女神の 作為
主人公という言葉が相応しい人間を、あたしは一希の他に知らない。
馬鹿みたいに正直で、笑っちゃうほど純粋で、どうしようもなく明るいくて。あたしに言わせてみれば綺麗事を信じる偽善者で、馬鹿なやつ。だけど残念ながら『天才』だ。
一希の通知表はまさに『主人公』。それはあまりにも完璧。それでいて驕ることのない彼は、主人公以外の何者だと言うのだろう。そんな完璧超人と、下の名前で呼び合うのは小学校低学年までが限界だった。
あいつは女を知らない。
女の嫉妬を知らない。
それは純粋過ぎる故の無知。あたしを基準に『女』の価値観を設定した故の誤差。あたしをイレギュラーな存在だと知っていても、無意識にそうしているのだろう。
一希に集まる期待と羨望。
あたしに集まる嫉妬と敵意。
女として見られないように振舞っていたのは七十パーセントが素で、残りに『敵』から除外してもらうための計算がなかったとは言い切れない。それでも敵意はなくならないのだけれど。
馬鹿にしか見えない一希が『天才』なのが受け入れ難かった。違うと証明しようと、張り合った時期もあった。だけど出た結論はやっぱり『天才』で、あたしは差を埋めることを諦めた。
中の上、それがあたしの虚栄心の耐え得るレベルになった。目立つことは免れないから、裏側で悪目立ちする。どこまで素なのか、自分でも分からない。
一希は特別なんだ。たとえ受験当日に、朝食の消費期限が切れているのに気付かず、お腹を壊して名門私立に落ちたとしても。
そのおかげで、滑り止めだったあたしの公立高校、一希の親の第一志望より格段にランクの下がる学校に通うことになったとしても。そして続くあたしの苦労を知らず、あたしと同じ高校だと喜んでいても。
選ばれた人間で、将来を約束された人間で、必要とされる人間だから。
取るに足らないあたしみたいな存在と、たとえ消えても何も影響を及ぼさない人間と、天と地ほども違うから。
だからダメなんだ。許されないんだ。
勇者なんて『主人公』、正義感の強い一希はやるでしょう?
会えなくていい。むしろ会いたくない。それが平和の証だから。
白井一希は、絶対にファンタジーに生きてはならない人種なんだ。
あたしの最も会いたくなかった人、会ってはならなかった人。
きっとあたしが魔王を倒してしまえば、一希は二度と帰れない。一希が魔王を倒してしまえば、あたしは二度と帰れない。魔王が一人静かに死んでしまえば、誰も二度と戻れない。
袋小路に陥る。少なくとも、あたしが女神の立場ならそうするだろう。純粋な一希は、きっとそれに気付いていない。
だから―――だからあたしは、地球に帰るという選択肢を完全に放棄した。一希が帰る可能性を少しでも上げる、そのために。
◆◇◆
「えーと、何かな、これは?」
翌日、勝手に家に乱入して来た一希にあたしは問う。家はカインに聞いたようだ。カイン、もうお前にお菓子はやらん。
「見れば分かるだろ」
一希のお土産譲渡は、まだまだ続いていた。
「ケータイの充電器だよ」
「いやいやいや、コンセントなっしんぐおーけー?」
「めっちゃオーケー」
あれ、えっと、頭が回らない。どうしよう。どういう反応をするべきなんだろう。
「そこはこう……魔法的な」
「てか、コンセントって何V?」
「100V、2A、60Hz」
「わかんねーよっ!」
こいつの記憶力は異常だ。
「ていうか、産業革命は? オーバーテクノロジーは? 現代知識TUEEEは?」
「そんなのファンタジーのロマンじゃねえっ! つーか勇者が世界を崩壊させてどうすんだよ」
「はあ? 利用出来るものは利用しなさいよ。 銃の一つや二つ、持って来なさいよ」
「銃刀法違反! どこにあるんだよ」
「警官の懐?」
「ここに外道がいるっ!」
失敬な。ちょっと腹が黒くて、捻くれて、ダークファンタジーが好きなだけの人畜無害な乙女じゃないか。……あれ?あたし、ダメじゃない?
