行程 三日目
フラグ、というものがある。いわゆる事件の前触れというやつだ。
物語を読んでいる際に、『俺……帰ったら結婚するんだ……』とか登場人物が言い出したらもうこいつ ダメだ、とかが有名だろう。けしてそれしかぱっと思いつかないというわけではない。
このフラグというやつ、案外現実でも再現されるのだ。
例えばうちの父が以前こうこぼしたことがある。
「仕事がうまく行き過ぎて怖い」
と、笑いながら。そしてその翌日、最悪の想像を上回る事件によりデスマーチが勃発した。
フラグ回収はされるのだ。二次元三次元に関わらず。
言ってはいけない台詞がある。決して一希に言わせてはいけない言葉がある。律儀な彼は、フラグ乱立者にして熟練の回収者なのだから。
「平和だなー」とか言い出したらシメなくてはならない。何かが起こる。
「なんか楽しいこと、起こんねーかな」とか言い出したらすかさず離れなければならない。何か事件が起こる。
ふざけんなくそ野郎。なんかあたしに恨みでもあるというのか。お前がフラグを回収するときに、フラグの尖端があたしに刺さってんだよ!ちくしょうっ!!
そんな非日常フラグよりも、一希においてさらに出現頻度が高いもの―――恋愛フラグだ。
ニコポ、ナデポは流石の一希でも無理である。通常の表情がニコだし、撫でるなんて小心者な一希に出来るわけがない。セクシャルハラスメントで訴えてやる。あんなの一種のテロだ。
一希はニコポもナデポも使わない。真に恐ろしいのは無意識下で発動されるアレ―――『ホメポ』だ。
一希は非常に残念なことに、人間が出来ている。人の長所を見つけるのがあまり上手い。そしてそれを躊躇なく褒める。さらりと短く、それでいて容赦無く。無差別ホメポテロである。そのうち一夫多妻を政府に要求するんじゃないか。
褒められたほうは、例え一希にその気がないとしても意識せざるを得ない。案外他人が気付いてくれない、それでいてどこかで気付いてほしいと思っていたところをピンポイントで攻めるのだ。ソースは自分。
もう女子校に特別編入して来いギャルゲ主人公。あたしは攻略対象外キャラじゃボケ。お前は姉に恋愛フラグを立てようなんて無謀、もっと言えば違法な試みをするのか。姉じゃないけど!……あれ?あたし、攻略対象?なんか凄くやなんだけど。ギャルゲって、攻略される側にとっちゃ冗談じゃないよね。
そんな一等フラグ建築士はいつかやらかす。そう思っていたあたしは、全神経を一希に向けていた。だがら忘れていたんだ。
一希以外にも、誰にでもフラグは立てることが出来るということを。
フラグ放置という事例が星の数ほどあることを。
フラグなんて立てなくても、事件が起きるときは起きるということを。
つーか端的に言っちゃえば三次元のフラグなんていわゆるジンクス、思い込みってことを。
だからそう、これは断じてフラグ回収の結果ではない。絶対にないのだ。
あたしはそう、自分に言い聞かせた。
◆◇◆
三日目の朝から、山道に入った。
山と言っても、険しいとか標高が高いとかそんなものではなく丘以上山岳未満だ。範囲が広過ぎて我ながらわかりにくいが、小学生の遠足レベルと言えばいいだろう。
深い緑色が目に優しい。一応街道ではあるが、れっきとした山道なのだ。というか、山道以外の何物だというのか。最後に整備されたのが二十年ぐらい前って何なんだよ。
「いやぁ、コルスとリクトルの繋がりも昔とは大分薄くなったっすからね」
多くの町を経由する、別ルートの方が人気なのだそうだ。
「あ、でもこっちの方が早く着くっすから、商売んときはこっちの方が多いっすよ」
あ、そう……あたし、遅くていいから違うルートがよかったな……。
「おふ……」
馬車生活三日目。とうとう三半規管が悲鳴を上げた。
「気持ち悪い頭痛いお尻痛い吐く」
何なの……ハンスさん、その余裕は何なの……。
ちなみに彼、御者じゃなかった。リタのところの見習い商人だそうだ。人手が足りなかったため、駆り出されたとのこと。リタのお母さんが、今リクトルにいるらしい。流石に商談を見習いにやらせることはなかった。
……リタ女史は、もう見習いじゃないのね……。
急に襲って来た衝撃で、頭が揺れる。ぐらんぐらんと、片頭痛が悪化する。
声を絞り出して治癒魔法を使って見たが、収まったのは吐き気だけだった。
揺れる度に、内臓をかき混ぜられるような感覚が加速する。
「人を散々笑っておいて、何やってるんですかー」
「……自己暗示で、酔うより……マ、シ」
