寂れた 図書館
レスカの精神は、もはや限界に達しようとしていた。
「ルイ、もうだめです。 耐えられません。 食事も喉を通りません」
机にだらしなく突っ伏する。
「いや、レスカは通らなくても平気だからね?」
全く、一希はとんでもないお土産を残してくれた。日に日にレスカがやつれ―――はしないが。
「なんなんですか、もう……」
「初期レスカ並のストーカーだね」
「そんなことしてません! するはずもありません!」
戯言は放って置く。
研究者は己の好奇心に忠実って本当みたいだ。
「まあ、一希だっていつまでもここにいるわけじゃないと思うよ」
というか、いるな馬鹿。
「無理です。 だって、だって〜……」
がばりとレスカは顔をあげて言った。
「あんな情熱傾けられたらっ! もう、深く深く引きずり込みたくなるじゃないですかっ‼」
「そっちかいっ⁉」
ガタンッ、と椅子を引く音が壁に反響した。
ザマス眼鏡の老婦人が睨む。
「図書館ではお静かに」
「「すいませーん」」
縮こまって、再び椅子に腰掛ける。
「……私たちしかいないじゃないですか」
レスカちゃん、それは言っちゃだめ!
◆◇◆
この三日間、トカゲを退治したり、カエルを焼却したり、ヘビをカインに押し付けたりしながら、レスカはネルルから逃げて来たが、一行に諦める気配がない。ラインナップがゲテモノぞろいなのは、夏を理由に我慢するしかないだろう。普段の食事に、カエル肉が使われていたなんてさして問題ではない。地球にいたときにも食べたことあるし。焼却したのは毒持ちだったが。
話を戻すと、もうレスカ、引きこもってろという感じだが、マリエッタに押し入られそうで怖いのだと。いや、そんな、まさか、はは……類は友を呼ぶということなのか?何せ一希だし。
一見常識人に見えていようと、本性はどうなのか分からないのだ。もしかしたら、甘党かもしれないし、電波かもしれない、回り回って常識人かもしれない。
中にいても、外にいても、遭遇率は変わらない。そんなわけで、無理矢理レスカを付き合わせているのだ。
「ねえ、レスカ。 歴史ってこれだけ?」
「それだけですよ」
うーん……世界史は好きだったし、おもしろかったけど、魔王とかに繋がる話はなかったな。
一番古いので、割と詳細が残っているのが古代。レスカの魔法の元がガンガン使われていたせいで、魔術師の平均寿命がやたらと短かった時代だ。この頃は、エルフや猫耳も存在したらしい。英語やドイツ語みたいな言語が飛び交っていた時代でもある。……うん、改めて考えるとおかしいな。一希は女神に何か聞いていないだろうか。あいつは好奇心の塊というか、化身というか、具現化したものだから。後で聞いてみよう。不本意だけど。
魔物のレベルが一様に高く、時代は竜を中心にして回っていた。魔物の性質が変わり、竜の数が減り、ヒトがまともに生きれるまでに、軽く三千年は続いたらしい。
次にエルスラ時代、大陸を統一したエルスラ帝国の天下であった時代だ。黄金時代という者もいるほどの、繁栄を見せた。まあ、何事も諸行無常ということだ。侵略される側からしたら、黄金というより真紅だろうけど。エルフを滅ぼしたエルスラを、あたしは許さない。
多分、エルスラ語というのが日本語とリンクしていたのだろうか。魔術は英語っぽいのが常用だったみたいだ。力を引き出すための、専用言語だったりするのかもしれない。
レスカの言っていた、最凶の死霊術師もここの出身だ。この人のおかげで、たくさんの書物が焼かれたとか。大方自身が書いたやつだけど。どれだけ危険だったのか、物語っているだろう。レスカの手に渡ったことから、全てを処分するのは無理だったようだ。
……もしかしたら、その死霊術師も国を勝利に導きたかっただけなのかもしれないよね。エルフ滅ぼしたけど!
あたしは、今はもう亡きエルスラ帝国に怒っていた。まあ、完全に滅ぼされたわけじゃないから、レスカに言わせるとエルフや獣人の血を引く者は残っているそうな。大抵が、自身も分からないぐらいに血が薄れてしまっているらしい。でも、あたしは希望を捨てないよ!
