コロッセオの影なき連鎖(アレーナ・アンブラ)【ローマ編】 第一話:『円形劇場の血ぬられた砂(アレーナ)』
始まりました。今回はコロッセオで事件が起きます。
楽しんでいただけると嬉しいです。
コロッセオ連続殺人事件 1【ローマ編】
第一話:『円形劇場の血ぬられた砂』
『老いたる跳ね馬亭』で解決した聖天使城のあの大騒動から、早いもので丸三ヶ月の月日が流れていた。 季節は巡り、木々の葉は鮮やかな黄金色と深紅に染まり、朝晩の風には肌を刺すような冷たさが混じり始めている。 城の『光のスペクトル』を取り戻した俺――
……レオナルド・ダ・ヴィンチは、探偵事務所兼酒場の特等席で、相変わらず最愛の相棒であるシャム猫の『ウララちゃん』を膝に乗せ、穏やかな退屈を弄んでいた。 脳内の万能スキル【画家】によって白黒のモノクロームに変換された静謐な世界の中で、暖炉の薪がはぜる音だけが心地よく響いている。 だが、万能の天才たる俺の平穏がいつまでも長続きしないのは、もはやこの世界の理のようなものだった。
「レオナルド! 大事よ! 今すぐ出立の準備をしてちょうだい!」
バタン、と酒場の扉を威勢よく開けて飛び込んできたのは、見習い騎士から晴れて正規の騎士へと昇格した探偵助手、フランチェスカだった。 その腕には、相変わらずお腹の白いグレーの長毛ペルシャ猫『キララちゃん』がしっかりと抱きかかえられている。
「先生、こちらに皇帝閣下からの緊急特命文書が届いています!」 彼女の後ろから、澄んだ結晶の身体をキラキラと輝かせながら入ってきたのは、俺のもう一人の直属の助手である結晶族の少年、ルカだ。
「おいおい、フランチェスカにルカ。また二人揃って何か厄介ごとを持ち込んできたのか? 今度はどこの城の光が消えたってんだ?」
カウンターの奥でジョッキを磨いていたマルコ店長が、呆れ顔で声を上げた。
「今回は城じゃないわ、マルコ店長! 古代帝国の象徴、あの巨大なる円形闘技場『コロッセオ』よ! 皇帝閣下からの直接の特使が、レオナルドに緊急の調査要要請を携えて到着したの!」
フランチェスカの言葉に、昼間から酒を飲んでいたドワーフのバラクやエルフのセリア、行商人のコップたち常連客が一斉にどよめいた。
「コロッセオだと? あそこは今、皇帝直属のヴィスコンティ公爵が管理していて、近々数十年ぶりの大改修と大規模な見学会が行われるはずじゃなかったか?」
バラクが髭のビール泡を拭いながら身を乗り出した。
「ええ、その見学会のまさに最中に、とんでもない事件が起きたのよ……! ヴィスコンティ公爵閣下が、大勢の貴族や観客の前で、血を吐いて突如として不審死を遂げられたの!」
フランチェスカが切迫した声で告げると、酒場全体に重苦しい緊張が走った。
「公爵が殺された……? 毒でも盛られたのか?」
セリアが細い眉をひそめた。
「それが、全く分からないのです。公爵閣下が倒れた時、彼の周囲十メートル以内には誰も近づいていませんでした。広大なアレーナ(砂場)の中央で、まるで目に見えない悪魔に胸を打ち抜かれたかのように倒れ伏したそうです!」
ルカが透き通る身身を少し強張らせながら、抱えていた羊皮紙の文書を俺のテーブルへ広げた。
「ふむ……三ヶ月ぶりの遠出か。まあ、ウララもこのところ退屈して伸びばかりしていたからな」
俺は膝の上のウララちゃんを優しく撫でた。 ウララちゃんは「ふにゃあ」とサファイアの瞳を細めて甘え、フランチェスカの腕のキララちゃんは「みゃあ」と気高く首筋を伸ばしてウララちゃんを威嚇する。
二匹の美しい猫たちの相変わらずのライバル関係に苦笑しつつ、俺は立ち上がり、厚手のコートを羽織った。
「よし、フランチェスカ、ルカ。少年探偵団のトビーたちにも声をかけておけ。古代ローマの巨構建築が奏でる、歪んだ音律を観察しに行くぞ」
こうして俺たちは助手たちを引き連れ、馬車を数日間走らせて、歴史の残香が色濃く漂う帝都の象徴・コロッセオへと足を踏み入れることとなったのだった。
コロッセオに到着したのは、事件発生から丸二日が経過した午後のことだった。 数千人を収容できる巨大な円形劇場のアーチ群は、夕刻の斜陽を浴びて巨大な影を地に落としている。
