変化と 動揺
血が噴き出す。服に、地面に、とめど無く流れ出たそれが染み込んでいく。
耐えきれずに身体が傾き、上体が地に打ち付けられた。
腹からはみ出た何かが、のたうつ。鮮やかなピンクと赤で彩られたその何かを、内臓だと認めるのに体感時間でどれだけかかっただろうか。
まるで画面の向こう側のことのように、当事者としての認識が欠けている。
ただ、ぼんやりと―――ああ、内臓なんて動物とさして変わりはないんだな―――なんてことを考えて。
現実を主張する五感と他人事と認知する脳が混ざり、疑問符ばかりが生み出された。
「―――イッ!」
死んだのかな。
「―――ルイ!」
誰が殺したんだろう。
「おい、ルイ! しっかりしろ!」
「……あ」
―――かず、き?
自分の肩が揺さぶられていたことに気が付く。
目の前にある死体が、上半身と下半身が真っ二つに分かれたそれが、彼か彼女かも分からない者の臓物が急に現実感を帯びてきた。
死んでいる?
上半身を切り離されて、生きていられる人間なんているわけがない。
誰が殺した?
そんなの―――
「もう平気」
―――そんなの、決まりきっている。
「助けてくれてありがとう、一希」
一希の手にしている灰銀の刃が赤色で汚れた瞬間を、あたしは見たじゃないか。
一希があたしの身体に腕を回し、力をかける。胸の高鳴りなんて感じ様もない、なんの色気もありはしない、一希が幼い頃の癖だった。
こつん、とあたしの肩に一希の額が打ち付けられる。
「……心配した」
「ごめん」
「気を付けろ」
「うん」
「無事でよかった」
「ご心配お掛けしました」
「好きだ」
「……は?」
「だめじゃねーか」
「……へ?」
「ツッコミにキレがない。 お前、大丈夫じゃないだろ」
「うわぁ、ブーメラン返って来た。 てか、あたしボケ担当だし」
「両方こなせ」
「つーか、冗談でも好きとか言わない。 吊り橋効果が出たらどうすんだ」
「吊り橋を平気で揺らすお前に吊り橋効果が発揮されるとは初耳だ」
「いや、びっくりするぐらいときめかない自分にびっくりだよ」
「ちょっとこっちも色気なさ過ぎてびっくりしてる」
「……うっせ」
「まあ、お前に発情したら犯罪だからな」
「その通りだとも弟よ」
「え……俺が兄」
「だめ。 あたしが兄」
「……兄? てぃーえす? 別の意味で法的に不可?」
「間違えた」
「お前、絶対大丈夫じゃない」
「佐倉さんが大丈夫な日なんて永遠に来ないから大丈夫」
「おーけー、大丈夫だ」
「それでいいのか自分」
「それでいいんだ多分」
「……今、いいこと言ったと思ったでしょ」
「いや、今のは素だ」
「まじかー」
恋愛感情とは程遠く、色気の欠片もない親愛。それに絶大な安心感と、誰かの誤解を招いていないかという不安を感じる。そのはずなのに。それがいつも通りなのに。
なんでこんなにも余裕がないんだろう。
いつの間にか一希が、王道から外れていた。
◆◇◆
「で、こいつらどうします?」
ネルルに所々氷を貼り付けられ、動きを封じられた残党の一人を、レスカがうりうりと頬をロッドで突つく。……ああ、レスカから小者臭が。小者系美少女も中々乙なものだが、言い知れない脱力感が伴う。
「ああ、『駆除』でええよ」
『駆除』―――野盗に人権も何もない、魔物と同じ扱いだと聞いたときの心境は複雑だった。
「捕まえるとかじゃないんだね……」
「誰がどこに連れて行くんだ」
街中なら警察?憲兵?……が機能するが、外で、しかも大人数で襲われたときは返り討ちにするのが一般的らしい。どちらにしろ、捕まえたところで最後は死刑の可能性が高いだろう。
あたし基準の過剰防衛(よりさらに行き過ぎ)で、こちらの正当防衛だそうだ。もちろん義務ではないが。
「こいつら、手配書出とった?」
「はい、確かに記憶しています」
手配書まで出ていたなら、合法機関からゴーサインが出ているということだ。迷う余地もない。
逃がすも脅して金を搾り取るも自由だが、駆除はマナーだと。もはやスライムと同等の扱いか。
ちなみに手配書が出ていなければ、正当防衛だろうと綿密な審査が待っている。なんの罪もない人間を殺し、正当防衛だと偽ろうとしても暴かれるということだ、大体は。法の穴ぐらい探せばあるのだろう。一時期裏社会とか秘密結社とかに憧れを抱いていた人間からすれば、『冤罪なんぞ許せん!』とか言えない。……誰だそんな痛い奴。まあ、当事者でもなければそんなものだ。
現代地球人、否、ごく一般的な高校生としては合法的に殺人が行われていることに抵抗するのが正しいのだろうが、生憎あたしは正常じゃないみたいだ。この世界の人間でもない自分が、ここのルールに口を出すべきではないと考えている。その理屈を、感情が受け入れてしまっていた。
だから、言えない。心のどこかで『死ねばいい』って思っているから、曲がりなりにも殺されそうになった恐怖は健在だから……その恐怖を味わってみればいいって考えている自分がいるから、建前すらも言いたくない。
だから、言ってよ。君しか言えないんだ。言うだけで十分だから。王道の通過儀礼をこなすことが重要で、結果なんてどうでもいい。
綺麗事を形にしようとするのが、主人公でしょ?