そして七国時代。エルスラ帝国解体後、大陸は七つの国に分かれた。要するに、エルスラ帝国の内部分裂の成れの果てなのだが。小競り合いもほどほどに、今の魔法が確立した。
国境でなんだかんだどんちゃんしながらも、平和であったんだろう。二つ滅んで、一つ新しく国が出来たけど。統一するために戦争中心だったエルスラ時代に比べれば、生温いといえるだろう。比べられる次元ではない気がするが。
そして、七国時代の延長線にある今を、一部の学者は『太平時代』と呼ぶ。太平なんて言うと聞こえがいいが、長い長い冷戦時代だ。まあ、要するに平和ってこといいんだろう。
間違ってもエルスラ時代に飛ばされなかったことを、あたしは全力で感謝する。
偉人とか、詳しく調べてしまえばはまってしまいそうなので、深くは入りこまないでおこう。
「ふう……」
あたしはひと息つき、本を置いた。首を回すとばきぼきと音がした。女子高生の音じゃない、と内心で嘆く。が、よく考えればとっくに女子高生らしさなんて失っていた。
あー、会いたかったなー、エルフ。もふもふしたかったなー、猫耳。
ほら、この思考回路に女子高生らしさなんて感じられるわけがない。なんせ、脳内ファンタジーな人間ですから。お花畑じゃなくて、焼け野原なダークファンタジーだけど。
「ルイ、そろそろ帰ります?」
レスカがだらしない格好で読んでいた本から、顔を上げる。
「いや、入館料払ったなら、ギリギリまで居座る」
「そうですか……」
バイキングしかり、テーマパークしかり。何もおかしなことは言っていない。
あたしは、本を棚に戻しに行く。そういやこういう歴史書って、為政者に婉曲されているのがセオリーじゃないか?色んなパターンのを見たほうがいいだろう。出来れば、第三者が書いたやつがいい。なんだかんだあたしは、エルスラ時代に興味が湧いてしまっていた。だって、歴史ってそれだけで物語じゃん?しかもファンタジーが混じっているんだ。何それ、幸せ過ぎ。と、まあ流石に黄金時代と呼ばれるだけあって、話題にはこと欠かない。
歴史書が中心に置いてある本棚を、じっくりと眺める。が、一番上の物は背表紙が良く読めない。あたしは壁に立て掛けてあった梯子をずらす。梯子ってさ、ネタとして優秀だよね。押すなよのフリも、ドジっ子アピールも、どんがらがっしゃん後、昭和の少女漫画も出来る。まあ、やる人がいないんだけどさ。
一番上は、いかにも誰がとるんだと言ったような本が並んでいた。分厚さがとんでもなかったり、今にもバラバラになりそうだったり、何語で書かれているのか分からなかったり。
ギッシリ詰まっているから、取るのも一苦労だ。比較的新しく、多少強引に引っ張っても平気そうな物を先に出しておこう。
「あっ……ちょっ……取れないっ!」
やっとのことで引っ張り出すと、力をかけ過ぎたせいで身体のバランスが崩れた。ヒヤリとしたが、なんとか持ち直す。怖い、ベタ展開ほんと怖い。
「あれ?」
本を抜いたことで生まれた余白に手を差し込むと、壁とは違った感触が指先に感じられた。
隣にあった、言語不明の本も取り出す。
「よし、取れた」
奥にあったのは、文庫本サイズの小さな本。古びた皮表紙に焼き焦げた跡がある。なんで隠すように、置いてあるのだろう。
古書らしい貫禄の漂うそれに惹かれ、本を開く。どうやら、英語のようだった。……うん、四十パーセントぐらいしかわからん。昔々から始まる一ページ目にして、あたしはギブアップ宣言を繰り出しそうになっていた。だってさ、ところどころ字が消えているんだもん。萎えるわー。
ぱらぱらとめくっていた手が、はたりと止まる。
おい、嘘だろ?
七枚目の紙から数枚にかけて、半分が消失していた。淵が黒く、煤けている。焼けているのだろう。ああ、借りていた本のページが破れていた時よりも、ダメージが大きい。でも、なんで。
ここの本はボロくとも、焼けているなんてことはなかった。ザマス眼鏡が、『ここの本は状態がいい』と豪語していただけある。
それに、この焼けた本には押印がなかった。図書館の物と区別をつけるために押される、ハンコだ。それがどこにもない。
う……なんか、ヤバイ。好奇心が掻き立てられる!なんか、禁書臭がする!けど、持ち帰るのは駄目だろう。貸し出しはしていないのだ。せめてなんの本か知りたいと思い(題名が掠れていた)、ザマス眼鏡の老婦人の元に持っていく。
「すみません、あそこの棚にあったんですけど」
不機嫌そうな顔で、手を差し出される。あたしはその手に、本を乗せた。
老婦人の眉が、怪訝そうに寄っていく。
「うちの本じゃありません」
読める人が少ない言葉が、彼女に分かったのかは不明だ。だが、どうやらこの本に興味はないらしい。これ幸いと、あたしは押し問答の末にこの本を譲り受けた。強奪したとも言う。
「レスカ、起きて起きて」
「……ふぇ?」
机に突っ伏したまま、寝てしまったレスカを揺する。
「なんですか、もう……」
「睡眠は必要ないのに寝るって、贅沢だね!」
「寝てません。 目を瞑ってぼうっしていただけです」
微妙に違うな。
「レスカって、寝れないの?」
「極たまに寝れますけど」
レスカって、夜は何してるんだろう。
「ところで、ルイはもう満足したんですか?」
煤けた皮表紙の本を見せ、あたしは笑う。
「満足するのは、これからかな」
最悪、なんの価値もない話でも構わない。あたしはその本を取り巻くシチュエーションに、すっかり魅せられていた。