しかし、その壮大な外観とは裏腹に、内部は不気味なほどの静寂とピリついた緊張感に包まれていた。
広大な中央のアレーナ(砂場)には、現場検証の痕跡がそのまま残されており、赤黒く染まった砂の一部が痛々しく残されていた。
「だ、ダ・ヴィンチ先生! よくぞお越しくださいました!」
俺たちを出迎えたのは、青ざめた顔をして全身を小刻みに震わせている男――
……コロッセオの修復建築家であるマルチェロだった。
彼の背後には、公爵の秘書を務めていた冷徹そうな女性ルチア、警備隊長である元剣闘士の巨漢ベネデット、そして地下水路技師のガルバ、骨董美術商のジュリア、若き神官フェビオといった、公爵の側近や関係者たちが固い表情で並んでいた。
「マルチェロ殿、現場の状況を詳しく聞かせてくれ」
俺が白黒のモノクローム視界を走査しながら問うと、マルチェロは汗を拭いながら手身近に説明を始めた。
「二年前の事故以来、立ち入りが制限されていたアレーナの中央で、公爵閣下は改修計画の演説をなさる予定でした。我々側近や観客たちは、全員が数十メートル離れた観客席からその姿を見守っていたのです。ところが……演説が始まってすぐ、公爵閣下は突然喉を掻きむしり、激しく血を吐いて崩れ落ちました……!」
「周囲に刺客が潜んでいる可能性は? あるいは隠された仕掛け弓や針など」
フランチェスカが見えない長剣の柄に手を当てながら尋ねた。
「あり得ません! アレーナの砂は事前に完全に清められており、隠れられるような障害物は一切存在しませんでした。それに、矢や針が飛んできたような音も風切り音も一切なかったのです」
警備隊長のベネデットが太い声を張り上げた。
「ふむ……ならば、遺体そのものに何か異変はなかったか?」
俺が尋ねると、秘書のルチアが冷たい声で付け加えた。
「検分にあたった医師によれば、毒物による内臓の急速な腐敗と破裂が原因とのことです。しかし、公爵閣下がその日に口にされた食事や毒味役の者に異常はありませんでした。ただ……不気味だったのは、閣下の首元に、まるで焼印でも押されたかのような『黒い矢印』の形をした謎のアザが浮かび上がっていたことです」
「黒い矢印のアザ……?」
俺の後ろに控えていた助手のルカが、自身の結晶の腕を擦り合わせながらピキピキと微かな共鳴音を立てた。
「先生、僕の体内の結晶が、現場に残る『音の残響』のようなものに反応して微動しています……」
「おじさん、それって呪いかな? 神官の人が何か怪しい儀式でもしたんじゃないの?」
少年探偵団のトビーが直感的に、不気味な笑みを浮かべて佇む若き神官フェビオを指差した。
「不敬であるぞ、無礼な童! 我はただ、古代の神々の祟りであることを警告していたに過ぎん! このコロッセオの地を汚した公爵に、神罰が下ったのだ!」
フェビオ神官が激昂して叫んだ。
「まあまあ、皆様。そんなにお声を荒らげなくても。何でしたら、古代の魔除けの石でもお安くお譲りしますわよ?」 艶やかな笑みを浮かべた骨董美術商のジュリアが、怪しげな装飾品をこれよとばかりに見せつけてくる。
「ジュリア、そんな胡散臭い押し売りは後にしておけ。俺たち地下水路技師も、公爵の死後は仕事が止まって迷惑しているんだ」
頑固そうな地下水路技師のガルバが吐き捨てた。
容疑者たちの不毛な言い争いが始まる中、俺は【画家】の目を研ぎ澄ませ、アレーナ中央の空間に漂う『陰影の波長』をじっくりと観察していた。
ルカが放つ微細な結晶の共振光が、モノクロームの視界の中で空間の
「空気の密度差」
を浮き彫りにさせていく。
「先生、何か見えましたか?」
ルカが声を潜めて尋ねてくる。
「ああ。この事件には、まだ誰も気づいていない『第三の媒体』が使われている」
「第三の媒体……? それは一体……」
俺が答えようとしたその時、アレーナの頭上に広がる広大な四層の観客席から、不意に奇妙な「音」が響き渡った。
『――そろそろ、お掃除の時間っすかねぇ……』
その声は、まるで耳元で誰かがボソボソと囁いたかのような、微小でかすかな声だった。 声の主は、アレーナから数十メートルも離れた最上層のアーチ付近で、清掃用の箒を持っていた行商人のコップだ。 彼がほんの気まぐれで呟いたその小さな呟きが、次の瞬間――。
ゴオオオオオオオン……ッ!!
