脳内に空白が訪れる。深く考えてはいけない。メンタルが削られる。あたしは絶賛墓穴発掘中の脳味噌を、遠くに追いやった。なんで自分は、考えたくないことを考えるのだろうか。男同士とかあたし得ではない。
顔が引きつるぐらい満面の笑みを浮かべ、レスカに向き直った。
「ところでさぁ、それいくらだったのかな?」
レスカが顔を背ける。
カインはくわっ、と目を見開いた。
◆◇◆
リクトルに到着し、数時間。時間は日差しが一番苦しい頃、場所は影のない砂浜。日光浴の聖地である。
「あー……誰だ海行こうって言い出したやつ」
「レスカだ」
「いや、分かってますよ」
カインでも普段の鎧は無理だった。今のものは、要所しか守っていないスペアのものである。あたしとラオは元々軽装なので、いつものままだ。
もっとも、耐久力が一しかないビキニアーマーを装着した奴がいるのだが。あたしはそんなことをするほど無謀じゃない。
「あー!! 帰りてー!」
シャツがべっとりと張り付いて気持ちが悪い。密着している。蒸れる。脱いだあとの臭いを想像し、げんなりとした。
成分不明の日焼け止めを勇気を出して使って見たが、紫外線の猛攻は止められる気がしない。今更日焼けとか気にしないんだけど。レスカの手にかかれば、皮膚ガンだって怖くないはずだ、多分。
どちらにしろ大体外にいるので、もうすでに充分小麦色だ。病的なほどに白いレスカの肌が羨ましい。 アンデッドは灰色とか、土気色のイメージがある。ものすごく細胞が破壊されていそうなのに。そのうち灰になってさらさらとレスカが崩れるんじゃないか。
アンデッドについてよくよく思考を巡らせてみれば、どうしてもグロテスクなホラー映像に行き着いてしまう。グロはもとより、ホラーは最近アンデッド退治ばかりやっていたせいで耐性はついているのだが(寧ろそのせいだ)。それでも食事中などに思い浮かべたら最悪だ。でろでろレスカだ。トマトっぽいものを食べている時に考えて、二日間赤いものが食べれなくなった。本当にあたしの脳は、ろくなことを考えない。
きゃっきゃうふふと水遊びをするレスカ。ちなみに一人きりだ。一般客は立ち入り禁止につき、ほとんどプライベートビーチ状態である。
一人できゃっきゃうふふしてるんだよ、あの子。凄く悲しい。痛くて見ていられなかったラオが、ダウンした。カインは相変わらずの涼し気(婉曲表現)な顔で立っているが、暑いのは変わりないだろう。ほんっと、何で暑くもないレスカ一人が涼んじゃってんの。ねえ。
「後でレスカしばく」
「……声が洒落にならないんだが」
だって洒落じゃないからね。
「海にはろくな思い出がないんだよなー……」
ため息を吐きながら、汗を拭う。制汗剤が欲しくてたまらない。眼球に入って苦しんだ記憶があるのに、めげずに使い続けたあたしはある意味で偉いと思う。
海⇒青春⇒一希⇒爆ぜろ
といった流れで、思考が飛んだ。
一希とカヌーで漂流して岩に流れ着くわ、一希がなんかサメを呼び寄せるわ……もう、どれだけフラグを立てれば気が済むんだい君は。
何よりきついのは、一希狙いの生徒が殺気立つことだ。目が血走って、いつもよりにこやかで、谷間主張して……。
あたしは立ち上がった。
靴に砂が入るのにも構わず、前へと進む。
「あれ? ルイ、どうしたんですぅぅきゃぁぁああ!」
レスカが宙へ舞い上がり、水飛沫を上げながら塩水に着水する。
「な、な、な、なー!!」
ぷるぷると震えながら、レスカあたしにびしりと指を突き立てる。
「何するんですかー!!」
いや、何ってそりゃあ、
「佐倉家に代々伝わりし一本背負い?」
「何か無駄にかっこいいんですけど!」
褒められたので、今度はヘッドロックをお見舞いする。
「あ、何かこの体勢、いいかもです」
「……」
ドMかっ!
