モンダーヴィオ城 ローマ編 6部 十度目の冷気、あるいは「裏打ちされた骨格」
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モンダーヴィオ城 ローマ編
6部 十度目の冷気、あるいは「裏打ちされた骨格」
馬車の床から染み出す、いつもの死に体のような冷気で、俺は十度目の覚醒を迎えた。
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脳裏には、九度目のループの終わりに見た、あの空間ごと反転する関所と、フェザーの鏡面と化した首の断面が、黒いタールのような残像として焼き付いていた。
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手元のスケッチ帳を開くと、幾重にも塗り重ねられた炭の粉が指先を汚し、もはや元の下絵が何であったかも判別できないほどに、黒く澱んだ「時間の地層」が形成されている。
「おじさん、またこの先の森の様子がおかしいよ。木々の影が、太陽と反対の方向に伸びているんだ」
ルカが自身の指先から小さな青い結晶を灯そうとするが、その光は弱々しく明滅してすぐに消えてしまう。
「ウミャア……」
ルカの膝の上で、長旅にすっかり飽きた真っ白なシャム猫のウララが、抗議するように長く尾を揺らした。
十度目の反復。
だが、この『無限に上書きされるキャンバス』の中で、俺の脳だけは、削り取られたはずの絵の具の「匂い」を完全に記憶していた。
「ルカ、ウララ。描くべき画題はすべて揃った。
だが、絵画の裏側にある『木枠』を補強しなければ、キャンバスはいずれ自重で引き裂かれる。
今回は、このループの骨組みを直接、叩き壊しに行くぞ」
俺――レオナルド・ダ・ヴィンチは、愛用のスケッチ帳を閉じ、万能スキル【画家】を脳内で起動した。
視界からすべての色彩が抜け落ち、世界は重厚な明暗の階調だけで構成される。
今回のモンダーヴィオ領の空気は、これまでのループのどれよりも「乾いて」いた。
まるで、大気中のすべての水分が、時間を巻き戻すための「乾性油」として使い果たされてしまったかのように。
「旦那!ちょっと前を見てくれ!こいつはただの泥じゃねえ!」
御者台のボリスが、喉を詰まらせたような声で叫ぶ。
霧の奥から現れたのは、半ば崩壊した古い石造りの道標だった。
だが、今回はその道標の根元に、奇妙な「乾燥した土塊」がうずたかく積まれていた。
その土塊を【画家】の目で透かすと、それはただの泥ではなく、細かく砕かれた『真鍮の歯車』と『石膏の粉』が均一に混ぜ合わされた、人工的な防壁のようだった。
「おじさん、これ、中に何か埋まっているよ。かすかに心臓の鼓動みたいな、変な音が聞こえる」
「ああ。これは仕立て屋マリアが縫い合わせた『時間の関節』だな。
今回は、城に入る前に、この関節を一つ、強制的に解剖させてもらうぞ」
俺は馬車を降り、懐から炭の鉛筆を一本取り出すと、その土塊の「消失点」に向けて鋭く突き立てた。
キィィィン、と
鼓動が止まるような不気味な金属音が霧の中に響き渡り、土塊は一瞬にして灰となって崩れ去った。
不気味な歓迎の裏側にある「機械的構造」は、確実にその表皮を剥がされつつあった。
2:疑惑の円卓、あるいは「交差する三つの嘘」
モンダーヴィオ城の食堂に辿り着いた俺たちを迎えたのは、張り詰めた沈黙だった。
領主である真祖ドラキュラ公爵、執事アルベルト、警備隊長ガルム、薬術師セシリア、植物族のクロエ、評議員ハインリヒ男爵、司書バルトロ、仕立て屋マリア、有翼のコリン、そして関所守フェザー。
十人の登場人物が、まるで呪われた劇の役者のように、いつもと同じ席に就いていた。
「ダ・ヴィンチ殿とやら。君の噂はかねがね聞いているが……」
ハインリヒ男爵が、いつもの台詞を口にしようとした。
だが、俺は彼の言葉を待たず、静かに立ち上がり、彼の目の前に歩み寄った。
「ハインリヒ男爵。
あなたのその贅沢なベルベットの外套、胸元のボタンが、一つだけ『逆ネジ』で留められているようだが?」
