偽りの 神
「もっとかかると思ってた」
「"けーたい"があったので、楽でしたよ」
辞書アプリだ。一希の充電器は、思わぬところで役に立っていた。
充電方法は力加減が難しく、ショートしない程度に電気を流し込む……と、レスカが言っていた。まさかね、ほんとに使っちゃうとはね。あたしはケータイの存在を忘れてたよ。早々にレスカのおもちゃになっていたし。
「レスカなら、辞書がなくてもいけるんじゃない?」
「流石にわからない単語ぐらいありますよ。 意味を履き違えていたのとかも見つかりましたし」
逆に、そのレベルまでいけた君は凄いと思う。ちゃちい辞書なので、レスカの独力の割合の方が高いのだ。
「ルイも手伝ってくれましたしね」
……あれ?今日は電波度低めだな。レスカの天然は、TPOをわきまえる。達が悪いことに、計算なのだ。ということは―――
「結果は?」
レスカが古びた本の、皮表紙を撫でる。
「残念ながら、ルイの期待するような魔道書や宝の地図が隠されているなんてことはありませんでした」
「だよね……」
そうそう都合よく、転がっているわけないか。
「ですが、禁書と言えば禁書です」
レスカは焼き焦げた跡のある、その本をかざした。
「これは、女神直々の命令によって検閲された本です」
◆◇◆
「この本自体は、たいして古いものではありません。 精々エルスラ時代の物でしょう」
「ちょっと待ってよ、エルスラ時代って言語は今のに統一されてなかった?」
「ですから、遅くとも中期までの話だと思われます。 エルフ族はまだ滅んでいなかったことが考えられますし、彼らなら古代語を読めても不思議はありません。 読まれないように古代語で書いたとしても」
だから手書きなのか?
「もっとも、これは写本でしょうけど」
「写本……」
じゃあいつの?
レスカが髪を耳にかけ、答える。
「古代は軽いですね。 長年エルフ族によって伝えられてきた話のようです」
それは、途轍も無く遠い話ではないだろうか。
「彼らはこれを、『神話』と呼んでいました」
「それは……処分されてもおかしくなくない?」
ミレニア教徒にとって、神話はキリスト教でいう聖書の位置だ。
「確かにミレニア教徒から見れば、立派な偽物。 ですが、中身はよくありそうな物語でした」
「だから?」
「ミレニア教徒は、自分達の『神話』に絶対の信頼を置いています。 偽物ぐらいでは揺るぎません。 むしろ、本物と信じる『神話』と見比べて、笑いの種に出来る人達が集まった異常者の集団です」
……言い切っちゃったよ、この子。
ミレニア教が国教ではないのは、女神が信者を選りすぐるかららしい。つまり、異常者の集団は女神の趣味……。何も言うまい。
「あまりにも不適切だと判断したものは、狩りに行きます。 しかし、女神自身の命令が下されたのはこれだけなんです」
その情報は、他との差別化を容易に成した。
「しかも、中身は古代語。 読もうにも読めないのが実情です」
「わざわざ回収する意味がない、万が一にも見られたくないものが書かれてない限り―――ってこと?」
「そう考えるのが妥当かと」
中途半端に残った焼き焦げは、処分を何らかの形で生き延びた結果なのだろうか。
「でもなんでレスカはわかったの」
この本が、女神の命令によって処分された本だと。
「禁書認定された本は、どのようなものであろうと本部の最下層に仕舞われています」
「なんで」
「見本です。 手に出来るのは、女神の許可を得た大司教のみですが。 まあ、大半が読めもしないですけど」
「つまりレスカは……」
「コネや笑顔や魔法を駆使して、忍び込んだ時に偶然読みました」
「死霊術……」
「もちろんそこからです」
「………」
何をやっているんだ君は。
「ザルでしたね」
「そっすか……」
何やってるんだ、ミレニア教。レスカも得意げに胸を張らないでいただきたい。
「なんでこの街にあるんだよ……」
「あそこの前館長が、エルフの末裔だったなんて案はいかがでしょか」
「もうその路線で行こうか」
"木を隠すなら森の中"を実践してしまったのだろうか。ぽっくりと急死したらしいし。
まあ、いくら考えたってわかりっこない。
「てかレスカさあ、お風呂入ってないでしょ」
「アンデッドは汗をかきません。 いつもさらさらすべすべのお肌です」
死体だけどね。それでも汚れるだろう。
だいいち、この時間は銭湯もやってないな。
「服ぐらい着替えて来たら? ほら、スカートの皺が凄いことになってる」
レスカが藍色のスカートを摘まんだ。
「そうですね、水ぐらい浴びて来ましょう」
「レスカ、朝ご飯いる?」
「甘いものが食べたい気分です」
「わかった。 じゃあ本の内容はその後ね」
レスカの目の焦点があっていなかった。完全に、脳がオーバーヒートした状態だろう。危ない。かなり危ない。何が危ないかって、レスカが真面目なのが、だ。変が変になって普遍になってしまっている。これはやばい。レスカ・オリビエは天上天下唯我独尊でいて、レスカなのだ。……いや、よく考えたら今日も電波を発信してたな。あたしは何を基準におかしいと思ったんだろう?