勇者でしょ?
ねえ、一希。
彼が口を開く。
「じゃあ、ちゃっちゃと終わらせますか」
主人公として相応しくない台詞を吐きながら。
耳を塞いだ。
理想が、壊される。
そんなささやかな抵抗は無意味で、防音効果の低過ぎる壁を超えて音が脳内に侵入する。
どうやら命乞いをしているようだ。聞きたくないから、必死で流す。スルースキルの熟練度は、かなり高い筈だから。
だけど、聞き慣れた声を無視することは不可能だった。
「ちょっとそこまで必死に命乞いされると引くな」
あたしに『引く』と言っている時と、同じ表情で言う。
「所詮盗賊か……」
「盗賊やない。 野盗や」
珍しく、ラオの声が怒気を孕んでいた。両者には、絶対に譲れない違いがあるのだろうか。
「……悪い。 でも、同じとは思ってないから」
「分かっとる」
分かっているけど受け入れられないというニュアンスが、節々から滲み出ている。
何かを喚く奴等に、一希が苦笑した。
「いや、まあ心配しなくていーよ。 俺、虐殺趣味はないから」
まるでどこかの悪役のように。
それに対して、あたしは何を感じている?
悲しい? 怒り? 動揺? 恐怖?
―――違う、何も考えられないんだ。
唐突に、視界を人形のように白い顔が侵食する。レスカが心配そうにあたしの顔を覗き込んだ。
「カイン、何か服が気持ち悪いので、先に馬車に戻って着替えて来ますね」
「分かった」
〈浄化〉ではもの足りなかったのだろうか。
レスカがあたしの腕を取る。
「ルイも付き合って下さい」
「え、あ……うん」
ぎこちなく、レスカに引かれて歩き出した。
途中でくるりと、レスカがカインに向き直る。
「なるべく綺麗に片付けて下さいね。 魔物が寄って来たら大変ですから」
「ああ」
レスカが、あたしに穏やかな笑顔を向けた。
「ほら、ぼけっとしないで下さい」
「……うん」
レスカの笑顔に、何故だか少し肺が広がった気がした。
「目を背けても、誰も怒りません。 見たくなければ目をそらせばいいんです。 いつかは慣れますから」
ああ、全くその通りだ。
だけど、あたしは一希の変化に目をつむることは出来そうになかった。
◆◇◆
レスカは溜息を吐いた。
あれからずっと、ルイの目はカズキに向きっぱなしだ。眉間の距離は、いつもより数ミリ短い。そして、一言も発していなかった。
ルイにあるまじき行動だ。由々しき事態だ。天変地異の前触れだ。
少し大袈裟な表現で脳内を説明しては見たものの、いまいち気分が乗らない。斜め三十六度ぐらいの思考回路は通行止めだ。今のレスカは八割五分がシリアスで構成されてしまっていた。 今日のレスカはコメディ気分だというのに。誠に遺憾である。そして自分の語彙がかなりルイの影響を受けていると再確認。悲しむべきなのか、語彙の拡張を喜ぶべきか。
カズキにそんな厚い視線(熱い視線ではない)を送るルイに、暑い視線を注ぐのはネルルだ。一周回ってむしろ寒い。溶岩を氷で包み込んだかのような無茶苦茶な目線だ。コカトリスとバジリスクとメデューサが同居している。
その二人を視界にとどめ続けているのがレスカだ。視線の三角形が出来ている。カズキを含めると、三角形から直線が生えた関係になる。
もうわけをわかりたくない。人の恋愛は苦手だ。結局分かるのは自分自身の気持ちだけなのだから。
ネルルの一方通行な勘違いは、見ていてざわざわする。
心なしか、胃が痛い。胃酸など出る筈がないのだが。
「う、あーーーー!!!」