「ていうか、痛いの全般効きませんからね? ルイ、分かってます? 忘れてますよね?」
肋骨の隙間に指を突っ込む。
「キャーッ!!」
レスカが逃げた。
「何ですか! 何ですか今の!! 何ですか今の不快感!!」
レスカが跳ね回り、上体が揺れる。すらりとした腹部の上が、ふるふると揺れる。
自分が濡れるのも構わず、レスカの頬を掴んだ。
「だから何でレスカが! レスカの分際が! 境界線持ってんだよーっ!!」
「ふ、ふぎゅ~ッ!!?」
脂肪の塊の中央を縦断する亀裂。それを目にした途端、歯止めが効かなくなった。
ニーソの絶対領域が作られないほどに細い身体の一部に、少し胸を張れば肋骨が浮き出るというのに、配分を考えない贅肉がある。
レスカにだ。
よりにもよって、レスカに。
「何で今になって! 理不尽です! 巨乳ビッチはどうなんですか!!」
「んなこたどーでもいい!」
レスカが涙を拭う仕草をする。勿論嘘泣きな訳で。
「レスカだからむかつくんだよー!」
ポニーテールとか、白とか、ミニとか、脇チラとか鎖骨とかうなじとかっ!
……胸部とかっ、
隙がねえよ! 完璧だゴラァぁあ!!
「うわああああ!!!!」
奇声を上げながら神速で団子を作成し、レスカに向かって投げた。
「ず、ずるいですそれ!」
大急ぎで顔を庇ったレスカが、陣を描いて障壁を発動させる。
「そっちの方がずるいわあっ!!」
ちくしょうおぉ……あたしは太腿派だーっ!!
「あかん! ルイ、止まれーーっ!!」
撃沈したルイを傍目に、レスカが首を捻る。
「ささやかな方だと思うんですけどね」
少しばかり、持ち上げてみた。
あと二回りほど欲しい、と生前なら思うところだ。
「ねえ、どう思います?」
ラオが噎せた。
◆◇◆
レスカのロッドを弄る。目的はビーチパラソルだ。このままでは日射病になる。醜態とかは知らん。
いやしかし、どうやって出すのだろうか。
腕に力を込めて、出ろー出ろー、と念じてみる。
目覚めよ!(電波受信)
いかん、レスカからWi-Fiが。
まあそんな感じで阿保なことをしていたら、ぐに~、と半透明のものが出てきた。
「うわっ!」
「何か気色悪いな……」
ラオが興味を示す。
そんなこんなでぐにぐに伸ばしていったら、不恰好だが大きめのパラソルが出来た。
「どうやったん?」
「なんかこう、ぶわぁーっ、どびゃあっ! って感じで」
「抽象的やな……」
「まあ、レスカの所持物だからね」
「あー、その理由、変に納得出来るなぁ」
過程はどうあれ、日陰確保だ。ぶすりと突き立て、いそいそと座り込む。
………。
「地熱ぅっ!!」
何これ、あっつい!砂熱い!
頑張って氷を出してみたものの、初級魔法のサイズは貧相だ。水と氷の初級で、難易度が違うから仕方ないんだろうけど。
出しては溶けて行くってどうよ。
意味ないよほんと。何であたし、変化球狙ったんだろう。オーソドックスに魔剣とか最強魔法とか頼んどけよ!まあ、それでも重量とかクールタイムとかで女神様は虐めてくるんだろうけどさ。夢に描いていたコントロール力無双と違う……。
「おいルイ、ちょっと待て」
カインが器を取り出した。
「勿体無いから、これに入れてくれないか」
「……かき氷食いたいだけだろあんたっ!!」
ミレニア教徒滅べ!教祖ごと滅べーっ!!