まるで雷鳴がコロッセオ全体を激しく揺さぶるかのような、地響きを伴う凄まじい「大音量」となって、アレーナ中央にいる俺たちの頭上にピンポイントで降り注いだのだ!
「キャッ! な、何事!? 雷が落ちたの!?」
フランチェスカが悲鳴を上げて耳を塞ぎ、その衝撃でキララちゃんが「みゃあ!」と怯えて彼女の肩にしがみついた。
「くっ……! 体の結晶が激しく共振する……!」
ルカが自身の体を抱えるようにして膝をつき、トビーやガウルも頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「ひ、ひえええ!? あっしはただ、独り言を呟いただけっすよ! 何も悪いことはしてないっす!」
最上層からコップの情けない悲鳴が響いてくるが、今度の声は通常の距離相応のかすかな声としてしか届かない。 これこそが、コロッセオ内で密かに発生していた第一の小さな事件――『歪む残響』だった。
「だ、ダ・ヴィンチ先生、今のは一体……!? ここ数日、コロッセオ内の特定の場所で声を出すと、時折このように不気味な音の集束が起きるのです!」
修復建築家のマルチェロが顔を真っ青にしてガタガタと震え上がった。
「そうか……やはりな。ルカ、お前の結晶の揺らぎのおかげで、パースペクティブ(構図)の謎が完全に解けたぞ」
俺はコートの胸元でサファイアブルーの瞳を輝かせるウララちゃんを撫でながら、確信に満ちた笑みを浮かべた。
「レオナルド、今の雷のような音と、公爵の死にどんな関係があるというの?」
フランチェスカが耳から手を離し、不可解そうに尋ねてきた。
「フランチェスカ。コロッセオのこの古代建築は、単なる石の積み重ねではない。無数の連続するアーチと楕円形のすり鉢状構造は、特定の角度から発せられた音の波長を、一点に増幅して集束させる『巨大な音響反射板』として機能しているんだ」
「音響反射板……?」
「ああ。マルチェロたちが改修工事を行った際、あるいは何者かが意図的にアーチの角度や壁の反射率を微調整したことで、観客席の特定の『発信点』から発せられたかすかな音が、アレーナ中央の『焦点』へ向かって雷鳴のような破壊的エネルギーとなって集束するシステムが完成してしまったのだ」
俺の説明に、周囲にいた容疑者たちが息を呑んだ。
「でも先生! 音が大きく聞こえるだけで、人が血を吐いて死ぬようなことがあるのですか?」
ルカが不安そうに透き通る顔を向けた。
「ただの音なら死にはしない。だが……もし公爵が、あらかじめ『特定の音の振動(周波数)』に反応して体内で一瞬で猛毒化するような、特殊な前駆物質(遅効性の毒)を体内に仕込まれていたとしたらどうだ?」
「あっ……!」
おばあさん召喚士のエルザが、抱えていた魔導書を落としそうになりながら叫んだ。
「音響誘発毒……! 普段は害のない物質だが、特定の発振周波数の音波による共振振動を受けると、一気に分子構造が破壊されて致死性の毒物へと変質する魔法薬物……!」
「その通りだ、エルザ。公爵の首元に残されていた『黒い矢印』のアザは、内熱によって皮膚が急激に壊死した跡であり、同時に音波が集束した『焦点のベクトルの向き』を示している。つまり、公爵は誰も近づけないアレーナの中央で、数十メートル離れた観客席から放たれた『目に見えない音の矢』によって殺害されたのだ!」
俺が冷徹に真相の構図を言い放つと、そこにいた6人の容疑者――
……マルチェロ、ルチア、ベネデット、ガルバ、ジュリア、フェビオたちの顔色が、一斉に不気味なほど白く強張った。
「ば、バカな……! 音で人を殺すなんて、そんな芸ができるのは、このコロッセオの音響構造を知り尽くした者か、あるいは特殊な毒や道具を扱える者に限られるじゃないか!」
警備隊長のベネデットが激昂し、互いを疑い合うような険悪な視線が容疑者たちの間で激しく飛び交い始めた。
「フフ……そう焦るな。この『第一の事件』は、これから始まる壮大な連鎖殺人の、ほんの序章に過ぎないのだからな」
俺は万能スキル【画家】のモノクローム視界の中で、古代コロッセオの地下へと深く伸びる、見えない悪意と陰謀の太いラインをしっかりと捉えていた。
みなさま、どんな風に感じてもらったのでしょうか?
少しでも面白いかもと思って頂けましたら幸いです。
励みになりますので、☆をチェックしてもらえると嬉しく存じます。
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パラレルワールドで魔法と多種族の住む異世界でスキル無しで探偵します。
ローマ編も追加しています。17時投稿です!
よろしくお願いします。