忘れてたよ。三半規管は父親似だってこと。つまり、平均以下だ。前転を五回転連続でやり、立ち上がれなくなったほどだ。女神補正で油断していた。山道は無謀過ぎた。あたし馬鹿だ。
「昔はすっごく弱かったんです!」
だめ、無理、レスカの話なんて聞いてられない。頭ガンガンする。
「治癒魔法効いてない……」
「ざまあないですね」
はわわわ揺れるゆら、ゆれ……
「内臓ミキサー……」
「甘いですね。 私は胃が口から飛び出そうになりました」
「…………」
ラオが目を細めて、レスカを凝視する。
「何想像させとんねん!」
レスカの口から半分内臓がこんにちはしている様子を思い浮かべたのだろう、ラオが凄く嫌そうな顔をした。
カインも、レスカから目を背けた。あ、カインも想像したんだ。
あたしもレスカをじっと見つめてみる。
………。
「歩く十八禁残酷表現やめい」
「いや、十五禁止りだろ」
一希、お前もか……お前も想像したのか。ピンクのぬめぬめてぅるんとした物体が、レスカの口からはみ出ている様子を。
……そっちの方が乗り物酔いより吐き気がする。
ネルルが無言でレスカから離れた。その目線を真っ直ぐにレスカの口元に向けながら。じりじりと後ずさる。
レスカとネルルの苦手意識の立場が、逆転した瞬間だった。
「コルセットも凄いです。 なんか腸が―――」
「やめて!」
あ……だめ、そろそろ落ちる。無理。
「もう、しょうがないですね」
半分はお前の所為だ。
レスカが人差し指をあたしの額に当てた。
ひんやりと冷気が伝わって来る。
「―――〈治癒〉」
レスカがそう唱え、
「どうですか?」
どうも何も……
「あれ? 平気だ……」
揺れは相変わらず感じているが、だからなんだ。内臓が上下に動いているだけじゃないか。
「乗り物酔いは病気認定されないですから。 ちょっとコツがいるんです」
少し誇らし気にレスカが笑った。
「伊達に聖女様やってなかったんだね」
うっかり漏らしたあたしの言葉に、一希とネルルが怪訝な顔をした。
やばいやばいやばい。
「ルイ、レスカの知名度は高くないんだ」
カインがぼそりと、あたしに言った。
「あ、そうなの?」
じゃあ、あたしのミスはノーカンか?
「活動地域が狭いからな。 知ってるのは一部の熱狂的なファンか、一部のミレニア教徒のみだ」
処刑された云々も、噂レベルでしかないらしい。
レスカの首を見る限り、本当っぽいが。
「なんとローカルな……」
「逆に、有名だったら人里に顔出すわけないじゃないですか。 変装とか偽名とか使いますよ」
それもそうか。
じゃあ騙されて鵜呑みにした自分って、なんなんだろう。あたし、ちょろいの?
「あれ? じゃあなんでラオが知ってんの」
「ああ、あいつは一時期王都周辺にいたからな。 ……あと、ちょっとアレなんだ」
ああ、ミーハーなのね。
「ほっとけ……」
ラオが逃げた。
「まあ一番の理由は、あいつも聖女の恩恵を受けた一人だからだろうな」
「えっ……そうなんですか? 全然覚えてないです」
レスカの酷い台詞に、ラオが項垂れる。
「ちなみに俺も、お前に何度か会ったことがあるんだが」
「……びっくりするほど記憶にないですごめんなさい」
ラオはともかく、カインは忘れるか?
「た、多分眼中になかったです……」
さらりと酷いことを言うレスカに、カインが苦笑した。
「だろうな」
カインは糖分が足りてさえいれば、かなり寛容である。
「ねえレスカ、聖女って自称?」
ローカルマイナーな聖女様(仮)が、わたわたと慌て出す。
「そんなわけないじゃないですかっ!! どれだけ痛々しい子なんですか私はっ!!」
大丈夫、既に装備とか肩書きが危ないラインに乗っている。
「いつの間にか呼ばれてたんですっ!」
「ミレニア教徒には珍しく、無償で治療して回っていたからな。 信者ぐらい出来るだろう」
「ひ、ひうっ」
レスカが変な悲鳴を上げた。
「え……金にがめつくって、値切ることに全身全霊を掛けるレスカしか想像出来ないんだけど」
「ごめんなさいすみません若気の至りです」
カインの話は終わらない。
「天使だなんだ言われていたが、何度も無料で治療して貰おうとやって来るやつには帰った後で舌打ちをしていたな」
「ななななんで知ってるんですかっ」
カインの追い込みは終わらない。
「そういや出会いは最悪だった」
「なんか凄く嫌な予感がするんですけど。 やめてくれません? ねえ、やめてくれませんか?」
「あれは……俺が十一歳の時か。 レスカは十三だったな」
「………」
かいんじゅーいっさい……し、ショタあぁっ!!