「あ、でも大航海時代はやろうとした。 香辛料、大量に持ち込んだんだけどさ、たいして売れなかったな」
「あー、すっごい自生してるもんね。 胡椒もどきとか唐辛子もどきとか」
塩湖や海もあるから、塩も高くない。
「それより何? 持ち込みオーケーだったの? 一希、いつからここにいたの?」
「あれ、言ってなかったっけ」
一希も気付けば、あの青い空間にいたそうだ。女神に一方的な説明を受けたのち、一旦元の世界に戻されたと言う。それが約一ヶ月前だ。
「何その待遇の差……」
酷くない?酷いよね、それ。
「ねえ、一希」
「何?」
「地球はどうなってる?」
ホームシックは初日だけ。色々冷めているあたしでも、幾度も考えた問い。
親は心配してるだろうな、友達も不思議に思っているだろうな、あの毒舌家は……ツンデレだから、きっと心配してくれている。いや、やっぱりどうだろうか……。
「……誰も覚えていない」
ためらいながら切り出した一希の言葉は、容赦無くあたしの思考を打ち砕く。
「え?」
あたしは思わず聞き返した。
「みんな、ルイのことを忘れているんだ。 俺も、女神様に会ってから思い出した」
こうしてまた、帰る理由が一つなくなる。
「でも、帰ったらみんなの記憶を戻すって言ってたぜ?」
そしてあたしは魔王に立ち向かう。そういう図を望んでいたんだろう。
裏方であるのに文句はない、だけど裏方の主役でいたい、中途半端な自己顕示欲を突いてくる。無視される、忘れられるのはいや。本当に女神は、嫌になるほどあたしを分かっている。
「だからさ、俺と一緒に帰ろう」
いつもの笑顔を浮かべ、勧誘する一希。
「怖いなら護るから。 一度ルイのことを忘れちゃったからさ、一緒にいないと俺が怖いんだ」
『もう二度と忘れない』
そんな宣言されたら、落ちない女の子はあたしぐらいしかいないじゃないか。そのあたしですら揺らぐのに。いい奴過ぎるのは、罪だ。
まっすぐに一希を見つめ返し、差し出された手を取り―――そっと一希の方に押し付ける。一希は明らかに、その顔を曇らせた。
「いや、やっぱり小心者にはキツイって。 帰りを待つヒロインポジションを確保しとくからさ? 勝手に頑張って来てよ。 せっかくのファンタジーを満喫させてもらわないとね、損じゃん?」
いつもの声、いつもの笑顔、あたしは上手く出来ている?
どうか、あたしの涙腺が緩んでいるのが、一希に気付かれませんように……。
◆◇◆
一希が帰った部屋で、あたしはぼんやりとお茶を飲んでいた。
湿度は低いようで、日本に比べると穏やかな暑さだ。が、暑いのには変わりない。
カラン……
グラスの中の氷が、透き通った音を奏でる。
「何で断ったんですか?」
別室で待機していたレスカが出てきた。
こいつ、聞いてやがったな。
「ん~、死亡フラグ全力回避?」
死亡フラグの概念は、レスカに説明済みだ。
「私が嘘を見抜けないと思っているんですか」
レスカが呆れたように、ため息を吐く。
「あはは、レスカだって分かっているんでしょ」
「まあ、大体は」
一希とは違い、自覚の上で阿保なことをするのがレスカだ。本当は誰よりも賢い……はず。きっと、多分、メイビー。
「ルイのやりたいようにやってください。 私は止めませんから」
「ありがと。 でもあたしはレスカを止める」
「そこは許容しましょうよ!」
「許容したら、世の中がヤバくなるじゃん」
変わらない日常の会話の中、あたしの思考だけが非日常のように目まぐるしい。
帰ったらみんなの記憶を戻す、そう一希だけに言った。あたしに関する記憶を戻すとは言っていない。
深読みと思うだろうか、しかしその可能性は拭いきれないのだ。その可能性に気付けないほど、あたしは女神が思うよりも馬鹿じゃない。
たとえ不可能であっても、帰る手段があるのと無いのではかなり違う。しかしその手段を使っても、意味がないかもしれないのだ。
―――あたしはもう、地球で生きることは叶わないんだ。
「ルイ・サグラ! 貴様に決闘を申し込む!」
騎士風のミラが突撃してきたのは、その次の日のことだった。
今までにも、一希はちょくちょく作中に出てきています。




