モンダーヴィオ城 ローマ編 第二部:重ね塗られる「昨日」の迷宮
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モンダーヴィオ城 ローマ編
第二部:重ね塗られる「昨日」の迷宮
2部 無限の檻、二度目の晩餐
目を覚ますと、俺は再び、あの揺れる馬車の中にいた。
「おじさん、またこの先の森の様子がおかしいよ。
木々の影が、太陽と反対の方向に伸びているんだ」
ルカが自身の指先から小さな青い結晶を灯そうとするが、その光は弱々しく明滅してすぐに消えてしまう。
「ウミャア……」
ルカの膝の上で、長旅にすっかり飽きた真っ白なシャム猫のウララが、抗議するように長く尾を揺らした。
冷や汗が背中を伝う。
手元にあるスケッチ帳を開くと、そこには俺の筆跡で、すでに『モンダーヴィオ城でのクロエの退行』や『ハインリヒ男爵の影の異変』が克明に素描されていた。
だが、記憶の中の俺たちは、まだその城に到着すらしていないはずなのだ。
「……ルカ、ウララ。
お前たち、今『初めて』この森を通っている感覚か?」
「え?
うん、そうだけど……どうしたの、おじさん?
怖い顔をして」
「いや、なんでもない。
ただ、パレットの上の絵の具が、俺の知らないうちに混ざり合っているような気がしてな」
馬車が不意に急停車し、御者のボリスが扉を開ける。
「旦那、着きましたぜ。
ここがモンダーヴィオ城だ」
やはり、すべてが『昨日』と同じだ。
城門の前には、執事のアルベルトが冷徹な笑みを浮かべて立っており、その背後から深紅の瞳を持つドラキュラ公爵が現れる。
「レオナルド。
君のような傑物を招いた覚えはない。
ましてや、私が依頼書を送ったなどと……」
デジャヴではない。
これは、同じキャンバスに何度も同じ線を上書きされている状態だ。
俺たちは、城の食堂へと案内された。
そこには、主治医のエルフ・セシリア、警備隊長の人狼ガルム、植物族のクロエ、そして吸血鬼の評議員ハインリヒ男爵が、昨日と全く同じ席順で座っていた。
「ダ・ヴィンチ殿とやら。
君の噂はかねがね聞いているが、この城で起きている超常現象は、君たちが持ち込んだ呪いではないかね?」
ハインリヒが、昨日と一言一句違わぬ台詞で俺を睨みつける。
俺は【画家】を起動し、白黒の諧調で食堂を見渡した。
昨日との唯一の「差異」を探す。
(……あった。
ハインリヒのグラスに注がれた葡萄酒の『明度』が、昨日よりわずかに低い。
そして、彼の背後の影の輪郭が、ほんの数ミリメートルだけ、歪んで蠢いている)
俺がそれを見つめていると、不意に、隣に座っていた植物族のクロエが、小さく咳き込んだ。
2:小さな違和感・落ちない色彩
「クロエ、大丈夫?
顔色が良くないわ。
私の調合したハーブティーを飲みなさい」
セシリアが、手際よく緑色の温かい飲み物をクロエに差し出す。
クロエはそれを一口飲むと、安堵したように微笑んだ。
「ありがとう、セシリア。
なんだか、頭がずっしりと重くて……。
まるで、何度も同じ一日を過ごしているような、変な夢ばかり見るの」
「ただの長旅の疲れよ、クロエ」
セシリアは優しく笑うが、その指先が、ほんの少しだけ震えているのを俺の眼は見逃さなかった。
【画家】の視界を展開したまま、セシリアの指先を注視する。
彼女の爪の隙間に、微細な「黒い煤」のようなものが付着していた。
それはハーブをすり潰した汚れではない。
(乾性油の酸化した煤……いや、これは『油絵の具の燃え残り』か?)
なぜ、薬術師の指に、絵画の材料である煤がついているのか。
俺が思索に沈んでいると、ウララが食堂の床をふんふんと嗅ぎながら、警備隊長ガルムの足元へと歩み寄った。
「ウミャア……」
ウララは、ガルムのブーツの踵を前足でちょんちょんと叩いた。
そこには、粘土質の不自然な「泥」が付着していた。
この城の周囲は、乾燥した石畳と岩肌ばかりのはずだ。
このような濡れた泥は、馬車で半日ほど遡った旧街道の『逆流する井戸』の周辺にしか存在しない。
「ガルム隊長。
君は今日、城の外へ出たかい?」
「……何だと?