一希との会話を思い出しながら、あたしは脳内で叫び声を上げた。
「あ、カイン、シロップある?」
「自分の発言省みよなっ?!」
ラオよ、頭が堅いと生き残れないぜ……。
ちなみに柔らか過ぎるとどうなるかは、
「きゃーっ! 魚! 魚です!!」
……ええ、お察し。
もう本当に、何してくれちゃってんの女神サマ。
―――一昨日―――
「さあ、キリキリ吐きやがれ勇者様」
「なんかそれ、前も聞いたんだけど」
と、言いながらも一希は大人しくホールドアップ。
「胸倉掴まないで」
「やだ」
「暴君がここにいる!」
「ふっ……君主なんかじゃないよ、あたしは。 小者役だ!」
「それ言ってて悲しくねぇっ?!」
最近自虐ネタが多いような気は、自分でもしている。
「つーか窓から入んなよ」
「一希の真似」
「俺三階、ルイ二階、おーけー?」
こいつはペラペラと話せるくせに、日常会話ではひらがな英語を使う。なんだろう、どちらにしろ腹が立つ。
「つまり、三階まで登りつめたあたしの方が偉いってことでしょ」
「もう、何も言えない」
軟弱者め。
「ところで、何で土足で入ってんのか聞いていい?」
「土足で通常じゃん」
「お前、順応はえーよ!」
自宅では脱いでいるのだけど。
というか、
「影薄いみたいに言わないでくれる」
「お前が影薄いって……」
「あるでしょ?」
「……あります」
ばちん。レスカが濃ゆ過ぎるだけだ。
「デコピンの音じゃねぇっ!!」
「ちょっとは筋肉ついたんだよっ」
「ほ、誇っていいの?」
「まあ、腹筋割れたらどうしようだけど」
「劇的ビフォーアフターはやめてくれよ」
「あ、でも生まれて初めて豆出来た」
潰れた。肉がエグかった。硬くなった。
「ルイ、鉄棒も出来なかったもんな」
失敬な。豚の丸焼きぐらいは出来る。
「いやしかし、逆上がりの必要性は未だにわからないね」
機会は訪れてないが、今ならやれるんだろう。全く女神様々だ。この際偽物とかはどうでもいい。下剋上された旧神様が悪いって感じ?
個人的には大っ嫌いだけど、神様に逆らうとか無謀な試みは駄目だ。丁寧な口をきいていたら、待遇は上がっていたのかもしれない。でも、普通の人はあそこで夢だと思うんじゃないだろうか。これといった宗派はないし。とりあえずよくわからないけど、仏教が一番近いのかな?ちなみに神道がなんなのかもわからなかったりする。
一希が飛ばされて来てから、あたしは女神様に『様』をなるべくつけるようにしている。人の脳内とか、覗かれてしまったらたまらない。そしてこれ以上、誰かが飛ばされて来るのも御免だ。
力有る者には媚びへつらえ、だ。情けなくとも構わない。無闇に権力者に逆らいたいお年頃は、もう卒業している……と思う。
「ねえ、一希。 あんた、女神様に何を貰ったの?」
一希とあたしの間に、沈黙が訪れる。
「……勇者に必要なもの、かな?」
「……自分で希望したものは」
「いや、ないけど」
どういうことだ。
「ああ、でも、覚悟が無いって言ったら剣を貰った」
それは一希と共に育つ武器。一希の精神を、鍛えるものでもあると教えられたらしい。
それってさ、要するに――洗脳ですよね女神さまぁっ!!?
いや、確かに覚悟は必要かもしれないけど、何精神汚染とかしてくれちゃってんの。一希は駒じゃないんだけど!ちょっと、一希も疑問に思おうよ?!既に洗脳済みかよこいつ!