苛立ちに身を任せ、奇声を上げる。いつものことなので、ラオ以下は完全に無視だ。ネルルはルイを凝視することに忙しく、耳が機能していないのだろう。びくつくのはカズキのみだ。……と思えば、馬が嘶いた。
流石の私です、と一人ごちる。声が武器とか、ちょっとかっこよくないだろうか。歌で世界を掌握とか、いかにも聖女っぽい。レスカの中で、『聖女』の意味が迷子になる。
ちなみにこの思考は、顎に手を当て眉間に皺を寄せて真面目な顔で行われていた。詐欺である。
あれだ、ルイに言わせれば『ギャップ萌え』というやつだ。果たして自分のそれは、褒め言葉として成立するのだろうか。注文した美味しそうな果実の中身が虫に食われていた心境だ、と自己分析。
そしてシリアスレスカが、思考を掌握した。
ふう……と、腹式呼吸で頭を落ち着ける。キャラクターが定まってない、とルイに怒られそうだ。だが、どちらも本物のレスカにつき、改善は不可である。幼い頃に身に付いた性格は、改善が難しい。
目を細め、ルイを見つめる。横顔に映るのは、恐らく動揺だろう。温室育ちのレスカには、その理由が理解出来る。
冒険者なんて夢や希望を取り除いたら、単に何かを殺す仕事だ。野盗は殺される、それが自分たちの常識である。だが事実を受け入れていても、その場面を見たいと一般人は思うだろうか。少なくとも、昔のレスカは思わなかった。死体を弄ぶと決めた時に、倫理も道徳も投げ捨ててしまったが。
今も自分で手を下すことには抵抗がある。というか、多分まだ殺人処女じゃないだろうか。未遂はマリエッタ以外にも沢山あるけども。だから、やれることはやれるのだろう。好きかどうかは別として。
既に死んでいるのを見るのはいいが、目の前で死なれると迷惑だ。自分の死を強く意識してしまう。生きるなら生きる、死ぬなら死ぬ。中途半端な存在は不本意だ。なってしまったものは仕方ないが。もちろん、もう一度死ぬ気もない。
つまり人が死ぬ場面に快感を覚える人間は少数派で、尚且つ異常なまでに平和過ぎる場所で育ったルイの反応は、間違ってはいないとレスカは思っている。寧ろパニックを起こしてもいいぐらいだ。
こつん、と頭を膝に打ち付ける。拭いきれない違和感が、こうすると頭から出てきそうだった。
ルイの動揺の原因には、彼女にとっての非日常は大きな割合を占めていないと、レスカは薄々気が付いていた。
ルイの頭にある恐怖の回路は少々おかしい。恐怖に慣れるのが早過ぎるとでもいうのだろうか。何度か死にそうになっているというのに、数時間後にはけろっとしている。今回も、殺されそうになった衝撃はすぐにルイの中で過ぎ去ると考えていた。
死体も、まあ大丈夫だろう。正直あれよりグロテスクなものをルイは見たことがある。
だが、そこではなかったのだ。
『ねえレスカ、異世界適性ってさ、あたしの所での社会不適応者の素質だったのかな』
着替えの最中にルイが呟いた言葉が、未だに耳に残留している。
そして、ルイの目線の対象。
彼女の言葉が表す人間は二人。
レスカはくすりと笑った。
ああ、面倒臭い。
観察対象が迎えた変化は喜ばしいことだ。しかしその変化は、長引くと対象本来の魅力を損なってしまう。『面白そう』を行動理念に掲げているレスカには、実に面白くない展開だ。
不謹慎にも、頬が緩むのを抑えきれない。
―――さて、どうしますかね。
にやにや笑いを隠しながらレスカは、動機さえなければ美しい計画を練り始めた。
ちょっと長くなったので、ぶった切りました。続きは明日までに書けると思います。
恋愛フラグは立っていないので、要注意です。伝わりにくかったらごめんなさい。
ちなみに、ウジウジは長引きません。