見たかったな。可愛いんだろうな。生意気な顔してたんだろうな。……虐めたかったな。
「マリエッタと来たんだが、共々殺されそうになった」
「マリエッタ殺害未遂は多過ぎていつのことやら……」
「やっと話が通じそうだと思えば、お前の第一声は『まさか男色の気があるんじゃないでしょうね』だ」
巫女さん汚れてんな……。
「あうあうあうあう……」
「お前が向けてきた槍の尖端が軽く刺さっていた」
「………」
レスカの戦闘力って、やっぱりその頃からカイン並なんだ。
「あれだけ衝撃的な会合をしておいて、忘れているとは。 確かにお前に名前を呼んでもらった記憶はないが」
「う……。 で、でも、今思い出しました! あの目付きの悪い、マリエッタの獲物七号ですよね! マリエッタに巨乳を押し付けられて顔色一つ変えない餓鬼!!」
マリエッタ関連になると、途端に口が悪くなるな。
カインが目を細め、口の端を吊り上げた。見事な悪役面である。
「ほう……そうか……ちなみにお前の話はまだ沢山あ―――」
「うきゃーーーーっ!!!!」
レスカが頭に手を当て、叫び声を上げた。
「いやーーっ! だめーーっ!! 思い出を穢さないでーーっ!! 都合の悪い記憶は捨てるんですーーっ!!!」
ラオに続き、レスカが撃沈した。
「ちょっとやり過ぎたか」
カインが頭を掻いた。
「うん、まあ、いいんじゃないかな」
寛容に見えたカインは、しっかりと今回のリクトル行きに怒っていた。自分の食費が危ういからだ。甘党はお菓子に関すると修羅と化す。あれ、ちょっと動機が……。
「ねえ」
「なんだ?」
「後でレスカのエピソード、もっと聞かせて」
「残念だが流石にやめておく」
カインは律儀だった。
「なあ、話全然わかんなかったけどさ」
一希が口を挟む。
「要するにレスカは中二ってことでいいの?」
「あ、うん。 要約するとそういう話」
「どこをどうとったらそうなるんですかっ!!」
「ちなみにこいつ、二十二歳」
「……お、おう」
「い、やーーーっ!!!! 五年は入れないで下さいっ!! 十七ですっ、十七っ!!」
五年は死んでたらしいけどさ、生年月日で数えたら間違ってないじゃないか。意識不明でも年はとるんだし。
「大丈夫だ! 一生中二でも死なない!! つーか考えによっちゃ中二が人類最強だから!」
と、一希がフォローを入れる。
恥知らずだもんね。
「なんかルイが二人いるみたいで凄くやです!!」
「失敬なっ」
「え、なんで俺、二人からディスられてんの……」
「カズキ、こいつらの会話は悟ったもん勝ちやわ」
復活したラオが、一希の肩を叩く。
「楽しそう……」
「いや、これ見てそう言えるネルルさんの神経って凄いっすね」
「褒められた?」
「あ、はい」
結局、外野が一番幸せである。
◆◇◆
異変は突如訪れた。
「ハンスさん、後どれくらいで着きます?」
御者台の方に、身体を乗り出す。相変わらずぐらぐらと身体は揺れているが、不快感は全くない。不思議だ。
「そうっすねー、あと二、三じ―――」
「はい?」
ぐらりとハンスさんの上体が傾き、あたしに雪崩かかる。
「ど、どうかしたんで……」
言いかけて、言葉が止まった。
彼の脇腹、その右下に突き刺さった矢が、染み出す赤が目に写る。
ラオが声を張り上げた。
「レスカ!」
「はいぃっ!」
レスカが治癒魔法を唱えながら、ハンスさんの元へ。
「どっからや!?」
「た、多分あそこらへん!」
その瞬間は見ていないが、位置的には間違っていない―――はず。
「―――〈霰〉」
ネルルがその場所へ、氷塊を積み上げる。
「一個ぐらいは、当たったと思う……」
「ネルルナイスだ!」
一希がゆっくりとネルルを褒める暇も無く、
「ちっ……」
カインが舌打ちと共に、剣を引き抜く。声も無く後ろから乗り込んで来た奴へと、あまりに自然なまでの動作で突き立てた。
濁った悲鳴が上がる。
「左も右も、さらには後ろもか」