あ、ご飯をねだらなかったことか。
◆◇◆
フライパンに油を敷き―――精油の壺は、いつしかすっかりと料理用になっていた―――、お玉半分ほどの生地を流し込む。世にも簡単なホットケーキの作り方だ。薄いので、どちらかというとパンケーキだろうけど。あたしは一希に奢って貰ったので、作るのはレスカの分だけだ。
ラズベリーっぽいものを添えて、適当にメープルシロップをぶっかける。ちなみにこのメープルシロップもどき、やたらと採取が面倒くさい。木の表皮に傷を付けて樹液を取ろうとしたら、暴れるは攻撃するは逃げるは……散々な苦労(危険はあまりないが、手間のかかる作業)を経て、納品したものの残りだ。味は本来のメープルシロップより、薄くさっぱりとしている。みりん代りにもいけたりした。パンケーキにみりんをぶっかけたら、微妙の極みだけど。
残った生地に、牛乳を追加し、更に薄く塗りながら焼く。材料が尽きるまで繰り返した後、取り出したのはウサギ。一希と別れたあと、大きめのを買って置いたのだ。
生地が冷めたころを見計らい―――てか、レスカ遅いな。と思ったらやって来た。滝に打たれた修行僧の気分を味わって来たらしい。すごくいつも通りだ。
興味心身であたしの手元を眺めている。別段珍しいものでもないだろうに。と言ったら、「何かを作っている過程を見るのが好きなんですよ」と、クリエイターらしいお言葉を頂いた。何をクリエイトするのかは考えない方向だ。
パンケーキが冷めてもあれなので、さっさと食えと指示を出す。
生地に野菜と切り分けたウサギ肉、レモン風味の固形ソースを巻いて、クレープの完成だ。
この後に待ち受ける、お仕事の時の弁当だ。ラオとカインと集合するのに、三時間もあったらレスカの話も終わるだろう。
「いっつも思うんですけどー……」
「何?」
「ルイって見かけによらず手際がいいですよね」
「前半余計」
よく言われるけどね。
「母親が放浪癖付きのゲテモノ食いだったからさ、自然に身についちゃったんだよね」
「あー、生きていくためですか」
「そーそー。 なんせ平気で虫を食べる人だから」
流石にあたしも無理だ。父親はハチノコまでは許容出来る。よく食べれるね、と聞いたら「食用だから大丈夫よ」と返ってくる、"人生なんでも経験"がモットーの母親だ。
「ルイの家庭事情が知りたいです」
「すっごい放任主義だよ。 人間、勉強しろしろ言われないと逆にするんだね」
「私も、放任主義といえばそうですね」
「あ、そうなんだ?」
はい、と返事をしてレスカはベリーを口に運ぶ。幸せそうに、顔を綻ばせた。リタちゃんメイドのアネルさんが、日頃のお礼に、ってくれたものだから結構上等だ。バイオレンスガールにより、よく似た香辛料が仕掛けられていたけど。ふっ、甘いな、そんなの想定済みだ!雪乃やお母さんは、平気でロシアンルーレットを仕込んでくる。ポッキーやじゃがりこなどの棒状菓子が出たときは要注意だ。
「なんかレスカさ、同じような色の服ばかり持ってるよね」
今レスカが着ている服の色は、薄青だ。彼女は、白と青と黒しか着用しない。
「白は生前に着つくしたと思ってたんですけどね、やっぱり合わせやすいですし」
確かに白なのはブラウスぐらいだ。戦闘時が白のワンピースなので印象に残っているのだろう。
「色の中では青が一番好きです」
「黒は?」
レスカが薄く笑った。
「なんとなく、です」
◆◇◆
「では、本題に入ります」
「うん、ストーリーの流れを簡潔に説明してくれるだけでいいよ」
「あとで、全文訳した物を渡しますね」
レスカが本を開く。
「この世界を創ったのは、唯一絶対の"神"。 乾いた大地を水で満たし、豊かな緑を生み出し、幾多の生命の母である"神"。
"神"は火から、水から、土から、風から、闇から、光から、僕を創り出し世界を整えた。
"七柱"と呼ばれた眷属の最後の僕、"神"が自らの破片から生み出した分身。 一番の眷属で在りながら、"神"を飲み込んだ大罪人。
それは、時を司る者。 この世界に巣食う膿。早急に排他すべき存在。
―――かの者の名は偽神"ミレニア"」