「何のことだ、無礼な。私の服のボタンなど、仕立て屋に任せている。いちいち探偵に詮索される筋合いはない」
「【画家】、展開」
俺の視界は、白黒の静寂に沈む。
ハインリヒの胸元の衣服に付着した「影のトーン」を解析すると、それは単なる糸の乱れではなかった。
彼の胸の皮膚の下に、極細の『ミスリルの糸』が、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされ、その中心部で、小さな『真鍮の歯車』が肉を噛み締めながら駆動しているのが見えた。
「ハインリヒ男爵。あなたは、すでに自らの意思で鼓動していない。その心臓は、仕立て屋マリアの機械によって『外付けのぜんまい』に置き換えられているな?」
ハインリヒは顔面を激しく歪め、恐怖のあまり銀のフォークを床に落とした。
「な、何を言うか!私はただ……!」
「いいえ、探偵殿。男爵様の胸元をそのようにお仕立てしたのは、私ではありませんわ」
冷ややかに微笑みながら、セシリアが自らの指先を弄んだ。
彼女の薬草袋の底から、かすかに『銀のピンセット』と、あの道標の根元にあったものと同じ『石膏の粉』がこぼれ落ちていた。
「私はただ、男爵様の心臓の調子がお悪いとおっしゃるので、地下の冷たい石室で、特別な『防腐治療』を施して差し上げただけです」
「セシリア殿。
君の言う防腐治療とは、古文書室から盗み出された『時間制御の粘土板』を砕き、その粉末をハインリヒの血液に混ぜて、彼の『風化』を一時的に止めることだったのではないか?」
俺がそう問い詰めると、食堂の気温が、一気に数度下がった。
「ガルム隊長、君はどうだ?」
俺は次に、不自然に手を震わせているガルムを睨みつけた。
「俺がどうしたって言うんだ!俺は閣下の警備を……!」
「君のブーツの底、先ほど道標の根元にあった『石膏と真鍮の土塊』と同じ泥が、べっとりと付着しているぞ。
君は、セシリアが盗み出した粘土板を、地下の石棺まで運ぶ役割を担っていた。違うか?」
ガルムは牙を剥き、テーブルを激しく叩いた。
「これは、その、道で拾ったんだ!俺は何も運んじゃいねえ!」
「嘘をつくな、人狼の野蛮人め。それは、私が昨夜、書庫で紛失したと騒いでいた粘土板の破片だ」
司書のバルトロが、小さな眼鏡の奥の眼を細めてガルムを睨みつけた。
セシリアの粘土粉、ガルムの泥と鍵の所持、ハインリヒの機械化された心臓。
三人の容疑者が、互いに異なる動機で、この城の『時間の崩壊』を利用し、あるいは加速させている。
そして、そのすべての背景で、仕立て屋マリアのミスリルの糸が、住人たちの影を一本ずつ絡め取っていた。
3:第十の怪異・「心臓解剖」と、地下遺構の防腐処理
その夜、俺はこれまでのループの行動パターンを完全に破壊することにした。
深夜、ハインリヒ男爵が自室でミイラ化する『予定』の時間より数時間前、俺はルカとウララを伴い、城の地下遺構へと直接潜入した。
地下は、レンガ造りの壁から不気味な黒いタールのような魔力が染み出し、ゴシックの不気味さを引き立てていた。
「おじさん、この壁の奥から、ものすごく不気味な音が聞こえるよ。カチカチ、カチカチって、何千個もの時計が一度に動いているみたいだ」
ルカが指先から小さな結晶の光を放ち、暗闇を照らす。
「ウミャア……」
ウララは、地下の石畳の上に残された、不自然な「白い粉」の跡を前足で引っ掻いた。
それは、セシリアの薬草袋からこぼれていた『石膏の粉』、すなわち砕かれた『時間制御の粘土板』の残骸だった。
俺たちが遺構の最深部、先代公爵の石棺が安置された霊廟に辿り着いたとき、そこには、すでに自らの意思で動けなくなったハインリヒ男爵が、石棺の上に仰向けに横たえられていた。
彼の傍らには、薬術師セシリアが、不気味な銀のメスを握りしめて立っていた。
「セシリア殿。
深夜の解剖講義を始めるには、少し場所が不適切ではないか?」
「……あら、探偵殿。まさかここまで嗅ぎつけてくるとは思わなかったわ」
セシリアは冷ややかに微笑み、メスをハインリヒの剥き出しになった胸元に突き立てた。
「【画家】、展開」