「完全に囲まれとんな」
敵は十数人。隠れていれば、それ以上。
一希が自分の剣を手に取る。
「ネルルは馬車とハンスさんについてろ」
「うん……」
ネルルの魔法はあたしたちを巻き込み兼ねない
「いざとなったら、俺を無視してぶっ放せ」
「分かった……!」
ネルルが力強く頷いた。
「後方は俺がやる」
「ああ、任せた」
そして、後ろから飛び出して行った。
「レスカとルイは右を頼む」
ラオが指で示す。
そちら側はネルルのサイズ無視の霰が影響を及ぼしたのか、人数が少ない。
「わかりました」
「行って来る」
初の盗賊エンカウントは、あまりに静かな始まりだった。
レスカが姿を見せた瞬間、敵の目線が集中する。
彼女の外見は、明らかに魔術師タイプ。詠唱中は無力に等しい職業が、何を考えているのか敵のど真ん中に佇んでいる。相手から見れば絶好のカモだ。
「野盗なら、やっすい挑発の言葉一つぐらい発してみたらどうなんですか?」
ご丁寧に顔まで隠した奴等は、返事を返さない。
「つまんないですねー、折角初めて襲われたというのに」
その声は、あまりにもお気楽で。
始めはレスカに警戒を見せていた相手も、詠唱を開始するそぶりのないことを確認し飛びかかった。
レスカの掲げたロッドは当たらない。
「―――誰が魔術師なんて言いました?」
楽しげに、抑揚のついた声でレスカが笑う。
わざと外したその杖から、真っ白な刃が飛び出した。横に凪ぐ。三日月のような刃が腕を、脚を切り裂いた。
くるりと軽く振り回し、血を払う。
「あなたがたは治癒士にやられて下さい」
青白い肌に鮮やかな赤を乗せて、アンデッドは艶やかに微笑んだ。
「かっこつけなくていいからぁーーっ!!」
「んなぁ! こういうのはですね、ハッタリかました者勝ちなんですよ!? 今かっこつけなくていつやるんですか!」
「少なくとも今じゃねえーーつ!!」
大鎌を振り回しながらの応酬。無駄口を叩きながらも、確実に動きを止めていく。
実力の伴う中学二年生ほど、厄介なものはないとあたしは知った。安定のレスカ過ぎて困る。
「ルイもビビってないで援護して下さい! 私、取りこぼしますからね!」
「変に身の程をわきまえ過ぎじゃない?!」
傲慢不遜で君は丁度いいと思うの。
リズムの会わない深呼吸で無理矢理に落ち着かせ、狙いを付ける。
当たるから落ち着け。
目線は、狙いはごくごく自然に首元へ―――そんな自分に愕然とする。
首にやったら死ぬじゃないか。そんなことしたら捕まるんじゃ……。
殺すことよりも、捕まることに拒否感を示したサイコパスな自分にまたしても動揺を隠せない。社会不適応者の自覚はなかったのに。
『対人』というイレギュラーが、思考を鈍らせる。
あたしはどこまでやっていいの?どこまでやるべきなの?
ぶれる思考を強引に抑え込み、とりあえず動きを止めるべく矢の狙いは膝へと設定。たとえ殺したとしても動揺しそうにない自分が怖い。
だからまるで機械のように、単なる作業のように次々と膝を撃ち抜く。膝が覆われているのなら太腿を。胴体にやっても、なんだか動きそうだから。……まるで動物のように捉えている。
「ああ、もうっ、面倒ですね! どっかーんってやっていいですか?!」
だから深くは考えない。見ている風景がどこか他人事のようで、恐怖が麻痺する。レスカが両手で大鎌を振り回すその姿も、非現実感を主張して―――
「ルイ! 後ろですっ!!」
レスカの声が裏返った。
「え……?」
右目に写る、銀色。
鈍く光それを視界に確認。
それが何なのか、認識を得るのに約一秒。
「あ……」
―――視界が、真っ赤に染まった。
「ルイっ!!!」
今更ながらですが、ランクについては忘れていただいて結構です。あまり深く考えずにつけたので……。そのうち直していこうと思います。
8/12の活動報告に、ちょろっと佐倉さんちの家庭事情を載せてあります。