俺は一日中、閣下の警備で城内を巡回していた。
外など出る暇はない」
ガルムは不機嫌そうに牙を剥き、ブーツを隠すように足を引いた。
だが、彼の足元に残された泥の「トーン」は、明らかに数時間以内に付着したばかりの、水分を含んだ新鮮なものだった。
嘘をついている。
セシリアの指の煤、ガルムのブーツの泥。
そして、ハインリヒの歪み始めた影。
点と点が、キャンバスの上でまだ線として繋がらない。
謎の霧は、深まる一方だった。
3:重なる死、三度目の目覚め
その夜、事件は唐突に、しかし全く異なる形で起きた。
深夜、城の尖塔から、ガシャーンという激しい硝子の割れる音が響き渡った。
俺たちが現場へと駆けつけると、そこはハインリヒ男爵の客室だった。
しかし、彼の中に「空白の傷」はなかった。
ハインリヒは、部屋の中央で、直立したままの姿勢で「完全に乾燥しきった一本のミイラ」のようになって絶命していた。
「男爵!
これは一体……!」
アルベルトが驚愕の声を上げる。
「時間が……吸い取られているわ。
一瞬にして、数百年分の老朽化が彼の身体だけに起きたのよ!」
セシリアが叫ぶ。
俺は客室の床に散らばった硝子の破片を【画家】の目で分析した。
(おかしい。
男爵の肉体は枯れ果てているが、彼の着ている衣服の繊維は、全く風化していない。
まるで、肉体と衣服の『時間の流れ』が物理的に分離されているようだ)
ルカが男爵の身体に近づき、そっと結晶をかざす。
「おじさん、これ、中に何かいるよ。
男爵の体の中から、ドクドクと何かが脈打つ音が聞こえる……」
「ルカ、離れろ!」
俺が叫んだ瞬間、ハインリヒの干からびた胸が内側から破裂した。
そこから飛び出してきたのは、黒い蜘蛛の糸で編まれた、巨大な「繭」だった。
繭は不気味に収縮を繰り返し、中から、カチ、コチ、と、あの『時計型の影』と同じ音が響き始めた。
「ヒッヒッヒ……。
未完成の絵画の中に、また一つ、余計な筆が入ったねぇ」
暗闇から、アラクネのオルガが八本の脚をくねらせて現れた。
彼女の手には、男爵の身体から引き抜かれたばかりの、まだ青白く光る「魂の糸」が握られていた。
「オルガ、お前が男爵を……!」
ガルムが爪を立てて飛びかかろうとするが、オルガは軽やかに天井へと逃れる。
「アタシじゃないよ、人狼の坊や。
アタシはただ、千切れた糸を紡ぎ直しているだけさ。
この糸を引いているのは、もっと大きくて、もっと歪んだ『手』さね」
オルガが糸を引いた瞬間、城の床が、激しい渦を巻いて崩落を始めた。
天井の梁から、一本の巨大な「振り子」が突き出し、世界を左右に叩き切るように猛然と揺れ始める。
「おじさん!
また世界が溶けていく!」
「ウニャーッ!」
ルカの結晶の盾が振り子の衝撃で粉々に砕け、俺たちの視界は、どろりとした黒い絵の具に染まるように、再び闇へと塗り潰されていった。
4:四度目の朝、増殖するスケッチ
「……おじさん、またこの先の森の様子がおかしいよ」
三度、俺は揺れる馬車の中で目を覚ました。
ルカの言葉も、ウララの抗議の声も、もはや完全に狂った時計の再現だった。
だが、俺のスケッチ帳を開くと、そこには、
『セシリアの爪の煤』
『ガルムのブーツの泥』
『ハインリヒのミイラ化とオルガの糸』
が、何層ものデッサンとして重ねて描き込まれていた。
「ルカ、ウララ。
どうやら、俺たちは『犯人』の描く失敗作のキャンバスの中で、何度も何度も消しゴムをかけられているらしい」
「え?
消しゴム?
おじさん、さっきから何を言っているの?」
ルカは不思議そうに、本当に初めてその言葉を聞くような顔をした。
記憶を保持しているのは、このスケッチ帳と、俺の脳内だけ。
これまでの「小さな事件」の残像をパズルを解くように脳内で並べ替える。
セシリアの煤は、どこで燃やされたものか?
ガルムの泥は、あの井戸で何をしていた証拠か?
なぜオルガは、男爵の魂を糸として紡ぐことができたのか?
アルベルトや公爵、そしてまだ見ぬ誰かの犯罪に辿り着くには、この散らばった色の断片を、一つずつ精緻に検証していかねばならない。
「ボリス、馬車を止めろ」
俺は、一ヶ月の旅路の終着点であるモンダーヴィオ城を前に、静かに声をかけた。
「今回は、城へ入る前に、あの『逆流する井戸』の泥をもう一度洗い出す。
犯人がどれだけ絵の具を塗り重ねようとも、最初に引かれた『素描の線』は、必ずどこかに残っているはずだからな」
俺は炭の鉛筆を強く握り締め、馬車の窓から、深く立ち込めるゴシックの霧を睨みつけた。
みなさま、どんな風に感じてもらったのでしょうか?
少しでも面白いかもと思って頂けましたら幸いです。
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パラレルワールドで魔法と多種族の住む異世界でスキル無しで探偵します。
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