白黒の世界の中で、ハインリヒの胸の傷口をスキャンする。
彼の心臓があるべき場所には、生身の臓器は存在しなかった。
そこにあったのは、無数の『銀の歯車』と『時間制御の粘土板の破片』が複雑に噛み合わされた、精密な「疑似心臓」だった。
「ハインリヒ男爵の肉体は、とっくに限界を迎えていた。彼は吸血鬼としての不死の寿命が尽きかけるのを恐れ、セシリアの薬学と、マリアの機械技術を使って、自らの身体を『永久機関の時計』に改造しようとしていたんだな」
「その通りよ。でも、このぜんまいは未完成なの。
このぜんまいを永久に動かすためには、この城のすべての住人の『影(陰影)』を燃料として塗り重ねる必要があるわ」
セシリアがメスを動かした瞬間、ハインリヒの胸の疑似心臓から、ドロドロとした黒いタールが噴き出し、それが床一面に広がり始めた。
「ウララ、あのぜんまいの『第二の歯車』に飛びかかれ!そこが、この機械のパースペクティブの消失点だ!」
「ニャーッ!」
ウララが鋭い跳躍を見せ、ハインリヒの胸の隙間から露出した、不自然に逆回転している真鍮の歯車に爪を立てた。
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ガギギギッ、と不快な金属音が響き、ハインリヒの肉体から、一気に『時間の逆流』が噴き出した。
「あ、頭が……私の時間が……消えていく……!」
ハインリヒが絶叫すると同時に、彼の身体はみるみるうちに風化し、一瞬にして白い石膏の塵となって石棺の上で崩れ去った。
「男爵!
……くっ、失敗したわね」
セシリアは冷酷に舌打ちすると、手にしたメスを俺たちに向けて投げつけ、床に染み込んだ黒いタールの中に姿を消した。
(これで一つ、ハインリヒの機械化の謎は解けた。だが、彼をそそのかし、この技術を提供した『真の黒幕』の影は、まだキャンバスの奥に深く隠されている)
俺は、石棺の底に残された、ハインリヒの『自律する影』を、スケッチ帳の新しいページに素早くデッサンし始めた。
4:第十一の怪異・「崩落する鏡廊」と、戻らない因果
翌朝、ハインリヒの消滅によって、城内のバランスは完全に崩壊していた。
「おい!フェザーの首が、現実世界に戻ってこないぞ!」
広間でガルム隊長が、頭部を失ったまま直立するフェザーの鎧を揺らしながら叫んでいた。
彼女の首の断面である『鏡面』は、昨日よりもさらに暗く濁り、鏡の奥深くで眠る彼女の頭部は、すでに呼吸を止めているように見えた。
「時間の逆流が止まったわけではない。ハインリヒの疑似心臓が破壊されたことで、この城の『時間の歯車』が不規則に逆回転を始めたんだ」
俺がそう説明した瞬間、広間の壁に掛けられた巨大な姿見が、パキパキと不気味な音を立てて激しくひび割れた。
鏡の割れ目から、ドロドロとした「黒い影の腕」が無数に現實世界へと這い出してくる。
「おじさん、足元が……!また、床が溶け始めているよ!」
ルカが叫び、結晶の盾を展開して迫り来る影を防ぐ。
「ウニャーッ!」
ウララが、俺の肩を強く爪で引っ掻き、限界が近いことを知らせた。
「アルベルト、セシリア、マリア……お前たちの描く『歪んだ絵』の完成は、俺が絶対に許さん!」
俺は、激しく揺れる床の上で、懐から炭の鉛筆を取り出し、スケッチ帳に、ハインリヒの機械心臓、セシリアの粘土粉、そしてアルベルトの引きちぎられたボタンのトーンを、力強く描き留めた。
次の瞬間、世界は凄まじい逆流の光の中に包まれ、俺たちの意識は、再び『十一度目の朝』へと巻き戻されていく。
因果の糸はさらに細く、複雑に絡み合い、俺たちの旅は、終わりのないゴシックの迷宮の、さらなる深層へと引きずり込まれていくのだった。
俺は必ず、この描きかけの惨劇を、完璧なデッサンで塗り潰してみせる。
みなさま、どんな風に感じてもらったのでしょうか?
少しでも面白いかもと思って頂けましたら幸いです。
励みになりますので、☆☆☆☆☆をチェックしてもらえると嬉しく存じます。
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