「形も変えられるんだぜ? 凄くね?」
残念だけど、レスカと被っているから。
無邪気な一希をはっ倒したかった。
女神様に与えられた聖剣は、名ばかりの呪いの武器。なんて本末転倒。
「ちょっとこれ、捨てて来る」
「なんで!」
「初心者は武器の性能に頼っちゃだめ」
「まだそんなに性能よくねーから! これからだから!」
「駄目です。 チート反対。 ミレニア教の御神体にすべきです」
「なんてブーメラン?!」
「あたしのがチートだったら、世の中チートが溢れてチートがゲシュタルト崩壊する」
「いや、もう連呼し過ぎてチートって何だっけ状態だからっ!!」
「つーか、チートってどういう意味?」
「『ズル』あるいは『騙す』という意味の英単語」
「オーケー分かった。 ありがとう人間辞書」
「ちなみに辞書に載ってなかったぞ!」
「人間ウィキ」
「ちょっとあれを読破するのは無理がある!」
「しようとしたんかいっ、このバカズキ!!」
「チャレンジ精神溢れると言え!」
「もう精神科行けーっ!!」
洗脳解除して来い被験体!!
「俺、これ以上ないくらい正常な自信ある!」
……本気でやばい。社会不適応サイコパス化現象を自覚してない。合法ジャック・ザ・リッパー化もあり得ない話じゃない。
あれ?洗脳器具無しでサイコパス化してるあたしの方がやばい?
「いいから剣はーなーせーっ!!」
「こっちの台詞だーーっ!!」
もう、こうなったら洗脳の上書きしか無い!ちょっと催眠術師か詐欺師探して来る!神を超越した詐欺師カモン!神様騙せ!
「つーかこれ、無くしても一人で帰ってくる、迷子も安心仕様だからな!?」
――ちょっとこの装備、マジで呪われてるーーっ!!
――――――
「うふふふふふ……」
ちょっと『神殺し』とか十四の夏的地位を目指していいかしら。一人称『あたし』を『私』に変えて、ニュータイプなルイさんに生まれ変わっていいかしら。『かしら』なんてお嬢様言葉使っていいかしら!
「どうしよカイン、ルイが本格的に壊れてもうた」
「夏だからな」
「ちょっとカイン、それ理由になってないんだけど」
「あ、復活したわ」
ラオもなぁ、見限る前にあたしを救う努力しようよ!ナカマでしょう?!(棒読み)
「だー! 埒が明かねーっ!!」
敵は天上、なんて無理ゲー。地上で頑張って洗脳解くしか無い。懸念はいつまで増えるんだ。
「あの、ルイ……ちょっといいですか」
「なんだい、懸念その一」
水の滴るぐしょ濡れレスカが焦点の合わない虚ろな目をして、あたしの前に来ていた。
「その呼び名は後で言及するとして、話があります」
「うん、聞いたげる」
「海ですね」
「うん」
「晴天ですね」
「うん」
「私、アンデッドでしたね」
「……うん」
「ちょっと日光浴び過ぎたので今から倒れます」
「うん、……は?」
ふらり、とレスカの身体が砂浜に沈み込んだ。
「レスカあぁーーっ!!」
「こいつ阿保やわ!! って、返事ないんやけど! ガチな方? ガチな方なん?!」
「ルイ、回復魔法だ!」
「ギャー! なんか余計に色素が薄まったんだけどー!!」
「あかん、アンデッドには無意味やった!」
「と、とりあえず日陰だ!」
「カイン! 荷物運びはちょっと駄目だと思う!」
お姫様抱っこしてあげて!?
どうしてだろう。懸念その一を見ていると悩んでいるのが馬鹿らしくなって来た。ああ、もう、本当に馬鹿らしくて笑えてくる。不本意だけど、少しだけレスカに感謝した。
ちなみにその後、日陰でかき氷を食べさせたらいつものレスカに戻っていた……。
もうこんなのばっかりか、うちのところ。




